違う感情
凛と約束した時間、人気のない水族館の裏では海風だけで賑やかされている。
営業開始時間のほんの少し前、俺は1人で遠くに見える昨日行った淡く透き通る海を眺めていた。
何で1人なのかって?そんなの凛に聞いてほしい。
ただこの時間が苦じゃないのが不思議である。
海に近いせいで強い風が吹く。
目にかかる髪がいつもより鬱陶しい。
そんな海風に乗るようにこちらに向かってくる女性が1人。
凛かと思ったが俺の脳は全く違う人だと言っている。
「お待たせ」
低い位置で結んだポニーテールが海風に遊ばれ尻尾のように動く。
大人びた黒色の長袖長スカート。
真夏日の沖縄でも暑くないような素材が使われている。
確か、リネンという素材だった気がする。
俺の家でご飯を作っている時に言っていたはずだ。
自分で言うのもなんだがよくそんなこと覚えているなと思う。
そんないつもの凛とは違う、大人びていてどこかあどけない不思議な雰囲気を纏っている。
全くの別人と言って良いほどなのに顔はどこからどう見ても凛なので頭がおかしくなりそうだ。
「何でわざわざここ集合なの?泊ってるホテル一緒なんだから意味なくない?」
「こういうのはごめーん待たせちゃった?いや俺もちょうど来たとこだよっていうのが定番でしょうが」
「それだけのために2度手間のようなことしたのか……」
「いや理由の1つっていうだけ。それで、待たせちゃった?」
首を少し傾げ上目遣いで聞いてくる。
本当に誰なんだこの人は。
言動もいつもの凛とはかけ離れている。
いやもしかしたらこれが普通なのかもしれない。
これまでの凛は面倒見のいい姉という印象だったのがそれが元に戻っただけなのかもしれない。
そんな水平思考クイズのようなことを頭の片隅で考えながら話す。
「うん。結構待った」
「そっかそっかそれなら良かっt……いやいやいや違う違う」
「何が」
「何が?じゃないよ。そこは今来たとこだよって言うところでしょ!!」
「でも結構待ったし」
「はあ~~~、モテないなあ~~~」
深いため息をつきながら首を横に振る。
「別にモテなくていいんだよ」
「高校2年生で恋愛しないでいつするのさ」
「来世」
「もう私じゃ手に負えないよ」
どうやらこの会話に意味はないようで凛は逆側の水族館の入り口に向かって歩き出す。
海風に背中を押され俺も後ろを付いて行く。
まだ朝早い(感覚がマヒしているだけでそんなことはない)こともあってか駐車場にはあまり多くない車が止まっていた。
いや多いな。俺はすぐに考えを改める。
この時間に駐車場の半分が埋まっているのは凄いことなのでは?
ピーク時だとどれだけの人が来るんだよ。
恐怖すら覚えるそれに考えただけで疲れが押し寄せてくる。
中に入ると外の気温が嘘のように涼しかった。
もしかしたら水が目に入るせいかもしれない。
もうずっとここに居たいくらいである。
まあ嘘だ。
人が多い時点でここに居たいとは思わない。
だが中が広いおかげで人が多くても窮屈ではなかった。
「うわー広いなー」
あたりを見渡して初めて都会に来た田舎者みたいになっている。
その顔はいつもは見ることのできない笑顔でどこかキラキラして見えた。
「何気に初めてなんだよね~水族館来るの」
「そういえば俺もだ」
「おお、じゃあ今日が初体験だ。初々しいなあ」
「なんか言い方がきもい」
少しキモめのおじさんみたいなことを言う。
ほんとこの顔でそんなことを言われると脳がバグってしまう。
そんなことを考えていると凛の目が俺を通り過ぎて後ろを見ていることに気づく。
そのミスディレクションにかかったように俺も振り向いて視線の先を見てしまう。
「何かあったか?」
「え?いやいや何も」
焦ったせいかいつもの凛に戻ったのも束の間今日の誰か分からない凛に戻る。
「じゃあ行こうか。はい」
そう言って手を差し出してくる。
「何の手?」
「え?手つなごうよ」
「……何故」
「こういうのは手をつなぐって決まってるんです!!」
「どうやって決まったんだよ」
「そりゃあ絶対王政だよ」
