高尾
学校はバックレて帰ってきた。
昼前のことで、家には誰も居ない。腹は空かないが何かを入れておかなきゃならん。冷蔵庫を開けた……が、諦めた。
食う物がない。いや、今の俺が、すぐに食えそうな物がないんだ。
……点滴したから、良いよな?
そう思っても、母親の何か言いたげな顔が思い浮かぶと、そういうわけにもいかねぇかと思い直す。
ん、ひとまずコンビニを目指そう。
俺はパーカーとジーンズパンツを身に着けて、ランニング用のスニーカーを履いた。いつもは本を読んだりゲームするのにしか使わない眼鏡をかけ、フードを深く被る。
どうせ一番近いコンビニだから、誰かにはバレるだろうけど、一応変装だ。
……高尾の母さんとか、うるさい人に会いませんように。
と、思ったが安定のクズ運だわ。
高尾本人が居やがる。学校行けよ!
しかも子分付きだ。腰巾着どころか、たくさん居るから金魚のフンだな。橘とかな!
回れ右して回避しようとしたら、聞き捨てならない台詞が耳に飛び込んできた。
「ほら、これこれ、『死にかた』ってヤツ! やっと見つけたぜ~」
「うわ、キモ~! キモくない?」
「ちよっとやってみよっぜ?」
橘と高尾、ほか男2、女1だ。壁に寄っ掛かってアイス食ってる高尾以外はしゃがんでるか座り込んでるか。
橘が見つけて入力しようとしてんのが本物だとしたら、もしかしたら、こいつも死ぬ、のか……?
「誰の名前でやってみんよ? 赤松?」
「やめろよ~」
「まぁまぁ、赤松から順番な!」
「マジか~」
橘はホントに下衆だな。前から雑魚っぽいとは思ってたけど。
「じゃあいくぞ」
「……やめろ」
「!?」
俺が橘に摺り寄り、喉仏に人差し指で軽く触れると、雑魚ども……いや、金魚のフンか。奴らの目が見開かれる。
気付かなかったんだな。そりゃ悪かった。
「な、な、なんだよ! おまえには関係ねぇだろ!」
「死ぬぞ?」
「は……?」
「名前入れたら、死ぬ」
橘は動かない。いや、動けないが、他のフン共はさっさと俺たちから離れて遠巻きになった。薄情だな。笑いが出るぜ。
「信じてんのかよ! バッカじゃね?」
「なら、自分の名前でやれよ。橘、クン?」
俺が喉仏を引っ掻いてやると、橘クンはえらく大人しくなった。おうおう、まな板の上の雑魚だな。
そこへ、サル山のボスが登場とばかりに高尾が割り込んできた。
「橘放せや、陰険クソ眼鏡」
「タカオくんっ!」
「……眼鏡違うわ、遅漏が」
「ああ!?」
「あン?」
「ひぃぃ……」
高尾に向き直った時に、俺の肘が橘の後頭部をかすめたらしく、橘は悲鳴を上げて四つん這いで逃げた。
「やんのか? あ?」
「……らねーよ、タコ。欲求不満かっつーの」
挑発する高岡、笑い飛ばす俺。俺たちはしばし睨み合った。
……身長ある奴は良いよな。ったく、高尾も冴島も、孟宗竹みたいにぐんぐん伸びやがって!
ちょっと俺にも分けてくれ。マジで。
「チッ!」
「ふん……」
高尾は俺には勝てない。
それはコイツが一番良く分かってる筈だ。
子分の為に体張ったんだとしても、俺にボコされちゃ意味ない。俺だって憂さ晴らしに幼馴染を殴る蹴るする趣味はない。
高尾がポケットに両手を突っ込んで去っていくと、金魚のフン共も、それを追いかけていった。
な~んか、一気にやる気がなくなったな……。
コンビニの裏の自販機に、いつも冴島が飲んでいた飲料を見つけて、それを買って帰った。
学校であった出来事は、丸っと親に報告されていた。説教なんざ聞きたかないので、部屋から出るに出られなくなった。篭城、だなこりゃ。
飯は……食えないから関係ないとして、水やら何やら、必要なものは届けられていた。
一日のほとんどを寝て過ごし、スマホで冴島とのやり取りを見返したり、『死にかた』の画面を眺めてみたり。
ネットの掲示板にある情報はやっぱり当てにならないし、学校の裏サイトはガセネタだらけ。
結局どっちもどっちだ。
母親は時々、「正芳はどうしたいの?」ってドア越しに聞いてくるけど、どうしたいもこうしたいも無い。ただ、何もする気が起こらないだけだ。
ぜんぶゆめならいいのに。
もう一人の自分が言ってる声が聞こえる。
背中合わせの俺と俺。
夢なワケ、ない。
陽も落ちきる寸前の夕闇に、窓ガラスに映った俺はまるで骸骨みたいだった。
笑える。死因は餓死だな。
そりゃあ親父も俺を引きずって病院に行く筈だわ。
久々に窓を開けたら風が気持ちよかった。
ふと、見下ろすと高尾の姿が道の途中にあった。声をかけてもいないのに、俺を振り返る。
舌打ち一つして、奴は石垣の陰に消えた。
「ベッコウ飴……」
アイツの提げてたスーパーのレジ袋から、ベッコウ飴の袋が見えた。
毎日部屋の前に置いてあったあれはアイツの差し入れかよ。昔、好きだったやつ。
ったく、天邪鬼な幼馴染サマだ。
……飴を買って食わせるなんて、幽霊女か、オマエは。
絶食生活の中で、水以外に口にできたのが、冴島の好きなソフトドリンクとあのベッコウ飴だった。
すごく久しぶりに高尾に感謝した気がする。
「あー、きっつ……」
目眩がして俺は床にしゃがみこんだ。
現実逃避もほどほどに、だな。
そろそろ、生き返る時間だ。棺おけに別れを告げて、現世に戻らないとな……。