雨待ちの庭
雨である。
朝からずっと雨である。
そして、さっきからちょっと強くなってきた。
自宅のボロアパート一階の部屋の窓から外を覗く。
窓の外はすぐに大きな道路があり、目の前には幅の広い歩道もある。
あぁ、都会の雨は風情がないな……ゴミも落ちてるし。
大学に合格し、今年の春から引っ越してきて初めての梅雨。
つい最近まで田舎で暮らしていた自分は、無性に実家へ帰りたいと思っていた。
勉強は嫌いではなかったが、まず大学内に友達がいない。
都会に憧れて来たはずだったのに、休みの日はほとんどを部屋で過ごし、気付けば春は終わっていたのだ。
別に……毎日がパーリィ!!……というのを期待していた訳じゃないのに。
それでも、せっかくの休日に勉強以外にやることがないのが、何とももどかしく思えた。
「……こんなはずじゃ、なかったのになぁ」
ため息と共に思わず声が漏れる。
「じゃあ、どんなはずだったのでしょうか?」
「……っ!?」
急に独り言に答えた声に、心臓が飛び出そうになった。
窓から身を乗り出して横を向くと、アパートの軒に和服姿の青年が立っている。
まるで、テレビに出てくる狂言師や歌舞伎役者のように、背筋がピンと伸び、堂々と立っている。
雨降りの光景の中、その人の白っぽい着物が幻のように見えて、現実味があまり無いような気さえした。
「こんにちは」
「こ、こんにちは…………」
にこやかにこちらを向いて、青年は挨拶をしてくる。
それなのに自分は、その青年の笑顔に半ば呆然となって言葉を返した。距離としては五歩くらい離れているかな。
よく見たら現実の人間だ。
ちょっと、ほっとする。
「雨降りですねぇ。本当ならこんな日は、家にいてボーッと雨空を見るのが好きなんです。あなたもそう、思いませんか?」
「はぁ……」
青年は普通に話しかけてくるのだけど、たぶん初対面なので、人見知りをする自分はろくな返事ができない。
「あの……ここで、何を?」
「えぇ、ちょっと。雨宿りをさせていただこうかと。もう少し弱くなるまで、軒を御借りしても?」
「はぁ……まぁ、どうぞ……」
確かに、こんなに降っていたんじゃ、和装……袴とかは泥はねとか大変そうだよね。
「……大学生さんですか? 御一人で生活を?」
「え? えぇ、まぁ」
「この辺りは、大学生の寮やアパートも多いんです。あなたみたいな独り暮らしも多いらしいですね」
「はい……このアパートもそうですね……」
自分も暇だったせいで、この和装青年と普通に話してしまった。
「お故郷は遠くで?」
「……だいぶ田舎です。ここからかなり遠い」
「そうですか。私はこの地元から出たことがなくて……」
「はぁ…………」
この、一見人の良さそうな人が犯罪者とかだったら、自分のことを話すのは危ないのでは?
頭の中にそんな考えが浮かんだけど、そのまま話し続けてしまう。どんよりした天気のせいだ、きっと。
「お兄さん、和服なんて珍しいですね」
「ははは……古くさいと、よく言われてしまいますが……」
「いえいえ、普段は見ないし新鮮ですよ」
「私の職場が皆、こんな服装でしてね」
「? 職業って…………」
そこまで聞いてしまって良いのか?
