企画前
全員が一切声を出さないまま今日撮影するスタジオに着く。
事務所とは別になっていてかなり広々としている。
事務所と別になっているのは出待ちを防ぐためだろう。
そのためこのスタジオは事務所と違い住所が公開されていない。
「あ~やっと喋れる~」
スタジオに入った瞬間凪咲ちゃんが振り向いて俺の方を見る。
多分凪咲ちゃんだろう。声が分かりやすくて助かる。
「初めましてだね~」
「初めまして」
リアルで合うのがということだ。
まだ他の人とは話せていない時にスタジオの奥から1人の女性がやってくる。
「初めまして、私本日蓮様の担当を任されました伊縫夏海と申します。よろしくお願いいたします」
「よ、よろしくお願いします」
相手が頭を下げたので俺も慌てて頭を下げる。
堅苦しい挨拶にちょっと緊張してしまう。
先に待合室に行っててほしいとのことで俺は3人に連れられてスタジオの2階にある待合室に行く。
その待合室は俺たちの人数にあっていないような気がした。
狭いのではなく広いのだ。
俺はこういうしっかりとしたところの待合室に入ることはこれが初めてなので相場が分からないが俺の感覚だとかなり広い。
ただそれは物が少ないことで感じる広さでここには必要最低限の物しか置かれていない。
それでも殺風景な印象を与えない独特な場所だった。
いや俺が知らないだけでこれが普通な可能性もあるのだが。
家にあるものと全く同じソファーに座って待つ。
「いやー良かったね。無事に来られて」
「ほんとだよ。待ってる時に顔分からなくて探せないことに気づいたんだから」
「計画性がなさすぎる……」
凪咲ちゃんの発言に頭を抱える慶さん。
ほんと舞希に声をかけられなかったらどうなっていたことやら。
「それにしても舞希先輩よく見つけれましたよね~」
「え、そう?雰囲気で分からない?」
まるで当たり前かのように言う。
俺もこの3人の中なら誰が誰かは分かるのだが舞希はあの駅にいた大衆の中から見つけたのだからすごい。
それも雰囲気という曖昧なものを頼りにして。
「やっぱり~好きな人は雰囲気だけで分かっちゃうものなんですか~?」
凪咲ちゃんが俺を挟んで隣にいる舞希に身を乗り出す。
リアルでもこのノリするんだなあと戦慄する。
何故戦慄するかというと絶対後々俺も言われるからだ。
舞希もそれに反論する。
俺を挟んでできた地獄に耐えかねて慶さんを見るとまるで自分は関係ないという様にスマホをいじっている。
助けてほしいと視線で訴えかけていると気づいてくれたようでこちらを見る。
グッと親指を立てて口パクで話す。
唇の動きから「が、ん、ば、れ」と言っているのが伝わった。
助けてはくれないようだ。
そんな俺を助けてくれたのはスタジオに入った時に顔を合わせた夏海さんだった。
入ってきてもやめなかった時は驚いたが夏海さんが慣れたようにやめてくださいと優しく諭すと2人とも静かになって座り直した。
夏海さんからお互い苦労しますねという視線を向けられたのは内緒だ。
元々メールで決めていたことを改めて形式美として説明される。
悪く言えば長々とよく言えば丁寧に説明されてスタジオについてから2時間程が経過した。
ただ、早く来たおかげで配信を始めるまではまだ、というか滅茶苦茶時間があった。
これなら早起きする必要はなかったのではと思う。
さすがにずっとスタジオにいるのも申し訳ないという事で4人で適当に外を歩くことにした。
何か予定がなくても外に出ることを覚えた俺は特に何も思うことなく付いて行く。
まあ覚えただけで実践なんてする気はない。
外に出ると一気に会話が無くなる。
身バレ対策なのだろうがこの空気の変わりようには驚かされる。
先頭を歩く凪咲ちゃんに連れられかなり大きいネカフェに入る。
さっき話していた時とちょっとだけ声を変えて店員さんと話している。
そしてすぐに中に入る。
「やっと落ち着けることに来た~」
個室に入るなり思いっきり大の字で寝転がる。
それを咎める人はここにはいない。
長い間拘束され外でも気を張り続けていたのだ。
疲れない方がおかしいのだろう。
まあコンサートのために毎日歌やダンスの練習をしてその後に配信をする俺の推しがいるのだが例外という事にしておこう。
凪咲ちゃんがゴロゴロと転がっても窮屈とは感じない広さの個室。
部屋の奥には1台パソコンが置いてあった。
「それにしても説明長かったな~」
凪咲ちゃんが体を起こして肩まである髪に手櫛を通す。
「まあしょうがないよ」
皆黒いふかふかのクッションに腰を下ろす。
「それにしても蓮ちゃん顔かわいいね~」
凪咲ちゃんがグッと俺に近づく。
だがそれから避けるように舞希が後ろから俺を引っ張る。
舞希に後ろから抱き着かれるような格好になっている。
「なんで近づけさせてくれないんですか!」
凪咲ちゃんが俺の頭1個上を向いて言う。
「幼い子に悪いものを近づけたらいけないと思って」
「高2だから幼くないし私は悪いものじゃないです~」
「自覚がないタイプなんだ」
「カッチーン、はーい私キレちゃったー」
「プッチーン、あーんプリン食べちゃったー?」
「プッチンプリンなんて食べてないんです!」
「なんてって言った?プッチンプリンへの冒涜ですか?」
「そういう事じゃないの!」
外との寒暖差で風邪が引きそうだ。
勿論温度の話じゃない。
そして相変わらず慶さんは我関せずを貫いている。
なるほどこういう時は無視がいいのだなと場数を踏んだ迷惑児対処委員会の先輩から見て学んだ。




