フリード編11 緊迫/決別
ウィンドルグ王国へ帰還したフリードリヒ達は、急いで王宮へと向かう。その様子を見た騎士達は、何事かと顔を見合わせるしか出来なかった。
「ヴォルテールで何か問題でもあったのだろうか?」
「あの召喚竜様まで、険しい顔をしておられたな……殿下はいつもの事だが」
「そう言えば……もう一人の竜の巫女と、召喚竜様が居なかったぞ?」
……
「よくぞ戻った、我が国の精鋭達。そして助力に感謝する、フリードリヒ殿」
労いの言葉をキかけるウィンドルグ王だが、その目は鋭い。この場に居ないユーリと、ヴォルガノス……何か問題が発生したのは、それだけで察するに余りある。
「陛下……至急報告せねばならぬ事が御座います。事は、急を要しますので、礼節に欠ける振る舞いをどうかご容赦頂きたく……」
「構わぬ、フランドール嬢。それで何が起こったのか、話してくれるかね」
フリードリヒ、フランドール、エディ、キースナイトが中心となって、ヴォルテール王国の状況を報告する。
その内容はあまりにショッキングなものばかりであった。
ヴォルテール王国を襲った瘴気の魔物は、フリードリヒの活躍で討伐を完遂。そこまでは良かった。
問題は竜の巫女ユーリが、召喚竜・ヴォルガノスに見限られてその力を失った事。加えて、軟禁されていた際に何らかの要因で見習い騎士であるドランバルトを殺害。
終いには瘴気をその身に浴びて尚、自我を保った状態でヴォルテール王国の王都全域を瘴気で汚染し、王都民を邪人へと変貌させてしまった。
その瘴気は現在も広がりつつあり、このままでは隣国であるウィンドルグ王国も汚染されるのではないか……それが、遠征メンバーの見解だった。
その懸念は、謁見の間に集う者達にも伝播する。
「何という事だ……瘴気の邪人だって!?」
「しかも、竜の巫女だった者が……何故、こんな事に……!!」
「……彼女を討伐するしか、手段は無いな」
「しかしどうやって! 瘴気に汚染されれば、我々も……!!」
混乱する臣下達は、不安一色であった。
「静まれ!!」
口々に喚き立てる臣下達に、ウィンドルグ王は一喝する。
「この場に集うのは、国を率いる立場の者。ならば冷静さを欠いてはならぬ……我等が慌てふためいては、守るべき者達までもが不安になろう」
人の上に立つ者として、相応しい振る舞いを。暗にそう告げているウィンドルグ王の言葉に、臣下達は黙り込んでしまう。
そして、ウィンドルグ王はフリードリヒに向き直る。
「フリードリヒ殿……我々ではあの瘴気の中に入ってしまえば、たちまち汚染されて邪人となろう……貴殿はあの瘴気に、耐える事は可能だろうか?」
やはりそうか、と納得したフリードリヒは、ウィンドルグ王に向けて頷いた。
「問題は無い。あの瘴気の中でも、私には何ら影響は出ない事を断言しよう」
敬愛する天空王の遺失魔道具を以ってすれば、あの程度の瘴気は恐れるに足りず。
しかしながら現在、フリードリヒが所持しているのは守護の首飾りのみ。これでは、己の身しか守る事が出来ないのだ。
「事は急を要する。私は単独でヴォルテール王国に戻り、彼女を……討伐する」
討伐……フリードリヒがそう告げる事で、臣下達はキースナイトに視線を向ける。
あれだけユーリを溺愛し、その結果フランドールとの婚約を破棄したのだ。そんな彼が、感情的にならないはずがない……そう思っていたのだが。
「……」
キースナイトは黙り込んだまま、俯いているばかりだ。この変化には、臣下達も困惑するしか出来なかった。
……
「フリード様……どうか、お気を付けて」
魔導兵騎ジークフリードを召喚するフリードリヒに、声を掛けるフランドール。彼の力は知っていても、不安はどうしても拭えなかった。
――何かしら、この胸騒ぎは……まるで、胸が締め付けられるようだわ……。
そんなフランドールの懸念に気付いたフリードリヒは、柔らかな笑みを浮かべて頷く。
「安心召されよ、フラン殿。私は天空王の左腕、この程度の危地は幾度と乗り越えて来た。早々に片を付ける、しばし待たれよ」
フランドールを安心させる様に、優しい声で語り掛けるフリードリヒ。
「では、参る!!」
再び魔導兵騎ジークフリードを身に纏い、ヴォルテール王国に向けて飛び立ったフリードリヒ。それを見送るのは、フランドールだけではなかった。王宮の者達は皆、窓の外のフリードリヒとフランドールを、固唾を呑んで見守っていたのだ。
「フリード様……ご無事で……」
その姿が見えなくなるまで、フリードリヒを見送ったフランドール。そして彼の無事を信じて待つべく、王宮に戻ろうと踵を返した。そこに、彼が居た。
「殿下……」
「……フラン」
フランドールの元婚約者である、キースナイト……王太子位を剥奪され、現在は針の筵にいる王子である。
