海の地、朝と夜
「ヤッホーって叫んでもいいやつか?」
水着に着替え海を向いた陽斗が言う。
絶対に場所が違うだろうし何より恥ずかしいのでやめてほしい。
俺達は着替えに時間のかかる女性陣より早く地平線まで続く透き通った海を眺めていた。
夏休みシーズンのせいか多くの人たちで賑わいを見せる海。
俺達と一緒に来た、同じ学校の人たちもちらほらと確認できる。
勿論名前は知らない人たちだ。
俺はもう1度あたりを見渡す。
これだけ同じ学校の人は見つけれたのに凛がいない。
基本自由行動なのでいなくても不思議じゃないのだが……
そこまで考えて思考を切り替える。
どうして俺は凛を探していたのだろう。
脳内で意味のない自問自答をしている俺の横で、すうっと大きく息を吸う。
「ヤッホーーーー」
え、こいつ正気か?
思いっきり叫んだあと、跳ね返ってこねえなあとぼやく。
当たり前だろと声に出さずに突っ込みつつ周りの視線から避けるように陽斗から距離を取る。
そんな陽斗に後ろから小柄な女の子が前蹴りのような蹴りをする。
「やめろバカ兄貴、恥ずい」
海ちゃんが陽斗にだけ語気を強くする。
後ろを振り向くと着替えで遅れていた全員がそろっていた。
無意識のうちに白い肌を露出した由香里に目が吸い寄せられる。
その、思考を停止させる効果を持つ肌からすぐに目をそらす。
それに気づいたのか隣に来た朱音に脇腹を小突かれる。
俺の肩に手を置き背伸びをして耳元に口を近づける。
「ほら、女子が水着着てるんだから褒めないと」
もう1度由香里の方を見る。
由香里は黒を基調とした花柄の、ビキニタイプの水着を着ていた。
ビキニと言われて想像するものよりも少し布面積が広い。
ただそれでも年頃の男の理性を壊すには十分すぎるくらい肌を露出させていた。
見えてない方がいいだろ!と言う人は考慮していない。
褒めないと、と口を開こうとするも言葉が出てこない。
この感情をどう表せばいいのだろう。
助けを求めるために朱音の方に目を向ける。
やれやれと首を振った後もう1度アドバイスをくれる。
「かわいいとかきれいとか、なんだっていいんですよ」
それだけ言うと、陽斗と海ちゃんと一緒に海へ駆けていく。
陽斗はまだここに居たかったようで留まろうとしたが海ちゃんに押されていった。
俺は騒音の中でも聞こえる心臓を音を深呼吸をして落ち着ける。
「……似合ってるよ」
言葉尻になるにつれ声が小さくなっていく。
大勢の人で賑わう海の地では聞き取りにくいだろう。
だがそんな声を由香里は咀嚼する。
「うん……へへ、ありがと」
由香里は照れ隠しに肩まで伸びた髪をいじる。
俺達の間に気まずい空気が流れていると後ろから陽斗達の楽しそうな声が聞こえてくる。
海では、浮き輪に身を任せている朱音を陽斗と海ちゃんでキャッチボールの様に押し合っていた。
「私たちも行こっか」
由香里はそう言って歩き出す。
だが俺はその後姿を眺めるだけで足を動かせない。
理由は分からない。
初めてのものへの恐怖心かそれとも単純に面倒臭いからか、もしかしたらあの空間を壊したくないからという自衛かもしれない。
そんな俺に気づいた由香里が少し首を傾げて不思議そうな顔をする。
だがそれも1瞬の出来事で何かに気づいたのか俺のところまで戻ってくる。
「ほら行くよ」
俺のくだらない考えを一蹴するかのように手を取って海へ駆け出す。
その手に引っ張られて俺も走り出す。
「あ゛~~~づがれ゛だ~~~~」
海から帰ってくるとホテルの窓から見える空はすっかり赤色に染まっていた。
少し大きめのタオルを頭からかけた陽斗がベットに倒れるように横になる。
「お前が競争だ!とか言って泳ぐからだろ」
「いやまさかここまで疲れるとは……」
相当疲れているのか物凄く声が小さい。
何故俺と陽斗だけがこんなにも疲れているかというと、時間も経ち帰ろうと話が出たときに陽斗から競争しようと言われたのだ。
陽斗から、だ。
あくまで俺は被害者の立場だ。
プールで泳ぐのと海で泳ぐのでは体力の消耗が桁違いだ。
陽斗も同じようなことを思っているようだ。
「ちょっと蓮、飲み物買ってきて~」
「自分で行けよ」
「疲れて動けん」
「俺もだが?」
「頑張れ~」
陽斗の顔は絶対に動かないと書いてある。
俺は財布をもってホテル前にある自販機に向かう。
由香里に手伝う?と聞かれたがそれは断った。
流石の俺でも飲み物くらい1人で帰るのだ。
「あ!!蓮せんぱーい」
後ろを振り向くと声の持ち主がいた。朱音だ。
だだっ広い廊下を小走りでこちらに向かってくる。
まだ髪が濡れているのか少しペタッとしている。
「どこ行くんですか~?」
「パシられてそこの自販機まで」
朱音と歩きながら話す。
さっき髪を洗ったせいか隣からは甘い匂いが漂っている。
柑橘系の、グレープフルーツの西洋系というよりは日本の蜜柑のような匂いだ。
いやストーカーじゃないからな?
何となく昔、嗅いだことのある懐かしい匂いだったから覚えていただけだ。
「朱音は?どこ行くの?」
「更衣室です。忘れ物しちゃって」
ホテルを出るまでは一緒なので俺はエレベーターの1階のボタンを押す。
「楽しかったですね~、海」
「そうだね。実は海来たの初めてだったんだよね」
「え!?そうなんですか?いやまあそうか――」
「何その出不精だから当たり前か感」
「いやいやそんなこと思ってないですって」
そう言って朱音は含みのある笑みを浮かべる。
「ていうか私、まだ先輩に褒められてないんですけど!」
「何を?」
「水着です!!言いましたよね女子が水着着たら褒めないとって」
朱音は勢いに任せてそこまで言うと少し俯く。
そして俺側の壁に身を預ける。
「私、水着着るのコンプレックスなんですよ。だってほら、ね?ないじゃないですか」
朱音は胸に視線を落とす。
そこまで言われると俺も言わんとしていることに気づく。
「まあ確かに、ないね」
「肯定すんなノンデリ男!」
脹脛のあたりを思いっきり踵で蹴られる。
自分で言ってたのに……
「で?どうだったんですか?」
少し語気を強くして言う。
「似合ってた似合ってた」
「ほんとに~?今の今まで忘れてたのに~?」
「当たり前のこと過ぎて言わなかったんだよ」
「口でなら何とでも言えるんですよ~だ」
そこまで言うと朱音は目的の更衣室に向かっていく。
何となくいつもよりも足取りが軽いように見えたのは気のせいだろうか。
まあとにかく俺は早く飲み物買って部屋に戻らないとな。
なんたってこれから舞希の配信があるんだから。
俺は適当に自販機に200円入れてから気づく。
「あ、何買っていけばいいんだろ」




