【短編版】契約結婚ですか? かけもちですけど、いいですか?
ジョナは恋多き女と評判だ。花盛りの二十歳。遊び相手には事欠かない。それに、夫も三人いる。全員、偽装の契約結婚ではあるが。
ひとり目は、騎士団長のヒューゴ。死別した妻をまだ思い続けている、一途な人だ。
「カトリン以外と結婚する気はないのだが。再婚話がひっきりなしに持ち込まれて困っている」
「分かりました。私と偽装結婚すれば、わずらわしいことから解放されますわね」
「しかし、このようなこと。本当にいいのかい? 君のように若い女性が」
「大丈夫です。仕事ですから」
ふたり目は、魔道士のヴィクター。知的で静かな人。
「魔法の研究にしか興味がないのですよ。家族からの結婚しろ攻撃がしつこくて辟易しているのです。結婚しても妻をほったらかしするのは目に見えているというのに」
「分かりました。私は、ほったらかしは大歓迎ですわ」
「本当にありがたいです」
「あ、そうでしたわ。かけもちになりますけど、いいですか?」
「かけもちとは?」
三人目は、近衛騎士のライアン。華やかな見た目で女性人気は抜群だ。
「一緒になることが許されない恋人がいてね。誰かは言えないのだけど」
「ええ、もちろんです。ノロケはいくらでもお聞きしますが、お名前は秘密ということで」
「ありがとう」
「ただ、かけもちになりますけれど。よろしいかしら?」
「は、えっ?」
そんな感じで、三人の夫とはうまくやっている。偽装結婚、普通の女性ではかけもちなんて、無理だろう。でも、ジョナは父が王家の影なので、できてしまう。偽の身分を三人分、父が準備してくれた。
「ジョナには俺の跡を継いで、王家の影になってほしかったのだがな」
「仕方ありませんわ。私、人殺しの才能がないのですもの。嘘をつくのは得意なんですけどね」
ジョナは顔色を変えずに、堂々と、いけしゃあしゃあと嘘をつくのは、息をするように簡単にできる。天賦の才能があったと言えるだろう。でも、人をアレするのは、どうしても無理だった。思い切りと度胸がなくて、できない。ナイフが人の体に入っていく感触を想像すると、ビビッてしまって、冷や汗とあぶら汗が止まらない。
王家の影だからといって、頻繁に殺傷ざたがあるわけではないらしいけれど。でも、いざとなったら、ためらわずヤラねばならない。ジョナにヤル自信は皆無。適材適所で、契約結婚を仕事にすることにしたのだ。
「モテる嘘つきにとって、天職ね」
ジョナは本気でそう思っている。誇りも持っている。だって、簡単なお仕事ではないのだ。三人の女性を演じ分けなければならない。三人の夫の関係者を完璧に頭に叩き込む必要がある。そして、分刻みの予定表に従って、テキパキと着替え、移動、演技をするのだ。もう、名女優と胸を張れる。
秘書と衣装係と化粧係の協力で、崖っぷちの綱渡りをなんとかこなしている。
「ジョナ様。今週は騎士団長ヒューゴ様です。来週が魔道士ヴィクター様。再来週が近衛騎士ライアン様。月末の最後の週はお休みです」
「分かったわ。いつも通り、よろしくね」
ジョナは、赤毛のカツラをかぶる。お茶目で元気いっぱいなジーナになるのだ。一週間、精力的に騎士団長のヒューゴと社交をこなす。
「閣下がお幸せそうで、本当によかったですわ」
「最愛の奥様がお亡くなりになってからの閣下。痛ましくて見ていられませんでしたもの」
「カトリン様は、閣下の部下で、いつも一緒に魔物と闘っていらっしゃったのですってね。公私共に支え合う夫婦。憧れの夫婦像でしたわ」
「ジーナ様も騎士でいらっしゃるのですよね? 素敵ですわあ。わたくし、扇子より重いものは持てないのですもの」
夜会では、褒められているのか貶されているのか、微妙な言葉をかけられる。明るくて単純で鈍感という設定のジーナ。朗らかに受け入れた。
「夫の最愛はカトリン様です。わきまえております。私はあくまで二番手として夫を支えるつもりです。あんな素敵で強くてたのもしい男性が、私のことを後妻に迎えてくれるなんて。私の幸運はもうつかい果たしたも同然ですから」
