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第八話・「答えてよ!」

 薄暗い映画館の中で、俺と佳乃は中央の席を確保する。人気がない映画なのか、場内は閑古鳥が鳴いていて、まるで俺と佳乃の貸切のようだった。

 右に座る佳乃と、左に座る俺。その中間にポップコーンを置いて、二人の両翼にはキャラメルマキアート。


「佳乃、そんなにパンフレットばっかり見てると、映画が面白くなくなるぞ」


 俺はポップコーンを口の中に放り込む。


「あ、この主人公の女の子かわいいね」


「ああ、そうだな。結構人気があるみたいだぞ。最近流行りのツンデレだし。ちなみに、主人公はその女の子じゃなくて、地味な中央の男だからな」


 パンフレットの表紙を指し示す。


「ふ〜ん、仁君もツンデレ好き?」


 口に運ぼうとしたポップコーンを取り落とす。ポップコーンは俺のひざの上を転がって、足元に消えていった。


「べ、別に……好きになったやつがツンデレだったら、ツンデレが好きになるだろうし、幼馴染だったら幼馴染が好きになる……と思う」


 閉じたパンフレットで鼻から下を隠す佳乃。

 それは明らかな照れ隠し。


「キャラメルマキアート……ちょっと甘すぎるかも」


 甘すぎると言いつつも、佳乃はストローを離さない。そんな佳乃の横顔が駄々をこねる子供のようでかわいらしく思えた。

 照明が光量を失い、二人を暗闇が包んでいく。

 胸が高鳴っているのは、これから始まる映画への高揚感ではない。

 首筋に当てられた決断という白刃。先程の佳乃の発言に、二日後に訪れるだろうその瞬間を垣間見せられたような気がしたからだ。

 冗談で返すこともできず、ただ優柔不断に身を任せてしまったのもそのため。


「仁君、携帯電話、マナーモードにした?」


 佳乃の声で我に返る。目に飛び込んできたのは、来春公開予定の大作映画の広報映像。総制作費百億円という大々的な文字がスクリーンを躍る。映画名を読み上げる外国人の流暢な英語が、映像の最後を締めくくった。


「俺、今日は佳乃と会ったときから電源切ってるから。佳乃こそ、そんなこと言って上映中鳴らすなよ?」


「私の携帯電話は、今頃、私のベッドの上かな。最初から持ってきてないもん。それに……仁君といるときは、携帯電話いじったりしたことないよ」


 スクリーンは、冒頭、遅刻をしたらしい主人公が玄関のドアを開けるシーンを映し出している。スクリーンの光を受けて七色に輝く佳乃の表情。

 主人公がヒロインに殴り飛ばされるシーンでは、痛みに呼応して表情を歪め。

 親友が主人公を送り出すシーンでは、目頭を熱くさせ。

 物語のクライマックスでは、目じりに浮かべた涙が頬を伝った。

 俺が見ていたのは、映画なんかではなかった。

 生まれてから、今まで、ずっと佳乃を見てきた。佳乃の姿を見ない日なんてなかった。

 振り返れば佳乃はいたし、名前を呼べば佳乃は返事をしてくれた。そこにいるのは当たり前なんてうぬぼれたことも、本気で思えてしまうくらいに、佳乃は俺の当たり前だった。

 佳乃という人間をこれほど真剣に見つめたことはない。

 失うかもしれないと分かって、やっと俺は佳乃の存在は当たり前ではないという危機感を持って見つめることができた。

 今更。本当に今更。

 誰しも、失ってから気がつくということが分かっているのに、実際問題、それを身近に認識している人間はいない。知識は経験とは違う。分かったふりをしているだけで、実際には分かっていないだけ。

 俺も例外にもれることはなかった。

 喜ぶ佳乃、怒る佳乃、哀しむ佳乃、楽しむ佳乃。それが次の瞬間には消えてしまうような気がして……。気付けば、佳乃の姿が陽炎のように揺らめいていた。


「仁……君?」


 佳乃の手を握り締める。

 無意識に動いてしまった右手が、佳乃の左手をつかんで離さない。佳乃が映画に熱中していたことが、その体温から分かった。ほんのりと熱を帯びた佳乃の柔らかい手。体温が俺の手の中から流入してくるたび、俺の心に刺さったとげが内部に押し込まれていく。


「ごめん、映画観ないとな」


 映画に没頭するふりをした。佳乃はそんな俺を不安げな眼差しで見つめる。

 しかし、俺が視線を戻す気がないことを知ると、自らも煮え切らない表情で映画に戻るのだった。

 ……正直なところ、デートなんてどうすべきかなんて分からなかった。

 佳乃以外の女の子と遊んだこともなければ、恋人関係に発展したこともない俺だ。シチュエーションとか、エスコートとか、恋人の理想の筋道なんて分からない。

 だから、俺と佳乃はいつも通りのはずだった。文明開化に沸き立った当時の人々のように、佳乃が目を爛々と輝かせてウインドウショッピングをして回る。俺はそんな佳乃を悪態をつきながら見守って、ああでもないこうでもないと愚痴をこぼす。佳乃は頬を膨らませながらも、次の瞬間には俺の手を引いて笑っている。

