1.ごっちゃんです
界境の長いゲートを抜けると学校であった。世界の果てが黒く染まっていた。
俺は黒い行列の最後に現れた。黒いのは学生服だ。
このように、つい、中学時代に習った川端康成を思いだしてしまうくらいには、ゲートを通る時間は長かった。落下していたはずなのに途中からは、前に引っ張られているような感触すらあった。
そして、不思議な光景が一瞬で、高校の朝礼といった景色に変わったのだ。
空は明るく空気は澄んでいて朝っぽい雰囲気で、校舎や体育館らしき建物が在る。
運動場には、大勢の学生が並んでいるから、朝礼にでも紛れ込んだかのようだ。
というか、俺もいつの間にか制服を着ている。よく見ると、通っている高校の制服とはデザインが違う。なんだ、これ?
異世界感がまったくないのだが、もしかして、日本に転移したのか?
前回は森の中で、ゴブリンに襲われている馬車の目前に転移したから、いかにも異世界だったんだけどなあ……。
運動場にいるのは全部で三百人くらいだろうか。
みんな何をしているのかと思えば、前の方で誰かが喋っているのを聞いているらしい。やはり朝礼か。
行列の隙間から窺う限りでは、教師っぽい人が何人かいるようだが、はっきりしない。
「というわけで、解散。各自、担任の指示に従うように」
俺が聞き始めたのはちょうど終わりがけだったらしい。
んー。
俺、異世界に来たんだよな?
俺の通っていた高校とは違うけど、なんか、ここ『学校』と聞いたら頭に浮かんでくるような、典型的な日本の学校にしか思えないぞ。
異世界?
日本にそっくりな異世界?
何か異世界から召喚された的なノリだと思うんだけど、違うのか?
「こら。そこの遅刻者。いったい、どれだけワシを待たせれば気が済むのじゃ」
背後から女の子の声が玉のように弾んできた。
耳をくすぐる声に惹かれて振り返ってみるが、誰もいない。
そりゃそうだ。俺は列の最後尾に現れたんだし。
「そういう、お約束のボケはいらんのじゃ。お主を呼んだのはワシじゃ」
「ん?」
ちょっと低い位置から、愛嬌たっぷりの潤んだ目が見上げてきた。
その姿を見た瞬間に俺は軽く混乱したからスキル《並列思考》で混乱はいったん棚上げ。第一印象は置いておいて、第二印象で少女の存在を認識することにした。
少女は一言で表すならソシャゲのロリキャラ。
空色のドレスには、白いフリルがたっぷり。
銀細工のリボンだろうか。髪飾りにしては大きい銀色の蝶が頭部で、陽を反射している。どういう仕掛けなのか、蝶の羽は飛び立ちかねないほど元気よくパタパタと動いている。
というか、蝶のアクセサリと服装以外は、非常に見覚えがある。
混乱も治まってきたから、改めて、少女の第一印象について考えよう。
俺の架空の妹だ。
三年くらい成長した妹という外見の少女が、ファンタジーっぽい服を着て、立っている。
「ごっちゃんです」
力士っぽい挨拶をしてきたので、俺も反射的に「ごっちゃんです」と返す。
いや、それにしても、雰囲気が似ている。
「ごっちゃんはワシじゃ」
もしかしてさっきの「ごっちゃんです」は挨拶じゃなくて自己紹介だった?
