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第二話・「かちかちに固くなったところを手で」

 昼休み。

 ざわざわ……ざわざわ。

 教室中の男子の頭上に、ざわざわ、の文字が躍る。胸板の厚いレスリング部の田中と、その他大勢の男子生徒が妙なさっきを漂わせていた。その原因となっていたのは。


 ――弁当だ……。


 ――きっと妹さんのお手製なんだ。


 男子生徒の視線の先には、ピンクの布に包まれた箱があった。

 時は昼、持ってきたのは鹿岡義妹。昼休みの始まりの鐘が学校内に響き渡るのとほぼ同時に、教室の扉が勢いよく開け放たれた。まるで、甲子園の試合開始のサイレンが鳴りやまぬ内にヒットを打たれてしまったピッチャーのような気分だった。キーン、コーン、カーン、コーンの最後のコーンの部分を上書きするような大声で、鹿岡義妹は手に持った弁当を天にかかげる。

 細かいところをつっこませてもらえば、鹿岡義妹は一年生で、この二年生の教室までは結構な距離がある。したがって鹿岡義妹は、授業が終わる前に教室を飛び出してきたことになる。

……恐ろしいほどの兄への執念だ。


「お兄ちゃぁん、真奈美と一緒にお弁当の時間だよー!」


「ま、真奈美……ちょっと声が大きいよ……?」


 教室のざわめきに取り囲まれる兄などお構いなし。


「これは愛妻弁当ならぬ、愛妹弁当だな」


「おっ、上手いこと言うじゃないか」


 俺が鹿岡義妹の持つかわいらしい弁当箱を指差しながら言うと、周囲の男子が一様に納得していた。


「今度記事にしなくちゃ的な感じね」


「言い得て妙ですぅ」


 新聞部の皆川亜矢子みながわあやこが腕を組んで大きくうなずけば、早坂美緒はやさかみおが日向ぼっこをする猫のような、気の抜けた声でゆっくりと拍手していた。

 二人は遠巻きに男子の喧騒を眺めながら、弁当を広げていた。


「あれ、そういえば美緒係で軍事オタクの桐岡きりおかは?」


「桐岡君はお休みですぅ」


 両手で持ったメロンパンをちびりちびりと口にしながら、ぽけぽけと話す。


「なんでもぉ、私の作ったケーキを食べてからぁ、調子が悪くなったそうなんですぅ……」


 さすがのアメリカ帰りの屈強な軍事オタクも、美緒のぽけぽけ攻撃には勝てなかったということか。パンケーキを作ったつもりの美緒だろうが、桐岡にとってはコンポジション4爆弾と代わらぬ威力だったに違いない。南無。


「ま、いつも一緒にいる恋人的な奴がいないんじゃ、元気出ない的な感じよね」


 たこさんウインナーを空中に放り投げ、それを口でキャッチしながらにやりと笑ってみせる亜矢子。彼女の三つ編みが揺れると同時に、美緒が動揺する。


「はわ〜っ! 桐岡君と私はそういうえっちぃ関係じゃ! かちかちに固くなったところを手でもみもみするぐらいですよぉ!」


 メロンパンをお手玉するほどにあわてふためく。


「あれれ? 美緒のことを言ったんじゃない的な感じだけどな〜」


「あううぅ……」


「大人的で、魅惑的なことをしているわけね、美緒?」


 口癖である、○○的という言葉にも力が入る。


「そんなことないですぅ……」


「おい、そんなことより聞き逃してはならない言葉があったろ! 俺は聞き逃さなかったぞっ!」


 純朴な美緒の口から、あんな言葉が聞ける日が来るとは。

 俺はすぐさま頭を抱えて脳内ハードディスクを巻き戻す。


「リバース!」


 ――桐岡君はお休みですぅ。


「いかん! もっと先!」


 ――ま、いつも一緒にいる恋人的な奴が……。


「もう少し先!」


 ――かちかちに固くなったところを手で……。


「そう! そこだっ!」


「あ、仁が危機的な感じ」


 亜矢子の声が聞こえた瞬間。


「もみもみっ!?」


 俺の視界が真っ暗になる。

 レスリング部の田中が、横回転しながら俺の後頭部を直撃してきたのだ。


 ――レスリング部の田中が、恥ずかしさに我を忘れた鹿岡に一撃でやられたぞ! 追え、追え!