 もし、俺と佳乃のこういった行動がデートだとするならば、きっと俺たちは毎日デートしていたのだろう。

 登下校、昼休み、放課後……。佳乃といない日はなかったのだから。顔をあわせるたびに笑っていたのだから。俺たちはずっとデートしてきたのだ。幼いころから、ずっと。

 ……ただ、悲しいことに、俺がそれに気がついたのは、日も傾き始めた電車の中。

 満員の電車の中で俺のジャケットをつかみながら、必死に横揺れに耐える佳乃を見下ろしていたときだった。

 俺はつり革に両手でつかまり、佳乃はそんな俺につかまっている。樹木にしがみつく蝉のような格好で、二人は電車に揺られていた。ハプニングも何もなく、ありふれた日常の如く過ぎていくデートの時間。

 俺が佳乃を暴漢から救うこともなければ、転んだ佳乃の胸に触れてしまうこともない。ただ楽しいだけの時間が過ぎて行くばかり。

 それでいいと思える。それでいいはずなのだと胸を張れる。

 なのに、俺の中では焦りだけが募っていった。


 ――最後の二日間。


 その一日目が終わろうとしている。

 電車を降りて二人で家路につくころには、すっかり町は闇にのみこまれていた。

 道行く人間が足早になる中で、俺と佳乃の足取りだけはどこか緩慢。それは別れを惜しむ恋人というよりは、恐怖に震えるヘンデルとグレーテルのようだった。


「昔、よく遊んだね、この公園で」


 駅前からずっと無言だった佳乃が突然走り出したので、俺は何事かと首をめぐらす。

 佳乃は公園を照らす電灯の袂で、くるくると回って見せた。明らかに奇妙な光景なのに、俺はそれを舞台で踊るバレリーナのようだと思った。誰よりも気高いプリンシパル。そんな風に評させたのは、幼馴染ゆえの贔屓目ではない。

 回りすぎて転びそうになる佳乃が、俺に舌を出しておどけて見せる。


「あ、この電灯……もう消えそうだね」


 公園の中央にあるたった一つの電灯が、寿命を迎えようとしていた。その真下にいる佳乃の姿が、点滅しているように感じられた。

 それは不吉な暗喩のように思えて、俺の心がざわつく。

 電灯を見上げる佳乃の姿は、どこかはかなげで、次の瞬間、佳乃は闇の中に消失してしまうのではないかという漠然とした不安に駆られる。


「仁君……今日はありがとう。すごく楽しかったし、嬉しかったよ」


 佳乃が後ろで手を組みながら、にっこりと笑う。


「仁君といられたからかな……眠くならなかったし。仁君も分かってると思うんだけど、最近どうしても急に眠くなっちゃうの。せっかく仁君のお弁当を作ったのに、いつの間にか食べちゃってるし」


 小さな握りこぶしで、自分の頭を小突いてみせる。


「自分のことなのにね」


「そんなことない。俺だって、自分のことでわからないことなんてたくさんあるし、佳乃もそれは同じだろ?」


 佳乃の不安を取り除こうと躍起になっている俺がいた。


「ありがとう、仁君。フォローうれしいな」


「フォローじゃない!」


 俺の声におびえるかのように電灯が明滅した。佳乃は俺の怒声に答えることはせずに、ブランコに腰掛けた。錆付いたブランコの鎖がこすれる。

 ……耳障りな音だった。


「今日家に帰ってね。仁君との一日を思い浮かべるの。映画館で手を握ってくれたこととか、一緒にいろいろなものを見て回ったこととか、こうして二人でお話したこととか……」


 佳乃が反動をつけると、ブランコは大きく前後に揺れた。


「仁君の真剣な顔、仁君の苦笑い、仁君の恥ずかしそうな顔、仁君の……」


 仁君、仁君、仁君……。俺の名前をうわごとのように繰り返す。


「繰り返し、繰り返し、仁君の一つ一つを思い浮かべるんだよ」


 佳乃は勢いのついたブランコから手を放し、前方にジャンプする。着地はきれいに決まり、佳乃は両手を空中に高々と突き上げた。体操選手さながらだった。

 しかし、完璧に決まった着地のはずなのに、佳乃の表情に笑顔はない。

 それどころか。


「――でも、仁君の笑顔が思い出せないの」


 佳乃は悲痛に微笑んでいた。


「どうして思い出せないのかな……?」


 佳乃が俺にゆっくりと近づいてくる。幽霊の如くふらふらと、たどたどしく。


「それって、今日、仁君が一度も……心の底からの笑顔をみせてくれなかったからだよね……?」


 俺のジャケットの袖をつかんで、揺り動かす。


「仁君は、どうしていつもみたいに笑ってくれないの?」


 ……俺は甘かった。

 約束を果たすとか、一歩を踏み出したとか。

 言葉で言うよりも、考えていたよりも、直面した現実は強大だった。生易しい決意でどうにかできることではなかった。


「どうして今日誘ってくれたの?」


 俺の視界が佳乃の力で揺れていた。俺たち二人を照らす電灯の光が、最後の力を振り絞る。


「どうして、そんな悲しい顔をするの……?」


 今日一日、俺はいつも通りだったはずなのに。最高のデートをしようと誓ったはずなのに。

 どうしてこんなに辛い気持ちになるんだ。

 どうして佳乃は泣いているんだ。

 どうして俺にすがるようにして苦しんでいるんだ。

 どうして笑うことができなかったんだ。


「どうして……どうして? 仁君……!」


 最後の二日間。

 でも、各々に与えられたのはたった一日だけ。

 幼馴染の佳乃と、悔いのない一日を過ごすことができたか。

 最高の一日を過ごすことができたか。

 分からない。


「仁君!」


 分からない。


「答えて!」


 答えられない。答えがない。


「答えてよ!」


 電灯の光が費え、俺たち二人は闇に飲み込まれる。

 最後の二日間――その一日目が終わった。


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