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勝負如此ニ御座候(九)

 例に随い公、剣術を好む。柳生兵庫、時に違い召しに応じず。後、兵庫逼塞(ひっそく)


 兵庫例に随い登城すといえども、早きによりて御屋形に行くに、此の間、召し有る故に、応じざる也。




 鸚鵡籠中記(おうむろうちゅうき) 元禄十年正月二日 より。


 朝日文左衛門重章 著す。





   九.





「どうしたものか……」


 自室に置かれた陶器の火鉢を前にして座り、厳延はぼやくように呟いた。


 


 あれから十四日が経過していた。




 あれというのは、元旦に彼の知らなかった血族である嶋清秀と話し、突然に仕合を挑まれた時のことである。


 ほとんど問答無用に始まったそれとは言え、むざと敗北を喫してしまうなどと。


(あれが最初から尋常な決闘であったのならば……いや、そんなことを考えているので、もう駄目だ……)


 今の感情を、上手く厳延には言葉にできないでいる。怒っているとか悲しいだとか、そんな一言二言にまとめられるようなものではなかった。


 ただ、とにかく、それは腹の底に溜まり、淀んでいる感情だった。吐き出すことも叶わず、吐き出し方も解らない、そんな何かだった。


 とはいえ。


(考えても、仕方がないことなのだ……) 


 自分に言い聞かせた。


 今はとりあえず、逼塞が開けてからのことを考えねばならぬ。


 逼塞とは武士に下される刑罰の一つであり、三十日か五十日か、いずれかの期間の昼は門を閉ざし、人の出入りを制限するというものだ。


 武士の刑罰としては軽い部類に入るものだが、だからといって、それを受けてしまっても問題ないというようなものでもない。




 柳生厳延は現在、逼塞を受けている。




 理由は正月稽古に遅れてしまったからだ。


 あの後、どれほど呆然としてしまったものか、気づいた時は全身が寒さでかじかみ、刀を握るにも力が入らぬという有様であった。


 稽古のことを思い出して足早に二之丸に戻った頃には、すでに手遅れとなっていた。


 殿は意外と不機嫌ではなかった。


 後で従僕たちから聞くところによると、なかなか姿を見せない厳延についてさすがに不審に思われ、非公式に、それとなく彼が何処に行ったのかと殿の近習に世間話をするように聞かれ、答えたとのこと。


 近習を通しての間接的なやりとりをしたのは、主君が家臣の従僕に直接に声をかけるなどということがありえないという大前提もあるが、殿が直々に「厳延は何処か」と詰問したとあれば公式な命令となり、それをすれば最終的に責任問題を問われ、最悪、誰かが詰腹を切る羽目になってしまうからである。


 ――――事情は気になるので聞いておくが、とりあえずは兵庫の言い分を聞くまでは判断は保留する


 ということだ。


 その際に、厳延が三つ柏の家紋を入れた裃の老人を追っていったことが、殿の耳にも伝わっていた。


 それで事情は大方察したらしい。


 かと言って、それはそれである。親戚と長話していたら遅れたというのは、何ら言い訳にならぬ。その長話の末に決闘を仕掛けられて負けたなどと、バカ正直に語れることでもない。


 結局は時間つぶしに三之丸を歩いていたら、時刻が解らなくなって遅刻した、という話にした。


 とにかくそういうことがあって、逼塞ということになった。信じられないほどの軽い処置であった。


 なおも寛大なことに、通常よりも期間を短くするという内示もあった。さすがに長年に渡って共に新陰流を学んだ仲であり、それなり以上に配慮していただいたらしい。ありがたい話ではあった。


 だが、それはそれとしても、やはり気は晴れない。


(やはりあの老人とは、もう一度会わないといけない)


 そう思う。会って何をどうするのかは決めていないが、そうしないといけないし、そうして自分の中にあるものに何らかの決着をつけないと、ダメだ。そう感じている。そうでないと、あの老人が宮本武蔵に敗れた傷を何十年と引きずっていたように、自分もそのようになってしまうのかもしれない。それは想像するだに恐怖だった。


 彼は若い頃から頑強でもなく、二十歳の頃に大病を患い、それ以来、死を身近と感じていた。そう長生きもしないと、ぼんやりと考えていた。


(あと何年生きるか解らぬのに、それをこんな気持のままで生き続けるだなどと……)


 そのようなことは、御免被る。


 仮に、あの老人のように八十年と生き続けてたとしても同じだ。


 幸いにして、清秀老はまだ壮健だ。武蔵とは違い、まだ存命の人物である。さすがにあと何年と生きるかは解らない歳ではあるが、すぐに亡くなるとも思えなかった。


 瞼を閉じれば、中段に刀を構えた清秀老の姿が浮かんだ。


 消えない。


 消えてくれない。


 恐らく、あの老人も、このように武蔵の姿を見続けていたのだろう。


(最近にようやくその姿が消えたと言っていたが、それはつまり……)


