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静江は少しの間、黙ったまま響の顔を見つめた。。
無表情のまま、一瞬、視線をはずして窓の外を眺め、再び響へと目を向ける。
「あなた、なんてお名前だったっけ?」
「草薙です。草薙響です」
「どこかで会ったことがあったかしら?」
「いいえ、それはありません」
「そう……草薙さん、どういうこと? 私が間違ってる? どうしてそんなこと言えるの?」
声は相変わらず静かだった。だが、その口調は少しだけトゲを感じるものに変化している。
「実はその事件について、ボクも調べてきました」
「調べた?」
「事件は時効になどなっていませんよ」
「何ですって?」
「確かにあなたのご両親と妹さんは殺害されました。しかし、事件はきちんと捜査され、それから2ヶ月後に犯人は逮捕されています。藤枝さんは決して事件をもみ消すなんてことはしませんでした」
「私の話が嘘だというのですか?」
意外にも静江は冷静だった。
「それは全てあなたが作った物語です」
「物語? 私の話が作り話ですって? あなたに私の何がわかるというの?」
「さっきも言ったはずです。ボクは調べてきたんです。あなたの何かというより、ボクが知っているのは事件のことですよ。あなたたちの家族を襲ったという男たちなど存在しません」
「じゃあ、誰が殺したというの?」
「あなたですよ。あなたのご両親も妹も、あなたが殺したんです」
「何を言っているの?」
静江は呆れたようにフフっと笑った。「事件の時、私は子供だったのよ」
「そうです。子供でした。当時、小学6年生だったあなたが家族を殺したんです」
「私がどうやって?」
「夕食のカレーにヒ素をいれたんです。司法解剖の結果、ご両親も妹さんも体内からヒ素が検出されています」
「ヒ素? 子供の私にそんなこと出来たはずがないでしょう」
馬鹿にするように静江は言った。
「そうですね。確かにあなたは子供でした。犯罪の計画はずさんそのもの。それにも関わらずやったことは大人でも出来ないような方法でした」
「だから、私がどうやったっていうの?」
「あなたは串井さんを利用してヒ素を手に入れたんです」
「串井?」
「あなたの担任の串井先生ですよ。憶えていませんか? いや、そんなはずはありませんね。串井先生もあなたから招待状を受け取り、ここに来ているはずです。さきほど復讐する相手を3人と言っていましたが、実際の一人目は串井さんだったはずです。それでも串井先生を忘れたと? あなたにとって串井先生はただの利用出来る大人の一人だったということでしょうか」
静江の目が冷たく響を睨む。
「そうね。そういう人もいたかもしれないわね。でも、そんなことよりも、どうして私が家族を殺さなければいけないの?」
「そうですね。不思議な話……いや、とても想像も出来ない話です。あなたのお母さんは妊娠していました。事件がなければその2ヶ月後には男の子が産まれていたことでしょう。ところが、あなたはそれが許せなかった。
「弟が生まれることが?」
「そうです。きっと親の愛情が自分に向けられなくなると考えたのでしょうね」
「ずいぶん幼稚な動機じゃないの」
「そう、幼稚な動機ですね」
「私を馬鹿にしているの? 何の根拠があってそんなことを?」
「あなたが、串井先生にそう話したんじゃありませんか?」
「私が?」
「憶えていませんか? そして、串井先生はあなたに同情した。いや、あの人の場合、同情という言葉とは少し違ってますか」
「いつ先生に会ったの?」
「会えるはずがありませんよ。既にあなたの手で殺されていますからね。でも、部屋に残されいたものは確認出来ました。あの先生、日記をつけていたんですよ。ボクはそれを読んだ」
「日記?」
「はい、そこにはあなたとのことも書かれていましたよ」
「何が?」
「いろいろですよ。ずいぶんマメな先生だったようですね。あなたは色仕掛けで串井先生に迫った。大人を誘惑する小学生。驚きましたよ。今でも信じられません」