「護国舞じゃ。護国じゃから、ごっちゃんです」
「ん、ああ、俺は赤井流星だ」
「知っておるよ。赤井流星、十六歳じゃろ。赤井だから、赤ちゃんじゃ」
「それは、違うな」
「じゃあ、流星と呼ぶのじゃ」
ううむ。何で俺の名前を知っているのかとか、ここは何処とか貴方は誰とか、いろいろと聞きたいことがあるのに、つい相手のペースに乗ってしまう。
だって、ごっちゃんが喋る都度に、にぱっと微笑むから、ついこっちも頬が弛んでしまうのだ。
で、俺がほんわかしている間に、ごっちゃんが話しだすから、なかなか質問を挟めない。
「遅刻じゃー。とんでもない遅刻じゃよー」
「えっと、すみません?」
「まあ、お主は知らないことじゃから、あまり強く責めるわけにもいかんしのう」
「だよな」
「なんじゃ、さっきから妙にそわそわして。ワシが可愛すぎて緊張する?」
「えっと……」
図星です。
だって……俺の架空の妹は、理想の女子の外見を妄想していた。スキル名だって《千変万化の理想》というくらいだし。
ごっちゃんはまさに俺の好みすぎるから、緊張しちゃうのだ。異世界で何人もの女性に迫られても平然としていられたのに、どうもごっちゃんが相手だと調子が狂う。
至近距離からの上目遣いとか、喋るときにちょこんと首を傾げるところとか見ていると、抱きしめたくなってくる。
「なんかニヤニヤして、気持ち悪い顔になっておるぞ」
「あ、いや、ごめん。念のための確認だけど、ごっちゃんは俺のスキルでできた妹じゃないよな?」
「何を意味不明なことを言っておるのじゃ? ……というか、妹を作るスキルって何?!」
不味い。誤解されたら変態だと思われる。
とりあえず話をそらそう。
「あのう。それで、俺、遅刻しちゃったから……。いったい何の話をしていたのか分からないんですよ。というか、ここにいても良いのかすら分かっていないというか、なんというか。ここ、何処?」
「しょうがないのー。しょうがないのー」
ごっちゃんは得意げな笑みを浮かべてから俺の真横に張り付き、脇腹を肘でぐりぐり押してくる。
ほんと、ちっこいなー。俺のあごより下に頭があるぞ。
「説明、聞いておらなんだろ。じゃじゃん! マイ・パッドじゃ」
ごっちゃんがポシェットから取り出したのは、でかいタブレット端末だ。A4ノートくらいのサイズだけど、今どきこんな大きいのを携帯して使用しているのか。
ごっちゃんは自慢するように角度を何度も変えながら見せつけてくる。
「ほれ、ほれ。にぎがのだいようりょうの、はいてくめかじゃ。見たことある? 見たことある?」
発言がひらがなっぽい……。自慢げだけど、それ、もう三年くらい前に見た機種だわ……。
っていうか、2ギガってしょぼ……!
俺が中学時代に中古で買ったタブレット端末でも2ギガ以上あったぞ。
俺達が話し合っていると、周囲にいた男子達が群がってきた。
それを、ごっちゃんが「お主たちは寮に荷物を置いてから教室に集合じゃ」と追い払う。
どうやら、大半の生徒たちは移動しているようだ。
俺のクラスだけが残っていたようだ。すまん。俺が団体行動を乱してしまったようだ。
ん? というか、ナチュラルに「俺のクラス」とか考えていたけど、ここにクラスという概念がある? ここ、やっぱ学校なのか?
「いまの説明な。むーびーに撮ったのじゃ。遅刻者のお主に見せてやるんだよ。むふーっ」
発音がむー(↑)びー(↓)だったし、操作する手つきがたどたどしい。
モニターにはかなりでかいアイコンがあるのに、ごっちゃんの指はタッチする時間が短いのかスライドするのが早すぎるのか、なかなか目的の操作をできないでいるようだ。
いったい、なんなんだろう、この状況。
ごっちゃんの頭にある銀細工の鳥が焦ったように、わたわたと体を揺らしているのだけが異世界っぽい要素。銀細工の鳥は、ごっちゃんの感情と連動しているのだろうか。
「むう……。待っておれ。すぐむーびーを再生するからな。こんなめか、ワシにかかれば、ちょちょいのちょいじゃからな。心配するでないんだよ」
ごっちゃんは笑顔だが、口の端がややひきつっているし、こめかみのあたりから、脂汗がうっすらと浮かんでくる。上手くいかずに焦っているのか、指がぷるぷる震えて、ますます操作がおぼつかなくなっている。
「む。むにゃー。く、くにょー」
「あー。ごっちゃん、ちょっと、貸して」
「ごっちゃんです!」
「ごっちゃんです!」
元気よく言われたから、思わず鸚鵡返ししてしまった。
「その機種なら、使い方が分かるから貸して」
「む。むむ。そんなに、このはいてくめかを触りたいというのなら、特別じゃ。壊しちゃ駄目じゃぞ。大事じゃからな。ういるすとかすぱむとか駄目じゃぞ!」