 粉塵を巻き上げながら、教室中の男子が一斉に出撃していく。


 ――お兄ちゃん待ってー!


 スカートを翻しながら兄を追いかける鹿岡義妹。他学年の教室に堂々と入ってくる度胸もさることながら、ハートをあれだけ周囲に撒き散らす一途なラブラブ光線も、実に見ていて幸せになる。……というか羨ましい。

 俺に殺意が芽生えるのと時を同じくして、勢いよく田中が立ち上がる。

 さすがレスリング部、タフだ。


「今のはさすがの俺もきいたぜ……鹿岡っ!」


 田中の周囲の空気が爆発する。むあっとした生暖かい風が俺の頬を撫でる。気持ち悪い。

 田中はそのまま、教室のドアを突き破って猛ダッシュで教室を出て行ってしまった。

 おい、ドアは後で直すんだろうな。

 俺は痛む後頭部をさすりながら起き上がる。


「田中君のが膨張していたですぅ」


「今の美緒が膨張とか言うと、扇情的に聞こえるわね」


「そうだっ! もみもみが膨張っ!?」


 メロンパンにかぶりついたまま、きょとんと俺に視線を向ける美緒。


「そうよ、私だって聞き逃さなかった的な感じなんだからね? もみもみ? 膨張って何的なことなの? もしかして美緒、桐岡のを情熱的に……?」


「どきっ……ですぅ」


 なんだと!? まさかのまさかなのか!?


「み、美緒……お前……その白魚のような手で何を? ハァ……ハァ……」


「はわぁっ……亜矢子ちゃんと仁君の顔が怖いですぅ……」


 美緒は無垢な顔を羞恥に染めて、あきらめたようにぽつりと言葉をもらす。


「そのぉ……揉みですぅ……」


 虫の鳴くような声。さらに接近する俺と亜矢子の顔。もはや犯罪臭すら漂っている。


「肩もみですぅっ!」


「……は?」


 俺と亜矢子の声がぴったりと重なっていた。


「桐岡君にはぁ、いつも何かと助けられてばかりなのですぅ……だ、だから精一杯の恩返しのつもりでぇ……凝った肩をほぐしてあげたのですぅ……」


 狂気がほとばしっていた俺と亜矢子の顔が美緒から徐々に離れていく。


「……まぁ、なんだ」


「そんな杞憂的なことだろうとは、思っていたけどね」


 亜矢子は残念そうに懐にメモ帳と鉛筆をしまう。俺は強烈な脱力感に見舞われていた。


「そういえばぁ、佳乃ちゃんをほおっておいていいんですかぁ?」


 授業を途中で抜け出した佳乃のことを思い出す。


「授業の途中で出て行った的な感じよね。客観的に見て、なんかつまらなそうにしてた的な感じね」


「少し近寄りがたかったですぅ……」


「う〜ん……体調でも悪いのかもな」


 どうやら今はツンデレ佳乃に切り替わっているようだ。


「弁当は佳乃が持ってるし、昼一緒に食べるって約束もしたし、少し探してみるかな」


「約束? ……弁当だと?」


 レスリング部の田中が俺の背後に立つ。汗を蒸発させたような暑苦しいオーラが、俺の周囲で渦を巻く。


「田中……いつの間に俺の背後を! それに、鹿岡兄を探しに行ったんじゃ……?」


「ふんっ! バックを取ることなぞ、レスリング部にとっては赤子の手をひねるようなものだ」


「使い方が間違っているような気がするが、何か納得させられてしまう!」


 矛先の変わった戦いは、のんびりした美緒の微笑をもって始まりを告げる。


「はわわっ……田中君の筋肉が二割り増しですぅ……!」


「まさに超人的だわ」


「ふふ……佐々木仁、戦いの中で戦いを忘れていたようだな!」


「や、や、めて……」


 ぜんまい仕掛けのように振り返る俺に、田中は二の句を継がせてはくれなかった。


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