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 征司が教会で暮らし始めて、半月が経過した。

 

 礼拝の作法や牧師(仮)としての仕事内容にも徐々に慣れてきて、いくらか気持ちの余裕も出来てきた。その証拠に、征司は今のこの生活を「楽しい」と思っている。


 ただ一つ、4時起きには未だ慣れておらず、毎朝苦労しているのだが……そこは目覚まし時計を5分おきに鳴らすことで、なんとか対応していた。


 その日の朝は、何か特別というわけではなかった。

 いつも通りの水曜日。だというのに、なぜか日咲がウキウキしていた。


 聖歌を口遊みながら、朝食を作る日咲。征司はその姿を、不気味そうに眺めていた。


「……なぁ、シスター。どうしてそんなに上機嫌なんだ?」


 たまらず征司は日咲に尋ねる。


「実はですね、今日私の唯一無二の親友が来るんです」

「へー、そうなのか。その親友は、定期的に礼拝に来るのか?」

「定期的に来ますけど、礼拝じゃありませんね。彼女は子供たちを連れて、遊びに来てくれるんです」


 その親友は既婚者で、子供を日咲に会わせようとしているのだろうか? そんな征司の推測は、はずれる。


「私の親友、孤児院を経営していましてね。私はシスターとして、身寄りのない子供たちの心を救うお手伝いをしているんですよ」

「孤児院を経営している親友、か」


 教会と孤児院。やり方は違えど、誰かを救いたいという思いは同じである。

 そういった考え方の同調が、彼女たちの友情を支えているのかもしれない。


「孤児院を経営しているとなると、さぞ優しそうな女性なんだろうな」


 日咲の親友なのだから、きっとそうに違いない。

 しかし日咲は征司の発言に、「えーと……」となんとも煮え切らない反応を見せた。


「どうした?」

「なんていうか、その……先入観は捨てた方が良いと思いますよ」


 苦笑いを見せる日咲。彼女が何を言っているのか、征司にはさっぱりわからなかった。





 日咲がどうしてあんなにも煮え切らない反応を見せたのか? 先入観を捨てろとは、どういうことなのか? 

 数時間後、征司はその答えを知ることになる。


 日咲の親友が、孤児院にやって来た。

 彼女の姿を見るなり、征司は声を失う。


「よう、日咲。遊びに来たぞ!」


 孤児院経営な上日咲の親友でもあることから、征司はてっきり大人しめな女性を想像していた。

 しかし、目の前の彼女は、大人しさとはかけ離れた場所にいるような存在で。

 金髪にピアスだけでなく、あろうことかTシャツの上に特攻服を着ていた。


 日咲は元ヤン全開の女性を指差しながら、征司に彼女を紹介する。


「彼女は私の親友の、桧山侑(ひやまゆう)ちゃんです。孤児院では、子供たちのお母さん代わりをしているんですよ」

「お母さん代わり、ねぇ」


 征司は再度侑を見る。


(お母さんっていうか、姐さんって感じじゃねーか!)