カラカラと、貴族夫人らしくない豪快な笑いを響かせてみせる。嫌味を言ってやろうと待ち構えていたらしい貴族夫人たちは、毒気を抜かれたように静かになった。
「ジーナ様は、あまり王都にいらっしゃらないようですが。辺境のご実家にお戻りになっているのですか?」
「そうなのですよ。実家は人手不足ですから。私でもいないよりはマシなのです。夫は理解がありますので、月初婚を受け入れてくれました。まあ、私みたいなガサツな妻は、月初に会えばもうお腹いっぱいなんでしょうね」
はっはっはとジーナは楽しげに笑う。閣下の二番目の妻、ジーナ夫人は、豪快だけれど裏表のない気持ちのいい女性らしい。そんな評判ができあがっていった。
ふたりでヒューゴの屋敷に戻ると、ヒューゴはジーナを私室まで送ってくれる。
「ジーナ、あんな嫌味を言わせたままにして、すまない」
「あら、いいのです。ああいうのはどんどん言わせて、発散させる方がいいのです。それに、陰でコソコソ言われるより対処が簡単です。言われた嫌味よりもっとひどいことを、自虐で言えば、シーンとしますからね」
クククッとジーナは悪い笑みを浮かべる。
「ジーナは強いな。私も見習わなくては」
「ヒューゴ様。これは演技です。役割だからできるだけです。ヒューゴ様が無理する必要はありません。愛する人をそう簡単に忘れられる訳がありません。そのままで、無理なさらず」
「ありがとう、ジーナ」
「頃合いを見て、ジーナは死にますから。そうすればヒューゴ様はまたひとりに戻れますわ。妻を続けて亡くしたヒューゴ様に、新たな縁談を持ってくる厚顔無恥はさすがにいないでしょう」
「何から何まで、すまない」
「これが仕事ですから。お気になさらず」
「そうか、ありがとう」
ジーナは明るく「おやすみなさい」と言って、私室に入り、カギをかけた。間違いがあったら、困る。いくら立派な閣下でも、男だもの。ムラッと魔が差すことも、ないとは言い切れない。素肌の接触は、契約に入っていない。契約に入れるつもりもない。これは、偽装結婚なのだから。
清らかな乙女ジョナは、大きなベッドでひとり静かに眠りについた。
***
魔道士ヴィクターの妻ジーンは、黒髪のカツラと銀縁メガネでできあがる。キリッと知的で冷静。それがジーンの設定だ。
ヴィクターにエスコートされて夜会会場に足を踏み入れると、刺すような嫉妬の視線が注がれる。ジーンは舌舐めずりして、敵の襲来を待ちわびた。
「ジーン様、こうしてお話しできるなんて、嬉しいですわ」
「あのヴィクター様が、ついにお相手を決められたと。社交界は大騒ぎでしたのよ」
「どんな令嬢でも選び放題のヴィクター様の心をつかまれた女性。非の打ち所がない女性に違いないって」
貴族女性たちから、氷のような目線と言葉が投げかけられた。ジーンはピクリとも表情を動かさず、淡々と返す。
「非の打ち所がない女性なんて、存在しません。ヴィクターは、私のあっさりとしてベタベタまとわりつかないところが、都合がよかっただけです。愛ある結婚でもありませんしね。お互い、仕事が一番。私もヴィクターも、愛は求めていません。ただの役割分担です」
木で鼻をくくったような、素っ気ない、だがあまりにもあけすけな答え。誰も何も話せない。ジーンは淡々と鬱憤を晴らす。
「貴族の何が面倒って、社交なんです。仕事以外に取られる時間が多すぎます。夜会やお茶会に出ている時間を、研究にあてられれば、世の中に有益な魔法を解明できるのに。貴族同士でウワサ話を交換したところで、社会には何も貢献しませんからね」
ジリジリッと令嬢たちが後ずさる。ジーンは、哀れな女たちを放すつもりはない。令嬢たちが下がっても、ジワリと寄っていく。当てこすりには痛烈な嫌味を、毒には猛毒を、だ。
「私には理解できないのです。結婚したからといって、死ぬまでの安定が保障された訳ではありません。妻が老いれば、夫は若い女に目が移る。実家の力が強ければ、正妻として尊重されるでしょう。でも後ろ盾が弱ければ、軽んじられるでしょう」
若い令嬢が、目を見開き、口をハンカチで覆う。