「……失礼致します」
話す事など、何も無い……そう言わんばかりのフランドールに対して、キースナイトは必至の様子で声を掛ける。
「待て!! いや……待って欲しい」
いつになく……そもそも、ユーリにかどわかされてからはダメダメな面が目立っていたキースナイト。その間は嘲笑うかのような上から目線だった彼なのだが、そもそもがフランドールを政略結婚の相手として見ていたせいで、彼女に対して愛情を抱いた事などは無かったのだ。
そんなキースナイトが、フランドールに懇願する様に声を掛けた。これには、流石のフランドールも足を止めてしまった。
フランドールが足を止めた事で、話を聞く気があると思ったキースナイト。彼は気まずそうに、フランドールに向けて語り始める。
「フラン……私は、ユーリが自分を理解してくれている存在だと思い……彼女の言葉を信じて疑う事をしないでいた。彼女の言葉が本当なのか、お前に確認する事もせず……」
後悔の念を滲ませたその言葉に、フランドールは自分の心が冷え切っていく感覚を覚える。
何を、今更? そもそも時期ウィンドルグ王となる立場にある者が、片方の意見のみを聞いて決断を下すとは何事か?
そんな言葉が口から漏れ出しそうになるが、フランドールはグッと堪えた。
婚約者の立場にあった頃ならば、躊躇う事無くその言葉を口にした。しかし、今の彼女はキースナイトとは関係の断ち切れた立場なのだ。
彼を諭す? その役割を務めるのは自分ではない。彼が伴侶に選んだ、ユーリである。最も彼女はそんな事を出来るスペックの持ち主ではないし、そもそも不可能だ。瘴気を撒き散らす彼女が、そんな事をしようはずもない。
そんなフランドールの内心に気付く事が出来ず、キースナイトは言葉を続ける。
「済まなかった……私はお前を信じず、ユーリの言葉を信じ込んで、お前の話を聞こうとしなかった」
殊勝な言葉に聞こえるが、彼の本心は別の所にある。それを、フランドールは見抜いていた。
彼が欲しているのは、フランドールではない……自分の立場だ。
ユーリが竜の巫女として自分の傍らに健在だったならば、この状況は無かっただろう……最も、ユーリ自身はフリードリヒが召喚された段階で彼を見限っていたのだが。
しかしユーリは守護竜ヴォルガノスに見放されて、竜の巫女としての資格を失った。その上ドランバルドを殺害し、自我を保ちながら瘴気を撒き散らす邪人となった。
そんな彼女を優遇し、溺愛し、挙句の果てには婚約者だったフランドールを捨てて彼女を選んだのはキースナイトだ。ウィンドルグ王国の者達が、彼に対してどんな感情を抱くかなど考えるまでもない。
まだ手段はある……そうキースナイトは考えていた。フランドール……彼女こそ、自分が王太子に返り咲く為の鍵だと認識しているのだ。
殊勝な言葉で反省したように思わせ、再び婚約者として迎え入れる。現王や、その右腕たる彼女の父親……その権威を自分の元に引き戻せば、自分は再び返り咲ける。そう信じていた。
だが、彼は致命的な要素を失念していた。
「謝罪の言葉だけは、受け止めておきます。では、私はこれで」
フランドールは、そう冷たく口にすると王城内へ向けて歩を進める。キースナイトに振り返る事すらせず、だ。
「ま、待て!! フラン!!」
このままでは、自分に未来は無い……そう焦ったキースナイトは、フランドールの腕を掴んで引き戻そうとする。
彼女を抱き寄せ、自分の側に居て欲しいと口にすればいい。そうすれば、全てはうまく行く。キースナイトはそんな風に考えていたが、彼に向けられたのはそんな甘ったるい展開ではなかった。
パシン……と、乾いた音が鳴り響く。次いで、キースナイトが実感するのは頬の痛みだ。一瞬頭が真っ白になった彼は、すぐに頭に血が上る感覚を覚える。
地位を剝奪されたとはいえ、王太子だった彼……叩かれたことなど、数えるくらい。それにその相手は父であるウィンドルグ王や、剣の師であるエディくらいのものである。女性に頬を叩かれた事など、これまで一切無かった。
「何を……っ!?」
怒りのままにフランドールに怒鳴り散らそうとしたキースナイトだが、その言葉は詰まってしまう。視線の先にある、フランドールの顔を見て。
彼女は泣いていた……これまで、一度として人前で涙を見せた事など無かった、彼女が。
「……殿下、女性の腕を掴むなどという無体な事をなさるなど、ウィンドルグ王族の名が泣きますよ」
フランドールは震える声でありながら、ピシャリと厳しい言葉を突き付ける。その口調は、王太子として教育を受けていた頃を思い出させる。
――殿下、教師の方を困らせるものではございませんわ。皆様は殿下の為に、政務の時間を調整して下さっているのですよ。私もご一緒しますから、戻りましょう?