 征司は内心ツッコんだ。


 日咲に紹介された侑は、征司に手を差し出す。


「桧山侑だ。アンタのことは、日咲から聞いているよ。よろしくな」

「えっ? あぁ……俺は藍沢征司。こちらこそよろしく」


 自己紹介して握手を交わしつつも、征司の視線は依然特攻服に注がれていた。

 あまりに注視しすぎたせいか、侑もその視線に気が付く。


「もしかして、この服が気になるのか? これは高校時代のお古だ。孤児院経営も楽じゃなくてな。おしゃれな服とか、買ってる余裕ないんだよ」

「侑ちゃん、高校の頃いつもその服着てましたよね」

「あの頃はやんちゃしていたからなぁ」

「隣の高校の男子生徒数十人を、再起不能にしたこともありましたっけ?」

「あれはクズ男共が日咲に手を出そうとしたからだろ? 鉄拳制裁或いは正当防衛だよ」


 人を信じすぎて仕方ない日咲が、どうして今まで無事でいられたのか? 征司はその理由がわかった気がした。

 日咲の優しさに漬け込もうとする輩を、侑が追い返していたのだ。成る程、そういう関係性である。


 侑だけは、怒らせちゃいけないな。征司は本能で悟るのだった。


「しかし兄ちゃん、良い体してるよな。なんかスポーツやってんのか?」

「スポーツではないが、定期的に体を鍛えている」

「それでこんなに引き締まった体をしているのか。……少し触っても良いか?」

「別に、構わないぞ」


 触られたところで、減るものでもないし。


 侑が征司の胸筋に触れようとした直前、日咲が「ちょっ!」と声を上げる。


「ん? どうかしたのか?」


 侑が尋ねるも、日咲自身どうして声を上げたのかわかっていないようだった。


「えーと、その……あっ! 神様の前! 神様の前ですから、そういう不埒な行為はすべきでないと思います!」


 今思いついたような理由に、征司と侑は「えー……」と返す。

 筋肉に触ろうとしただけだ。下心もないし、不埒なことだって何一つない。


「まぁ、シスターにダメだと言われたら、そうするしかないよな。……それより、兄ちゃん、どうだ? 孤児院(ウチ)で働かないか?」


 それは何の脈絡もない、突然の勧誘だった。


「兄ちゃん今、仕事がなくて困ってるんだろ? だったら、ウチで雇ってやるよ。アタシとしても、正直男手が欲しいと前々から思っていたんだ」


 働き口が欲しい征司と、男手の欲しい侑。二人の利害は、一致していた。


「ありがたい提案ではあるけれど、それは難しいだろ? 俺の人相見てみろよ。子供が泣くっての」

「その点は心配要らねーさ。だってあいつらの母親代わりは、アタシなんだぞ?」


 侑の目つきは、征司に負けず劣らず悪い。非常に説得力のある主張だ。


「孤児院の離れが空いているんだ。そこに住んで貰えば良い。勿論、給料だってきちんと出すぞ。沢山は出せねーけど」


 最良だと思われた侑の申し出に異論を唱えたのは……第三者である日咲だった。


「ダメです!」


 もうこの話は終わりだと言うように、日咲は二人の間に割って入る。


「教会だって、人手不足なんですから!」

「人手不足って……つい最近まで、一人で運営していたじゃんか」

「人手不足なんです!」


 理屈もなければ筋も通っていない。それでも頑として「人手不足」を主張し続ける日咲。

 そんな彼女を見て、侑は「ははーん」と呟いた。ニヤニヤしながら。


「成る程、そういうことね」

「……何一人でわかったような顔をしているんですか」

「アタシは親友だぞ? 日咲の考えていることくらい、全部理解したっての」


 ポンっと、侑は征司の肩を叩く。


「つーわけで、兄ちゃん。孤児院で働くっていう話はなしだ」

「いや、初めから断るつもりだったし」

「そいつは良かった。もしここで泣いて残念がるようなら、半殺しにしていたところだぜ」


 笑顔で指をポキポキ鳴らす侑。

 どうやら征司は、理不尽に命の危機に瀕していたようだ。




 