タブレットを持ち上げてしまったらごっちゃんが覗けないだろうと思い、俺は運動場に座ることにした。尻が汚れるけど気にしない。
ごっちゃんが俺の両肩に手を置いて真後ろから覗きこんでくる。髪の毛が垂れてきてくすぐったい。
あ、桜の花みたいないい匂いがする……。っと、嗅ぐな、嗅ぐな、痴漢か。
「さっき撮った動画を再生するんだよな?」
「うん。校長の説明を撮ったむーびーがあるのじゃ」
タブレット端末なんてどれも操作方法は同じだろうし……こうすれば……ほら、動画があった。
再生した動画には、ごっちゃんの顔が映っていた。
「あれー? なんで、ワシ、映っちゃった?」
あー。前面カメラと背面カメラを間違えて録画したのか。俺も同じ失敗したことある。
『ここは異世界転移訓練学校である』
映っているのはごっちゃんだけど、おっさんの声がした。ごっちゃんが「校長じゃよ」と補足する。
『諸君は異世界に召喚された若者だ。異世界に行く前に、ここで一か月間、教育と訓練を受けてもらう。これは、諸君が最初に遭遇したザコモンスターに殺されないようにするためでもあるし、飯すら買えずに餓死したりせんようにするためでもある。異世界に召喚されたら、努力しなくても強いなんてことはない。覚醒して強くなるための下地は、この異世界転移訓練学校で訓練して、身につける必要があるのだ! お主達は、今は、何処にでもいる平凡な若者だ。だが、一か月の訓練の後に、世界の救世主になれる資質を秘めておると、私は確信する!』
細かいことは担任に聞くのだという締めの言葉で動画は終わった。
上から覗きっぱのごっちゃんにタブレット端末を返す。
「異世界に行く前に必要な教育と訓練をしてくれるっていうのは分かった。で、何で学校なんだ? ここ、日本の学校っぽいけど?」
「うむ。ここは異世界に召喚された者の中でも、日本人専用の教育施設じゃからな。お主らに過ごしやすいような外観や内装になっているのじゃ。隣には、社畜用の学校もあるが、デザインはオフィス風なのじゃ」
「なるほど」
うーん。ごっちゃんの容姿は年下っぽいんだけど、言動から察するに、どうもこの不思議な学校の教師っぽい。
もしかして、年上なのかな? 教師っぽいし、敬語を使った方がいい? 年下の女子のような気もするし、つい、敬語とタメ口が混ざってしまう。
「少し移動すれば、悪魔やモンスターがうじゃうじゃぎょーさんたむろしておるところもあるのじゃ」
「悪魔? 悪魔やモンスターも生徒なのか?」
「うむ。奴等も人間と同じように召喚されたり転生したりしておるでな。ここのライバル校で、魂と力とを交換する契約の概念やら、種族ごとの戦闘方法などを教えておるんじゃよ。なんでも最近はオークやゴブリンの実技授業が大人気で、教師も大変らしいのじゃ」
「ゆっくり教育なんかしていたら、俺たちを召喚した人は困るんじゃないか? 訓練期間、一か月って言ってたよな?」
「問題ないのじゃ。この世界は時間の流れが非常に遅いんだよ。他の世界に比べると、ほとんど止まっているんだよ。みんなは召喚された時間に異世界へ行くことになるんだよ! 記憶が消されるので、主観では召喚されたら即、異世界になるから、この世界などなかったことと一緒じゃ」
「じゃあ逆に訓練が一か月って短くないですか?」
「学校全体に訓練効率が上がる魔法がかかっているから問題ないのじゃ。それに、人によってはこの世界にいるうちに神様とコネを作って、とんでもチートスキルを貰ったりするのじゃ」
「ごっちゃんは小っちゃいのに偉いなー」
俺がごっちゃんの頭をなでなでしていると「やめるのじゃ!」と手を叩かれた。
やばい。妹と似ているから、つい手が出てしまった。あまり怒っているわけではなさそうなので、一安心。
「もう、教師の頭なでなでなんて、厳重注意じゃよ?!」
……ん?
異世界に転移する人間が事前に訓練するっていうなら、もしかして俺って、記憶が消えているだけで、この世界は二回目?
「二回も異世界に転移する人っています?」
「普通は一回じゃよ? 特に最近は異世界に住みついちゃうパターンが多いしのう……。お主みたいに日本に帰る方が激レアじゃ」
「みんな普通の高校生?」
「そうじゃよ。ワシはA組、通称「何処にでもいる普通の男子高校生」クラスの担任じゃ」
なるほど。二週目の俺が学校でチートする展開か。
よし、俺が既に世界を救えるくらい強いことは内緒にしておこう。
「うむむ。お主、自分だけ二週目で楽ができるとか、考えておるであろ。そうはいかぬのじゃ。成績優秀者は学級委員長として、わしのお手伝いじゃ」
転移初日の体力測定で、俺は手加減していたのに歴代最高記録を更新しまくってしまい、ごっちゃんの目論見どおりA組の学級委員長になるのであった。