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第十話・「……遅刻……」

 物思いにふける。

 小説や、漫画、映画を観たり読んだりしていると、色々と法則がある。

 そのひとつに物語冒頭が朝、というものがある。確かに主人公の一日の風景を説明するのには、最適なものだろう。ありきたりな始まりだが、でも、そのありきたりが安心できたりする。

 人間はもともと、進化には寛容だが、革命には狭量だ。

 既存のものがどんどん便利になっていくのには、何の疑いもなく諸手をあげて喜ぶのに、まったくコンセプトの異なったものを使おうとすると二の足を踏んでしまう……。


 ともあれ、俺はそんなありきたりな朝を迎えている。


 胃に詰め込んだ朝食をゆらゆらと揺らしながらの登校風景。

 二匹のすずめが電線から電線へと飛び移り、会話にいそしんでいる。先に飛んだすずめを、もう一方のすずめが追いかけるというような、仲睦まじいのかそうでないのかよく分からない苦笑いの風景。

 俺の隣を自転車に乗ったOLが走り去っていく。駅の駐輪場において、電車に乗る腹積もりなのだろう。

 黄色い帽子が四つ並んで揺れているのは、小学生の集団。会話の一端を聞くと、どうやら昨日のアニメの話題らしかった。主人公のまねをしてパンチしたりキックしたり。そうして改めて登校風景を眺めていると、いろいろな発見があることに気がつく。

 自分達の世界に入って登校していたころに比べると、とても新鮮味があふれた朝。道端に見知らぬ花が一輪咲いているだけでも、なぜか嬉しくなってしまう。

 朝はこんなにもまぶしい。一日の始まりにうつむいて歩くのはもってのほかだ。

 朝、玄関のチャイムを鳴らすことが日課になってから、俺は欠かさず早起きを繰り返している。

 あまり気にしなかった身だしなみにも気を使うようになり、鏡の前にいる時間も長くなった。一見するとオタクからの脱却のようにも思えるが、その実、内面は思った以上に変わっていない。

 ゲームの初回限定を求めて電気街を走り回ったりしているし、声優さんの握手会にも足繁く通っている。声優さんに覚えてもらおうと、被り物をして会場に行っているのは内緒だ。