「自分で稼ぐ力がなければ、夫の愛にすがるしかありません。でも永遠に続く愛は、ニワトリが金の卵を産むぐらい、滅多にないものです。そんな不確かな愛に、自分の生涯を賭けるなんて。負け戦ではありませんか」
グウッと、誰かの喉が鳴った。
「で、でも、子どもができれば、安泰ですわ」
キッとひとりの令嬢が声を上げた。ジーンはニッコリと笑う。
「子ども、そうですね。私も子どもは産みたいと思っています。ヴィクターと私の優秀な頭脳を受け継ぐ子ども。世の中を良くしてくれるでしょうね。私とヴィクターが没落しても、ひとりで強く生きていけるよう、知識と技術を惜しみなく注ぎましょう」
「そんな、没落だなんて」
「栄枯盛衰、盛者必衰。昨日の友は今日の敵。世の中、変化が激しいです。何があるか、誰にも分かりません。変化に柔軟に対応し、たくましく生きていけるよう。私の持てる全てを子どもに教えたいと思っています」
お、重い。え、そこまで考えなきゃいけないの。ヒソヒソと小さな呟きが令嬢たちから漏れた。スススッと後ろの令嬢たちから、遠ざかっていく。スッキリしたジョナは、もう解放してあげることにした。
クックッと小さな笑いがジーンの後ろから聞こえる。振り返ると、手で口を押さえて笑いをこらえているヴィクターが見える。
「たいした演説だ」
「お花畑のお嬢さまたちに、世間の荒波をすこーしだけお伝えしただけです」
「結婚と出産が人生の目的な貴族女性には、酷であろう」
「現実とは厳しいものです」
ふたりはシレッとした顔で、毒のある会話を続ける。氷の魔道士ヴィクターが、楽しそうに笑っていることを、人々は遠巻きに見つめて驚きあったのであった。
***
モテモテ近衛騎士ライアンの妻ジョリーには、ピンクのフワフワ巻き毛カツラを用意した。モテとモテの掛け算。くどすぎるぐらい華やかなふたりは、夜会であっという間に群衆に取り囲まれる。
「ライアン様。ジョリー様との出会いを教えてくださいませ」
「アタシ、隣国の踊り子なの。ライアンはアタシの踊りを見て、アタシにひと目惚れしたのよ」
ジョリーは、はすっぱな口調で色っぽい流し目を令嬢に送る。群衆がザワザワした。
「あのー、えー、ということは、ひょっとしてジョリー様は」
「ええ、平民よ。どこまで遡っても、平民の家系よ。すごい成り上がりでしょう? ウフフ〜」
ふあー、令嬢たちがため息を吐く。
「なんと言っても平民でしょう。異国の近衛騎士さまとは身分違いでしょう。物語みたいじゃない。アタシの成り上がり物語を舞台化できないかしらね。もちろん、主演はアタシ」
ジョリーは嫣然と微笑みながら、クルリと優雅に回る。
「ジョリー、成り上がり物語じゃなくて、俺との身分を超えた恋愛物語にしないと」
「あら、そうね。成り上がりより、恋愛の方が客を呼べるわね」
うんうんと頷き合うライアンとジョリーを、令嬢たちはポカーンと眺める。
「アタシ、踊りは抜群なんだけど。歌もなかなかなの。歌って踊る胸がキュンとする恋愛物語。きっと人気が出るわ」
ジョリーはまたクルリと回ってみせる。今度は歌つきだ。それほどうまくはないが、愛嬌のある歌声。人を惹きつける何かがある。
「ジョリー様は、ライアン様のどこがお好きなのですか?」
ひとりの令嬢が、勇気を出して質問する。
「あら、顔よ。顔に決まっているじゃない。このキレイなお顔を見られるなら、多少の不愉快は呑み込むわ」
ホホホとジョリーは笑い、ライアンは楽しそうに微笑んだ。
「ジョリー様は、どうして踊り子になったのですか?」
「玉の輿に乗るためよ。アタシって顔と体は抜群だけど、頭はそれほどよくないの。若くて美人なうちに、お金持ちをつかまえなきゃ。女には、最適な売り時があるから」
ジョリーはバチンッとウィンクをする。
何を聞いても、ポンポンあっけらかんと予想外の返答をするジョリー。すっかり若い貴族女性の人気者になった。
***
休暇の一週間、ジョナは実家でダラダラ過ごしていた。すると、父が書類を持ってくる。
「新たな契約結婚の依頼だ」
「もう、空き時間がなくてよ、お父さま」
ジョナはバッサリ断った。これ以上は無理。休暇がなくなってしまう。
「ジーナ、ジーン、ジョリーには死んでもらう」
