過去の理解、約束、知る者。
自販機で買った水とアクエリを両手に持ってホテルの自動ドアを潜る。
何を買えばいいのか分からなかったが水とアクエリ、どちらも買えば文句を言われることはないだろう。
入って真正面の受付の裏にあるエレベーターを目指して足を動かす。
初日に歩いた時よりも道のりが長く感じるのは疲れているからだろう。
鉛をつけているのかと疑いたくなる足を上げて進む。
通路を曲がりエレベーターと目が合うと同時に近くのソファーに見知った顔を見つけた。
その人は待っていたかのように俺を見つけると気だるげに手を振る。
「やあ、ずいぶん疲れてるね」
どう見ても疲れてるのは凛の方だろうと思ってしまう。
他人の目がないことをいいことに頬杖をついている。
凛が隣に座れとソファーをポンポンと2回叩く。
できる事なら早く部屋に戻りたいんだけどなあと思ったが気がついたら隣に座っていた。
まるで魔法で体を動かされたかのように。
「何でそんな疲れてるの?」
「さっきまで海で泳いでた」
「……ふふふ、楽しそうだね」
大体何があったのか想像できたようだ。
それにしても「楽しそう」か……
俯瞰して見たら随分変わったものだ。
昔の俺では考えられない。
いや、俺が変わったのではないのだろう。
周りに動かされた、という方が正しいだろうか。
俺が変わったところなんてない。
目に何の光も映らない思考に更けていると頬に指を押し付けて無理やりその思考の海から体を引き上げさせられる。
「まーたそんなこと考えて、悪い癖だぞ~」
まるで俺の考えていることが分かっているかのようだ。
まあ凛なら不思議じゃないなと納得してしまう。
「ていうか、今日何してたの?」
丁度気になっていたことを凛に聞く。
「え?ああ……蓮の真似?」
「引きこもっているのを俺の真似って言うな」
「はははは、ごめんごめん」
受験生の夏休み。理由を察するのはあまりにも容易だ。
また、それを言わないのが凛らしいと思う。
どうせ俺が察していることぐらい凛も分かっているだろうが。
だがそんな野暮なことは言わない。
「でもまあ、ここまで来て蓮とどこにも行かないってのは寂しいね」
「いつでも空いてるから誘ってくれたらいける」
「誘ってはくれないんだ」
「……」
「ね~、そんな困った顔しないでよ~」
困ったのは本当だが顔に出ていただろうか。
何度か手で顔を触るが当然それで分かるわけがない。
凛は机に顔を伏せて寝るような体勢になる。
つくづく今日の凛はオフモードだなと思う。
ちらりと見えた横顔からは疲れが見て取れる。
そんなに疲れているんだったら俺と話してないで休めばいいのではないだろうか。
「どうした?もしかして惚れたか?」
顔だけをこちらに向ける。
その顔はいつも見ている疲れなんて見えない、いや見せない、完璧な生徒会長の顔だった。
「寝言は寝て言えよ」
「寝言じゃないから起きて言ってるんだよ~」
ふにゃふにゃとした芯のない声で到底理解できないことを言う。
机の上に置いた飲み物は水滴が垂れてきていた。
真上から降るオレンジ色の暖かい光に当てられながら凛はグッと背伸びをする。
その腕に引っ張られて服がずれ、腹回りが目に入る。
隙間から見えた白い肌は今日見たのとは違う、どこか妖艶なものだった。
「じゃあさ、明日デートしない?水族館とかどうよ」
「俺は良いけど凛が大丈夫なの?」
「そんなこと気にしなくていいんだよ」
まるで大丈夫だという様にアピールする。
だが凛の口からは一言も「大丈夫」なんて言っていない。
何かあるなら言えばいいのにと思うが言ったところで俺にはどうすることもできない。
助けたいのに力がないとこういう感覚なのだと初めて理解する。
それと同時にあの時の凛も同じ気持ちだったのかと思ってしまう。
「ふふ、これで明日が楽しみになったな~」
そう言って立ち上がる。
いつも通りの立ち振る舞いで。
部屋に戻るようでボタンを押してエレベーターを待つ。
俺も水滴で覆われた2つのペットボトルのキャップをもって後を追いかける。
ついさっき俺達が使ったからかすぐに扉が開く。
何も言わなくても凛がボタンを押してくれる。
扉が閉まる直前、受付につながる通路に影が見えた。
それはまるでこちらを見ているかのように佇んでいた。




