日常と、また。
家に帰ってくる頃には日は落ちて空はペンキを零したようなオレンジが広がっている。
いよいよスクリム期間も折り返し。
他チームの成長の振れ幅はすさまじく、1回の戦闘ですら勝てるか怪しい。
そんな最近の悩みの種で俺の脳は浸食されている。
気が付いたらマンションのエントランス。
そこには凛の姿が見えた。
確か今日は友達と遊ぶと言っていたような。
「「……」」
お互い無言のままエレベーターに乗る。
何故だか、凛といる空間での無言は気まずくない。
家主ではない凛がカギを開けても違和感を持たないまま家に入る。
「あっつーー」
数時間家を空けていたので中は夏の暑さが充満していた。
凛は夏には暑そうな露出の少ない服の胸元をパタパタと動かす。
俺は真っ先に部屋のエアコンをつける。
持っていた荷物を床に半分落とすように置いた凛はギシっとスプリングの軋む音を立ててソファーにダイブする。
その勢いでロングスカートが太もものあたりまでめくれ上がり、鍛えられた無駄な脂肪のない足が露になる。
「えっちなんだぁ」
凛がこちらに顔だけを向けて揶揄ってくる。
「目に毒だからやめてくれ」
「は?ご褒美の間違いでしょ」
「感性イカレてんのかよ」
「ご褒美だよね?」
作られた笑顔で圧をかけてくる。
よくこんなに怖い笑顔が作れるな。
この寒気はエアコンのせいか、恐怖のせいか。
「ハイハイ、ゴホウビデスヨ」
「もっと感情込めて言ってよぉ」
怒ったかと思えばぷくっと頬を膨らませて拗ねる。
そしてすぐにくつくつと肩を揺らして笑う。
「うふふ、冗談だよ」
「元から本気にしてない」
凛は起き上がって乱れた服を整える。
俺はスマホだけをもって凛の隣に座る。
今日あった人とは違う匂いだ。
どこか落ち着くような、日常に戻ってきたような気になる。
「最近よく出かけてるよね」
「言葉の裏に出不精なのにって書いてそうだな」
俺が軽口で返すと凛はぷっと吹き出す。
「で?そんな軽口でしか返せない君は何処に言っていたのかな?」
うーん、さすがに言い逃れはできないようだ。
これがもし、陽斗や由香里だったら違ったのかもしれない。
なんて答えようかと全力で言い訳を探す。
「素直には答えてくれない訳だ」
「……」
「分かるよー。何年の付き合いだと思っているんだ」
「ちゃんと話したのは小5とかだから別に長くはないだろ」
「それよりもずっと昔から見てきたからね。分かるよ」
「ストーカーやん」
「うんうん、それで?」
いい加減しびれを切らしたのか俺の顔を両手で押さえる。
俺の視界には凛の顔しか映っていない。
顔を背けようとするとグッと手に力を入れて元の位置に戻される。
「さあ、話して」
「えー、友達?の家かなー」
「ふーん、陽斗くんと朱音ちゃんは今日一緒に遊んでたから違うでしょ。外にいたから由香里ちゃんでもないよね」
将来の夢は名探偵なのかな?
この人と一緒に居たら色んな事件に巻き込まれそうだ。
あだ名は死神とかかな。
「まあ、何となく察しはついたけどね」
「いやほんとに探偵かよ」
ついツッコんでしまう。
これで察しつくとか何もんだよ。
そんなくだらない茶番をやめて凛は立ち上がり、キッチンの方に姿を消す。
夕食の用意をするようだ。
これが日常になったのはいつだっただろうと、ふと考えてしまう。
「なんかリクエストあるー?」
「なんでもいー」
答えた後に、この質問が1番困るんだろうなと思う。
まあ凛の作る料理は何でもおいしいので本当に何でもいいと思っている。
トントントンと、包丁とまな板が合う音。
ジューと、フライパンで焼く音。
本来、親というものはこういうものだろうかと考えてしまう。
まあ、関係ない話かと、思考を切り替える。
凛が料理する音をBGMにして俺が考えるのはスクリムの事。
追い越された背中を見るのはこんなにも辛いのかと自分でも分かっている悪い癖が出る。
さてどうしたものか。
こちらのチームも成長していないわけではないのだがそれでも、プロに比べると修正力が違う。
特にILG。最近では本当に辛そうにしている。
俺がIGLをできたらどれだけよかっただろうか。と自己嫌悪に陥る。
半分自分をいじめているだけの考え事をしていると不意に後ろから腕を回される。
抱かれるそうな感覚ではなく優しく包み込まれるような。
突然の出来事にビックリして顔だけを後ろに向けると凛がいた。
「え……なに……?」
「うんん、なんでもない。ただ、また蓮がどっか行っちゃう気がしたから」
「ッッッ……いや、ごめん」
「うん。いいよ」
また、知らないところで凛に迷惑をかけていたんだな。
俺は謝ることしかできない。
だが回された腕を離した時なんだか肩から重みが取れたような。
俺の悩みの種を持っていかれた気がする。
そして凛がキッチンに戻る後姿を見たとき急に心が痛くなって。
ソファーから立ち上がってただの自己満で声をかける。
「……手伝う」
「え?ふふ、珍しいね」
笑った口を手で隠し目を細める。
その、親が子を見るような目で余計恥ずかしくなる。
一緒にキッチンに行く足取りは俺も凛も理由は違えど、とても軽かった。
「手、切らないでよ?」
「さすがにそんなことしないよ」
「ホントにぃ~?」
「ほんとだって」
2人で肩を揺らして笑い合い、俺は穏やかな日常に戻る。
「ほんとに指切ることある!?」
「いや、事故というかなんというか」
「事故じゃないからね!?普通にピーマンと一緒に自分の肉も切ってたよ」
「ギリ、ピーマンの肉詰めとかにならん?」
「ならん。血のおひたしでギリだよ」
俺は絆創膏を貼ってある指をさすりながら話す。
いやまさか本当に切るとは自分でも思わなかった。
最初は「へー、包丁で切ると痛いより熱いなんだ」なんて冷静ぶっていたが物凄く痛かった。
今も、ジンジンを傷口がはっきり分かるくらい痛い。
そんな食事には不向きな会話をしながら夕食を口に運ぶ。
久しぶりに出来立てを食べたなあ、なんて思う。
「1つ言いたかったんだけどさ」
「ん?」
凛は持っていた食器を音を立てないようにゆっくり机に置いてから話す。
「あんまり、思いつめないでね。力になれる、かは分からないけど。でも、何も言われないのが1番嫌だから」
「うん。分かってる。もう大丈夫だから」
そう、分かっている。
同じ轍は踏まない、まあ今日踏んだばっかりだが。
だがあんなに寂しそうな、悲しそうな、いまにも消え入りそうな背中を見たら決心も付く。
さすがにもう、凜にあんな悲しそうな顔はさせたくない。




