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花香と初音の物語  作者: 葉月麗雄
挿話

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11/22

遊女は重労働でありんすよ 若紫の一日 後編

暮れ六つ〔午後六時〕になると夜見世の始まりの合図である「おふれ」と呼ばれる鈴が鳴らされなんす。

見世の灯りが灯されると開店を告げる「清掻(すががき)」の演奏の始まりでありんす。


うちの見世ではかずさ屋から引き取られてきた初音ちゃんが、わずか半年で清掻の三味線担当になりんした。

わっちが清搔の担当になるまで三年かかったのに凄い才能でありんすな。


吉原に来るぬしさんならもう知っているとは思いなんすが、初めての人もいると思いなんすので説明致しんす。

大門をくぐり抜けて中央に位置する大通りは仲の町。その両側にずらりと並ぶのが引手茶屋でありんす。

玉屋うちのような大見世には引手茶屋の仲介がなければ来る事は出来ないでありんす。


引手茶屋はまずぬしさんの予算に応じて見世や遊女の取り決めをし、見世と繋いで話がまとまれば登楼となる訳でありんすが、相手が太夫の場合はここで待つんでありんす。

そう、太夫の方からぬしさんをお出迎えに行く太夫道中でありんすよ。

この太夫道中を待つ間にも粋なぬしさんは芸者を呼び、酒宴を開いて切り餅を配ってくれるんでありんす。


切り餅というのはお餅じゃござりんせんよ。

一分銀百枚を紙に包んで方形にして封印したものでありんす。

一包みがおそよ二十五両〔約二百五十万円〕で、引手茶屋で望みの太夫を手配したい時に手渡すものでありんす。


こうして茶屋には席料、料理屋には料理代、見世には揚代が入る仕組みなんでありんす。

もし、引手茶屋で気になる遊女がいなくて自分の目で確かめたいというのであれば、大見世でも張見世で見立てが出来るでござりんすよ。


中級以下の遊女は張見世で営業するからでありんす。

張見世では奥の中央に座っている遊女が一番格上で値段も高く、手前の遊女は値段も安いと相場が決まっているでござりんす。

ちなみに太夫の姐さんたちはこの張見世には出ないでごさりんす。

なぜかと言いなんすと張見世というのは指名を待つ営業活動でござりんす。

太夫にもなればそんな事しなんすとも常に指名がありんすからその必要がありんせん。


余談でありんすが、遊女から格子越しにキセルを手渡されたら受け取って一服してやっておくんなし。

それも張見世での見立ての駆け引きってものでごさりんすよ。


またまた話は逸れなんしたが、太夫道中で登楼出来るような「お大尽」はほんのひと握りのぬしさんのみ。

普通のぬしさんが引手茶屋から登楼する時には茶屋の女将に連れられて見世に行くんでありんす。


初会、裏、馴染みという遊郭のしきたりはぬしさんたちも知っていると思うでありんからわっちからは特に説明はしなせんけど、ようは最低でも三回通わないと床入り出来ないと言うことでありんす。


一回目を初会、二回目を裏と言いなんして、三回目の「馴染み」でようやく床入りできるんでありんすが、この時にも「馴染み金」を渡さなければ何度登楼しようと「馴染み」にはなれんせんからお気をつけなんし。

吉原の遊女は何事にも粋な心というのを大事にしなんす。

馴染み金も出さないぬしさんは野暮やぼ〔センスのない田舎者という意味〕という事でありんすな。


馴染みになればわっちら新造も禿もぬしさんを名前で呼びなんすし、名前入りの箸袋も揃えてもらえるでありんす。


登楼して馴染みとなった場合や相手の遊女が格子や太夫で新造や禿を抱える高級遊女だった場合には必ず酒宴を開くのが礼儀でありんす。

それをせずに床入りを急くぬしさんは間違いなく嫌われるでありんすからお気をつけなんし。


馴染みになってせっかく遊女を指名しても、その遊女に初会のぬしさんがいたら、今夜はついていないと思っておくんなし。

遊女は今後の売り上げを考えて初会のぬしさんを優先するからでありんす。

太夫、格子の姐さんたちにしてみれば馴染みのぬしさんは一度や二度と振ったところでどうにでも出来るだけの美貌と手練手管を持っているでありんすからな。


そういったときには「名代」と言いなんしてな、わっちら新造が代わりにぬしさんの相手を務めるんでありんす。

ただしあくまでも話し相手というだけで、手を出すのは御法度でござりんす。

それでも揚代はしっかり取られなんすけどな。


花香姐さんは新造だったとき、この名代でぬしさんたちの気を引くのが際立って上手で、この時に姐さんに惚れたぬしさんたちが今おゆかりさんとして来てくれなんす。

まったく生まれ持った美貌と才能は羨ましいでござりんすよ。


前にそれを花香姉さんに言ったことがありんすが、花香姐さんは苦笑していなんした。

「あれは朝霧姐さんがわっちのために自分のおゆかりさんたちをあえて振ってわっちのところに廻してくれたんでありんす。わっちは朝霧姐さんのおゆかりさんを引き継いだに過ぎんせんよ」