ふと思ったが、何だが話しやすくて言葉が出てしまった。
「えと……あまり人に言うのがお恥ずかしく…………」
「えっ!? あ、いや、それなら無理には……!」
「え?」
慌てて『言わなくてもいい!』というジェスチャーをした。和装青年は驚いた風に目を丸くした後、困ったように笑った。軽く誤解されてしまったようだ。
「ふふ、別に変な仕事ではありませんよ。昔からあるものでして……古いと、若い人に思われてしまうのです」
「伝統って感じなんですね……」
はぁ……とため息が出る。
どうやら、自分が思っている以上に、目の前の人物に嫌われたくないと考えていたようだ。
青年がフッと目元を緩めた。
「通りすがりの私に、そんなに気を遣わなくてもいいですよ」
「すいません……人とあんまり話し馴れてなくて……」
「学生さんなら、学校では賑やかでしょう?」
「いいえ……特別仲の良い友人はいなくて……」
こんなに話したの、いつ以来だろう。
よく考えたら、地元に戻ってもあまり友達は多くはない。高校まで仲の良かった子たちも、みんな県外へ出てしまった。
「息巻いて実家を出たくせに、帰りたいと……ちょっと思ってしまって……」
「思っても、少しも悪いことではないですよ」
「そうでしょうか?」
「そうです」
しんみりした雰囲気が伝わったのか、青年が小さく頷いて聞いていてくれた。
「私の職場はすぐ近くなんです。ここを行った先の石段を上がった所です。もちろん、昼間しか人は居ません」
「へ、へぇ…………」
急に職場を教えてくれる。
「私の職場、遊びに来てもいいですよ」
「へ? 職場に?」
「えぇ、友達として」
「…………友達……」
一瞬、幻聴かと思った。
“友達”……その言葉が自分の中で実感を伴わない。
その時、外の風景が明るくなってきた。
あんなに降っていた雨も、ぱらぱらと小降りになってきている。
「あぁ、急に弱くなりましたね。私はそろそろ行くことにします。軒、有り難うございました」
自分の軒ではなく、アパートの軒だけど。
「あ、いえ……でも、まだ降って……」
「止む前に戻らないと……」
「……???」
雨宿り……というなら、雨が止むまで居ればいいのに。
ばさ、と音がして、和装青年は臙脂色の和傘を開いた。
その姿はいよいよ現代人とはかけ離れていく。
「では……」
「あ、あのっ……」
「はい?」
何も考えていないのに、思わず声を掛ける。
「……えっと、職場……行けば、会えますか?」
「えぇ、そう、ですね……」
青年の顔が一瞬真顔になり言葉が濁る。しかし、自分と目が合うと、にこりと優しく微笑んだ。
「是非、来てくださいね。では、また」
「…………はい、また……」
臙脂色の和傘が遠くなっていく。
青年が角を曲がって見えなくなると同時に、か細い雨は完全に上がってしまった。
「………………名前、訊かなかった」
何だか、時間に取り残されたような気がする。
――――次の日、どうしてもあの和装青年が気になっていた。
大学の講義は二時限めからなので、少し早めにアパートを出て、青年の職場を見てやろうと思ったのだ。
「……確か、こっちに曲がったはず」
すぐそこ。
「会社…………?」
ここは住宅街で、個人の戸建てやアパートがずらっと並び、どう見ても法人としての看板や入り口は見えない。
石段を上がって…………
そういえば、石段が在るって言ってた。
きょろきょろと見回すと、家と家の間に細くて急な石の階段を見付けた。見上げると、木が生い茂って先は見えない。
「ここを登っていくのかな?」
うわ……キツそう。
ちょっと疲れたが、数分で石段をクリアした。
たどり着いた場所は、思った以上に横幅の狭い場所だった。
「……え? ここって…………神社?」
目の前にはそんなに大きくない朱の鳥居があり、両脇を樹木と堀で固められ水の流れる音がする。
さらに奥はここより開けた場所になっているのか、赤色の社のようなものが見えていた。
「もしかして……神主さん、とか……?」
奥の社を見てみようと、白い玉砂利と石畳の道を進んだ。
たぶん、三メートルくらいだと思う。なのに、とても長く感じる。そして歩いていくうちに、どんどん“懐かしさ”が込み上げてくるのだ。
まさか……ここって…………
