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プロローグ・「幼馴染み」

 自分でも恵まれていると思う。


じん君、起きて」


 世界中の目覚ましを探しても、こんなに優しい声で起こしてくれる目覚ましは見つからないだろう。


「仁君ってば」


 俺は頭が覚醒しているのにもかかわらず、あえて眠ったふりをしている。決して叩き起こすわけではなく、優しく体を揺り動かしてくれるのは、俺を想ってのことだろう。


佳乃かの……あと五分……」


 俺は薄目を開けながら、ベッドの脇で困ったように眉根を下げる幼馴染みを見る。中腰になるように俺を揺り動かすから、高校生にしては大きすぎる胸が右に左に揺れているのがはっきりと見えた。


「う〜ん、眼福……むにゃむにゃ」


 できるならば、もう少し前かがみになってくれると、色々とサービス満点だぞ。


「もう、仁君、毎朝起こしに来る私の身にもなってよう……」


「うん……そんなに重そうなものをぶら下げていると、肩が疲れそうだな。むにゃむにゃ」


「そうだよ、疲れるんだよ。こうやって揺り動かすのだって腕に負担がかかるんだから」


「むにゃむにゃ……キスをしてくれたら、起きるかも」


「き、キス……っ!? 仁君に……キ、キス……さ、魚じゃないよね? あ、あの……唇と唇の……だよね……?」


 おろおろしているところが見ていて面白い。


「……したら、起きてくれる?」


 お、おい、その赤い頬は、まさか……。


「きちんと起きて制服に着替えて、一緒に登校して、一緒にお昼食べて、放課後は一緒に帰って、夕飯食べに来てくれる?」


 それだと今日一日の予定が全てなくなってしまうが、キスしてくれるのなら考えなくもない。むしろ、前向きに検討しようではないか。


「結婚式は教会で親族だけ集めた、質素だけどすごく暖かい挙式で、もちろん友達の真奈美まなみちゃんも招待して」


 さすがの俺もそこまで前向きには検討できないぞ。俺は敷かれたレールを歩いたりはしないのだ。


「新婚旅行はトルコで、二人でカッパドキアを見てくれる? もちろんケバブも食べようね?」


 カッパドキア……? あの有名なキノコのような白い居住岩のことだろうか。


「子供は……九人がいいな。野球チームができるくらいがいい」


 もじもじ。もじもじ。両手の人差し指をつけたり離したり。

 うっ……我ながらかわいい幼馴染みじゃないか。


「あ、でもパリーグならDH制だから、十人いなきゃだよね? でも、DH制だと守備が出来ないって言ってケンカになりそう……なら、やっぱり、サッカーが出来るぐらいがいいかな? ううん、仁君なら、きっとラグビーが出来るくらいに――」


「これ以上増やすなっ!」


 思わず飛び起きてしまった俺を見て、佳乃はにっこりと微笑む。


「やっと起きてくれたぁっ!」


 歓喜もそこそこに俺に抱きついてくる。まるで、眠りから覚めた王子様の気分だ。もちろん、そんな王子様は聞いたことも、見たこともないが。

 それにしても、女の子はやっぱり柔らかい。こうして頭と背中を撫でながら少し抱きしめる力を強めてみると、それが良く分かる。


「あぅ……仁君の撫で方、なんかやらしい。でも、仁君に抱きしめられているとなんか眠くなっちゃうよ。あったかくて、気持ちよくて……」


「ん、そうか?」


 小鳥のさえずりをBGMに、三分待たずとも即席の甘い空間が出来上がる。


「うん、仁君の匂いは少し汗臭いけど、これがなきゃ仁君じゃないもんね」


 それはそれで少し傷つくんだが。どうやら佳乃は、年頃の男子の繊細な心情を理解していないご様子。しかし、下手に俗世間じみていないのも佳乃の魅力。幼い頃から、俺が正しい幼馴染の道について説いてきた甲斐があったというものだ。


 我曰く、幼馴染み必須五箇条。


 一、幼なじみは朝起こしに行かなければならない。

 二、幼なじみは家事ができなければいけない

 三、幼なじみは家が主人公の隣家でなければ――


「ねぇ、仁君」


「ん? どうした佳乃?」


 残りの二条は割愛しよう。今は俺を見上げるつぶらな瞳の方が優先だ。


「……ぎゅってしていい?」


「い……いいぞ」


「うん、ありがと仁君」


 佳乃はさらに俺の胸に顔をうずめてくる。

 そんな佳乃の頭を優しく撫でながら、俺はこんな幸せな日々は長くは続かないと心のどこかで考えていた。あとに待つ大きな不幸とか、大事件とかそういう深い意味ではなく、ただ単純に佳乃の特性故のことだ。何というか、俺は刹那主義だ。後は野となれ山となれ、据え膳食わねばなんとやら……何か上手い言葉が見つからないな。


「……」


 俺を下から覗き込んでいる佳乃のつぶらな瞳が、一瞬にして色を変えるのが見えた。

 ああ……やっぱりね。人生山あり谷あり、とはよく言ったものだよ。


「仁、質問があるわ……」


 俺を呼び捨てで呼ぶ佳乃。佳乃の短所とも長所とも言える、最大で最強の特徴が、顕現する。


「あ、ああ……なんだ?」


 俺が自分の生まれの不幸を呪う間もなく、佳乃が大きく息を吸い込む。


「なんで朝からアンタなんかに抱きしめられなくちゃいけないのよっ! いい? 私がまだ落ち着いていられるうちにその手を離しなさい。五秒の猶予をあげるわ!」


 本来の佳乃からは想像できない鋭い声と、啖呵。


「ま、待て、佳乃!」


 名残惜しい柔らかさを、ぎりぎりまで味わおうとする淫らな俺の腕。


「五、四……」


 よしよし、もう少しは大丈夫だな。


「ゼロっ!」


 一は!?


 みぞおちに見事なまでのボディブローを受けて俺は宙に浮く。そのまま星になれたらどんなに楽だったろうか。


「マイナス一!」


 ちょ、ちょっ!?


「マイナス二!」


「ぐお……っ!」


 床に叩きふせられる俺は、空想の中で盛大に吐血していた。次の瞬間、見事な復活を遂げられるのが漫画の世界だが、現実はそう甘くはない。


「朝から、くだらないものを殴ってしまったわ」


 振り切ったこぶしを広げ、ぶらぶらさせる佳乃。


「よ、容赦なく……やるようになったな……佳乃」


「そうね、これはアレよ。鞭と鞭よ」


 ……頼む、飴をくれ。


 力尽き、地面にうつぶせに倒れ込む。これも、ある意味で二度寝なのだろうか。


「……。あ、あれ……? 仁君……さっきまで目の前にいたのに……?」


 俺の幼馴染であり、毎朝起こしに来てくれる優しい佳乃。


「あれ、足下に何か……? きゃあっ! 仁君がボロ雑巾のように倒れて! 一体誰が仁君にこんなことを!?」



 彼女は――二重人格だった。


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