 侑の連れて来た子供は、全部で12人。5歳児から中学3年まで、様々な年齢の男児女児だった。


 大人しく受験勉強をしている中学生もいれば、活発に走り回る小学生もいる。

 征司はその体格のせいで、男児たちからサンドバッグにされていた。


「おい、琢馬! 教会内を走り回るなって言っただろ! 祐馬は日咲のスカートをめくろうとするな! てめぇら、次言うこと聞かなかったら晩飯ピーマン多めにするぞ!」


 いけないことは、きちんといけないと言う。教会内に、侑の怒号が響いた。


「そこは、「晩飯抜きにする」じゃないんだな」

「飯はきちんと食わせないと、成長を阻害しちまうからな。その代わり、嫌いな物をたらふく食べさせてやる」


 嫌いな物は最低限で済ませたいから、子供たちも侑の言うことを聞くというわけか。案外理にかなった躾なのかもしれない。


 因みに日咲は「ピーマン沢山……拷問です」と呟いている。そういえば、彼女もピーマンが苦手だった。


 征司は侑の連れて来た子供たちと、すぐに打ち解けた。

 子供たちが人懐っこい性格だったこともある。それと同時に、征司が彼らに積極的に歩み寄ろうとしたことが大きいだろう。

 子供たちは征司の本質を見抜いたのだ。


 夕食は、久しぶりに大人数での晩餐になった。

 侑がたんまり用意したピーマンは、大人たちが責任を持って食べたとか。日咲に関しては、半泣きになりながら。


 そろそろ良い時間だし、侑が子供たちを連れて帰ろうとしたタイミングで、雨が降り始めた。

 結構な豪雨だ。まだ遠いが、雷も鳴っている。


「あちゃー、降ってきやがったか。深夜から朝方にかけての予報じゃなかったか?」

「予報はあくまで予報ですからね。……今夜は泊まって行きますか?」

「雨の様子を見て決めるかな」

「でしたら、お泊まりの方向で準備しておきますね」


 そう言うと、日咲はタオルケットを取りに納屋に向かった。


 日咲がいなくなったのを確認した侑は、征司に話しかける。


「実を言うとな、今日は兄ちゃんに会いに来たんだよ」

「俺に?」

「あぁ。アタシにとって、日咲は親友であると同時に恩人でもある。こんなアタシと仲良くしてくれる奴なんて、あいつくらいしかいないからな。だから、アタシは日咲が大切で。アイツには、幸せになって欲しいと思っている」

「……」

「そんな日咲から男と暮らし始めたと聞いた時は、マジで心配になった。また悪い男に騙されているんじゃないか、そう思った」

「今日はそれを確かめに来たのか?」

「兄ちゃんには悪いけどな。……でも、日咲の顔を一目見て、わかったのさ。アンタは、悪い男じゃない」

「どうしてそう言い切れる?」


 征司の見た目なら、寧ろ一目見て警戒するのが普通である。最悪、通報されてもおかしくない。


「日咲のあんな幸せそうな顔を見たら、そりゃあわかるだろ? それに……」


(自分が損をしても人に優しくしていた日咲が、こいつにだけは執着するなんてな)


 日咲に初めて芽生えたであろう感情のことを思うと、嬉しくなる反面寂しくもあった。


「それに?」

「いや、何でもねぇ。とにかくアタシが言いたいのは、これからも日咲をよろしくお願いしますってことだ」


 頭を深々と下げながら、侑は言う。

 彼女がどれだけ日咲を大切に思っているのか、征司はようやく理解出来た気がした。


「……まぁ、嫌われない限りは支えるさ」

「そうして貰えると助かるよ」


 征司と侑は、笑い合う。

 その時、一人の女の子が侑の服の裾を引っ張りながら、呟いた。


「ねぇ、侑先生。琢馬くんはどこ?」





 侑の連れて来た子供が、一人いない。そのことに気がついた征司たちは、教会内を探し回った。


「おーい、琢馬ぁ! どこにいるんだぁ!」

「琢馬くーん! いるなら返事して下さーい!」


 声を張り上げて呼びかけてみるも、琢馬からの返事はない。

 これだけ教会内を走り回っていないとなると、教会の外に出てしまったとしか考えられなかった。


「マジかよ……外は雨だぞ」


 しかも豪雨だ。雷も鳴っている。

 もし外に出たまま教会に戻って来れなくなったのだとしたら……子供一人では、危険な状況だった。


「私、探しに行ってきます!」


 教会を飛び出そうとする日咲を、征司が止める。


「おい待て、シスター! 危ねえぞ!」

「でも! 琢馬くんを、放っておけません!」


 自分より他人を優先する。それはシスターである以前に、東雲日咲という人間の性格だった。


「雨がやんだら探しに行こう」と言っても、彼女は絶対聞かないだろう。

 それに6歳である琢馬の体力を考えると、一刻も早く見つけ出す必要がある。

 