朝霧姐さん、そこまで出来るとはやっぱり素敵でありんす。

さすがわっちの姐さんなだけありんす。



さて、張見世をしている姐さんたちも五つ半〔夜八時半から九時」には引き上げて二階に上がり、ぬしさんたちの接待をしなんす。

花香姐さんおゆかりさんの宴会では「喜の字屋」にわっちらもありつけるんでありんすよ。


喜の字屋って何かと言いなんすと、喜右衛門さんという角町すみちょうに住む料理人の店の名前でありんす。

この喜右衛門さんが豪華料理に豪華な飾り付けをする「台の物」という料理を作りなんしてな、これが吉原で大人気となり、今では鼓楼の宴会にはなくてはならないものになったんでありんす。


元々は店の名前でありんすが、鼓楼ではこの台の物や豪華料理の事を総じて「喜の字屋」と呼ぶようになったんでありんす。

禿時代はこの喜の字屋の残り物をこっそり持ち出したものでござりんすな。

また思い出してしまいなんしたよ。


えっ? 一晩の揚代はいくらくらいでありんすって?

実は遊女自体の指名料金はそれほど高くはありんせん。

太夫でも一回につき一両二分〔約十二万円〕ほどでありんす。

格子で三分から一両〔約六万円から十万円〕、散茶で二分から三分〔約四万円から六万円〕ほどでありんすな。


では何がそんなに高いのかと言いなんすと、見世や禿に渡す総花〔従業員へのチップ〕や喜の字屋の料理代なんざんす。

玉屋うちのような大見世でありんすと遊女の指名代と床花代〔チップ〕に喜の字屋の代金が最低限でありんして、引手茶屋に払う精算額は少なくとも十五両〔約百五十万円〕ほどでありんすね。

これが太夫になりんすと茶屋に渡す切り餅がありんすし、見世の者たちにも総花がありんす。

太夫のお供一行に見世の主人、妓夫や女中、遣手婆などの祝儀、芸者などの揚代に出す総花は二、三十両じゃ済まないでありんしょう。

まあ一晩で五十両から百両くらい〔約五百万から一千万円〕はかかるでありんしょうな。


紋日はこの二倍の金額がかかりなんすからお金と時間と心に余裕があるお大尽様でなければとても通う事は出来なんしょうな。


これでも今は公方様〔ここでは八代将軍徳川吉宗〕の倹約令が出てだいぶ安くなっているんでありんすよ。

有名な紀伊國屋文左衛門様〔五代将軍徳川綱吉の時代の豪商〕なんて見世一件どころか吉原を丸ごと一晩借り切って豆まきと称して見世の二階から一分金〔約二万円〕をばら撒いたりして遊んでいなんした。

あのお方一晩においくら使ったんでありんすかね?

数千両〔数億から十数億円〕は散財してたんでありんしょうね。


それだけのお金を使っても蔵には金が腐るほどあったと言いなんすからわっちには想像もつきませんな。

それが一代で破産したというのも信じられんでありんすが。


お里さんがよく「紀文の旦那様〔紀伊國屋文左衛門のあだ名〕の時代にいたかったわ」と目を輝かせたのもうなずけなんす。

「紀文の旦那様なら総花だけで一人百両は貰えたかもしれないよ」

お里さん、やっぱりそっちなんでありんすね。。


さて、そろそろ拍子木ひょうしぎの鳴る頃でありんすね。

引け四つ〔午前零時〕になりんしたら大門が閉まり見世仕舞いの時間でありんす。

わっちらの一日も終わりでありんす。

部屋を持たないわっちら新造以下の者は大部屋で雑魚寝でありんす。



夜になるといつも考えてしまいなんす。


幸せかと言われたら幸せではありんせん。

楽しくもありんせん。

その日を生きるのに精一杯でありんす。

それでもわっちらは玉屋に居られるだけまだ他の見世の遊女よりは恵まれていなんす。


少なくともここは遊女を一人の人間として見てくれなんす。

奴隷のように扱われる事もありんせん。

こんな恵まれた環境にいてかずさ屋で苦労していた初音ちゃんに比べたらわっちは幸せなのかもしれんせんけと、やっぱり幸せではありんせん。


これは遊女である限りずっとそうなんでありんしょうな。

わっちも朝霧姐さんのようにいつか大門をくぐり抜けて外の世界に住んでみたいでありんす。


そのためにも一生懸命働いて年季を終えるのが今の目標でありんす。

えっ? 落籍(身請け)は狙わないのかって?

落籍してくれるような人、わっちに現れるんでござりんすかね?

それは目標というよりも願望でござりんすね。


長くなってしまいなんしたが、遊女はこんな一日を過ごしていなんす。

ぬしさまも吉原にお越しの際はぜひ玉屋にお立ち寄りおくんなし。

一同心よりお待ちしておりんす。

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