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勝負如此ニ御座候(七)

   七.





「それは、その、武蔵殿に、その時の敗北に心魂を殺されてしまったと、そのような……?」


 宮本武蔵に負けるということは、それほどのことなのか。兵法者として生きる道を挫けさせるほどの衝撃があったというのか。


 清秀老はそれには答えず。


「兵法者として死んでしまっては、もはや仕官どころではない。母を如雲斎様と珠殿の任せて、何処かへと去ってしまおうかと思ったが――」


 連也斎殿に、止められた。


「叔父御に……?」


「『外他流の太刀筋、学ばせてくだされ』とのことであったが、儂は血族に対して連也斎殿が慮ってそのように言われたのだと思った……」


 その後は、二人は如雲斎の許可を取り、どちらが師というでもなく弟子となるでもなく、修練の成果を見せあい、試しあった。師弟ではなく、共同研究者というべき関係であった。


「連也斎殿は、儂より十歳年下であったが、才覚は凄まじいものであったよ」


「はあ……叔父御が外他流の研究をなさっていたとは……」


 複数の流派を学ぶ兵法者も特段珍しい話ではない。厳延の祖父である如雲斎も、若き日に新当流の薙刀を学んでいた。


 兵法者として一人前に生きるということは、いついかなる事情で他流仕合をせねばならぬか解らない。


 だから他流の技を学ぶというのは理にかなっている。


 それが将軍家指南も務めたことがある小野家の一刀流に近しいものとあれば、むしろ知ろうとして当然であるかのように思えるが。


 ――とはいえ、そんな話はまったく聞いたこともなかった。


(本当のことなのだろうか)


 と、そこで初めて疑問が湧いた。


 今までつらつらと、あまりにも刺激的な話を息継ぐ間もなく重ねられてつい真に受けていたが、話の全部が真実であるという保証は何処にもない。あるいは一部だけ本当なのか、それとも一部だけが嘘なのか。その全てが虚構なのか。


 厳延がそのように考えたのは、さすがに彼の叔父である連也斎についてはしっくりこなかったからだ。


(叔父御はそのようなものを残していなかった)


 何かしら外他流についての覚書のひとつふたつは、ありそうなものではないか、と思う。


 少なくとも浦屋敷には、そのようなものはなかったのは間違いない。そう確信をもって言えるのは、当の連也斎の遺言によって遺品を彼が処分したからである。連也斎は財産を尽く処分するように遺言したのだ。


 さすがに敬愛する叔父であり師である人の遺品を、何も確認することもなく処分するということは躊躇われた。


 使用人が自分たち親族の目を盗んでかすめ取るということも考えて、叔父御の体調が悪くなりだした頃にはすでにそのことを聞かされていた厳延は、浦屋敷にある物を叔父御と他の門弟たちの立ち会いのもとで確認している。


 それに。


 外他流についての研究をしていたのなら、弟子であり甥である自分には何かしらの話を伝えていたのではあるまいか。


(そもそも、今までの話からでは、なんで自分がこの人のことを知らなかったのかの説明になっていない)


 と気づく。


 そのことを素直に告げるべきか迷っていたが。


「…………天井裏にな、櫃が一つ残してある」


 とこちらの考えを悟っていたのか、清秀老は言った。


「天井裏に!?」


「自室のな。遺品の全てを処分するように遺言したというから、あれも残してはいないと思っていたが、先日に確認するとまだあった。他流についての研究の尽く、儂から得たものも含めて、円明流のものから多々残されておったわ」


「あ、いや……先日に確認?」


 清秀老は、また頭を振り。


「――――この裃をな、探しにいったのだ」


 それは。


「……では、先日に浦屋敷に出た怪異というのは!」


「結局のところ、全て話さねばならんか――」


 観念したかのように言って。


 清秀老は話を続けた。


「儂から学び得ることは、二年で全て連也斎は習得した」


 まさしく剣の天才だった。


 そして十六歳になった連也斎は、彼に「嶋家を継いでください」と言った。


「嶋家の……そういえば」


 叔父御は十六歳まで嶋を名乗っていた。


「最初は、師である方に渡し得るものが他にないとか言うておったがな。押し問答の末に、本音を言うたよ」




『私は、兵法の研究に生涯を捧げたかったのです』




 連也斎は剣に生きたかった。そして、剣に死にたかった。


 しかし母に嶋家の跡継ぎであることを望まれて、跡取りをとらなければならない。それで諦めていたが、そこに清秀が現れた。嶋家の血族であり、自分より年上の男子だ。健康でもある。


 嶋家の跡を継いでもらうのになんら問題はない。むしろ理想的だった――と、連也斎は考えたらしい。




「儂は、()()()()()()()()




「断った――?」


「揉めに揉めた。()()は激しい気性で、儂も引くに引けず……」


(新六?)