 チャイムを鳴らすと、ドアの向こうから喧騒が降りてくるのが分かった。よくも階段を踏み外さないものだと不思議になる。俺は携帯電話を開いて時刻を確認した。

 間に合わないこともないが、そろそろ出発しないと危険な時間帯だ。サッカーで言うところの終了直前、得点直後のようなもの。ま、遅刻にロスタイムはないのだが。


「仁、ご、ごめん! こら、真奈美! はなしてよっ!」


 気崩した制服は、わざとではない。首に巻きついた愛らしい義妹との戦闘――じゃれあいとも言う――を思わせた。


「お兄ちゃ〜ん! 一日の始まりは真奈美のキスだって、全国義妹協会会則第一条第一項で義務付けられているんだから、おとなしくそのお兄ちゃんの唇を――」


「今作ったろ! 絶対今作ったろ!」


 毎度毎度、朝からバリエーションの多いボケとツッコミだ。


「もぅ……お兄ちゃんたら、恥ずかしがり屋なんだからっ! 人のいないところでは『もっといい声で鳴いてみろよ』とか耳元で甘くささやくのにっ♪」


「恥ずかしがり屋は、影で甘いものを売っているのか……。多角経営だな」


 鹿岡義妹と俺のダブルボケに、鹿岡兄の体が地面にくず折れる。どうやら、力尽きたらしい。


「ボケに対して、ツッコミの人数が足らない気がする。ううん、絶対に足らないよ……」


 鹿岡兄の怨嗟が、快晴に吸い込まれていった。





「なぁ、鹿岡……」


 俺は流れていく景色と、のどを伝う汗を後方に置き去りにする。


「何、仁?」


「何よ、仁先輩」


 二人に問うたつもりはないのだが、俺の呼び方が悪かったのか、息を切らせた二人が俺を振り向く。


「俺は毎日早起きをしてる。でも、なぜか遅刻すれすれ。何でだろう?」


「真奈美が!」


「お兄ちゃんが!」


 刀を持っていたら、きっとつばぜり合いをしているだろう。兄妹が鋭い眼光をぶつけ合い、火花を散らしている。


「何だよ」


「何よ」


 お兄ちゃん大好きな鹿岡義妹が、兄に食ってかかる。珍しいこともあるものだな、と興味深く観察していたら、突然、義妹の姿が消失した。

 素早く後方を振り返ると、鹿岡義妹が前のめりになって倒れている。サッカー選手も真っ青になるくらい派手な転倒だった。

 だが、俺はその一連の出来事に、不可解な感触が残る。


「だ、大丈夫!? 真奈美!」


 真っ青な顔をした鹿岡兄が、倒れた義妹に駆け寄っていく。なんだかんだ言っても大事な義妹だ。表面上は喧嘩をしているようでも、思いやりは人一倍なのだ。


「お、お兄ちゃん……ごめんね、真奈美が、真奈美が頼りないばっかりに……」


 うるうるうる。しっとりと目に涙を浮かべる。今にも大粒の涙が頬を滑り落ちていきそうな義妹の姿に、兄は後悔の色を濃くする。


「いや、全部俺が悪いんだ。真奈美の言うとおりにしていれば、こんなことにはならなかったんだよ。僕はお兄ちゃんなのに……ごめん」


 それは朝のキスを必ずしてやると解釈していいんだな、鹿岡兄。


「しかし、なんだろう。この拭い去れない不可解さは」


 俺は目をつぶり、自分の頭を両手で押さえて、脳内メモリーをフル回転させる。

 今のシーン、リプレイでもう一度。

 解説が入り、画像が砂嵐に切り替わる。すると、三人で並走していた映像が浮かび上がる。


 ――何だよ。


 ――何よ。


 ここまでに不可解な出来事はない。問題はこの後だ。

 義妹、走りながら何かにつまずいて転ぶ。鹿岡兄があわてて義妹に駆け寄っていく。


「もう一度! 二倍速巻き戻し! そして再生!」


 義妹、走りながら……。


「ここだ! 一時停止! そして、ズーム!」


 鹿岡義妹のすらりと伸びた白い足が、視界を埋め尽くしていく。


「さらに三倍ズーム!」


 画面いっぱいに広がる鹿岡義妹のつま先。


「四分の一コマ送り!」


 そして、俺は見た。カモシカのごとく颯爽と足を回転させていた鹿岡義妹が、次の瞬間、何もないところで転んでいたのだ。

 俺の感じた不可解の答えが見つかり、俺は真実を告げようと、脳内ハードディスク態勢を解除して、鹿岡兄を振り返る。

 鹿岡兄は、義妹をおんぶしているところだった。


「鹿岡兄! だまされ――」


 俺は背中に負ぶわれている義妹と視線を交差させてしまう。視線で射抜く、とはよく言われるが、俺はまさにそんな心地だった。心地で言うのならば、生きた心地がしないとも言えた。蛇ににらまれた蛙のごとく、義妹の眼光に射すくめられてしまう。

 イビルアイ、悪魔の瞳。

 有無を言わさず、俺の意識に刷り込まれる義妹の意思。


 ――余計なことは、命に関わるから言わないほうが身のためだよ♪


 ぞくり。戦慄が走った。


「あれ? どうしたの仁?」


 気が付け鹿岡兄! さっきの一連の出来事は、サッカーで言うシミュレーションなんだ。イエローカードをもらうのはお前じゃないんだぞ! むしろ背中で負ぶっている義妹のほうなんだ! レッドカード退場も視野に入れる悪質さだっ!