――官吏は陛下の部下であって、殿下の小間使いではございませんわ。何かありましたら、私に仰ればよいのです。すぐに手配致しますわよ。
――殿下、まだ成長途上の殿下には瘴気の魔物の討伐など早すぎます! ご無理をなさらないで下さい……御身に何かあれば、民も私も心配しますわ!
当時は、彼女が自分を軽視していると思っていた。しかし、今になって思えば……彼女の言葉は、全て自分を思ってくれていたのではないか。
そんな過去を紐解いても、一度として彼女が涙を流していたことなど無かった。
「……フラン、私は……」
何を言えば良いのか、自分でも解らなくなってきた。それでも、何かを言わなければならない。そう思ってキースナイトは、必死に言葉を探すが……何も、言葉が出て来やしない。
そんなキースナイトに、涙を拭う事すらせずにフランドールは目尻を釣り上げて言葉を紡ぎ出す。
「殿下、私はもう殿下の婚約者ではございません。そのような間柄の私を愛称で呼ぶのはお止し下さい」
「待ってくれ!! 私は……もう一度、私に……!!」
「もう一度、私を婚約者に据えようとでも? そのような戯言を口になどなさいませんよね?」
尚も言い募ろうとするキースナイトを、厳しい言葉で突き放すフランドール。彼女は……前世を含めて、人生最高潮に怒りを覚えていた。
「私は貴方の道具ではございません。もう一度貴方の婚約者になれと命じられますか? それなら、私は舌を噛んで死ぬ事を選びます」
キースナイトのモノになるくらいなら、死ぬ方がマシ。彼女は、ハッキリとそう言い切った。
「わ、私が浅慮だったのは認める……そして、君が私を思って厳しい事を言っていたのも……そんな君だから、私は……」
往生際の悪いキースナイトだが、フランドールの視線に込められた熱は無い。むしろ、氷点下。凍てつくような視線とは、正にこの事だろう。
「貴方は私を切り捨て、ユーリ様を選ばれました。その時点で、王太子の婚約者だったフランドールは死んだのです。そんな死人を娶るとは、趣味が悪いにも程がありますわ」
自分を死人に例える……そこに込められた怒りと絶望の感情に、キースナイトは絶句した。
フランドールは、この国の最高位の公爵家の令嬢。そんな誇りを抱いた彼女が、自分の立場を貶す様な言葉を口にするなど想像の埒外。
だからこそ、理解した……自分は、彼女に拒絶されている。それも命を引き合いに出す程の、絶対的な拒絶だ。
顔を蒼褪めさせたキースナイトは、何も言えずに黙り込む。そんな彼に見切りをつけて、フランドールは今度こそ歩き出した。
「……王太子妃となれなかった私に、まともな縁談など望む事は出来ませんわ。生涯を修道院で慎ましく終えるのが、私に残された道なのでしょう」
生涯を修道院で終える覚悟を口にしたフランドールに、キースナイトはようやく己の愚かさに気付かされる。
しかし自分の愚かさを悔いても、もう遅い。どれだけ言葉を尽くしても、届かない距離が開いてしまった。
そもそも己の身可愛さに彼女を再び利用しようとした、己の愚かさを自覚し……本来ならば自分の腕の中にあったはずなのに、今はもう触れる事は適わない彼女に手を伸ばそうとして……その腕を引っ込める。
キースナイトは自分自身の不甲斐さに、膝をついて項垂れてしまう。瞼から溢れ出るものを堪える事は適わず、大粒の涙が大理石の床を濡らす。
二人の道は、今度こそ決定的に分かたれた。




