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第七話・「絶好のデート日和」

 カーテンの隙間から、休日の朝日が注ぐ。

 映写機から放たれる真っ白な光に似たそれは、細かいほこりを映し出す。舞い降りることもできずにゆらゆらと漂うさまを見ていると、室内の空気がよどんでいることが分かる。


 ――負けられないのよ。私も、あの子も。生きて、仁と添い遂げたい。それだけが、私とあの子の共通の願いであり、譲れない想い。


 頭の中で自動再生する。ビデオテープのように擦り切れることもなく、鮮明に記憶された映像。


 ――それこそが、ずっと変わらない二人の気持ちよ。


 俺は停滞した空気を開放することもせずに、残り香のあるベッドから体を起こす。

 最後の二日間。

 ふとそんな言葉が頭をよぎり、俺は頭を振る。


 ――デートしなさい。これは命令よ。


「絶好のデート日和だな……」


 思い切って開けたカーテンの外は、突き抜けるような蒼穹だった。


「本当に、絶好すぎるくらいに」





「仁君が誘ってくれるなんて、珍しいね」


 俺に半歩遅れながら隣を歩く佳乃。

 デニムのショートパンツに、すかし編みの黒いチュニック。佳乃にしては少々大胆にも取れる格好に、俺は待ち合わせ場所であっけに取られた。


 ――仁君〜!


 恥ずかしげもなく遠くから大手を振る佳乃が、何人の男の視線をひきつけたことか。公衆の面前で大声を上げたこともそうだが、男衆の目を長くひきつけることができるのは、それだけが理由ではない。

 ショートパンツからのぞく太ももの白さ、そして張り具合。肉付きがいいということではなく、すっきりと締まっていて、俺は改めて自分の幼馴染に感嘆の念を覚える。

 ご主人様の投げたボールを取ってくる忠犬のように、喜び勇んで小走りになるものだから、見ているこちらが恥ずかしくなるくらいに、チュニックを押し上げる二つの双丘が上下する。

 決してやましい光景があるわけでもないのに、俺は顔が熱くなった。佳乃に手を振ることさえためらわれてしまうのは、俺が明らかに佳乃に釣り合っていないからだ。

 俺が佳乃に対してアクションを起こしたのは、佳乃の履く黒いパンプスの音が、耳元で聞こえる距離になってからだった。


 ――ごめんね、準備に時間がかかって遅れちゃった。


 苦しそうに肺を押さえて苦笑いする。


 ――急に仁君が誘うんだもん。早めに言ってくれないと困るよ……コーディネートとか、メイクとか……その……心の準備とか、あるんだから。


 太陽から注がれる光で、佳乃の胸で一片の葉をあしらったネックレスが光る。

 言われて見ると、確かに念入りに準備したことがうかがえる。普段は化粧すらろくにしていない佳乃が、今日はほんのりと肌を染め、薄紅色のルージュが、湖面に反射する光のように存在を主張していた。


 ――仁君?


 佳乃がつけたフレグランスが、俺の鼻先をくすぐる。まるで、ダージリンティーのような匂いだ……と、飲んだこともないのに見栄を張ってたとえに使うのも、どこか虚しい。


「仁君が誘ってくれるなんて、珍しいね」


 佳乃を見つめることすら恥ずかしくなった俺は、佳乃の姿に感想すら言うことができない。ただ、毎日の登校のようにさっさと目的地へ向かうだけ。

 佳乃はそんな俺に少しだけ寂しそうな笑顔を向ける。


「仁君は、いつもどおりだね。なんか、私だけ舞い上がってるみたい……」


「そんなことないぞ。俺だって緊張してる」


 ロボットダンスのように、俺の首が回転する。そんな俺に安心したのか、佳乃がジャケットの袖をくいくいと引く。


「あのね……実は私も少し恥ずかしいんだ」


 前髪の隙間からのぞく上目遣いが、なんとも愛らしい。


「こんなに肌を出して歩いたことないから……。だからね、いつもこんな格好してるわけじゃないんだよ。ちょっとだけ、勇気をね……ふり絞ってみたの」


「そ、そうか」


 誰でもいいから、今の佳乃の言葉に対する理想の返答を教えて欲しかった。

 俺の経験上――主に二次元――を駆使しても正解は得られない。

 そうか……って俺は馬鹿だ。気が利いた褒め言葉の一つも言えない自分の情けなさに改めて嫌悪感。


「うん……そうなの」


 ジャケットの袖から手を離した佳乃が、恥ずかしそうにうつむいてしまう。

 正面から歩いてくる男性群が、すれ違いざまに佳乃をちらりと見て、背中を向けたあとも振り返って二度見しているのだ。


「こんな細身で小柄な体に、凶悪な兵器を二つも装備していれば、それは当然か……」


「仁君、私、兵器じゃないよ」


「いやいや。ある意味で兵器なんだよ、うん」


 ……と言うか、声に出ていたのか。てっきり心の中だけかと思っていた。


「仁君?」


「あ、こっちのことこっちのこと」


 俺は頭をかいてとぼけて見せる。


「で、ときに佳乃」


「何?」


「今日の予定だけど」


 佳乃の耳がウサギのようにぴくりと跳ね上がる。


「その、思いついたのが昨日でさ。俺のほうもなかなか準備できなかったんだけど」


 ツンデレ佳乃の叫びがよみがえり、胸にとげが刺さる。


「私は気にしないよ。だって、仁君とお出かけできるだけで嬉しかったもん」


 幼馴染、恐るべし。

 俺の長年の熱心な教育の賜物か、ここぞというときに凶悪なワードを投げかけてくる。言葉尻の『もん』や、名詞の頭に『お』をつける――ほかにも、泥棒さん、と、あえてさん付けで呼ぶのもひとつの手だ――など、どことなく二次元的な可愛らしさを演出することが身についている。

