フリード編10 狂気の末路/破滅
危機を脱したヴォルテール王国と、援軍に駆け付けたウィンドルグ王国。その代表として、二人の人物が向かい合っていた。
一人はウィンドルグ王国第一王子である、キースナイト。もう一人は、ヴォルテール王国の国王であるヴェルナンド・フロイス・ヴォルテールだ。
ヴェルナンドは二十代後半の青年であり、蒼い髪に細身の美丈夫だった。その前に立つキースナイトは、顔を合わせるのは三度目程度である。
「此度の救援、礼を言わせて貰う。ウィンドルグ王に後日、挨拶に向かうと伝えて貰いたい」
ヴェルナンドの言葉に頷き、キースナイトは要件を切り出す。
「王へは必ず伝えます。ところで、今回の件で貴国は少なくない被害が出ているかと。我が国で、力になれる事もあるでしょう」
その言葉に、ヴェルナンドは思考を巡らせる。
隣国であり、召喚竜を擁する国・ウィンドルグ。侵略行為を行わないという隣国の方針を、ヴェルナンドは信用してはいなかった。
故に弱みを見せる事無く、頑なな姿勢を保ってきたが……事ここに至っては、最早そうも言えない。
「……重ねての厚情に感謝する。我が国の現状では、貴国の助力をあてにさせて貰うしかないだろう。その件も含め、後日会談の場を設けさせて欲しい」
その言葉にキースナイトは頷き、立ち上がる。
「復興支援においては、迅速さが命。急ぎ国へ戻り、王に話をして参ります」
その言葉に、ヴェルナンドも立ち上がり……そして、頭を垂れた。国を存続させる為には、ウィンドルグ王国を頼る他ない。瘴気の魔物達への恨み事を内心に溜め込み、必死に耐えているのだった。
……
その頃、フリードリヒはウィンドルグ王国の兵士達と共に、人命救助に奔走していた。彼の眼……竜眼は人間の魂を見通す事が出来る。彼の場合は、主の様な感情を見る力は無い。代わりに、その生命力を視認する事が可能である。
その力と魔導兵騎を駆使して、逃げ遅れた生存者の救助に奔走する。これは実に今の状況に適している能力で、ウィンドルグ兵からもヴォルテール国民からも感謝された。
「あぁ、召喚竜様……!! なんと、なんと慈悲深い……!!」
「ありがとうございます……ありがとうございますっ!! お陰で、私の……私の娘が……!!」
今し方、瓦礫の中に取り残された幼い少女を救出したフリードリヒ。最愛の娘を抱き締めた両親は涙を流し、フリードリヒに頭を垂れていた。
そんなフリードリヒの活躍を、穏やかな眼で見つめているのはフランドール。彼女もまた、炊き出しの手伝いをして被災した者達に希望を与えていた。
「フランドール嬢、公爵令嬢である貴女様がそこまでする事は……」
「あら、私とて料理の心得くらいは学んでおりますわ。ほら……この包丁さばき、手慣れたものでしょう?」
前世の記憶を持つフランドールは、実際に手慣れた様子で野菜を食べやすい大きさにカットしていく。危なげないその手付きに、不安要素は無い。
問題なのは重要人物であるフランドールが、他国の被災地という危険地帯でのほほんと料理をしている現状である。公爵令嬢であり、竜の巫女である彼女の身に何か起こったら? この場にいる全員の首が飛んでも、不思議ではないのだ。
それが許されているのは、この場にフリードリヒが居るからだ。
「この場にフリードリヒ殿がいらっしゃらなければ、断固として反対するのです。それをお忘れなきよう……」
「そうですね。私もフリード様がいらっしゃらなければ、こんな風に振る舞う事は出来ませんわ」
そんな雑談をしながら、炊き出しをするフランドール。見目麗しい少女が被災者の為に働く姿を見て、ヴォルテール王国の民は感動に打ち震える。
また、魔導兵騎を身に纏って人々の救助に当たるフリードリヒも、彼等の崇拝の対象となっていた。
「あの御方は、貴族様では……?」
「ただの貴族ではないぞ、あの御方は竜の巫女らしい。あの青年……鋼鉄の巨大な鎧を身に纏う彼が、召喚竜フリードリヒ様だそうだ」
「ウィンドルグ王国が来てくれなければ、我々も魔物の腹の中に居たのでは……」
「遥か昔に召喚された竜は、尊大な性格だったそうだが……今代の召喚竜様は、慈悲深い御方なのだな……」
そんな声が、ヴォルテール王国の民から上がる。それを聞いたある騎士は、顔を顰めた。
(ふざけるな……それではまるで、ウィンドルグ王国がヴォルテール王国の上みたいではないか!)