「民間の意見も聞けー」
そんな意見も絶対王政の前では無意味で無理やり手を取られてしまう。
ていうか手をつなぎ方がカップルのそれなんだよなあ。
周りからの視線が痛い。
え、あの女の人可愛い~からの隣の人釣り合って無くない?きもいんですけど~。
という感じである。
いやほんとに、……辛すぎる。
「そんなに嫌だった?」
立ち止まって心配そうな顔で見てくる。
まあそんな言葉とは裏腹に握られた手からは絶対に離さないという気概が感じられた。
そんな顔をされては嫌とは言えない。
勿論俺も本当に嫌な訳ではない。
ただ……ただ、物凄く気まずいのである。
「嫌じゃないよ。ただまあ何というか」
俺が言葉を選んでいると凛はカバンからヘアピンを取り出す。
「ちょっと屈んで」
俺はその言葉に従って片膝をつく。
ヘアピンを2つ使って俺の長い前髪をサイドにとめてくれる。
後ろ髪は手櫛でセットしてくれる。
俺の髪はすぐに癖がつくので手櫛でセットするのが楽なのだとか。
「よし、これで私の可愛い顔がよく見えるね」
「まじで今日キャラに無いこと言うね」
「そう?だとしたら昔に戻ったんだよ」
そう言われて俺は胸のつかえが取れた気がした。
昔の、俺がまだ普通だった頃の凛なのだ。
多くの魚たちに見られながら道なりに沿って進む。
壁1面ガラス張りの水槽と言うには烏滸がましいそれの中で魚たちが悠々自適に泳いでいる。
生憎俺には魚の知識は無いため名称などは分からない。
ふと隣を見ると凛が初めて見る子供のように目を輝かせていた。
いや、本当に初めて見たんだったな。
ヘアピンで邪魔な前髪を分けて留めてくれたおかげで凛の可愛い顔がよく見える。
「ん?どうした。もしかして惚れ「惚れてない」
「そんな食い気味に否定しなくてもいいじゃん」
拗ねて口をとがらせてしまう。
とことん今日は子供気分のようだ。
そして俺は心の中で思う。
この凛に対する感情は恋愛的なものではない。
強いて言えば本来家族に対して抱く感情だろう。
もし、もしも、違う家族で、愛情を注いでもらっていたらそういう事もあったかもしれない。
まあ考えるだけ無駄なことだ。
そんな奴「赤坂蓮」というガワを被った別人なのだから。
「イルカショー見たかったんだけどなあ」
「さすがに時間が早すぎるんだよ」
「そっかあ、残念」
「まあまた来ればいいよ」
「そうだね。じゃあ最後に何か買ってから帰ろ」
来た道を戻り入り口近くまで戻ってくる。
段々と人が多くなってきたのが分かる。
ここにはお土産コーナーがある。
水族館らしい海の生物のぬいぐるみとかお菓子が売ってある。
「私こういうところでお菓子買わない派なんだよね」
「同意」
というかこういうところに来たことが無い派の人たちだ。
それでもこういうところの食べ物は他とあまり変わらない印象がある。
まあ完全に偏見だけど。
だったら他の所でもっとおいしい物を買おうという気持ちになってしまうのだ。
「あ、これいいじゃん」
そう言って凛が手に取ったのはイルカのキーホルダー。
赤と青の色違いになっている。
「じゃあ買ってくるから」
俺の返事も待たずレジに足を運ぶ。
まあ断る気もないからいいんだけど。
それにしても今の凛を見ていると微笑ましい気持ちになる。
何も演じてない、素という感じがしてとても楽しそうだ。
時間は立たずしてすぐに戻ってくる。
さっきのキーホルダーを手に俺のカバンを弄る。
「よしこれでオッケー」
「なんかカップルに間違われそう」
「いいじゃん。どんどん間違われて行こうぜ」
凛は親指を立てる。
何も良くないと思うんだけど。
「蓮、先帰っててよ。私ちょっとやることあるから」
「ん、分かった」
何かは聞かない。
知っても多分意味のないことだ。
そう思い俺は帰路に就く。
最後に見た凛の顔、いつも通りの凛に戻っていた。
凛は足早に来た道を戻り角にいる人たちに声をかける。
「何しているんですか?」
「「「「「……」」」」」
そこには凛が、どちらかと言えば蓮がよく見知った顔の人たちがいた。