「ちっちゃい男だと思っていたけど、日記なんてつけていたのね、あの先生」
「串井先生のこと、思い出してくれたみたいですね。串井先生の実家はシロアリ駆除の会社を経営されていました。先生はそこでヒ素を手に入れ、あなたに渡した」
「そんなことまで日記に? 馬鹿な男。自分に捜査の手が及んだらどうするつもりだったんでしょう。たとえ嘘だとしても、犯人だと誤解されるのに」
「誤解?」
「ええ、串井先生の日記なんて、ただの妄想でしょう」
「あなたは本気でそう思っているんですか?」
「当然です」
堂々たる態度で静江は答えた。
「あなたは怖い人です。あなた自身が家族を殺しておきながら、その自分の記憶すら勝手に書きかえた。確かにあなたは事件後、警察にさきほどの話をしている。でも、それはすぐに嘘だとされています。何よりも、そんなあなたに恐怖心を持った串井先生は警察に駆け込んだ。事件には多くの証拠が残されていました。そして、あなたの話を裏付けるものは何一つ見つけられなかった」
「串井先生は私に恋心を持っていたんです。私がそれに応えなかったため、逆恨みしたんでしょう。証拠が残っていないのは、それは警察官であった藤枝由紀夫の仕業です」
「藤枝さんが隠したというんですか?」
「そうですよ」
「たった一人の刑事がそんな大きな事件の証拠を隠滅することなど出来るでしょうか?」
「藤枝さんは、事件の管理官だったんですよ。そのくらいのこと可能でしょう」
「いいえ、それが無理なんです」
「どうして?」
「藤枝さんが管理官だったというのは間違いです。当時、藤枝さんは所轄の刑事に過ぎませんでした」
それを聞いて、初めて静江の顔色が変わった。
「そんなはずは……」
「さらに言えば、藤枝さんが所属していたのは生活安全課です。一時的にあなたの事件の応援に入ったことはあるかもしれませんが、そんな藤枝さんが権限を持って事件の大切な証拠を隠滅するなんてこと出来るはずがないんです」
「そんなの嘘だわ」
「嘘じゃありません。あなたはどこからそんな情報を得たんですか? 誰かからそんな嘘を聞かされたんですか?」
静江は眉をひそめ右手で頭を押さえた。
「ち……違う」
「しっかりと思い出してください」
「うるさいわね!」
苛立ちを隠すこともせず、静江は左手でテーブルをバンと強く叩いた。
「あなたは自分の家族を手に掛け、しかも、それを他人に押し付けてその人たちをも殺害した」
「馬鹿なことを」
「あなたの家族は押し入ってきた男たちに毒を飲まされて殺されたと言いましたね。何のためにそんな面倒なことを?」
「き、きっと自殺に見せかけるためよ」
「食事の中にヒ素を混ぜる。そんな方法で殺人を犯しても、誰も自殺などとは思いませんよ」
「あなたの意見なんて聞いてないわ」
「では、なぜ、あなただけが生き残ったのです?」
「私はベッドの下に隠れたのよ」
「ベッドの下? あなたが発見されたのは2階にある部屋でしたね?」
「そうよ。よく知ってるわね」
「でも、あなたは一階で起きたその後のことを見てきてきたかのように話しているじゃありませんか。ご両親と妹さんが死んでいたのはキッチンですよ」
「……それは……ち、違うわ。そうよ、ウチはアパート住まいだった。2階なんてなかった」
静江の目に戸惑いが見える。
「それならなぜ2階の部屋で発見されたんですか?」
「だから……それはあなたが間違って……」
そう言いながらも、静江は何かが気になるようにさかんに視線を動かす。
「あなたはその男たちのことなど見ていない」
「嘘よ。私は見たのよ。男たちがやってきたのよ」
「それもあなたの思い込みです」
「違うわよ」
静江は否定した。こうなればもっと重要なことを告げるしかないだろう。
「もう一つ、あなたは大切なことを忘れています」
「何?」
「あなたは既にその罪によって逮捕され、裁かれました。そして、既に死んでいるんですよ」




