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4. 幽霊渓谷の卵豚

夢がお題の2000字小説です。

 なるほど、幽霊渓谷にはまだ光脈が残っているようだった。

 鋭角クレバスの間から時々光が漏れ、ほころびかけた嘴草の透き通った花弁をしゃらしゃらと揺らした。

 左眼に意識を集中して周囲の気配を探る。空壁の傷、蔦焔の欠片、枯れた塩木。痕跡はありありと残っているのに探しているモノは見つからない。

 途方に暮れてため息をついた僕の後ろで、甲高いキーキー声が聞こえた。

「おい、こんなところでなにしてんだよ! 出ていけ、この“作りかけ”め! ここはお前らが来ていい場所じゃねーんだよ」

 振り向くと、卵豚が顔を真っ赤にして怒り狂っていた。“加速する夢”の住人には極力接触しないように心掛けているのだが探し物に集中しすぎて、近づいてきたのに気付けなかった。

「なにこっち見てんだよ、不均衡野郎! だいたいお前らのせいで……」

 黙って卵豚の雑言を聞く。こんなことは慣れっこだ。

 しかし、不均衡野郎とは言い得て妙だ。確かに、巻風や揺風が頻繁に降るこの世界では、鼻の付いた丸い卵に爬虫類の羽をつけたような卵豚や林檎牛みたいな形が合理的だ。ひょろ長い手足の僕は、さぞやバランスの悪い生き物に見えるだろう。均衡を重んずるこの世界では致命的だ。

「くそ、なににやにやしてんだ、気持ちわりぃな」

 雑言の隙間でメリメリと小さな音がした。

 足元に手を伸ばすと卵豚は慌てて後ずさった。彼らは本来臆病な生き物だ。

「な、にすんだ!」

 錆色に羽化しかけた嘴草が、シャーっと牙だらけの嘴で僕を威嚇する。指を食いちぎられないように慎重に摘み、僕は嘴草にふぅっと息を吹きかけた。

 嘴草は僕の掌の中でしゅわりと砕け、風に散った。

 珊瑚色に開花して夢を囀るはずの嘴草が変体するとは、これもヤツの爪痕なのかもしれない。

「ふん。助けてなんて言ってねぇぞ、俺は」

 鼻に皺を寄せた卵豚にわかってると頷き、僕は前髪をかき上げてみせた。

「うげぇッ」

 逆巻く瞳を見た卵豚が声を失い、汚物のように僕を見る。一目散に逃げようとする卵豚に、慌ててぴょんぴょん親指の紋章の入った札を見せた。

「……けッ、最初にそれ見せろってんだ」

 忌々しそうに卵豚。

 心底嫌なヤツだが、ぴょんぴょん親指の名前と紋章は、やっぱり効果絶大だ。

 紋章と逆巻く瞳を見て、僕がしゃべれない理由とここにいる訳は理解したらしい。卵豚は鍵爪で地面に線を引き、ここから先に入ってくるなよ、と念を押してから話し始めた。

「“歪な息”を探してんのか?」

 こくりと頷く。

 ぴょんぴょん親指が“歪な息”に懸賞金をかけたことは、“加速する夢”中に知れ渡っている。

 彼は「ワシはこの世で一番金が好きじゃ。愛しとる」と臆面もなく言いきる最低な守銭奴だが、「二番目に愛しとるのはこの世界と世界の住人達じゃ」と慈愛に満ちた笑みを浮かべる聖職者でもある。まあ、この世界がなくては愛する金を集めたり使ったり出来ないのだから当然だ。

 毛嫌いしている住人は多いが、金が絡まなければ公正明大な為政者と言える彼に、表立って刃向える者はいない。“歪な息”を狩らなければ、加速する夢”はゆがみ、いずれ萎んでしまうのだからなおさらだ。

「ヤツは、50アルタも昔にここからは消えちまった。足音も吐息も残っちゃいねぇ。塩壁の向こうに枯れた足跡があるだけだ」

 それは朗報だった。

 ヤツはいやらしいほど用心深く、影に滲んで行動することがほとんどで、痕跡が見つかるのは稀だ。

 僕はぺこりと卵豚に頭を下げ、腰袋から甘露玉を取り出した。

「いらねぇよ、んなもん!」そっぽを向いた後すぐ、ちらりと未練気に甘露玉を見「……いや、そこまで言うなら、もらっといてやってもいいけどなッ」

 言うが早いか、甘露玉をひっつかむ。

 …なにも言ってないけど…。

 まあ、しゃべることが可能なら、お礼を言いたかったのは間違いないので、いいことにする。

 夢で構成された世界で、僕たち“作りかけ”の声は絶大な力を持つ。息ですら生命力の旺盛な嘴草を一瞬で枯らすほどだ。

 だが、声を使うことはひどい危険も伴う。せっかくもぐりこんだ夢を壊して、僕を目覚めさせてしまうことにもなりかねない。

 だから、それを使うのは“歪な息”と対峙した時だと僕は決めていた。

 僕は甘露玉をくちゃくちゃと噛み始めた卵豚と別れ、塩壁を登ることにした。

 ゆがみが伝染する前に“歪な息”を狩って、彼女のまどろみを取り戻さなくてはならない。

 登っている途中、塩壁の亀裂に檜花の群生を見つけた。

 僥倖だ。これだけあれば、胡蝶環を捕まえるのに役に立つ。今のところ装備にほころびはなかったが、消費するばかりでは夢を維持する力がついえてしまう。

 “歪な息”の足跡を採取したら、幽霊渓谷を出て湖面の乙女に会いに行こう。

 僕はそう決めた。

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