Round05.アーケード筐体が見えたとき
ゲームセンタープラザ4の裏手、人通りの少ない路地に面したところに幽霊マンションがある。
入居者が首吊り自殺をしたのを皮切りに、同建物内で自殺が相次ぎ評判が悪化。
オーナーは同時期に持病が悪化、入院生活を余儀なくされた。
オーナーが快復するまでは建物自体はどうしようもなく、入居者は退去するかこの世から退出してしまい、現在人気はない。
不良や宿無しの者が溜まることもあったが、夜中に他に人がいないのにうめき声がした、気づいたら最上階の手すりから身を乗り出していたなど不穏な噂が後を絶たず、今や元住民以外も近寄らない。
その301号室で、一人。乾いた涙の跡を浮かべた青年が手足を縛られ床に転がされていた。
青年はもはや声を出す元気もなかった。防音のしっかりした部屋であり、仮に外に声が漏れても人に聞こえる可能性は低く、聞こえたとしてもこのマンションを知っている人間であれば幽霊のうめき声かと幻覚を疑い足早に去るのみだろう。
どうしてこうなってしまったのか。普通に働き、普通に余暇にゲームをして遊んでいるだけで人の恨みを買うようなことはしていないのに。
青年は今の状況と自身の過去の因果関係について出ない答えを探し続けていた。そうでもしないと精神を維持できなかった。
二日前。青年の事務所の上司が無断欠勤した。横暴な上司だったため、皆にとって平和な一日だった。
夜、息抜きということで事務所の人たちと飲むことになった。そこまでは青年の記憶にある。
青年の昨日の記憶は、起きた時にはすでにこの部屋に居たことから始まった。
そこに居たのは青年と、事務所の嫌みな先輩と口うるさいお局様と、青年の同期であった。
青年と同期以外は、手足を縛られて口にハンカチか何かを含まされていた。
「やあ、旭。目が覚めたかい?」
青年を旭と呼んだのは彼の同期である八坂だった。
「君だけは、俺に優しくしてくれた。だから、事が済むまでじっとしててくれれば何もしないよ」
八坂はそう言うといつもの何かを隠すような笑みを浮かべて身動きのとれない先輩とお局様を順に抱えて部屋の外に消えていった。外からは何か重いものを引きずる音がする。
旭は嫌な予感がしていた。どうにも怖くて、その場を動くことができなかった。
10分後、隣室からくぐもったような音が少しだけ聞こえたと思うとまた重いものを引きずる音と共に、八坂が顔を出した。
「えらいね、旭。何もしていないようだね。やはり君は馬鹿上司やいばるしか脳のない年を食っただけの先輩たちとは違うよ。その大人しさ、大切にするんだよ」
再度部屋を出る八坂の異様さに、旭は気づいていた。八坂のワイシャツに黒々とした赤い血が大量に付着しているのを。
旭はここにいてはまずいと感じた。逃げだそうと玄関の扉を開けようとするが、重たいものが扉の外に立てかけられているようで扉が開ききらない。唯一見えたのは、301号室という表札だけ。
旭はすぐさま室内に取って返し、窓を見る。部屋の暗さからてっきりカーテンが閉めてあるものだと思ったが、改めて見ると木の板が何枚も打ち付けられていた。
あまりの異常さに、旭は戦慄した。画面の中で無茶をする人間は多く見てきたが、現実世界でここまでする人間を見たのは初めてであった。
玄関は何か重たいものがつかえていて開ききらない。窓は木の板で封鎖されている。いつあいつが戻ってくるか分からない。旭は困惑する頭でついいつものクセで携帯を取り出した。
携帯電話が、そこにあった。
旭は救われる思いだった。警察に電話すれば、ここがどこか分からなくてもGPSで探し出してくれるはずだ。
110番をしようとして、旭は思いとどまった。八坂は何と言っていた? 「じっとしててくれれば何もしない」と言っていた。ここで電話をしたとして、そのことがバレたら、無事に返してくれなくなるのではないか。
警察に電話をするにはやめた旭。だが、何もしないで本当に無事で済む保証もない。相手はおそらく……常軌を逸している。何か、手はないか。
再度窓を調べた旭は、あるものを見つけた。打ち付けられた木の隙間からかろうじて見える斜め下にある向かいのビルの窓、そこにあったのはゲームセンターにあるアーケード筐体であった。隣には髪を逆立てた特徴的な格闘ゲームキャラクターのパネルのシルエットもある。
旭はこれまで生きてきた中で一番と言えるほど頭を働かせた。ここが301号室であるならば、あれは2階。2階にあの筐体が置いてあるゲームセンターは、関東近郊では知る限りプラザ4しかない。
現在地の当たりを付けた旭は続いて自身のブログを立ち上げた。下手にSNSに助けてと書き込んでも警察に連絡するのと同じだ。もしアカウントの存在が八坂にバレていた場合を考えると下手は打てない。ならば、と旭はフリックをしながら考えた。「見つけてもらえるような内容で且つ現在地と状況が分かり、それでいて一目見て助けを求めるものとは分からない文章」を残すしかない、と。
なんとか投稿を終えた次の瞬間、扉の方から重いものを動かす音がし、八坂が室内に入ってきた。
「……そうか、携帯は持ったままだったね。……渡してもらおうかな、一応」
旭は蛇ににらまれた蛙のように、八坂の言いなりに携帯を渡した。八坂の右手に握られた、血にまみれた刃渡りの長い包丁から目が離せなかった。
恐怖から動けなくなったことが無抵抗を貫くように見えたのかすぐに刺されるようなことはなかったが、旭はされるがままに強力な粘着テープで手足を強く拘束されてしまった。
「……うん、電話履歴もSNS投稿関係も不自然な点はないね。開いてあったブログ……たしか格闘ゲームが趣味だったね、旭は。さっき更新したようだけど、へぇ。ここから駅とは反対側のゲームセンターで活躍していたんだね。すごいね。ふうん。まぁ、いいか。俺は解体に忙しいから。じっとしててね?」