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静江は淡々と話し始めた。
「もう30年も前の話です。私の父はフリーのジャーナリストをしていましたーーとは言ってもそんな立派なものではありません。アイドルや役者のゴシップ記事ばかり。時には掴んだネタを使って恐喝まがいのこともやっていたようです」
懐かしそうに静江が語るのを、響は静かに聞いていた。
静江の話はさらに続いた。
「そんな父がある時、突然、ある事件について調べ始めました。それは、いつものゴシップ記事とはまるで違うものでした。おそらく父は当初、いつものように金になると思って調べ始めたのでしょう。えっと……あなた、お名前はなんでしたっけ?」
「草薙響です」
「ああ、草薙さんね。本郷慶太郎という政治家を憶えていますか?」
「すいません」
響は首を振った。今の政治家ですら、総理大臣をはじめとして数人しか知らない。ましてや30年前の政治家の名前など知るはずもない。
「昔の話ですからね。若いあなたには難しいかもしれないわね。でも、当時は農林水産大臣まで務めた有名な政治家だったんですよ。父が調べ始めたのは、その息子が起こした暴力事件でした。たまたま事件のことを耳にして、いつものようにお金になると考えたのでしょう。しかし、調べていくうちに、父に変化が起こりました。その息子が起こした事件というのは一つだけではなかったようです。女性への乱暴事件、麻薬、詐欺のようなことも繰り返していたようです。そんな事件を調べていくうち、父はいつしか知らず知らずのうちに、若い時のような志の強いジャーナリストの気持ちを取り戻していったのです。やがて、父は金のために調査するのを止め、本気でそれを記事にして世間に告発しようと思うようになったのです。父は、時間をかけて証拠を集め、それを記事にしていきました。そして、それを付き合いのあった出版社へと持ち込んだのです。どうなったと思いますか?」
「お父さんの思いは叶えられたということですか?」
「いいえ。父には誤算がありました。父の信頼する出版社の編集長が、その本郷慶太郎とつながりがあったのです。その編集長はすぐに本郷慶太郎に連絡を取りました。父の掴んだネタは彼らにとって命取りとなるものでした。そこで彼らは父の記事を、力づくで止めようとしたんです。最初は金で父を口止めしようとしました。しかし、驚くべきことに父はそれを断った」
「驚くこと?」
「娘の私がこういうのもなんですが、父は決して正義感あふれる人ではありませんでした。どちらかといえば、金のためなら何でもするタイプ。それなのにあの記事だけは違っていた。父は取引に応じませんでした。その結果、彼らは父を殺すことに決めたのです。そして、母と妹もそれに巻き込まれた」
「巻き込まれた?」
「殺されたんです。家族全員」
そう言って、静江は反応をうかがうかのようにジッと響を見つめた。
「全員? あなたは?」
「あら、ずいぶん揚げ足取りのようなことを言うのね。もちろん、私は無事でしたよ。子供の頃の私は人見知りだったから、男たちが押し入ってきた時、すぐに隠れたんです。おかげで寸前のところで命拾いしたんです。私は警察に訴えました。男たちによって殺されたと。でも、子供だった私の証言は取り上げてはもらえませんでした」
「事件はどうなったんですか?」
「どうにもなりませんよ。犯人は見つからず、時効を迎えることになりました。犯人が捕まるはずがありません。もともと警察が捕まえる気がないのですから」
「捕まえる気がない?」
「警察は犯人とグルだったんです」
「警察が?」
「あ、また揚げ足を取られる前に言っておきますね。もちろん警察組織全てではありませんよ。当時、捜査をしていた刑事がという意味ですよ」
「そうですか」
もちろん響に揚げ足取りなどするつもりはない。ただ、一つ一つを間違いのないように確認したいだけだ。
「私は彼らに復讐しなければなりません。今日のお茶会はね、そういう場なんですよ。だから、あなた……えっと……」
「草薙です」
すでに名前を名乗るのは4回目だ。
「そう、草薙さん、あなたが代理と言われてもね」
「ボクでは意味がないということですか?」
「そうです」
「そのために一人ひとりを招待しているんですか?」
「彼らに懺悔の機会を与えてあげなければいけないでしょう?」
「彼らとは?」
その質問に、静江は待っていたかのようにニッコリと笑った。
「一人は本郷慶太郎、しかし、本郷は事件の後で病死しました。そこで私はその息子である本郷慶一を招きました」
「本郷慶一さんというと弁護士さんですか?」
「あら、よくご存知のようね。二人目は父の友人であり雑誌の編集長であった長岡努。そして、やっと最後の一人にたどり着くことが出来ました。それがーー」
「藤枝さんですか?」
「そうです」
「なぜ藤枝さんが3人目なんです?」
「さっき、刑事が犯人とグルだったと言ったでしょ。警官だった藤枝由紀夫は、事件をもみ消したのです」
「本郷さんと長岡さんは、あなたに謝罪をしましたか?」
「いえ、残念ながら。二人とも最後までしらばっくれていました」
「お二人が正しいとは思わないんですか?」
「そんな嘘を私が信じるはずがないでしょう」
「30年前の事件だと言われましたね? どうして今になって?」
「最近になって全てを知ったからですよ。彼らのことが記事になっているのを目にしました。もちろん私の事件のことではなかったけれど、それでも彼らが仲間であることがわかりました。どうです? これが私の身の上話です。話をしたからは、あなたにも協力してもらいますよ」
「協力?」
「藤枝さんをここに連れてきてもらわないとね。あなた、藤枝さんのことご存知なんでしょ? 連れてくること出来るんでしょ?」
実は、響は藤枝と会ったことはない。だが、今はそれを口にしないほうがいいだろう。
「その前に一つ訊いてもいいでしょうか?」
「何か?」
「あなたはそれをどうやって知ったんですか?」
「え? 何のこと?」
「事件のことですよ。あなたのお父さんがジャーナリストであったことはともかく、お父さんが何を調査していたか、どんな記事を書いていたか、どうしてあなたは知っているんですか? あなたに話されたんですか?」
「そう……ですね。父から直接聞いたこともあったかもしれません。あるいは母から聞いたのかも」
少し曖昧な口調で静江は答えた。
「あなたは当時、何歳でしたか? さっき、子供だったから証言も取り上げてもらえなかったと言ってましたね」
「何が言いたいの?」
「そのままの意味ですよ。事件の証言も聞いてもらえない子供だったあなたが、どうしてお父さんが調べていたことを知っていたのか不思議なんです。アイドルのゴシップ記事でしたっけ? それを使っての恐喝でしたか。普通、そんなことを子供に話すなんてことあるでしょうか?」
「そんなこと、たいした問題じゃないわ」
「そんな?」
「事件の後だって父の残した資料や原稿を目にすることは出来ましたから」
「資料ですか。あなたのご両親を殺した犯人たちは、ただお父さんを殺しただけで立ち去ったんですか?」
「何が聞きたいのかしら?」
「犯人たちの目的は、お父さんが調べていた事件をもみ消すことだったのでしょう? それならお父さんが調査した資料をそのまま残しておくなんて不自然じゃありませんか」
それを聞いて、静江はためいきをついた。
「あなたって若いくせに、ずいぶん理屈っぽいのね」
「あなたの言っていることには疑問が多すぎるんです」
「疑問? 事件のことを知らないあなたがどんなに疑問を持ったとしても、私の言葉に間違いはないわ」
自信たっぷりに静江は言う。そんな静江に対して、響はハッキリと告げた。
「残念ですが、あなたは間違っています」