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第十二話・「夕凪佳乃」

 ……夕凪佳乃。


 俺の幼馴染みであり、内にはもう一人の人格を宿している少女。生まれたときからそうだったわけではなくて、幼い頃の事故によって、臓器移植を余儀なくされた苦労人。俺はそのときももちろん幼馴染みだったし、近所でも評判になるほど仲が良い遊び相手だった。

 そんなに仲がよいと世間話好きの主婦が集まる井戸端会議場では、将来はきっと二人で結ばれて夫婦になるに違いないと勝手に噂し、俺達二人が遊んでいるのを見かけては、笑みを浮かべながら、これからも仲良くね、なんて当時の俺達にはうなずくことしか出ない微妙な台詞を残していくのだった。

 そんな二人だったが、俺が当時好きだったアニメのキャラクターに異常な執着持ってしまったことが、普通の幼馴染みというステレオタイプから逸脱してしまう原因となった。

 こんな事を人前で話して良いのかどうか分からないが……そうだ、その前に前置きをしておきたい。幼い頃によくごっこ遊びというものをすると思う。仲睦まじい夫婦を演じてみたり、理想の職業を真似してみたりするあれだ。もちろんお医者さんごっこで、幼かった佳乃の体をあちこち触診したりもした。

 今でこそ犯罪的に聞こえているかも知れないが、当時は幼かったし、加えて純真無垢でもあった。男の俺には付いていて女の佳乃には付いていない代物に半ば必然的に、むしろそれが運命であるように、いや通るしかない道というか、通過儀礼というか、登竜門というか、大人になるための階段というか、成人の儀式というか、単なる好奇心というか……ともかく丸々ひっくるめてそんな感情を抱いたり、それを取り沙汰して、立ちションを出来ないことで佳乃を馬鹿にしたりもした。後日そんなことで佳乃を泣かせてしまった事件が母の耳にはいることになり、百叩きの刑に処されたことは成長した今でも記憶に鮮明だ。一週間ほど尻がひりひりしていたことを考えると、よほど男女間に横たわる性差というものは越えがたい壁であることを、身を以て知らされるのと同時に、気安く触れるべきではない聖域なのだということも自ずと理解できるようになった。

 そういったごくごく当たり前の、普通の人間なら気が付かないうちに行ってしまっているはずの恥ずかしい体験が、今の俺にどのような影響を与えているのかは機会があれば説明するとして、俺がこんなに長いくだりでもって言いたかったことは、当時の俺は、それはそれは周囲もうらやむ、きら星の如く輝く目を持った純朴な少年だったということだ。今でもそうだが……と、付け加えたら周囲から非難囂々なので ここでは黙っておく。


 ……さて、ここで話は戻る。

 ステレオタイプを逸脱してしまった原因の話だ。

 純粋だった俺はアニメのキャラクターに異常な執着を持ってしまい、実際にそのキャラクターを佳乃に演じさせることにした。つまりは先に説明したように、ごっこ遊びだったのだ。戦隊もので、誰がレッドで、誰がブラックだとか。そんな無邪気なごっこ遊びの一つとして佳乃はそのキャラクターを演じることになった。ただ普通の人間と違っていたことは、佳乃があまりにも純粋すぎたせいで、まるでコピーでもするかのように人格の一つとしてすり込まれてしまったことだった。

 下手な例えだが、そう、かくれんぼをしたまま夕方になり、みんなが帰ってしまっても隠れている方は遊びが終わったことにも気が付かず、ずっと隠れ続けてしまう……という寂しい現象と一緒だ。もともと、佳乃が幼い頃から俺の背中ばかり追いかけてくるような可愛い女の子だったから、俺の言ったことをすぐに実行し、まるでスポンジのように吸収していった。

 それが重なって誕生したのが、一年前まで俺の隣で笑っていた彼女だ。俺が幾度もなく好きになっては真似させ、言葉の節々にまで浸透させた愛すべきキャラクター達。

 一時期、佳乃の言葉尻には、だっちゃ、という言葉まで付いた。もちろん俺の呼び方は、ダーリン。

 今ではものすごく恥ずかしいが、人生色々。俺の人生、色々だ。佳乃の人生も色々だったに違いない。幼馴染みの佐々木仁というちょっと可愛いプチ変態に従わされ、無理難題を注文され、あるいは虐げられて、すくすく育ってきたのだ。

 俺から見た佳乃は楽しそうで、終始俺といるときは笑顔だったが、もしかしたら俺のいないところでは仏頂面だったのかもしれない。

 丑三つ時になれば、神社のご神木にあてがった藁人形に、父親の工具箱の中からくすねてきた五寸釘を仁王顔で打ち付けていたのかもしれない。俺は佳乃が生まれてから最後の瞬間まで、そんな彼女を見ることは出来なかったけれど、もし見ることが出来たのなら見てみたかった。

よく漫画などで、失った後で気が付くことがあるという後悔先に立たず的な台詞が使い回されているが、佳乃のその部分に限っては今思い返しても気が付ける部分なんてなかった。佳乃が俺の教育――間違っても調教ではない――を快く受け入れているような感じにしか見えなかった。

 最近、家の佳乃が妙な言葉を言うんです、と佳乃の両親が心配顔でうちの母に相談していたときには背筋が凍るような思いだったが――つまり背筋が凍るという時点で、自分のしていることが 人道に反しているという自覚は少なくともあったのだ――何はともあれ、俺の悪癖を佳乃が受け継いでしまったということは誰も気が付かなかった。

 というか、 うすうす気が付いてはいたが、犯人が俺ということなので、将来二人で生きていくんだし、今のうちに主人色に染まっていた方が何かと良いかも……などと夕凪家と佐々木家の間で俺達の知るよしもない談合があったのかもしれない。

