夏休みの中盤
俺はあの日から毎日のように雪那の家に入り浸っていた。
そのせいで雪那から「通い妻みたい」と言われたり。
よく俺の家に来る凛の様な感じだろうか。
まあ違うのは俺の場合家事も何もしていないという点だ。
通い妻より通いニートの方が正しそうだ。
勿論それは今日も例外ではない。
更に今日は朝、というか俺からしたら早朝から来ていた。
何故かというと昼から用事があるからだ。
本当なら今日も夜までいるつもりだったのだが急に予定が入った、というより入れられた。
しかも昨日。
まあそうしたのは陽斗なので今更驚きもしない。
「今日から始まるね。スクリム」
「ああ、そういえば」
完全に頭から抜け落ちていた。
昨日からコーチを迎え本格的に大会らしくなってきた。
チーム名はリスナーの案で『天に舞ふ蓮』になった。
チーム名に自分の本名が入っていると知った時は1瞬心臓が跳ねたが『lotus』から連想されたのだろうと思ったときはなんて安直な名前なんだと自分に突っ込んだ。
「お昼ごはん食べていく?」
「いえ、家に用意されているはずなので」
多分今日も凛が作ってくれているはずだ。
そう考えた時に、これがいつの間にか日常になっていることに気づく。
一呼吸おいてから俺はでかいソファーに押し倒されてしまう。
体重をかけられているがソファーがとても柔らかいため全然痛くない。
「ダメでしょ?他の女の事口にしたら。嫉妬で心臓が破裂しそうだよ」
「俺は緊張で心臓が破裂しそうですよ」
俺が軽口で返すともっと体重をかけて咎められる。
そして俺の胸にそっと耳を近づける。
「ほんとに心臓バクバクだね」
「だからそういってるじゃないですか」
「友愛と恋愛の違いが分からなくてもドキドキするんだ」
「たとえ友達でも可愛い人に押し倒されたらドキドキします」
「かわいいって、煽てても何も出ないぞー。ところで何か欲しいものある?」
そんなテンプレの会話をする。
何がそんなに嬉しかったのか体を起こして身じろぐがちゃっかり足には全体重が、腕は頭上で押さえられているので全く動けない。
いやまあ、筋力の差があるので動こうと思えば動けるのだがそれをしたら野暮っていうものだ。
何より振りほどく意味がない。
今はこの体勢を満喫するだけだ。
「お昼ごはんは私って言うのはどう?」
「やめてください。捕まります」
「別に蓮君は捕まらないでしょ」
「雪那が捕まると困るんですよ」
「バレなきゃ犯罪じゃない、みたいな?」
そんな危ない思考を口にする。
俺は何も言わず、じっと見つめていると冗談だよと軽く手を上げて体の上からどいてくれる。
それはそうと、と雪那は話し始める。
「私も午後からは予定があったからよかったよ」
「何かあるんですか?」
「いや別に大層なことでもないよ。髪切りに行くだけ。ついでに染めようかな」
そんなことを言って肩ほどまである髪の毛先を指で遊ぶ。
まるで雨上がりの夜空の様な、さらさらと1本1本が自律しているのではないかと思うほど美しい黒い髪。
片手で持っているスマホでは髪色を調べている。
「蓮君何かリクエストある?」
髪色の事だろうか。
何がいいと言われても今のままでいいと思ってしまい困る。
「じゃあ……ピンクとか?」
「それ舞希と同じじゃん」
確かに。
でも、中の人とガワが同じ髪色というのもまた一興だと思うのだが。
俺は他にないかと脳をフル回転させる。
「なら、赤とかどうです?」
「あー、ありだね」
雪那はそう言うとスマホで赤髪を調べ始める。
雪那が俺にスマホを差し出してくる。
そこに映っている画像は派手な赤ではなく落ち着いた、黒が混じっているような赤だ。
「よさげじゃない?」
「よさげですね」
そう言うとどこか嬉しそうに雪那は笑った。
家に戻ってきて冷蔵庫に入ってあったお昼ご飯を食べて少しした頃。
予定していた時間より少し早い、2時50分ごろインターホンが鳴る。
