10. 有川唯に奇跡を信じさせる方法について
奇跡がお題の2000字小説です。
「神様なんて信じないし、奇跡なんて起こらない」
それが有川唯のモットーだ。13歳にしては世知辛いが、物心つく前に母をなくし、自分自身も生まれた時から病院のベッドに縛られている身であれば無理もないだろう。
ただ……。
「なぁ、唯ちゃん」
「ん?」
唯が訝しそうに顔を上げる。病院で本ばかり読んでいるせいか、口が達者で生意気な…でも可愛い僕の妹。窓から差し込む強い夏の日差しを頬に受けた唯は、消えてしまいそうに儚く見えた。
「手術だけどね…」
「ストップ」うんざりした調子で「受けないって言ったよ」
「でもさ」
「私、今まで検査も治療も頑張ってきたよね」
「うん」
「だけど治らなかった。手術なんか無駄だよ。奇跡は起きないの」
問題はこれだ。伝手を辿って妹と同じ症例を何度も手掛けた外科医に手術をしてもらえる段取りをつけたのに、肝心の唯が承諾しない。今更奇跡なんか起こらないと言い張って譲らないのだ。唯に残された時間は長くない。このままでは唯の身体は成長に耐えられなくなってしまうのに。
「今度のは今までと違うって説明しただろ? もう一回だけ…」
「もう痛いのは嫌だよ。これ以上パパや兄貴に負担掛けたくないし…。ママに会えるならいいかなって」
「唯ちゃん!」
遺影の顔しか知らない母さんを唯はひどく恋しがっている。でも、だから手術は受けない、死んでもいいなんて、そんなのは駄目だ。唯はまだたった13歳なのだ。
「この話はもうやめよ。それより早く帰ろうよ。久しぶりの一時帰宅楽しみしてたんだから」
「うん」
着替えを渡すと、唯はベッドのカーテンを閉めてごそごそしはじめた。
「そうだ、兄貴。手術を受けさせたいからって、降雪機借りてきて真夏に雪を降らせたり、部屋にプロジェクタ仕込んで神様見せたり、ちゃちなマジック使ったりして奇跡ごっこするのはなしね。ただでさえ入院貧乏なのに無駄なお金使ったら破産しちゃうよ?」
「あ、あはははは、嫌だな、唯さん。おにーちゃんがそんなことするわけないだろ?」
…とりあえずプランD~Gは却下だな。
※
もちろん他のプランも不発のまま日が暮れた。最初から疑っている相手に奇跡を信じさせようなんて、高校生の手には余る。
父さんは当てにできない。悲しみのあまり遺品も写真も処分するほど母さんを愛していた父さんは、母さん似の唯と顔を合わせる勇気がなかったらしく出張に逃げた。今は僕がなんとかするしかない。
夜を待ち庭に出た僕は、月明かりの中、二階にある唯の部屋を見上げた。
ホログラム…というものをご存じだろうか? 幽霊屋敷の演出とかで空中に映像を映し出すアレだ。多くは薄いフィルムや煙に平面の画像を投影させる方法で不思議ではあるがすぐに正体はわかる。
でもそれが煙もフィルもなしの3Dならどうだろう? 技術の進歩は恐ろしいもので、今では光とガラス製のプレートを使い、特殊なパネルを通過させて実像の反対側の中空に映像を結像させる技術が確立されているのだ。立体にも応用できる。
つまり……母を恋しがっている奇跡嫌いの少女に、遺影でしか知らない母の姿を見せることも可能なのだ。実物かその代用品さえ確保できれば。
二階の窓の外に浮かぶ遺影じゃない母さんを見たら唯はどう思うだろう。少しでも奇跡を感じてくれるだろうか。
月を頼りに妹とよく似た顔を確かめる。
覚悟は決めた。
僕はウィッグを整え、唯の部屋の前で結像するように念入りに調整した装置のスイッチを入れた。
※
翌朝。僕はどんよりとした気分で唯の部屋をノックした。
まさか装置とエアコンが両立できないなんて…。動き出してすぐ、ぱちんとブレーカーが落ち光が消えた時の動揺と絶望。電源を戻しても装置は動かなかった。偽物の奇跡で唯を騙そうとした罰でも当たったみたいだ。
ドアを開けた唯は、なぜか僕と正反対にすっきりした顔をしていた。
「おはよ、唯ちゃん」
「おはよ。ね、手術って今からでも間に合うんだよね?」
「え…ええ? もちろん!」
「私さ、奇跡も神様も信じないけど兄貴は信じる。だから手術受けてみるよ」
晴れ晴れとした笑顔に胸がいっぱいになる。
唯が手術を受ける気になるなんて奇跡だ……。唯よりももっと奇跡も神も信じてなかった…手術のために唯を騙そうとした僕にこんな奇跡が起こるなんて。
「でも、唯、なんで突然…」
「昨日の夜ね、ママが…」唯は僕の顔をじぃっと見「でもあれってさ…」
ふふっと意味深に笑って、唯はなんでもないと首を振った。
…装置は動かなかった。昨日の夜、唯はいったい何を見たんだろう。
今は何も聞かない。
でも、手術が終わったら。
唯に僕に起こった奇跡を話そう。そして唯が見た奇跡を教えてもらおう。
その日まで有川唯に奇跡を信じさせるのはお預けだ。