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7. 乙女倶楽部

昭和がお題の2000字小説です。

「あゝ小百合お姉様! サナトリウムに行つてしまはれたなんて! なんておいたはしい…。どんなにお辛いことでせう。あの冷たく切なき仕打ちもすべて私を思つてのこと。私はなんと愚かだつたのでせう! お姉様の清らかなる美しきお心も知らず貴子様と演奏会に行つてしまうなんて…」

 レェスの半巾を握りよゝと泣き崩れる美代。

「ホホホ、小百合様は美代さんにお怒りになつてゐるわ」

 貴子が黒ゝとした瞳に勝ち誇つた光を湛え、白魚の指を口元にあて高らかに笑ふ。

 打ちひしがれた美代の瞳に浮かぶ珠の涙。思ひださるゝは、小百合と過ごした輝かしき日々。早咲きの薔薇匂ふ庭園を小鳥の囀りを夢心地に聞きながら手をつないで散策した。小百合の深く澄んだ眼差しと天鵞絨のごとき艶やかな黒髪。凛とした美しさに高鳴る胸を隠し、頬赤らめ制服のリボンを直してもらうときの甘やかな喜び。あの美しき日ゝを取り戻すためならばなにも恐ろしくはないものを!


 ドサッ ガサガサガサガサ バタン


 貴子は勝ち誇つたように媚と嘲りの錯雑した小悪魔のやうな笑みを浮かべ、

「さア、諦めるとおつしゃい!」

「嫌ッ、嫌です!」

 美代の胸を締め付ける小百合への想ひ。

 

 ドタドタドタドタドタ エイッ! ヤァ!


(このまま小百合お姉様に嫌はれてしまうなんて!)

 美代は胸の前で半巾を握つたまま立ち上がつた。走り出す美代の背を打つ貴子の声に驚きと動揺が滲む。

「お待ちなさい、美代さん! こんな時間にどこへお行きになるの?!」

「お姉様の元ですわ!」


 ドタン、バタンッ

 ナニスンダヨォ! カエセヨー!

 ヤダネ! ホシケリャトリカエシナァ!!

  

「なにをおつしゃるの? 寄宿舎から抜けだしたりしたら貴女は退学よ!」

「いいのです、私、お姉様を…


 ビエェエン、ニイチャンガァ

 ウルセェナ、コノナキムシ!



 パタン、と松子は『乙女倶楽部』を閉じた。

「うるさーい!」大声で怒鳴って、元気すぎる弟たちの頭をコツンコツンと殴り肩を怒らせる。「どうして静かにできないのッ!」

 これからいいところだというのに台無しだ。

 びっくりしたのか一瞬静黙った弟たちが「ねぇちゃんが叩いた」と火がついたように泣き出す。

 もう一度うるさいと怒鳴ろうとしたら、後ろからゴツンときた。

「痛ったー」

 振り向くと、割烹着姿の母親が目を吊り上げて仁王立ちしていた。

「まったくッ、どうしてあんたたちは仲良くできないンだい!」

「だって竹男と梅吉が…」

「ちがわい、ねぇちゃんが…」

 口答えした途端、三人ともスパパーンと頭をはたかれる。

「黙ってお聞きッ! 兄弟ってのはねぇ…」

 いつものお小言を聞き流しながら、松子は唇をへの字に曲げた。

 なんで、かーちゃんは分かってくンないの? あたしはただ、浪漫の世界を大事にしてるだけなのに。わかった、きっとかーちゃんはあたしの本当のかーちゃんじゃないんだ!

 松子は頭の中でぽんと手を打った。

 うん、間違いない! 先月読んだ少女雑誌にちょうどそういう話があった。あたしは拾われっ子で本当の親は別にいるんだ。薔薇の咲く瀟洒な洋館に住む、洋行帰りの学者のお父様と優しいお母様。病弱で美しいお姉様もいるかもしれない。あたしの名前もこんな平凡なのじゃなくて、瑠璃子とか桜子とか麗しい名前に違いない。いつもそうだったらいいのにって思ってるようなやつ! お母様はきっとあたしのことを心配してる…。

(あた…わたくしもほんたうのお母様に会ひたい…)

 そう思うと、勝手に甘い涙が目に浮かんでくる。

 ここにいちゃいけない。ここは松子の居場所ではないもの。そうだ、寄宿舎に入ろう。乙女は寄宿舎のある女学校に通うものだ。そして、本当のお母様を探そう…。

「松子? どうしたんだい、なにも泣かなくッても…」

「かーちゃん、あたし…」

「反省してくれりゃいいンだよ」

「あたし、寄宿舎に入りたいッ!」

「バカなことお言いでないよ!」

 パコン! もう一発頭をはたかれた。

「いったいなぁ、もう!」

 唇をとがらせて痛む頭を撫でる。

「さァ、喧嘩する元気があるなら、竹と梅は表に箒かけて風呂掃除しな。松子は八百勢で長ネギ買っておいでッ」

 かーちゃんのバカ! やっぱりかーちゃんは本当のかーちゃんじゃない!

(わたくしはもう家には戻りませんわ! 本当の両親を探す旅にでます!)

 母親は松子にがま口を差し出し、

「ほら、帰りに肉マサでコロッケも買っておいで」

 途端に、口の中にラードでカラリと揚がったコロッケの味が甦った。肉マサのコロッケは松子の大好物だ。じわりと唾が沸く。

 …とりあえず、今日のところは旅に出るのはやめておこう。

 松子は仏頂面で、目元も口元もそっくりな母親からがま口を受け取った。

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