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第三話・「ただの宣戦布告」

 佳乃が教室を去ったのは授業中。

 真面目に授業を聞いていた佳乃が、思い立ったように立ち上がった。


 ――体調が悪いから、保健室で休んでくるわ。


 普段の佳乃からは想像もつかない強い口調で、数学の教師に突きつけた。それにはさすがの数学教師も、口をあんぐりとあけてうなずくしかなかった。

 普段の佳乃は明るくて、面倒見が良くて、誰もが理想とする完璧な幼馴染だ。そんな彼女を知っているから、余計に驚いたのだろう。数学教師が教鞭を落とすのも当然だ。


「……って、佳乃のやつ、どこに行ったんだか」


 昼食を催促する胃袋を押さえ込みながらひとりごちる。


「保健室にもいない、一階にも二階にも、学食にもいない。となると……」


 俺は、最後の望みとばかりに屋上の扉を開けた。


「いた」


 佳乃は青空の袂で、風を一身に受け止めていた。

 肩まで伸びた美しい黒髪がそよ風と戯れている。風が強く吹けば顔にかからないように髪を押さえる。その一連の動作さえ美しい。どこか気だるげに転落防止の金網に指を通し、外界を眺めている。校舎にぶつかり、足下から吹き上げる好奇心旺盛な風が、佳乃のスカートをなびかせるから、俺はついつい彼女のスカートの内側に目がいってしまう。

 白地に黒の水玉。あの輝き方は、おそらくポリエステル素材。値段の手ごろなところを選んでいるのも佳乃らしかった。見るのは初めてだったが、佳乃らしさが出ていて可愛らしい。


 ……いや、そんな描写はいいとして。


「なぁ、俺、午後の戦に備えないといけないんだけど」


「ああ、弁当? 美味しかったわよ。でも私には少し量が多かったわね」


「え?」


 佳乃の視線が奥にあるベンチに向けられたので、俺も無意識のうちにその視線を追う。

 そのとき俺は。

 俺の心が潰れる音を聴いた気がした。


 ――ぐううううぅ……。


「仁の胃袋はかわいい声で鳴くわね」


「胃袋違う! 潰れたのは心だ!」


 金網から手を離して、俺の胃袋を馬鹿にする佳乃をまくし立てる。


「お前食べたな? 俺の弁当、食べたな?」


「食べたわよ。私が作った弁当だもの、食べて当然だと思うけど」


「否! 断じて否! いいか、あの弁当は佳乃が俺のために作ってくれたものなんだぞ。それをお前が食べていいなんて理由はないんだぞ!」


 怒りに肩を震わせる俺に対し、呆れたように肩をすくめ、鼻を鳴らす。


「私も佳乃なんだけど」


「いや、それは分かってるけど、なんと言うか、佳乃であって佳乃じゃないというか。佳乃Aに対して佳乃Bというか、表佳乃に対して裏佳乃というか……」


「何そのオタクっぽい表現……キモイいんだけど」


 一刀両断。

 俺は肩を落として、屋上のコンクリートにくずおれる。

 気持ち悪いと言われるよりも、キモイと言われる方が傷つくのはなぜだろう。


「お、俺の弱点を容赦なく……俺のハートがそこはかとなく傷ついたぞ」


「ま、弱点ぐらいは分かるわよ。佳乃との記憶を一方的に共有してるし。……佳乃は私のことを知らないけど、私は佳乃のことを知っている……悪平等よね」


 ふと、佳乃の表情が曇る。


「……仁と会ったのって、いつくらいかしらね」


「生まれたときから、隣に住んでただろ」


 佳乃のついた大きなため息が、屋上から校庭に落ちていった。


「あ、いや……佳乃が事故で心臓を移植したのが七歳の頃だから、大体……」


 腕を組んで、思い出の引き出しを開ける。


「かれこれ、十年くらいになるのかな」


 事故以来、佳乃はいつでも自分の財布の中にドナーカードを忍ばせている。誰かに生かされた分、誰かを救えたら。そんな佳乃の意思表示なのかもしれなかった。


「長いと思わない? 十年って」


 ニヒルな笑みが佳乃の唇をゆがませた。握り締めた金網が軋みをあげる。


「ねぇ、聞きたい?」


 俺はうなずくことをしなかった。うなずいても、うなずかなくても佳乃はその先を言うことが分かっていたから。それは、今まで付き合ってきた年月を物語っていたし、それがたとえ幼馴染の佳乃であっても、ツンデレな佳乃であっても、同じことだった。


