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 雨の中、傘を差し伸べてくれた見知らぬシスター。そんな彼女を見上げながら、征司は尋ねた。


「お前、誰だよ?」

「私は東雲日咲。近くの教会でシスターをしています」


「ほら、立って下さい」。シスターもとい日咲に促されて、征司は立ち上がる。

 立ち上がってみると、日咲は意外と小柄だった。

 

 身長差のせいで、普通に立っていては征司が傘に入らない。その為日咲は背伸びをしていた。


「……もう濡れているんだ。今更傘に入ったところで、何も変わらないっての」

「そうです、濡れているんです。なので、このままだと風邪を引いてしまいます」


 そう言って、日咲は一向に背伸びを止めようとしない。

 過度な親切は頑固と紙一重なのだと、征司は悟った。


「……傘」

「はい?」

「傘、俺が持つから」

「えっ? ……ありがとうございます」


 恐らく何を言っても無駄だろう。征司は日咲から傘を受け取った。


「ご自宅はどちらですか? ご一緒します」

「自宅は……ないな」

「それは……失礼しました。ホームレスの方でしたか」


 ホームレス……確かに今の自分は、そう表現するのが妥当なのかもしれない。


 このまま路地で一晩過ごそうものなら、頑固な日咲は「雨がやむまで一緒にいます」と言い出すかもしれない。それは流石に申し訳なかった。


 仕方ない、近くの漫画喫茶にでも泊まるとするか。明日以降のことは、日咲と別れてから考えよう。征司がそう考えていると、


「あの……行く宛がないのなら、教会に来ませんか?」

「え?」


 日咲の口から出たのは、予想外の提案だった。


「困っている人には手を差し伸べる。それが主の教えです。遠慮しないで下さい」

「遠慮というか……良いのかよ?」

「大丈夫です。一人暮らしですので、部屋に空きはあります」


 征司はそれを聞いて、一層のこと「大丈夫かよ?」と思った。

 女性が一人で暮らしている場所に、男を泊まらせて不安や恐怖はないのだろうか?


「俺がお前を襲ったら、どうするつもりなんだよ?」

「襲うんですか?」

「いや、そんなことしないけど」

「でしたら、何も問題ありませんよ」


 日咲は優しく微笑む。


(人を信頼しすぎだろ、このシスターは)


 いや、シスターだからこそ、人を全面的に信頼しているのか。

 信じる者は救われるという言葉があるように。


 征司はお言葉に甘えて、一晩教会で厄介になることにした。





 教会に着いた征司は、最初に入浴した。

 

 湯船に浸かると、冷え切っていた体が温まっていく。

 残業で深夜に帰宅した日は、正直入浴なんてとっとと済ませて眠りたいと思っていた。だからこんなにもゆっくり湯船に浸かるなんて、一体いつ以来だろうか?