「開いてるー」
動くのがめんどくさくてドアに向かってそう言うとゆっくりと開く。
一瞬、違う人だったらどうしようと不安になったがそれは杞憂に終わった。
「お邪魔しまーす」
もう何回目かもわからないのにそう言って入ってくるのは由香里。
このメンバーで予定時間よりも早く来るのは由香里だけだろう。
「どこか出かけてきたの?」
「え?いや、別に……」
「ふーん。まあいいけど」
絶対納得してない。何ならもっと疑ってる。
それより何で俺は雪那の家に言ったことを隠したのだろう。
別に隠すことでもないのに。
いや、隠す必要あるか。vtuberだし。
最近俺の倫理観がバグってきているようで怖い。
「蓮は、夏休みの宿題、そのくらい進んだ?」
今日、集められたのは夏休みの宿題をやるためだ。
提案者は陽斗。
まだ夏休みは中盤だというのに気が早いことだ。
いつもなら最終日にやるタイプだと思っていたのだが。
どっちの意味でも槍でも酸でも降ってきそうだ。
「俺は全く手つけてないよ」
「蓮もそのタイプだったか」
蓮『も』と言われるとなんだか陽斗と同じと言われているようで癪に障る。
「由香里は?」
「私はもう終わりそうだよ」
「はっや」
「毎日2時間はやるようにしてるからねー」
毎日2時間やって終わらせるよりも最終日の1日で終わらせる方がよっぽど有意義だと思うんだがな。
何より、夏休みの宿題という自分の持っている知識で終わるような執筆作業には何の面白みもない。
そんなことを毎日2時間もやるだなんて拷問と何も変わらないではないか。
それに授業で何回も習ったことなんてそうそう忘れないんだから宿題をやろうがやらまいが同じだと思う。
まあ授業を聞いていない俺が言うと説得力のかけらもないが。
予定していた時間の30分後にやっと全員集まった。
メンバーは陽斗、由香里、拓、綾、朱音だ。
凛がいないのは単純にもう終わっているからだ。
確か、夏休み初日には終わらせていた。
自分で勉強したいから宿題に時間を取られたくないと言っていたがまさか初日に終わらせるとは思わなかった。
受験生ってすごいんだなあと思う。
そして、メンバー全員が集まるころには既に由香里は宿題を終らせていた。
特にやることも無いため今は教師役としていろいろな人に教えている。
まあここに居るほとんどの人が頭がよくなりたいと思って宿題をやっているのではなく終わらせないといけないからやっているという意識のためできる事なら写させてくれと思ってそうだ。
「蓮先輩ここ教えてください!」
そう声をかけたのは朱音。
俺の隣に移動してきて身を寄せてくる。
由香里に聞けばいいと思ったが今は綾さんたちを相手にしているため俺でもいいだろう。
丁度、執筆作業にも飽きてきたところだ。
それよりもこの中で唯一1年生の朱音がこんなに溶け込んでいることに驚く。
やはりコミュ力は偉大なり。
そんな自分にはない物を羨む思考はすぐに切り替える。
俺が慣れないながらも説明している時に朱音はグイグイ体を近づけてくる。
最近は雪那と似たようなことがあり過ぎて慣れてきた。
って、んな訳ないだろ!
心臓のドキドキを隠すように平然を装う。
おいやめろ、その膨らみもない胸を押し付けてくるな。
「蓮先輩?今失礼なこと考えてませんでした?」
「いえ、全く、そんなことは無いです」
ついつい敬語になってしまう。
女の勘というのは都市伝説ではなさそうだ。
そんなことを考えている間にも体を寄せてきて終いには俺の脚の間にすっぽりと埋まる。
どうしてこう俺の周りには距離感がバグっている人しかいないのだろうか。
由香里からは鋭い視線を向けられるし。
良かったな朱音。もしここに雪那がいたら多分君、死んでたよ。
その後もずっと俺は朱音の家庭教師の様にずっと教えることになった。
だがなんだろう。俺が教えるまでもなく知っていた気がするのは気のせいだろうか。




