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花香と初音の物語  作者: 葉月麗雄
波乱編
1/22

太夫(ゆめ)を見て鼓楼(ここ)に来て 現実を知り失望を味わう

時は八代将軍徳川吉宗の時代。


吉原の大見世玉屋に江戸の楊貴妃といわれた遊女がいた。

その名を花香はなか

見世のお職〔売り上げ一位〕であった元太夫の朝霧に付いていたが、十四歳の頃にはすでに頭角をあらわしていた。


姐さんであった朝霧と紅玉が身請けで見世を去った後に二人の後継者として太夫に昇格。

以降、吉原はおろか江戸でもその名を知らぬ者はいないと言われるほどの有名な太夫となっていった。


✳︎✳︎✳︎


吉原では午後六時になると太夫を除く遊女が見世の格子内に居並ぶ。

一番格上の遊女は中央奥の上座に、以下格式に応じて順に座ると奥の障子が開き楼主の席に簾がおろされ、夜見世の始まりの合図である「おふれ」と呼ばれる鈴が鳴らされ、灯りが灯されると各見世で「清掻(すががき)」の演奏が始まる。


清掻は、三味線によるお囃子で、芸者や振袖新造が担当する。

見世によりそれぞれ違う演奏で、吉原の町を一斉に賑わせる。

この演奏の合図とともに客が大門をくぐり始める。


ここは吉原でも小さい部類になる小見世のかずさ屋。

二階の部屋では指名を受けた遊女たちが客を相手に酒と料理のおもてなしをしていた。

夜の帳は下りたばかり。

そんな中、客たちがざわめき始めた。


「玉屋の花香太夫の太夫道中だ」


「よ、日本一!」


かずさ屋の禿かむろである初音はつねはその様子を見世の二階から客たちと覗いて見ていたが、その華やかさと美しさに初音は目を奪われた。


「この世の中にあんな綺麗な人がおるんだ」


初音の姐さんである千早ちはや太夫も綺麗な人であったが、花香はそんな言葉では言い表せない気品と色気に知性を漂わせる雰囲気があった。


「初音、見たか? 大見世の太夫というのは遊女の最上の位だ。あそこまで上り詰めたら嫌な客の相手はしなくていいし、どんな金持ちや大名も頭が上がらなくなる。楼主ですら恵比寿顔でご機嫌を取るようになる。それが太夫さ」


客にそう言われて初音は目を輝かせた。


「わっちもあんな綺麗な太夫になりたい」


そんな初音の言葉に千早は少し寂しそうな表情を浮かべた。


「初音、あそこまで上り詰めるにはもっと上の見世に行かな無理でありんすよ。ここじゃせいぜいわっち程度。それよりも身請けしてくれるぬしさん(お客さん)を探してここを出る方がようござんす」


「そうなんだ。。」


初音が見た希望の光は一瞬にして消え去っていった。

その話を客から聞いたのか、かずさ屋の楼主兵衛門が初音に冷たく言い放つ。


「馬鹿かお前は。玉屋の花香といやあ吉原で一番の遊女だぞ。お前なんかとは格が違うんだ。頭冷やしてよく考えな」



初音は数え年十三歳になる。

十歳の時にこの見世に売られてきて三年が経つ。

貧しい農家の娘であった初音の本名はしず。

女郎として売られるという意味すらわからず、母親に泣いて頼まれたら娘の立場としては従うしかなかった。


人身売買は禁止されているので、表向きは奉公という形で女衒せげんに十両〔約百万円〕で売られたしずはこうしてかずさ屋に連れてこられたのだ。

十両といえば貧乏農家にとってはかなりの大金である。

この金額から女衒はしずの顔立ちを見て上品じょうほんと評価したのは確かである。


普通なら三、四両が相場であろう。

そして十歳という年齢は禿としてはギリギリの歳である。

通常、禿は十歳以下と相場が決められている。

だが例外もあり、その子が見込みのあると判断された時には年齢制限はない。

女衒はしずがそれだけの逸材だと判断したのだ。


大門を目の前にして女衒がしずに言ったのは「この門をくぐったら次に出られるのは年季が明けた時か身請けされた時。あとはくたばっちまった時だけだ。それ以外でここを出る事はまかり通らねえ」という言葉だった。