 入浴を終えた征司は、日咲のいるリビングに向かう。


「風呂、ありがとうな」

「いえ……って、どうして裸なんですか!?」


 風呂から上がった征司は、腰にバスタオルを巻いただけの半裸状態だった。


「裸じゃない。きちんとバスタオルを巻いている」

「そんなのほとんど変わりません!」

「そう言われてもな。着替えなんて、持ってないし」


 征司が自宅から持ってきた最低限の荷物の中に、私服や部屋着は含まれていない。そして着用していたスーツはびしょ濡れになったので、他に着るものがないのだ。


「そういうことは、入浴前に言って下さい! ……ちょっと待って下さいね」


 日咲はリビングを出る。

 数分後、男物の着替え一式を抱えて戻ってきた。


「これ、死んだお祖父様の服なんですけど、嫌じゃなかったら使って下さい」

「……良いのか?」

「勿論です」

「そうか……ありがたく着させてもらうよ」


 日咲の祖父の服は、征司にはいささか小さかった。それでも、今の彼には服を着られるだけ十分幸せだ。


 リビングのテーブルの上には、オムライスとコンソメスープが並べられていた。どうやら征司が入浴している最中に、日咲が用意してくれたみたいだ。


「夕食、まだですよね?」

「あっ、あぁ」

「簡単なものですけど、良かったら召し上がって下さい」


 全てを失った数時間前から一転、至れり尽くせりなこの状況。あまりの展開に、征司は唖然としていた。


「と、その前に」


 日咲はソファーに座ると、手招きをする。

 そして「ここに座れ」と示唆するように、自身の隣をぽんぽんと叩いた。


「こっちに来て下さい。傷の手当ては、きちんとしないと」

「いや、別に大丈夫だろ?」

「ダメです! バイ菌が入ったら、どうするんですか!? 手当てを拒むのなら、教会から追い出しますよ!」


 お風呂で体も温まり、目の前には美味しそうな食事が用意されている。これ程の幸福を前にして教会を追い出されては、今度こそ立ち直れなくなってしまう。

 手当を受けさせる為にそんな脅しをかけるなんて、本当、日咲は頑固な人間である。


「……わかったよ」


 征司は早々に白旗を上げて、素直に手当を受けることにした。


「まずは唇。切れてしまってますよ」

「わかったから! 触れるな!」


 消毒液の含んだ脱脂綿を近づけてくる日咲を、征司は全力で止める。

 征司としては、なんだか子供扱いされているようで気に入らなかった。


「あなたが傷を放置するからでしょう? 私に手当されるのが嫌なら、自分でやって下さい」

「……わかったよ」


 良いようにされていると思いながらも、ここで拒めば先程の二の舞いだと悟った征司は、素直に脱脂綿を受け取った。


 脱脂綿を当てた傷口が、思いの外染みる。その痛みが、征司に生を実感させた。


 傷の手当てをしながら、征司は日咲に尋ねる。


「……どうして俺をここに連れてきたんだよ? 捨て犬や捨て猫とはわけが違うんだぞ」

「だって……泣いていたんですもの」


 泣いていた? 確かに痛みや悲しみこそあったが、征司には泣いていた自覚がなかった。


「もし良かったら、あなたの悩みを私に打ち明けてみませんか? 人に話すことで、気持ちが楽になることもありますよ」

「確かに、そうもしれないが……」


 会社をクビになって、長年一緒に暮らしてきた恋人に浮気されて、挙句の果てに家を追い出された。安月給のブラック企業だったので、貯金なんてロクにない。

 そんな情けない自己紹介を、どうして見ず知らずの美女に出来ようか?

 

 ただでさえ、ダサいところを見られたんだ。これ以上の恥の上塗りは、征司とて勘弁だった。


「私、お尻にハート型のほくろがあるんです」

「……はい?」


 いきなり身体的特徴を語り出した日咲に、征司は困惑した。


「暗いところと高いところが苦手です。あと、未だにピーマンが食べられません。ピーマンの肉詰めのお肉だけ食べて、怒られた経験があります。割と最近。あとあと……」

「ちょっと待ってくれ」


 日咲の発言の意図がわからない征司は、たまらずストップをかける。


「ほくろに暗いところにピーマン? お前は何を言っているんだ?」

「何って、私の恥ずかしいエピソードを語っているんですよ。あなたに恥をかかせようとしているんです。私も恥をかかないと、フェアじゃない」

「……」


 日咲の持論に、征司は唖然とした。


 日咲が自身の恥ずかしい情報を開示する必要なんて、どこにあっただろうか?

 いや、そもそも彼女には、自分を助ける道理なんてないのだ。


 それでも日咲は征司に手を差し伸べた。その上、彼の心を軽くするべくこうして恥をかいている。


「……ハハッ」


 本当、どんだけお人好しなんだよ。征司は笑いが堪えられなかった。


「実は俺、昼間までサラリーマンだったんだ。結婚を考えていた彼女と、同棲もしていた。だけど――」


 征司は自分の身に起きたことを、赤裸々に語った。

 何一つ隠すつもりはない。だって隠し事をしたら、フェアじゃないのだから。


 話を聞き終えた日咲は……優しく征司を抱き締めた。


「……女の子に愚痴をこぼして、情けないと思わないのか?」

「思いません。話してくれて、嬉しかった」


 日咲は征司から離れる。


「私にはあなたを救えません。それは主の役目です。私に出来るのは、あなたが救われるお手伝いをすること。だから……住むところがないなら、教会に住みませんか?」

「……え?」

「勿論タダでとは言いません。私の仕事を、手伝って貰います」


 こうして征司と日咲の同居生活が始まったのだった。





 翌朝。

 

 暖かい羽毛布団にくるまっていた筈の征司は、突如として寒気に襲われた。

 あまりの寒さに、征司は瞬時に目を覚ます。

 すぐ隣には、日咲がいた。


「征司さん、おはようございます!」

「あぁ、おはよう。……おはよう?」


 征司は窓の外を見る。外はまだ、薄暗かった。


「今何時だよ?」

「朝の四時です! さあ、日課のお掃除の時間ですよ!」


 日課ということは、これから4時起きが毎日続くのか。ここもなかなかブラックだなと、征司は思った。


 しかし住まわせて貰っている以上、掃除を拒むことも出来ない。征司はベッドから起きた。

 

 日咲に言われて、征司は牧師の服装に着替える。

 姿見の前に立つと、そこには見慣れぬ自分がいた。


「なぁ。この服装、俺には最も似合わないと思うんだが?」

「そうですか? きちんとカッコ良いですよ」

「……ありがとな。お世辞でも嬉しいよ」

 