「まあ、穏やかじゃないわね、お父さま。それほど大物なの?」
「大物だ。ただし、ジョナが会って、気が進まなければ断ってもいい」
「ふーん。面接はいつ?」
「明日だ。詳細は、書類を読むように」
「はーい」
ジョナは、長椅子に寝そべったまま、ダラシない格好で書類を読む。ジョナは少しだけ、興味が湧いてきた。
「舞台監督のモーリッツ様。私との契約結婚をお望みとのことですが。かけもちでもいいですか?」
「かけもちは、絶対にイヤだ。僕が君との契約結婚に望むことはね」
モーリッツはジョナに近づいた。
「舞台女優として、僕と世界を旅してくれること。主演女優として、歌って踊って、観客を魅了してくれること。それを、無期限で」
ジョナは目を丸くして肩をすくめる。
「まあ、それはお高いですわよ」
「もちろん。君を安く買い叩くつもりはない」
「私、踊りは得意ですけれど、歌はそれほどでもなくってよ」
「知っている。この前の夜会で見たからね」
ジョナはニヤッと笑うと、踊り始めた。ジョナのおかしな歌に、モーリッツがピアノで伴奏を始める。ジョナは華麗に歌い上げると、優雅に礼をしてみせる。
「それで、この茶番はいったいどういうことですの? アレクサンドロ・カール・モーリッツ第三王子殿下」
「バレたか」
「当たり前です。そんなカツラとヒゲで、王家の影を父に持つ私の目は騙せませんわ」
幼いときから、あらゆる王族と貴族の絵姿で、名前と顔を叩き込まれたのだ。父は、そういうところは徹底している。「王家の影になれれば、結婚できなくても食べていける」父はそう言って、ジョナに英才教育を施してくれた。残念ながら、王家の影ではなく、契約結婚が本職になったが。あのとき得た知識は、ジョナの仕事にとても役立っている。
「バレてよかった。あのときに言った通り、ジョナに結婚を申し込みに来たんだ」
「覚えていたのですね」
「当たり前じゃないか。王子を助けに来てくれたお姫さまを、一瞬たりとも忘れたことはない」
モーリッツは跪いて契約書と指輪をジョナに差し出す。
「ジョナが望む通り、色んな国に行こう。僕は外交官と舞台監督、ジョナは外交官夫人と舞台女優。ふたりで二つの仮面をつけ、ハラハラドキドキして暮らそう」
「本当に? 陛下と父が許してくださるかしら」
「ふたりの許可はとったよ」
「まあ」
「待たせてすまない、ジョナ。僕と、きっちり契約を交わした上で、一生を共にしてほしい。契約書は交わすけど、偽装ではない本当の結婚をしたい。僕と結婚してください、ジョナ」
「いいですわ。いいですとも」
ジョナは契約書と指輪ごと、モーリッツを抱きしめた。
***
ふたりの出会いは、遡ること十年。王族に伝わる儀式のときであった。
第三王子のモーリッツ。十歳のときに、王宮の秘密の地下道に入った。地下道の奥の祠にある魔石を持って帰ってくるためだ。それを持ってきて初めて、正式な王族と認められる。狭くて小さな地下道。大人は通れない。よって、崩落しそうな壁の存在は、気づかれることなく、放置され、モーリッツの上に落ちてしまった。
戻ってこない我が子のため、国王は騎士団の若者を救出に向かわせた。しかし騎士団の若者は体が大きくて、モーリッツの元まで辿り着けない。
モーリッツと同い年のジョナ。王家の影を父に持つジョナが、手を挙げた。
「わたしが行きます」
国王はためらったが、ジョナは止まらない。
「わたしの体にヒモをまいてください。まよわず帰ってこれるように」
ジョナは長い長いヒモを巻き、ヒモの端を父に託した。
「王子さまは、わたしが必ず助けます」
ジョナは水の入った革袋と、小さなカバンにオレンジと固いクッキーを入れ、勇敢にも地下道に入って行く。光のない地下道。ジョナはでも、怖くなかった。父の娘だもの。王族を助けるのよ。使命感に突き動かされ、一心不乱に歩いた。
最後は体をかがめて歩かなければならないほどの、小さな道。岩の下に王子が見えた。
ジョナはモーリッツを岩から引きずり出し、ささやく。
「王子さま、助けにきました。水を飲んで、オレンジとクッキーを食べてください」