「最近ね、あの子と入れ替わることが難しくなってきてるの」


「まさか。好き勝手に佳乃と入れ替わって、自由にしてるじゃないか」


「そうね、確かにそうかもしれないわね」


「藪から棒になんだっていうんだよ」


「あらかじめ言っておくけど」


 金網を握り締めたまま、顔を前髪で隠す。

 前髪の中に消えた瞳はどこか不安げなように見えた。

 それを払拭するように、顔を上げて俺を真正面から見据える。


「――こう見えても……私、仁のこと好きだから。佳乃には負けないから」


 都合よく吹いてきた突風は、やはり都合よく佳乃の言葉をかすめとっていった。


「へ? 今何て?」


 そして、俺はさも当然のごとく、彼女の言葉を聞き逃すのであった。まるで俺の人生を、運命をもてあそぶ神様でも存在しているかのように。

 ただひとつ、俺の視界をさえぎるものはなかったから、佳乃の姿だけは知ることができた。


 胸に手を当て、真剣なまなざしで。

 頬をこわばらせて、少し赤みが差した顔で。

 堪えるように、苦しそうに彼女は俺に告げていた。


「……別に。ただの宣戦布告」


 その印象的な姿で投げかけた宣戦布告を、俺は聞くことができなかったのだ。


「佳乃?」


 くるりと背中を向けた佳乃に問いかけるが、佳乃は何も言ってはくれない。そのまま佳乃はベンチへと歩いていき、弁当を持ってこちらへやってくる。


「受け取りなさい」


 空の弁当箱を俺に突きつける。


「自分で食べたんだから、自分で片付けろよ」


「いっ、いいから受け取りなさい!」


 俺の胸に押し込めた弁当箱には、確かな重量感。首をひねりながら弁当箱を紐解くと、中身はきれいに二分されていた。

 ご飯も半分、おかずも半分。

 すべてが均等に分けられている。その中で、俺が好きな玉子焼きだけがきれいに半分にならずに顕在していた。


「佳乃、これって……」


「ただの食べ残しっ! ……言ったでしょ、量が少し多かったって」


 目をそらしながら前髪をいじる。


「悔しいけど、美味しかったわ。さすが佳乃ね」


「いや、佳乃はお前だろ」


「そうだけど、そうじゃないのよ! 例えるなら佳乃Aと佳乃Bってところね」


「もうやったろ! それに、俺の面白いボケを盗むな。いいか? 著作権の侵害は三年以下の懲役または、三百万円以下の罰金なんだぞ。ネットに無断アップロードとかもしたらいけないんだぞ。分かるだろ?」


「……そんな話どうでもいいんだけど」


 興がそがれたのか、眉をひくつかせている。


「じゃあ、話を変える。佳乃は盗作をどう思う? 俺、過去の作品を盗作することは良くないと思うんだ。百歩譲って盗作するのなら、せめて視聴者に分からないように巧みに盗作してほしい。それが製作者ってものなのに」


 悲しみの次には、怒りと憎しみがこみ上げる。

 このやり場のない怒りをどこへやればいいのか。


「オタクの戯れ言はいいから、弁当食べたら? いい加減付き合うのも疲れたんだけど」


「――だからツインテールにしてくれ!」


「何がだからよ! 支離滅裂もいい加減にしなさいよっ!」


 佳乃の容赦のない回し蹴りが繰り出される。スカートが翻ったかと思うと、俺の前髪がはらはらと落下していった。受ければデッドエンド確定の威力。


「アンタのオタっぷりには、いい加減にうんざりなのよ」


「……ご、ごめんなさい」


「分かったなら、ベンチに座りなさい」


 尻餅をつく格好で回し蹴りをよけた俺に命令する。佳乃はすでにベンチに座っていた。自分の横の空席を、不満げに手のひらで叩いている。


「ほら、早く」


 不意に足を組む佳乃。本人は無意識のうちにやってしまったようだ。しまったという顔を見せた刹那、ついついスカートの中身に目がいってしまった俺と目が合う。予想通り、青筋を立てながら冷ややかに微笑んだ。