 それはそれとして、佳乃はこのまま俺の思い通りに成長していくかに思われたが、さすがにそうはいかなかった。

 思春期や第二次性徴期などという気の利いた言葉で片付けることも出来たが、一番の原因になっているのは事故による後遺症だ。後遺症というにはいささか現実離れしている佳乃の二重人格、つまり二番面の人格――ここでは便宜上、裏佳乃と呼ぶ――のせいであった。

 初めて発現したのは佳乃の事故の怪我が癒えた一年後のことだった。事故の当時は、此の世がいつ終焉を迎えてもいいと本気で思ってしまうほど悲しかったし、涙も十分に流した。幼い俺の涙腺からあれほど大量の涙が流れたんだから、きっと涙腺というのはきっ と際限がないのだろう。涙の流しすぎで熱中症になってしまったりするのあろうか。

 そんなことはここでは関係ないが、裏佳乃は突然その姿をあらわした。


 ――アンタ変態じゃないの?


 これが裏佳乃の最初の言葉だった。

 俺はその言葉を聞いた瞬間に此の世がひっくり返ったのではないかというほどの衝撃をうけた挙げ句、もんどり打って倒れそうになった。

 それは前述したとおり佳乃が裏ではどう思っているか分からないという不安ゆえでもあり、佳乃にまさか新たな人格が芽生えているなんて事はつゆ知らなかったわけでもあるから、驚くのは半ば当然というわけだ。

 それから俺は失意のどん底を幾度となく幽霊のようにさまよい歩くことになる。

 しばらくして佳乃が時々すぐ直前のことなのにもかかわらず記憶にないという不思議発言が相次ぐことになり、ようやく疑問が推測の域を抜け出した。

 裏佳乃発現当初から口調が著しく変わっていたのと、立ち振る舞いも一変していたから、長い付き合いということもあって、俺にはそういった推測が生まれていたのは言うまで もない。

 それはそうだろう。

 昨日まですごく仲の良かった友人なり親友なり恋人が、次の日に理由なくアンタなんか大嫌いと言われるようなものだ。キスをした後につばを吐きかけられるようなものだ。プロポーズをうけて指輪まで受け取ったのに、次の瞬間婚姻届に判を押さないようなものだ。ものだ、ものだ、ものだ。

 面倒臭いので例えは以下省略するが、そういったことがあれば人間誰しも驚くだろう。ならば、多少突飛ではあるとしても、そういう推論が立つのも自然の流れというもので。

そういった経緯もあって、俺の論拠を当の佳乃本人に突きつけてみたところ、表佳乃は知らぬ存ぜぬの一点張り。それではと裏佳乃らしきときの佳乃にそのことを直撃すると、いとも簡単にうなずきやがった。……おっと、言葉が多少汚くなってしまった。

 裏佳乃が面倒臭そうに言うには、臓器移植に関しては未だに解明されていない不思議な後遺症があるという。経験したことのない記憶が脳に存在していたり――デジャビュのようなものだな――利き腕が逆になったり、味の好みに変化があったり。

 記憶は当たり前のように脳に記憶されるとばかり思っていたから、裏佳乃が言うことはびっくり仰天だった。だとしたら記憶は脳ではなくで臓器にもあるのか……などと考えたりもしてしまう。

 裏佳乃もそんな自分の立場には混乱していたらしく、しばらくは発狂寸前にまで至っていたらしい。だとすると俺のぶしつけな質問――お前は佳乃じゃない人間なのか――という質問に軽くうなずいて見せた裏佳乃は、そうとうな自己認識、つまりは新たなアイデンティティの確立を経た後の姿だったのかもしれない。

 そう考えると、裏佳乃は意外な勉強家だな。

 ともかく当時の俺にしてみれば、青天の霹靂だったというわけだ。青天の霹靂……一度 使ってみたかった言葉なので許してくれ。というわけで、俺と佳乃の生活は一変したようにみえた。

が、しかし俺は佳乃がいかなる佳乃の時も俺はいつも通りに佳乃に接していたから、俺としては幼馴染みが一人増えたとぐらいにしか感じてなかった。

 幼いということは時に人を助けるという事があると俺はそのときに理解した。お医者さんごっこのことを言っているんじゃないぞ。あれは時効だ。

 そうして三度の入学と卒業を繰り返し、俺達はいつの間にか互いに惹かれ合ってしまったわけだ。いつだという決定的な事件があったわけでなく、ただ生活していく段階で少しずつ惹かれあっていったのだろうと思う。

 吊り橋の法則なんて ついぞ経験したことはないから、本当に長い時間をかけて蓄積していった経験値を経て、俺と佳乃は恋心というレベルを上げていったのだ。ゆっくりとゆっくりと。それこそ、宮崎県日南市にある鬼の洗濯岩のように、長い年月をかけて形づけられていったのだと思う。

 後は追って知るべし。最後の二日間などというくだらなすぎるイベントのあとに、俺は最愛の人をあっけなく失い、今に至るというわけだ。


 …………。

 ……なに、やってるんだろうな、俺。

 自分で言っていてよく分らないカオス加減だ。

 こんな事を考えても何も変わらないし、なにも始まらないのに。

 何で佳乃のことを考えると、こんなに饒舌になれるんだろうな。

 女の子と付き合ったことすらない俺がだぞ?

 あ、いや、付き合ったことはある。


 悪いが佳乃、俺はお前を彼女としてカウントすることにする。

 お前は幼馴染みであり、俺の彼女だった。それで良いだろ。……なんだろうな、考えると苦しいよ。お前がいないなんて、信じられないんだよ。

 俺、お前と過ごしてきた年月だけで結構な量の小説が書けそうだ。



 ……誰も読まないだろうけどな。


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