 日咲みたいな可愛い子に「カッコ良い」と言われた。たとえそれが征司を気遣っての発言でも、自信に繋がる。


 しかし日咲は征司の「お世辞」発言を、真っ向から否定した。


「シスターたるもの、嘘はつきません。本当にカッコ良いと思ったから、カッコ良いと言ったんです」

「――っ」


 日咲が嘘をつかないというのは、恐らく本当だ。だから彼女は本心から、征司がカッコ良いと思っている。

 征司は一発で眠気が吹き飛んだ気がした。


 征司の仕事は、礼拝堂の掃除だった。

 てっきりバケツに水を汲んで、雑巾掛けをするものかと思っていたのだが、まさかの最新式コードレス掃除機だ。しかも吸引力が半端ないやつ。

 文明の利器のお陰で、掃除はあっという間に終わった。


 次の仕事を尋ねるべく、征司は日咲を探す。

 日咲は納屋で、段ボールを持ち上げようとしていた。


「うーん! うーん!」と唸るものの、中身が重いせいか段ボールは1ミリたりとも持ち上がらない。

 見るにみかねた征司は、日咲の代わりに段ボール箱をヒョイっと持ち上げた。


「どこに運べば良いんだ?」

「えっ? ……あっ、礼拝堂の入り口に置いて貰えると助かります」


 答えた後、日咲はポカンとしながら征司見つめる。


「……何だよ?」

「いえ。征司さんも、男性なんだなぁって」


 そりゃあ、そうだ。

 外見も性格も戸籍上も、どれを取っても征司は男である。


「どういうことだ?」

「どういうことでもありませんっ!」


 日咲は逃げるように、この場から立ち去る。

 征司を男性ではなく異性として認識した途端、一緒に暮らしていることが恥ずかしくなったなんて、口が裂けても言えるわけがない。





 営業から牧師(仮)へ。全く畑違いな転職に不安のあった征司だったが、思いの外なんとかなった。


 というのも、教会に来る人たちはみんな親切なのだ。

 手作りのクッキーを持ってきてくれる老婆に、自分を「牧師のお兄ちゃん」と慕ってくれる子供たち。間違っても、部下を部下と思わないクソ上司やさも当然のように浮気をする元カノのような人間はいない。

 心が荒んでいた征司には、穏やかな一日となった。


 夜。

 食卓には、温かい料理が並べられている。全て日咲の手作りだ。


 今までは帰宅が深夜だったので、夕食はコンビニ弁当で済ませていた。家に帰っても、真依は就寝しているし。

 その為温かい手料理にありつけるというのは、幸せなことと言って過言じゃなかった。


「それで、今日一日仕事をしてみてどうでしたか? 感想をどうぞ」

「感想ねぇ……驚いたっていうのが一番だな」

「驚きですか?」

「あぁ。正直俺みたいな、神を信仰するどころか悪魔に魂売っていそうな顔の男が、教会で受け入れられるとは思わなかった」


 上司に「怖すぎて営業に向いていない」と言われた時はムカついたけど、征司もその自覚があった。

 だから老婆から相談事を受けたり、子供たちから「遊ぼう」と言われるとは思ってもいなかったのだ。


「教会に来る人たちは、外見ではなく内面を見てくれるんですよ。征司さんは、確かに顔が怖いです。赤ちゃんに「いないいないばぁ」したら、寧ろ号泣されるレベルです。リアルナマハゲです」

「いや、そこまで言わなくても良くない?」


 流石の征司も、傷付きそうになった。


「でも、本当は凄く良い人なんですよね。そのことを、皆さんわかってくれているんですよ」


 日咲は征司の両手を握る。突然触れられて、征司はドキッとなった。


「大切なのは、どのように見えるかではありません。どのように見て貰えるかです。そしてそれは、ちょっとした言動や心遣いで大きく変わる。大丈夫。あなたは皆に、善人として見られています。そしてそう見られるのは、ひとえにあなたの善行の結果なのです。胸を張って下さい」


 会社でも家でも、これまで何をやっても褒められることなんてなかった。

 それどころか、理不尽に怒られて。その原因のほとんどが、第一印象が悪いことにある。


 だけど日咲は、「それは違う」と言ってくれた。認められると言ってくれた。

 その要因は、征司の本質にこそあるのだとも。


(本当の自分を見て貰えるって、こんなにも嬉しいことなんだな)


 だとしたら、自分は日咲の何を知っているのだろう?


 あとどのくらいこの教会にいられるのかわからないけど、その間に自分のことをもっと知って貰おう。そして、日咲のことも沢山知っていこう。

 日咲の手を握り返しながら、征司は思うのだった。

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