 ……というか、解説していて虚しくなってくる。今日の俺は虚しくなってばかりだ。

 俺は大きく咳払いをする。仕切り直しだ。


「まず映画を見る。それから食事する。それからは……サプライズだ」


「仁君、本当に考えてなかったんだね。それってデートの王道だよ」


 言い切ったところで、佳乃ははっとして口をふさぐ。


「まさか仁君、これってデート……なの?」


 のどにもちを詰まらせたら、きっとこんな風に顔を赤くするんだろうな……そんな不吉なたとえが俺の頭の中に浮かんだ。


「まぁ、今更だけどそうなるかな、一応」


 頬を人差し指でかきながら、俺は目をそらす。佳乃は手で顔をサンドイッチのように挟みこんで、狂喜にもだえている。


「で、映画だけど」


 引率の先生のように手をたたき、佳乃に落ち着きを取り戻させる。


「うん、どんな映画かな?」


「はい、これ」


 俺は胸ポケットに忍ばせておいたチケットを取り出して、佳乃の前に差し出す。


「ええと……『スクール・オブ・ザ・デッド』……ホラー映画?」


「ああ、俺の好みで悪いけど典型的なB級和製ホラーだ」


「どんな映画なの?」


「ん〜……ツンデレが化け物をばったばったと倒していくアクションものだった気が」


「ところで、仁君、サプライズって――」


 スルーされて悲しいなどとは言うまい。

 言わないぞ、俺は。


「私なりに意訳すると『行き当たりばったり』に聞こえるよ」


「まったく、おっしゃるとおりで」


 俺は立ちながらに両手をあげて、土下座するまねをする。


「ううん、がっかりなんてしないよ。仁君が急に誘ってくれたってことは、思い立ったが吉日なんだよね。その相手になれただけでも、私は嬉しいから。たとえC級映画だって、仁君と一緒なら満足だよ」


 映画のランクが下がっているぞ、佳乃。いくらなんでも作者がかわいそうだ。


「ね、ポップコーン買おうよ。キャラメルマキアートを飲みながら見ようね」


 俺の腕を取って走り出す佳乃に、前のめりになりそうになる。


「映画館の飲食物は高いんだよなぁ……」


 飲食を我慢すれば、もう一本映画を見ることができそうなほどに。


「もう、けちけちしないんだよ。映画は、雰囲気も料金のうちに入ってるんだから」


 佳乃の小柄な体が、俺を引っ張っていく。道行く人ごみを押しのけていくから、俺はぶつかる人たちに頭を下げっぱなしだ。外国映画で描かれる極端な日本人像さながらの風景。


「すいません! ……あ、ごめんなさい!」


 ぶつかってしまった人に頭を下げ続ける俺の視界の隅に、佳乃の笑顔がある。

 胸に刺さったとげから、じくじくと血が漏れ出しているのが理解できた。

 楽しくて、嬉しくて、そして恥ずかしくてたまらないデートなのに、俺にはそれが終わりの始まりのような気がして、やるせなくなる。


 ――最後の二日間。


 寝起きの朝にふと思いついたフレーズがよみがえる。


「……佳乃、ごめんな」


 佳乃を誘ったのは俺じゃない。

 確かに誘ったのは俺だけど、そう差し向けてくれたのは、他ならないもう一人の佳乃なんだ。


「仁君? 何か言った?」


 俺一人では何もできなかった。気が強くて、わがままな、もう一人の幼馴染が背中を押してくれなければ、きっと俺は一歩たりとも前に踏み出せなかった。


「アホ佳乃! 前見て走らないと……」


 ――関西人にとって馬鹿ってのは結構傷つくのに! せめてアホにしなさいよ!


 意識しないうちに出た言葉に、自分でも驚いてしまう。


「女の子にアホって言うなんて……ひどいよ仁君」


 涙目になりながらも、佳乃は俺の手を離さない。


「でも、なんでかな。馬鹿って言われるより軽い気がするよ」


 笑顔。

 万華鏡のような、多種で華やかな佳乃の表情が、本当にまぶしく感じられる。

 俺は佳乃に引っ張られて空回る足に本腰を入れて、逆に佳乃の手をとって先導する。

 確かに俺は、一人では一歩を踏み出せなかった。

 でも、それでも、一歩を踏み出すことができた。


「わっ! 仁君、早いよ!」


 佳乃の細くて柔らかな手のひらを握り締めながら、俺は映画館に飛び込んでいく。

 佳乃が好きだから。

 この世でたった一人の幼馴染が好きだから。

 俺は君との約束を果たすよ。

 これは最後の二日間なんかじゃない、最初の二日間なんだ。


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