 修行の成果に確信を抱き、今ならば武蔵の二刀流をも破ることができると、そう思えたということだ。


 現実にそれができるかどうかは、解らないが――


 あの老人の言わんとしたことは解る。


 そのようなことを、厳延にも期待したということだ。


 言葉の通りならば、自分のように敗北の屈辱を上塗りできるだけの修行を積めと、そう発破をかけたのであると考えるべきであろう。


 だが、厳延は素直にそうは思えなかった。


 その理由は。


(あの老人は、まだ話していないことがある)


 そう。


 まだ、問われて話していないことがある。


 そして、まだ問うていない不審もある。


 今まで話したことにも、何処まで本当のことなのか。


 逼塞を命じられては表立ってできなかったが、厳延は父や叔父御の古い門弟たちを集めて話を聞いた。さすがに五十年、六十年も前のことを正確に知る者はいなかったが、白林寺近くで隠居している人物について、噂程度に聞き齧っている者はいた。


 多くが『どうも柳生家に関わりがある者らしい』という程度のことで、それもだいぶん以前に聞いたことであるという。


 ただ一人だけ。


『もう二十年ほど前に亡くなりましたが、如流斎様の共をよくしていた佐島から話を聞いたことがあります』


 佐島某という門弟に厳延は心当たりはなかったが、聞くと若い頃の一時期だけ修行に来ていた者で、如流斎には可愛がられてはいたが、色々と都合が合わずにこれなくなり、そして二十年ほど前に風邪を拗らせて亡くなったとのことだった。


 そのような者も、いるのだろうな――と思いながら厳延は聞いていたが、話の続きを聞くにつれ、その内容が清秀老の話とズレていることに気づき、眉根を寄せた。


(確か、父上とは使いの者が時折にくる程度とか、そのようなことを言っていたはずであるが……)


 些細なことかもしれないが、少し話が違うと思った。


 曰く。


『そこにいた人物と稽古をさせられたとのことです』


『如流斎様とも袋撓で立ち会って、互いに打つこともなく睨み合っていたとか』


『頻繁にではありませんが、何ヶ月かに一度は、そのようなことをしていたと』


 清秀老は、如流斎――つまり、彼の父である柳生利方であるが、何度となく稽古をしていたというのだ。


(当たり前の話か)


 あれほどの技倆、一人稽古でそう簡単に身につけられるはずがない。


 あるいは黙念と敵の姿を想像し、それを打つことにのみ専念していたものかとも思っていたのであるが。


 それであの間合いの妙、拍子の練りが会得できるとは、考えにくいことだ。


 しかし。


(なんで、あの老人は父との稽古を隠していたのか)


 たいした理由など、ないのかもしれない。


 叔父御との対立があったとはいえ、一時は柳生家で預かっていた者であり、そして祖父を同じく嶋清興とする血族の誼がある。


 兵法の稽古の相手を融通していたとしてさほどおかしくもない。


 父にしても、同族にして他流派の一流の使い手との手合わせは得るものがあるに違いない。


 そのことを清秀老が語らず、嘘をついたのも、そのあたりまでの詳細を語るのが面倒だっただけかもしれない。


 何せ寒空の下での長話である。早めに切り上げたいとなって、大筋に関係ない部分は嘘をついて略したということもありそうな話だ。


(いずれあの老人の言うことの、全部は全部を信じられるわけではないと、それが解っただけであるが)


 それが解ったからと言って、今は何をどうするべきかは解らない。


 問題にすべきは、清秀老の嘘ではない。


 厳延はまた、瞼を閉じた。


 中段に構えた清秀老の姿が浮かび、続いて雷刀に小太刀を掲げた叔父御の姿が現れた。


 どちらも、恐ろしいものであった。


(まるで、勝てる気がしない)


 清秀老の切り落としの妙域は自ら経験したが、叔父御の工夫とは何だったのか、と思った。あの牡丹の中でのことは叔父御は語ろうとせず、自分も触れないままであった。


(今は関係のないことではあるが……)


 果たして、叔父御であったのならば、清秀老の境地も破れただろうか。


 そんなふうなことを考えてしまうが、今となっては解らぬことだ。


「しかし、叔父御か……」


 清秀老が言っていたことで、これは嘘であってほしくないこと――あるいは、ぜひとも見たいと思っていることがあった。


 それを確認するためには、まだあと半月は待たないといけないが……。


 ふと。


 廊下を踏む音がした。


 障子の向こうで立ち止まる影があった。


「何用か?」


「先刻、先触れが来ました。御城から使いが来るとのこと」


「使いが」


「逼塞は明日までにということの、通達であるとのこと」


「そうか」


 通例ならば、逼塞は三十日から五十日であるが、まだ十四日である。


 先にあった内示の通り、寛大な御処置をいただいた。


 城からの正式な使者であれば、すぐさま主人である自分が応対せねばならないところであるが――


「しかし、そうなると――――」


 厳延は文机に向かった。


 御使者に直接お渡しするものではないが、お帰りになられた後、『御城』にすぐに届けないといけないものがあった。


 書きながら、内容を口にする。


「…………浦屋敷への出入りの許可を願いたく、申し上げ候」

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