「まさに氷の微笑」


「死にたいの?」


「アイスピックは止めてください」


 俺は小さくなりながら、佳乃の隣に座った。

 以前から分かっていたことだが、俺はツンデレ佳乃にはめっぽう弱い。


「口、開けなさい」


 だから、こうして彼女の言うことに唯々諾々としたがって口を開くしかない。


「あれ?」


「……。……なによ」


 佳乃が一膳しかない箸で玉子焼きをつかみ、俺の口の中へ持ってこようとしている。


「あれ?」


 俺は気づいてしまった。


「…………気がつかなくていいのに」


 箸と玉子焼きの位置はそのままで、俺から顔を不自然にそらし続ける。頬は朱色に染まり、小さな唇は何事かをつぶやいていた。

 なんだろう。胸が異様にどきどきする。動悸、息切れ、めまい。まるで漢方薬の宣伝文句のような。


「……か、佳乃? その……これはもしかして?」


 気まずい沈黙のはずなのに、どんどんと体が火照っていく。佳乃の真っ赤な横顔を見ていると、今の俺もこんな顔をしているんだろうな、と思ってしまう。

 普段からつっけんどんなもう一人の佳乃。振り絞った勇気の大きさ。それを思うと、その恩に報いたいという気持ちがあふれてくる。


「お腹が減ったなぁっ!」


 だから俺は馬鹿みたいに一人で大きな声を出しながら、箸を持った彼女の手をとる。


「いただきまーす」


 体温が上がった彼女の手を助けながら、俺は口内に玉子焼きを納めた。


「うん、おいひいよ」


 咀嚼しながら青空を眺める。玉子焼きはあえて半熟気味に調理され、ほんのりと甘味が広がっていく。口の中だけではない、体中にもその甘味は広がっていった。


「……やなやつ」


 一言つぶやいたかと思うと。


「ふん! ムカツク! イライラする! 最悪!」


 箸をその場に投げ捨てて、大またで屋上の出口へと進んでいく。


「あ、佳乃!」


 いったん振り返ったものの、佳乃は赤鬼そのもの。


「あ、あの……その……」


 待てとも、行くなとも言えず、俺は立ち尽くしたまま。

 アニメや漫画、映画の台詞や知識はいくらでも出てくるのに、肝心の自分自身の言葉が出てこない。

 そんな自分が、何よりも歯がゆい。

 屋上のドアが開け放たれる。

 運がいいのか悪いのか、それは佳乃が開けたのではなかった。息を切らしたクラスメイトが、俺と佳乃の顔を見比べながら後ろ手に扉を閉める。


「と、取り込み中?」


 佳乃は出て行こうとする扉を閉められて、ばつが悪そうだ。


「仁! 頼むから、哀れな僕をかくまって!」


「今の今まで逃げてたのか?」


 息を切らして飛び込んできたのは、鹿岡兄だった。義妹が義妹なせいで、クラス内には敵が多い。愛されるお兄ちゃんも辛いようだった。三時限の体育では、ゴールキーパーからフォワードまでたった一人でこなしている。もちろん俺も敵側に回らせてもらった。


「も、もう限界……」


 閉めた扉に背中をもたれながら、へたり込む。荒い呼吸を繰り返して、体力の回復に励んでいる。

 しかし、息つく暇もなく、どこからか世にも恐ろしい声が聞こえてきた。


「真奈美のお兄ちゃんは、いねがー!」


 訂正、世にも可愛らしい声だった。


「いや、いなきゃいけないのは悪い子だから」


 そんな義妹に対して律儀に突っ込む鹿岡兄。


「ここかー!」


「うわっ、気づかれたか!?」


 突っ込んだら負けだ。


「扉はもともとひとつしかないわよ」


 突っ込んでる! でも突っ込みどころが微妙に違う!

 隣の校舎を見れば、男子生徒の群れが鹿岡兄追跡に殺気立っているのが見えた。さらに階下からはレスリング部の田中の不気味な咆哮が聞こえる。


「どこだ鹿岡あああっ! 見つけたら俺がたっぷりと可愛がってやる! 寝技だ、嫌ってぐらい寝技で可愛がってやる! 三角締めから腕ひしぎ十字固めに移行し、袈裟固めに持っていった後、横四方固めでとどめだ! ふふふ……おっと、よだれが……じゅるり……やはり崩れ袈裟固めもいいな!」


「全部柔道技だぁっ!」


 鹿岡兄が叫んだ。それがアダとなる。


「みーつけたっ♪ お・に・い・ちゃーん!」


 扉を突き破らん勢いで鹿岡義妹が飛び出してくる。大事そうに弁当箱。


「もう逃げられないよ! というか、恥ずかしがらなくていいよっ♪」


 体をくねくねとさせて、ほんのりと頬を染める。


「二人はもうベッドの中でささやき合うような関係なんだから……」


 頬を両手で覆いながらもじもじ。俺と佳乃が鹿岡兄に鋭い視線を向ける。


「ち、ちが、違う! 真奈美! でたらめ言うんじゃない!」


「真奈美、嘘言ってないもん!」


「確かに嘘ではないけど、その言い方はいかんともしがたい誤解を招くじゃないか!」


 嘘ではないことに驚愕だ。


「火のないところに煙は立たないぞ、鹿岡兄」


「だから馬鹿と煙は高いところが好きなのね」


 俺と佳乃の辛辣な物言いに、高いところ(屋上)の鹿岡兄は頭をたれる。どうやら、罪人は断罪を覚悟したようだ。しかし、鹿岡義妹は罪人の元へは向かわず、口元を震わせている。視線の先には、豊満な胸の前で腕を組む佳乃。


「お、お姉さまぁっ!」


 進行方向にいた俺――思わず二人の胸を比べてしまった――を跳ね飛ばし、佳乃に抱きつく。


「あ……あれ? 真奈美ちゃん……鹿岡君に、仁君……?」


 どうやら抱きつかれることを予想して佳乃が人格を切り替えたようだ。……便利だな。


「相変わらず美しいです……お姉さまぁ」


 胸に顔をうずめながら、俺に挑発的なまなざしを向ける。

 むっ……これは敵意なのか。


「もう、真奈美ちゃんは甘えん坊さんなんだから」


 猫をかわいがるように鹿岡義妹の頭をなでる。


「はい、真奈美は甘えん坊さんですぅ……ごろごろ」


 俺はそんな百合な光景を見ながら、鹿岡兄と同時に大きなため息をつく。なぜか中年親父然としたふたり。

 おや、あなたもですか。実は私もなんですよ。

 そんな会話が成り立ちそうだった。


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