幼いしずがその言葉の意味を知るのは女郎として働き出してからであった。


見世に入って最初にしずを待ち受けていたのは楼主の品定めであった。

股を開いて大事な部分を見せなければならない。

嫌だの恥ずかしいだの拒絶する権利は一切なかった。

ここで娘たちは上品じょうほん中品ちゅうほん下品げほんに分別され、その後の扱いに格段の差が付く


しずは女衒の見立てに反して下品と分別され、三十両で安く買い叩かれた。

女衒は不服そうな表情であったが、楼主には逆らえず渋々三十両〔約三百万円〕で手を打つ事となった。

もしこれが上品であれば百両〔約一千万円〕の値が付いたであろう。


この三十両がしずの借金となり、年季が来るまで返済し続ける事になる。

実際にはこの金額に法外な利子がつくうえに、それまでに掛かった稽古の費用、衣装代や格子、太夫に上がれば禿の面倒を見なくてはならず、その費用もすべて遊女持ちであった。


年季までに借金を返済するのは売れっ子の太夫でも難しかったという。

そして見世から「初音」という名前を与えられてかずさ屋のお職である千早太夫について客の相手をする事となった。


下品に定められた初音は客相手をしている時以外は奴隷のような扱いであった。

また、先輩で新造の小町に嫌がらせを受けてはやり返していた。

二人は見世の中では犬猿の仲で、顔を合わせれば言い合いに発展する。


小町は時期太夫としてかずさ屋期待の新造であった。

見た目は綺麗であったが、武家出身という事もあり、プライドが高く他の禿や新造たちを見下す態度が目立ち、上からは気に入られていたが、仲間たちからは敬遠されている人物だ。


見世では清搔も任されていたが、それも鼻にかけていて初音も用が無ければ話したくもない人物であった。


清搔の三味線演奏は、歌を歌わない三味線だけの演奏で見世によって違うが、多くは第二・第三の二弦を同時に弾く音と、第三弦をすくう音とを交互に鳴らすという単純なものであった。


丁寧に演奏するというよりは単なるBGMとして流されていたので、三味線が出来るなら新造でも可能であったのだ。

清搔の演奏を任されたのを鼻にかけたり、優越感や特別扱いされていると思うのは大間違いなのだが、小町は見世の清搔を任されたというだけで有頂天になっていた。


「初音、私に近寄らんでくれなんし。あんたのような田舎者の臭い匂いが身体に移ったらぬしさんたちに逃げられてしまうでありんすからな」


「それはわっちのせいではなくお前の嫌な性格が災いしての事でっしゃろ。言われなくても近寄らんから安心しな」


「農民の分際で武家出身のわっちに生意気な口を聞きなんすな。おまけに下品の身分で上品のわっちに敵うとでも思うでありんすか」


「お前みたいな嫌な奴になるくらいなら下品の方がいいわ」


「言いなんしたな」


こうして取っ組み合いの喧嘩が始まるが、いつも楼主や妓夫たちに折檻を受けるのは初音の方だった。


「何でや? あいつの方から喧嘩を売ってきたのに、あいつは何もお咎めなしでわっちだけ怒られなければならないんや?」


「お前が格下だからに決まってるじゃねえか。ここはな、同じ事をしても格上の者が許される世界なんだよ」


「そんな馬鹿な話があるか」


初音はそこまで反論してお客に言われた言葉を思い出した。


「太夫は遊女の最高峰。あそこまで上り詰めたら楼主も恵比寿顔でご機嫌を取るようになる」


「わっちはこの見世での地位が低いからこんな目に遭わされるのか。。」


そしてまた今日も小町とのいざこざで見世の妓夫ぎゅうたちに散々痛めつけられた。

この見世では立場の低い者の意見はほぼ通らない。

何を言っても、たとえ同じ事を言っても身分の高い方の言い分だけが通る世界。


「本当にわっちは人間なんだろうか。犬や猫の方がまだマシな気がする」


そうポツリと呟いた初音に妓夫が冷たく言い放つ。


「その通り。おめえなんぞ犬猫以下の奴隷でしかねえ。飯を食わせて寝る場所を与えてやっているだけでもありがたく思うんだな。まだ何の役にも立っていねえタダ飯食いの分際で舐めた口聞くんじゃねえ」


〔役立たずのタダ飯食いか。。そう言われたら返す言葉もない〕


初音は怒りをグッと堪えて飲み込んだ。

耐えかねて見世から逃げ出した事も何度かあったが、小見世と言えども抜け人に対する追跡システムは凄まじく、まず逃げられる可能性はない。


毎回すぐに捕まって連れ戻されては折檻される。

逃げところですぐに捕まるし、他に行く宛てもない。

死ぬまでここから抜け出す事は出来ないんだと絶望的な気分に陥る事も何度もあった。


だが、そんな初音の運命を変える出会いが待ち受けていた。

一両の現代価格ですが金の相場によって金額が変わるため、この物語では一両=10万円で統一しています。ご了承下さい。


※遊郭ではお客さんの事をぬしさん、主さん、主様と言った呼び方をしますが、見世によって言い方が違います。ここではぬしさんで統一しています。(主様はあなたという意味もあります)

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