00-09 幕間/ある日のアリシア
私の名前はアリシア・クラウディア・アークヴァルド。アークヴァルド公爵家の長女です。今年で十二歳になりました。
私は今、私室でうんざりとしています。原因は…目の前の机に積まれている、所謂婚約の申し込みです。
王族や貴族は、十歳の頃から婚約相手を探すのが一般的。大体において、貴族は貴族と婚約。そして、王族は貴族や他国の王族と婚約するものです。
公爵家は王族縁の貴族に与えられる爵位であり、公爵家長女である私に婿入りすれば、公爵家の一員と認められます。つまり、低いとはいえ王位継承権が与えられるのです。それを狙っての申し込み。
相手は伯爵家や公爵家の次男や三男…たまに、男爵家の長男等も居ます。
申し込みの書面に添えられている似姿は、顔の造詣や体格等を意図的に変えて描く事は禁じられています。だから描かれた婚約を申し込んできた男性は、本人そっくりに描かれているのでしょう。
一応は目を通していますが、心動かされる事はありませんでした。
——やはり、これは恋なのでしょうか。
とてもとても不思議な人。
片目を失おうとも、魔物の群れに兵士達と共に立ち向かっていく勇気を持つ彼。
陛下の前ですら恐縮しない彼。
アルファルド殿下と対等に話す彼。
私に優しい笑顔を向けてくれた、彼。
彼は同じ歳だというのに、私達と違う“何か”を持っていた。同年代の少年少女とは何かが違う。
出会ったその日に、私は彼に心を奪われたのでしょうか。
…ユート君。
あの日最後に、私がユート君とキリエさんに告げた言葉。
「私も五年後、もっと成長して…お2人と並べるようになっています!」
その言葉を嘘にしない為に、私はこの二年間を過ごして来た。
「そろそろ時間です…行きましょう」
婚約申し入れを机の端へと追いやり、私は衣服を正す。端へ追いやっておけば、後で侍女が片付けてくれるはずです。
************************************************************
私は二年前のあの日から毎週、休息日の午前中に宮廷魔導師のエカテリーナ様に魔法を教わっています。
エカテリーナ様はイングヴァルト王国で最古参の宮廷魔導師で、御歳七十五歳のベテラン魔導師。現在は戦線に出る事は滅多に無く、後進の宮廷魔導師や魔導師団の方々の訓練をしていらっしゃいます。
「保有魔力を上げるには、魔法を使う事です。アリシア様は毎日、光魔法の“光球”を使用して保有魔力量を上げる特訓をしておられます。アリシア様の保有魔力は現在、魔法師団の新人程まで上昇しております。故に、今日からは“光球”以外の魔法をお教えしましょう」
「お願い致します、エカテリーナ様」
最初は魔法を覚えたいと言う私の願いを、お父様の手前渋々引き受けた様子だったエカテリーナ様でした。
しかし休息日ごとに、決められた時間に王宮を訪れ魔法の訓練をしている内に、エカテリーナ様は私に対して厳しくも丁寧に、そして積極的に教えて下さるようになりました。少しは、認めて頂けたのでしょうか? それなら、もっと頑張らなくては。
「“来たれ水の精霊一柱、我が元に集え”」
私が構えた杖の先端に、水の球が生み出される。
「“我が求むは天の恵み、この意に従い矢となれ”」
水の球は徐々に矢の形に変化する。
「“敵を撃て、水の矢”!!」
水の矢は、私の狙った的に向かって飛んで行く。
成功した!!
……そう気を緩めたのが、いけなかったのでしょう。矢は途中で飛ぶ力を失ったように、地面に向けて弧を描きます。矢も形が崩れて、弾け消えてしまいました。
「そのように意識を乱すと、成型した形が崩れ、勢いも失います。故に、魔導師に求められるのは集中、そして精神の強さ。アリシア様には、精神統一の修行を並行して行って頂きますが、よろしいですか」
「もちろんです、エカテリーナ様」
私の返答に、エカテリーナ様は微笑み頷いて下さった。
もう何度か“水の矢”を練習した後、魔導師団の訓練に向かわれたエカテリーナ様と別れ、私も公爵家へと帰ります。
ユート君とキリエさんにまた会う三年後までに、まずは魔導師として一人前になるという目標を立てました。ですが、他にもやらなければならない事は山ほどあるのです。
************************************************************
公爵家に帰ると、私は身支度を整えます。貴族の娘としての教育を受ける為です。
礼儀作法や社交ダンス等、結婚しいつか妻となった時、夫となる人に恥をかかせない事が、貴族の娘…ひいては嫁に求められます。
また、お父様やお母様に同行し、他家のお茶会や晩餐会等にも出席する事もあります。
その際には、他家の息子である方達に声をかけられたり、ダンスのお誘いを受けるので、私としてはあまり好きではありません。しかしこれも公爵家の娘としての務めであり義務ですから、それを放棄するわけにも参りません。
「あの、アリシア殿、よろしければ今度の休息日に、私と遠乗りでも…」
「ご機嫌如何ですかアリシア様。来週、私の誕生パーティーがございまして…」
「アリシア様、婚約の件は考えて頂けましたでしょうか」
「アリシア様は、甘味等はお好きでしょうか? 先日、他国から取り寄せた甘味が…」
皆さんこうして毎回声をかけて来られます。けれど、私は応じるつもりはありません。
なのでやんわりとお断りしておきます。その場はそれで話が終わりますから。何故ならば、公爵家は王家の血縁。貴族としての階級は最も高いのです。
だから、しつこく追い縋る事は出来ません。
************************************************************
「相変わらず身持ちが堅いな」
溜息を吐くアレックス公爵だが、その声色は明るい。
「ユート君を射止める為に、エカテリーナ女史に師事しているくらいですもの。他の男は目にも入らないのでしょう」
ティアナは娘を見て苦笑している。
「そういえば、エカテリーナ女史がな、アリスをえらく褒めていたぞ。姉上を思い出すとな」
アレックスの姉とは、アリアの事…つまりユートの母親の事である。
「聖女と謳われたアリア様のように、いつか世界に名を馳せる魔導師になったりするかもしれませんよ?」
二年前の邂逅、本当に十歳なのかと疑いたくなるほど、ユートは大人びていた。アリシアが、いずれ大人物になるだろうユートの傍らに在りたいと思っている事を、公爵達は知っている。
「……本当になりそうな気がしてならんな」
これは親馬鹿なのではなく、ユートの影響でそうなりそうな気がしていた。