参道を抜け、社の前に来たときに確信した。
「ここ、来たことある…………」
たぶん、いや、絶対、去年の春に来た。
――――一年前の春休み。
大学の下見を兼ねて、この街に独り旅をしにきたことがある。
この街は大学の周辺に、大小色々な神社が点在していた。
その中の、それなりに大きく立派な学問の神様を奉ったある神社が有名で、部の先輩などもそこで御守りを買ったと聞いた。
次の年の合格祈願に、そこの御守りを目当てに来たのだが、他の受験生と思われる若者の多さに目眩がして、そこの神社には寄ることができなかった。
そこで、自分だけの神様でも見付けようと他の神社を行脚して、たどり着いたのがここの神社ってこと。
「……こんな近くに」
「お、珍しいねぇ。学生さん?」
「え?」
声を掛けられ振り向くと、境内の脇に小さな社務所があり、お札や御守り、おみくじなどを売っている。
「若い子は大歓迎だよ。見てってよ!」
「は、はい…………」
着物の色が白っぽかったので一瞬、あの青年かと思ったが違う。どう見ても、威勢の良いおじいちゃん神主という感じの人だった。
こんな距離で無視もできないので、売り場に近付く。
「学生さん、運がいいよ。うちの社務所は祭り以外は月に一日しか開いてないから」
「そうなんですか。あ、これ……」
話しながら、売り物の中のひとつのストラップ状の御守りに目がいった。
鞄から財布を出したが、買うわけではなく…………
「ん? あぁ、それはうちのオリジナルの御守りだね。前に来たことあったんだ?」
「えぇ、去年……」
財布には、赤い紐の先にマスコットの付いたストラップが揺れている。マスコットの横には取って付けたように『合格祈願』の文字の板があった。
白い狐が和傘をさした可愛いキャラクター。
「うちの御神体の『雨稲荷』だね。可愛いだろ?」
「『雨稲荷』?」
何でもここの神社には、雨が降るとお稲荷様……つまり、白い狐の神様の使いが、神社のあちこちでくつろぐなどという言い伝えがあるそうだ。
「『雨稲荷』とか『雨待ち稲荷』とか云われてね。雨の日に赤い傘をさしている姿が、神社の壁や天井にも画かれているよ」
うん、御守りや絵馬にもある。
神社に人があまりいなかったというのもあるが、これが可愛くて、去年、ここで『合格祈願』を買ったのだ。
「……あの、ここに若い男性って働いています?」
「なんだ、俺じゃジジイだから嫌かい?」
「いや、そうじゃなく、他に従業員さんとか……ここに勤めているって言われて……」
「おかしいな……ここには、俺一人だよ」
神主さんは首を横に振る。
この神社は代々、この神主さんの一族が護ってきたというが、今は正月と祭り以外は一人だけだという。
正月と祭りの手伝いも近所の消防団の人たちで、常駐はしていないらしい。
ストラップを手に、昨日あったことを神主さんに話してみたら、目をキラキラさせてとても良い笑顔を向けられた。
「きっとそれは『雨稲荷』さんが人間に化けて来たんだな!」
「えぇ~?」
「きっと“大学合格して近くに住んでいるんだから、一度は挨拶に来い”ってことだ。うちの『雨稲荷』さんは人懐っこいんだよ。あははは!」
「あぁ~……まぁ……言われると……」
納得いくような……いかないような……。
それでも、ふと、青年に対しての話しやすさや、優しそうに微笑む顔が頭に浮かぶ。
『遊びに来てもいいですよ。友達として』
…………そっか、受かった後のお礼参りがまだだったなぁ。今度学校の帰りにでも、コンビニで油揚げでも買ってきてあげよう。
それと、たまに遊びにも来るようにしようかな。
友達だからね。
少ないけどお賽銭を入れて、柏手を打って祈った。
神主さんに別れを告げて、再び急な石段の所へ行く。
「わぁ、ここって眺め良いなぁ……」
視点を変えて見る雨上がりの街はとてもキレイだった。
お読みいただきありがとうございました!
※本文中のイラストは【雨音AKIRA】様の作品です。
作者様リンク↓↓↓
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美麗なイラストにちゃんと沿えたかな?
雨音様、ありがとうございます!
主人公の性別は特に決めていません。皆様の好きな方で想像してくださいね!