ジョナは、モーリッツの足に包帯を巻き、手をつなぎ、ゆっくり元来た道を戻る。
王子を元気づけるため、ジョナは歌った。
「歌が上手だね」
「いつか女優になりたいの。色んな国の舞台で、歌ったり踊ったりしたいの」
「僕と一緒に行ってくれる? 強くなるから」
「ホントに?」
「約束する。ジョナを必ず迎えに行く」
モーリッツとジョナは、約束の証として、宝物を交換した。ジョナのリボンがモーリッツへ。モーリッツの指輪がジョナへ。
無事に父の元に戻ったジョナとモーリッツ。モーリッツはすぐに国王に懇願する。
「父上、大きくなったらジョナと結婚させてください。そして、ジョナと共に色んな国に行かせてください」
国王は、まんざらでもない表情をしたが、ジョナの父は厳しい顔で首を横に振る。
「なぜだ、モーリッツではジョナに不足だとでも?」
国王の問いに、ジョナの父は真摯に答える。
「陛下、殿下。我が一族は王家の影。王家の犬。王家のために命をかけて尽くすために存在いたします。娘が殿下と縁づくなど、あってはならないことです」
「ふむ。私は構わないと思うがな。代々、忠誠を尽くしてくれていること、感謝しておる。それに、子爵家なのだ。無理を通すことも、不可能ではない」
「陛下、もったいないお言葉、痛み入ります。お言葉ではございますが、今は時期尚早では。殿下は、今は娘にお気持ちが向いていらっしゃるでしょう。ですがそれは、命の危機だったからかもしれません。時が経ってもお気持ちが同じなら、その段階でご判断なさる方がよろしいのではないかと」
モーリッツは、「心は決して変わらない」と何度も言ったが、ふたりの父親は時間をかけて検討すると決めた。
モーリッツは、猛烈に努力した。各国の言語や文化を学び、外交部で働き始めた。身分を偽って、劇団の下働きから少しずつ上り詰めた。掃除、衣装の洗濯、舞台設営、照明、音響、脚本、ついには監督にまで。
無様に岩の下敷きで死にかけた自分を、命懸けで助けてくれたジョナの隣に並び立つために。
一方、ジョナも静かにモーリッツを待った。もしもモーリッツが自分を忘れても、自活できるように力を蓄えて。モーリッツ以外と結婚しなくてもいいように、でもいざとなったら誰かと結婚できるように、恋多き女を演じた。
ふたりきりで会うことは、許されなかった。王子と、王家の影の娘。身分が違いすぎる。ウワサになると、王家の威信に傷がついてしまう。モーリッツは変装して夜会に出ては、遠くからジョナを見つめた。
ジョナは年に一度届く小包みに、勇気づけられた。差出人は書いてない。中には、小さなオレンジと固いクッキー。手紙も何もない。でも、ジョナにはそれで十分。オレンジとクッキーをゆっくり大事に食べ、また一年、モーリッツを待とうと決意を固める。
十年、ふたりはそれぞれの方向性で邁進した。
「待たせてすまない、ジョナ。君が好きだ、あのときからずっと、変わらず好きだ。僕の勇敢なお姫さま」
「すっかり待ちくたびれましたけど、許して差し上げますわ。私の一途な王子さま」
モーリッツの震える唇を、ジョナは情熱的に受け止めた。
***
とある小さな国で、今ジワジワと人気を集めている舞台。ふたり芝居なのだが、主演の男女が見目麗しいと評判だ。
王子と身分の低い貴族令嬢の、一途な恋物語。ハラハラドキドキ、笑って泣いて、胸がキュンキュンすると巷で騒がれている。
ジョナは楽屋でたくさんの花束に埋もれている。ひときわ目立つ三つの花束には、ひっそりと手紙がついていた。ジョナは手紙に目を通し、フフッと笑う。
モーリッツが眉を上げて、首を傾げた。
「誰からだい?」
「元夫たちからよ。新天地での成功と、本当の結婚おめでとうって。辛くなったらいつでも戻っていいんですって。契約結婚をまたぜひって」
「ダメだ。絶対にダメだ。ジョナは、僕だけの妻だ」
「もちろんよ。もう、契約結婚はしないわ」
公私共に常に一緒のふたり。でも、飽きたりなんかしない。十年もお預けをくらっていたのだ。いつもふたりは常夏。
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