暇だから勇者について語る話
勇者あるいは勇士、英語で言うと【Brave】の後ろにハートとかヒーローとか付けて勇敢なる者の意を示すものである。
その在り方は弱きを助け、強きを挫く者。物語上ではぼっとでだったり、色々頑張ったりして強大な力を手にした"悪い奴"を懲らしめる正義の使者という位置づけである事が多い。
悪い奴が強大な力を振るうので、勇者もまた強大な力を振るう必要がある。という大前提があるため、勇者に正しく力を振るわせるのは実の所案外難しい。
よく言われるのは正義の反対はもう片方の正義である。という言葉だろうか。だから案外敵役側の魔王とかの言い分も分かってしまうのが世の常である。
また、ゲームに登場する勇者という生き物は、時折目的のために人様の家に勝手に上がり込んで壺を投げたり、平然と動植物の大量殺戮をやってのけてしまう事がある。
そんな事もあるせいか、ストーリーとムービー上ではカッコイイ事を言って、プレイ中では情けない行動を繰り広げているというシュールな図になっていることも珍しくはない。穿った見方をする人にとっては小粋な皮肉と野次を飛ばしたくなる事もあるだろう。
実際、この小説家になろうや二次創作界隈では"勇者"という言葉がよくわからない事になっている事が稀によくある。
例えば、なろうのランキングでよく見かけるのは『クズ勇者』だろうか。
いわゆるパーティメンバーの身包みを剥いで追放したり、裏では女集めてハーレム形成していたりする。そして、ゲームで効率的なプレイヤーが操作していたのかのような行動を繰り広げるのが特徴である。
この辺まで来ると使命や背負っている物の重さを感じられない。何の為に戦っているのかも理解不能であり、力に任せて弱い者虐めを繰り広げるだけである。まさに、物語ではなくゲームに登場する勇者の悪い所だけを凝縮したような存在と言ってもいいだろう。
そんな彼らは断罪される話が結構評価されているのも納得できる話かもしれない。一方で、そんなクズ勇者を断罪するだけでは飽き足らず、悪役側について反逆する物語があったりするのだが。(大儀名分がもう一方の正義理論)
それでは悪役を倒す悪役を倒す悪役になるという本末転倒状態だろう。世に正義など始めから無かったという事だろうか。悲しい話である。
だからこそ、今一度勇者という言葉の意味を思い出して欲しい。多くの物語ではいずれ勇者と呼ばれるの人物のレベルは1から5くらいで始まる。彼らは最初から強かったわけでもないし、使命を背負っていたわけではない。そして、多くの物語では"勇者が最強ではない"事も少なくはない。(天地雷鳴士とかゴッドハンドとかドラゴンの方が強いしね)
単に勇気を振り絞って目の前の問題を解決するためにはじめの一歩踏みしめた者なのだという事を。最初は女の子一人を守るために戦いを始めた彼らは、いつの間にか次々と守るべき者が増えていき、何時しか勇者と呼ばれる程の人物へと変わっていくのである。
勇気を出せば誰しもが勇者に成りえるものであり、運命とかいうわけの分からぬモノによって押し付けられるモノでもないし、自称するモノでもない。力があるだけの幼児に与えられるべき称号ではないのである。
勇者が職業になってしまったのは某国民的RPGの6作品目のせい。そんな気がするこの頃である。
大体勇者って奴はやべー事を平然とやる。飲まず食わずで昼夜問わずにフィールドを強行軍し、敵地の真っただ中でも平然とテント張って寝たりする。相手が強かろうと、例え勝率が小数点以下の確率でも、可能性があるならば戦い続ける。(例えメンテナンス持ちであったとしてもね)
蛮勇と無謀は違うが、少なくとも勇者は臆病であってはならない。とにかく行動する者なのである。何故ならば、何もしない者には何も起こらないのが世の常だ。
そんな精神を光の戦士であるウォーリアオブライトさんから学んでみるのも一興かもしれない。彼は自分を歴史から抹消するためにブレずに最期まで戦い続けた勇者の一人である。