 叔父御の、連也斎の幼名だということに気づくまで数瞬かかった。


 考えれば当然のことではあったが、連也斎の号は隠居した後に名乗ったものであるから、寛永の頃からの付き合いであるのならば、そう呼んでいた期間の方がずっと短い。恐らく新六と名乗っていた時期に出会い、ずっと二人の間ではそのように幼名で呼び合うなりしていたのだろう。


「そうこうあって、母もすぐに病で亡くなり、儂も柳生家に居づらくなった。如雲斎様は気にするなと言われたが……その頃には、大曽根のご隠居が儂に侘びとして百石からの捨扶持をくださっていたのでな。思い切って柳生家も出た」


「百石も……」


「口止め料もこみ、だったのだろう。他家にてことのあらましを語ることなかれ、くらいの含みはあったわ」 


 さらりと答えて、以降は飼い殺しのようなものであったと言い、母の弔われた白林寺の近所に庵を結んでいたと述べた。


「そんなところに……」


 白林寺は柳生家の菩提寺でもあるが、そこにこんな人が住んていたなどとは、厳延は夢にも思っていなかった。


 もっとも、飼い殺し云々という話をそのまま厳延は受け止めたりはしなかった。


 詫びの気持ちだけで百石もの捨扶持を出すとも思えない。望めば正式に仕官することはできただろう。それをご隠居は期待していたのではあるまいか。


 あるいは先程言ったように兵法者として死んだ以上、仕官などする気にはならなかったのかもしれない。


(いや……それだと、間尺が合わぬ)


 この老人はまだこの期に及んでも語っていない事情がある。隠していることがある。


 そのことを今すぐ問いただすと話が滞るので、彼は黙って続きを聞く。


「連也斎殿は、嶋家については儂に譲ったのだと言い張り、以降は柳生を名乗り続けて養子もとらずに兵法三昧……如流斎殿は儂らの対立に嶋家の名が絶えるのを見かね、隠居の後は嶋を名乗ったり……このあたりの話は、別に長くなって面白くもない」


 父が嶋を名乗っていたのは、そのような事情があったのか。この話だけではどうにも意図が解らないが、何か中継ぎ的な意識があったのかもしれない。


「そうこうして五十年、ご隠居からの使い以外は、時折に如雲斎様や如流斎様の便りはあったが、連也斎殿はついぞ……いや、隠居の後に一度だけ来たか」


『嶋家の家紋を入れた裃を拵えてある』


 そう告げたという。


「いい加減に、養子でももらって嶋家を継いでくれということであったがな……ふん。お互い歳をとって、より頑固になっておった。その時も物別れしたが」


『この裃は櫃にいれて天井裏にしまっておく。必要な時があれば取りにこられい』


 それが最後に聞いた連也斎の言葉だった。


 それから十年して連也斎の死の報告を受け、葬儀にでることも憚られた清秀老は甥二人に熱田沖に散骨せよという遺言を知り……海に向かって見送りに酒を飲んでいたというのが、厳延が見かけたあの日の姿であった。


「……今日は、ご隠居様に呼ばれ登城した」


 五十年以上前に一度会っただけの兵法者を、かつての光義公……光友、今は大曽根のご隠居様と通称される御方は覚えていた。


 ずっと捨扶持を与え続けていたのだから当然であったが、ご隠居様は綱誠公に何かの拍子で清秀老の詳細を語ったという。


 徳川綱誠公は好奇心旺盛な方であり、新陰流七世でもある。


 かつて宮本武蔵に負けた外他流の兵法者、などという面白い存在を聞けば、興味を惹かれてあいたくにもなろう。


(なるほど。半ばは自分の推測の通りであったか)


 清秀老を最初に見た時に考えた推論は、こと綱誠公に関する限りは当たっていたということか。


 長きの間に隠遁を決め込んでいた清秀老であったが、さすがに藩主直々の呼び出しに応じないわけにもいかなかった。


 それに。


『汝も盤寿(ばんじゅ)も過ぎてそさすがにろそろ先も短いだろう。先日に連也斎の三回忌も済ませたところであるし、これを区切りとして、彼の意を汲んで名目だけでも嶋家を継いでくれないか』


 と言われた。


「三年もたつと、ようやく気づいた」


 意地を張り続けて五十年以上だ。


 連也斎も今は亡い。


 そろそろ、よいではないか――


 そう思えた。


 かつて抱いた無念の全てが摩耗してしまったわけではないが。


 それでも。


「それで嶋家の家紋を入れた裃のことを思い出し、浦屋敷に忍び行ったと……」


「騒ぎを起こして、済まぬことをしたと思っている」


「いえ……」


 こうして真相が知れたので、もうそれは良いのだと厳延は思った。


「新しく(あつら)えても良かったのだが、連也斎殿がせっかく仕立ててくれたものゆえ……できるのならば、それを身に着けていきたいと――まあ年寄の感傷だ」


「なるほど」


 話はあらかた終わったようで、清秀老はこちらの応えるのを待つように沈黙した。


 厳延は目を細めて考える。


(どうして柳生家との関わりを断っていたのか、そのあたりの諸々の事情は話された通りで間違いないのだろう。天井裏の櫃というのも、あとで人をやって確認すればよい。叔父御の他流への知見の覚書、なぜ俺に伝えなかったかは疑問は残るが、読んでいけばそのあたりは解るかもしれない。何より、叔父御の遺したもの、まだあるというのならば……) 


 頷き。


「なるほど」


 ともう一度言って。




「しかし――あと二つ隠されていることがありますな」




「…………ッ」


「叔父御の頼みを、何故断ったのですか?」


「それは、」


「そして、兵法者として死んだはずの貴方が、()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()?」

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