「……俺が行く」


 気付くと征司は、そう口にしていた。


「しかし征司さん、危険すぎます!」

「俺より先に外に飛び出そうとしていたお前が、それを言うかよ? 大丈夫。危なくなる前に、琢馬を見つけて帰ってくるからよ」

「でも……」

「ただ、これ以上子供がいなくなるのは勘弁だからな。シスターは侑さんと残っている子供たちを見ていてくれ」


 そんなの、方便だ。日咲を教会に留まらせる口実だ。

 だけど何かしら役割を与えておかないと、彼女は「一緒に探しに行く!」と言い出すに決まっている。


「侑さん、お願いします」

「……おう、こっちは任せておけ」


 子供たちだけでなく、日咲もお願いします。侑は征司の言葉の真意を、きちんと理解していた。


 日咲と子供たちのことは侑に任せて、征司は雷雨の中琢馬を探し回る。


「琢馬ぁ! どこにいるんだぁ! ……クソッ。雷と雨のせいで、何も聞こえねぇ」


 それから30分。街中を探し回るものの、琢馬は見つからなかった。


 一度仕切り直そうと思い、征司が教会に戻ると……なんと琢馬が、侑に叱られているではないか。

 その光景を見て、征司はポカンとした。


 呆然としている征司に、日咲が駆け寄ってきた。


「征司さん、おかえりなさい! お怪我はありませんか?」

「ないけど……琢馬、見つかったのか?」

「はい。食器棚の中に、隠れていました」


 話を聞くと、琢馬は隠れんぼをしているつもりだったらしい。なんとも人騒がせな話である。


「本当はすぐに知らせようとしたのですが、征司さん、スマホを持たずに出て行ったみたいで」


 一刻も早く琢馬を見つけないとと思っていたので、スマホを教会に置いて行ってしまったのだ。


 疲労と安堵感から、征司はその場に座り込む。


「何だ、教会にいたのかよ……」

「! すみません! ずぶ濡れになる前に、知らせるべきでし――」

「良かった」


 征司は恨み言や文句ではなく、「良かった」呟いた。

 彼は立ち上がると、琢馬に近づいて行く。


 琢馬の前に立った征司は、その頭に優しく手を乗せた。


「お兄さん、ごめんなさい……」

「坊主、もう心配かけるんじゃねーぞ?」

「……うん!」


 その光景を、日咲は微笑んで見ていた。





 雷雨は9時頃にはやんで、侑たちは孤児院に帰って行った。


 今日は色々あったな。そんなことを思いながら、日咲は湯船に浸かり一日の疲労をとる。

 

 疲れているのは、征司も同じことだろう。なんたって、大雨の中琢馬を探しに行ったのだ。

 お風呂から上がった日咲は、征司を労うべく探した。

 

「征司さーん、どこにいるんですかー? ……って、あれ?」


 ようやく見つけた征司は、礼拝堂の長椅子で眠ってしまっていた。


「……頑張ってくれましたもの。眠っちゃうのも、無理ないですよね」


 日咲は征司の側にしゃがみ込む。そして彼の寝顔を見つめた。


「征司さんって、本当に優しい人ですよね」


 いつも自分のことを気にかけてくれるし、教会に来る人にも優しい。

 OLの悩みには親身になるし、老婆の長い話も嫌な顔一つせず最後まで聞くし、孤児院の子供の遊び相手にだってなる。


 初めて会った時は喧嘩をした直後で、怖い人だと思った。でもそれはきっと、あの時の彼の心が荒んでいたからで。

 過ちは誰にでもある。主の教えではないか。


「……唇の傷、もう治りましたね」


 日咲は征司の唇に触れる。

 目に見える傷は塞がっても、果たして心の傷はどうだろうか? 少しずつでも、癒えているだろうか?


「私はあなたの心を救うお手伝いが、出来ているのでしょうか?」


 それはほんの出来心だった。

 まるで吸い寄せられるように、日咲は自身の唇を征司のそれに近付ける。


 あと数ミリ接近すれば二人の唇は重なり合うというところで――ガタンと、物音がする。


 その物音で我に帰った日咲は、慌てて征司から離れる。


「……ダメよ。主の前で、こんなふしだらな感情を抱くなんて」


 雑念を振り解くように、胸の前で十字架を描いて。

 逃げるように、彼女は礼拝堂を出て行くのだった。

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