 ……俺は心の中で叫んだ。

 それにしても、鹿岡義妹恐るべし。


「仁、先に行ってて。僕たちの遅刻につき合わせるのはさすがにまずいから」


 鹿岡義妹の鋭い視線が、おまけでついていた。


「あ、ああ……そうだな。先に行かせてもらうよ」


 俺は女というものの容赦のなさを痛感しながら、二人に別れを告げて、校門を目指す。

 朝の風を切って走るのは、気持ちがよかった。

 体についたもやもやとしたものを、振り払うことができる気がした。

 立ち止まっていると、いつの間にか関節という関節にどろどろとしたものが詰まってくる。気力、体力、思考力……それらをすべて鈍らせ、果ては奪っていくような鈍重な油のようなもの。必死に考え、必死に動き、必死に追いつかれないようにしていたもの。立ち止まった瞬間に、それは俺を捕縛しようとする。

 だから俺は、考え、動くしかなかった。

 考えて、動いて、振り切るしかなかった。

 全力疾走し、校門に滑り込む。そんな面倒と思えることでさえ、俺は歓迎していることに気がつく。


「……遅刻……」


 ぼそりとした小さな声が聞こえた。

 その声が曲がり角から飛び出してくる声だと気がついたときには、すでに二人の体は激しく衝突していた。

 もんどりうってコンクリートに転がる俺と、声の主。

 声の主は鞄を放り出してしまったらしい。

 時間差で俺の頭に落ちてきた鞄を食らって、俺はそう判断した。


「……いてて」


 俺は頭をさすりながら立ち上がり、ぶつかってしまった人物を見下ろした。

 声の主は、尻餅をついたまま俺を見上げていた。第一印象は、とても小柄な女の子だった。

 腰まで届く長くしなやかな髪の毛が、尻餅をついた衝撃のせいか乱れてしまっている。つぶらな瞳は宝石のように輝いていて、今にも吸い込まれそうなほど神秘的だった。

 小さな口、小さな鼻、小さな顔。童顔でありながらも、意志の強そうな顔立ちをした美少女は、なおも俺から眼を離そうとはしない。


「あの、大丈夫?」


 声をかける俺を呆けたように見上げるばかりで、自らの下着が見えてしまっていることにも気がついていないようだ。俺は無遠慮だと分かっていても、可愛らしい少女の顔から、下へ下へと視線をずらしまう。

 身長は、童顔に見合ってさほど高くない。俺と並べば、俺からは頭のてっぺんが容易に見えてしまうだろう。細い体は着やせしているようには見えないから、胸にある申し訳程度のふくらみは嘘ではないのだろう。

 抱えあげようとすれば、ひょい、という擬音語がついて回るような華奢な体格。そんな体を支える足も細く、白磁器のように白い。


「あ、あの……見えてるぞ」


 言わなければいいのだが、俺は固まったままの少女に申し訳ないような気がして、指摘した。少女は、点になっていた瞳を平常の大きさに戻して、自らの醜態を見下ろす。

 俺は身構えた。

 悲鳴と、平手打ち。その双方が俺に襲い掛かってくるような気がしたからだ。


「……ごめんなさい」


 目をつぶり、耳を覆っていた俺の足元から小声が聞こえた。

 少女は何事もなかったのかのように、スカートの汚れを手で払う。日本人形のような美しい長髪に手櫛をいれ、何事もなかったのかのように身支度を調えていく。


「……鞄、返して」


 俺は左手に持っていた少女の鞄のことを言われているのに気がついて、あわてて少女に返した。

 意図せずに、少女の手と触れ合ってしまう。氷のように冷たい指の感触。


「……ッ!」


 少女は腫れ物にでも触られたかのように、鞄を受け取った手を慌てて引っ込める。その乱暴な所作に、俺は少し傷ついた。


「ごめんなさい……遅刻、するから」


 慌てたせいか赤くなった顔を素早く翻し、少女は走り去っていった。颯爽と走る少女の背中が、朝日にまぶしい。

 短いスカートがなびき、白い太ももがのぞいても、俺は胸が高鳴ったりしなかった。

 あまりにも感情表現に乏しい少女の言葉だけが、俺の心の中に響く。

 ……が、それを相殺して余りある少女の真っ赤な顔が、印象的だった。

 その真っ赤な顔を思い出して、なぜか俺は胸がどきどきしていることに気がつくのだった。



 ――佳乃がこの世を去ってから、一年が経とうとしていた。


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