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9. 誘蛾灯

三角関係がお題の2000字小説です。

 網膜に焼き付く青白い光。

 ジジジ…と低い唸りを漏らす誘蛾灯の無慈悲な輝きに魅せられて、ぱちんと命が爆ぜる。



 ガラス張りのカフェに冬の光が差し込む。スマホから着信音が響いて十分。そわそわと視線を泳がせる奈緒子さんを見て潮時を悟る。意地悪はこのくらいでやめておこう。

「先輩、どうしたんです? 何か心配事でも?」

「う、うんん、そんなんじゃないの」

「もしかして、彼から連絡来ました?」

 水を向けると奈緒子さんは安堵とバツの悪さが入り混じった表情を浮かべた。

「…いや、あの…」

「よかったじゃないですか。いいですよ、行ってください」

 途端に顔がぱっと輝く。奈緒子さんは正直でかわいい。

「ごめん。埋め合わせはするからね」

「僕のことはお構いなく」

「ありがと、幸樹くん」

 言うが早いかコートとバッグを掴んで足早に店から出て行く。僕は人ごみに飲まれていく背中をガラス越しに見送った。…嫉妬してもしかたない。バイトの後輩でしかない僕に奈緒子さんを引き止める権利はないのだ。会いに行くのが恋人ではなく彼女を騙しているとしか思えない最低なヤツだとしても。


 だめんずとか言う言葉が流行ったのはもう一昔も前になるだろうか。時代が変わっても冷静に見たら屑としか思えない男に嵌る女はやはりいる。彼女たちは走光性を持つ生き物のように、自分を不幸にする相手を目指して一直線に飛んでいく。

 奈緒子さんもその一人だ。不毛な恋に落ちて数年、女友達から男の話題はNGと見捨てられた奈緒子さんの愚痴のはけ口になることで、僕は彼女と今の関係を築いた。バイト帰りに飯やお茶して、休日に遊んで、でもヤらない。中途半端なバイトの先輩と後輩。たまに嫉妬に駆られるけど、僕は今の関係に満足している。

 強がりじゃない。僕は不幸な女性が好きなのだ。昔、兄貴に嗜好を打ち明けたら変人呼ばわりされた(あいつだって褒められた人間じゃないのに余計なお世話だ)から、一般的な趣味じゃないのは重々承知している。でも、幸薄い女性には喪服の未亡人と同じだけの魅力があると思う。…異論は認める。

 だから、奈緒子さんの葛藤を間近で観察できるこの関係は、僕にとって絶好のポジションでもあった。

 例えば、男に貢ぐためにバイトをいくつも掛け持ちし、洗剤と水で荒れたカサカサの指先に、僕は口づけしたくなるような愛しさを感じる。

 珍しく忠告を口にした僕に「優司は私がいないと駄目なの。確かに利用されてるのかもしれないけど…。少なくとも都合のいい女にはなれるわけでしょ。必要とされないよりいいよ」と達観した笑顔を向けられたときは、ほとんど奈緒子さんを崇拝してしまいそうだった。なんて捩じれたポジティブシンキング! 自己憐憫も迷いもない、蟻地獄に頭からダイブするような奈緒子さんの乾いた不幸は、目眩がするほど眩しかった。

 ……そういうわけなので、お茶の途中で取り残されても自業自得なのだ。


 適当に時間をつぶして家に戻った僕は、玄関で兄貴と鉢合わせし、眉をひそめた。

「よ、遅かったな、幸樹。なんだぁ? 相変わらずしけたツラして」

「こんな時間に家にいるなんて珍しいね」

「シャワー浴びに戻っただけだ。今から出かけっから」

「ふぅん、今日は誰?」

「朋美ちゃん。うふ、優司の欲しがってた時計届いたよ。とか言われたら行かないわけにはいかねーだろ? 小銭も巻き…あるし、たまには遊びにつれてってやるかな。でもなー、甘やかしたらすぐつけあがんだよなー、女ってさ」

 顔とスタイルだけはいいけど、こいつの性格は最悪だ。

「…月夜ばかりだと思うなよ、兄貴」

「あ? 月がなんだって?」

「闇に紛れて刺されないように気をつけなってこと」

「ハッ、ほっとけっての。お前も同じ穴のムジナだろ。人の不幸が好きとかイカレてるって」

 お綺麗な顔に浮かんだニヤニヤ笑いを斜めに見る。

「んだよ、その目つき」

「…なんでもないよ、いってらっしゃい」

 兄貴に背を向け僕は部屋に戻った。


 久しぶりに会っても金だけむしり取られてポイか。今頃、奈緒子さんは部屋で泣いているだろうか。このくらい慣れてるか。じゃあ自分が渡した金で兄貴が他の女と遊びに行くって知ったら? いやそれでもまだ……。

 多分、奈緒子さんには全部わかってる。わかっていてもあんな最低な奴が好きなのだ。どうしようもなく不幸なことに。そしてそれは僕の走光性を刺激する。


 僕は、不幸な女性が好きだ。

 僕は、奈緒子さんの不幸が好きだ。

 僕は、奈緒子さんが…。


 兄貴に献身を踏みにじられ、僕に不幸を搾取され、不毛な循環の中で奈緒子さんの不幸は研ぎ澄まされ、ますます綺麗になる。

 僕は奈緒子さんを救わないし救えない。その輝きに引き寄せられるだけだ。青白い無垢な光にぱちんと爆ぜるその日まで。


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