彼はヴォルテール王家に代々仕え、強い忠誠を誓う騎士の家系だ。自国民の心がフリードリヒとフランドールを崇拝する様な言葉に、気分を害していた。
彼は拳を握り締め、騎士団長の下へと大股で歩き始める。民の関心がウィンドルグ王国へ向かうのを、食い止めなければならないと感じたのだ。
……
一方、飛空艇ラ・ミエールの中。ユーリが捕縛されていた部屋に、荒い息遣いが響いていた。グッタリとした様子で、自分に覆い被さる男から顔を背けるユーリ。一糸纏わぬ彼女の身体には、男の欲望を散々吐き出された痕跡が見受けられる。
光を失った瞳で、ユーリは窓の外を見る。そこでは多くの被災者達が、二人の人物に感謝と崇拝の視線を向けていた。
(何でアタシがこんな目にあって……あいつらがのうのうとしているのよ……)
炊き出しを手伝いながら、被災者達に笑顔を振りまくフランドールの姿。その笑顔を見たユーリの心に、どす黒い感情が沸き上がる。
(アタシをバカにしてんの……!? こんなヤツに乱暴されているアタシを、嘲笑ってんの!?)
ユーリの状況を、フランドールが知る筈もない。しかし何度もドランバルトの欲望の捌け口となり、心身共に疲れ果てているユーリ。彼女は、そんな簡単な事に気付けない状況だった。
フランドールへの憎悪が、その心を支配する。そんな彼女の脳裏に、何者かの声が響き渡った。
『良い憎悪だ、娘……』
(誰……)
『貴様、竜の巫女だな……? 召喚した竜はどうした? 戦に敗れて死んだか?』
(……知らないわよ、あんなヤツ……アタシを捨てて、消えたんだから……)
『ほう……? 良かろう、娘よ。ならば我が契約してやろう……』
低い声でユーリの脳裏に語り掛ける存在……その正体に、ユーリは気付く事が出来ない。
それが、この世界に瘴気を発生させている元凶。地底深くに封じられた、邪悪な存在である。この世界に酷似した、地球で発売されている女性向け恋愛シミュレーションゲーム……そのクライマックスで、主人公とそのパートナーとなる攻略キャラが再封印する邪竜。その名を、【バハルート】という。
(契約……? どうでも良いわよ……好きにすれば……?)
自暴自棄なユーリの心の声を聞き、バハルートは地の奥底でクツクツと嗤った。
『では……お前の言葉通り、好きにさせて貰おう。さぁ、この下らない世界に終焉を齎そう』
バハルートがユーリにしか聞こえない声でそう告げると、ユーリは異変に気付く。自分の身体の中に、何か得体のしれないモノが入り込んでくるのを感じた。
ドランバルトによって暴行を受けたユーリは、その感触に拒絶反応を起こす。
「あぁぁぁぁっ!! いやぁぁぁっ!!」
突然、大声で喚き始めたユーリ。その様子を見て、ドランバルトは息を荒げながらユーリの両手を押さえ付ける。
「ユーリ……ユーリ、今だけは私のユーリ……」
ドランバルトの声が耳に入り、ユーリの中で何かが切れた。
ユーリは闇の様に暗い瞳で、ドランバルトを凝視する。
「ドランバルト……」
ユーリが自分の名を呼んだことで、ドランバルトは嬉しそうな表情を浮かべる。ユーリがようやく、自分を受け入れてくれたのかと思ったのだ。
「ユーリ、私は君を……」
しかし、ユーリがドランバルトを受け入れるはずもない。ユーリが彼に向ける感情は、憎悪。そして……。
「死ね」
殺意。
ユーリの身体を突き破る様に、黒い腕が飛び出す。それは黒い闇の集合体の様で、ドランバルトの腹を貫いた。
「……ゴフッ……」
貫通の衝撃と、口から流れ落ちる血。この時点で、確実に助からないのは明白。
しかし、その程度で止めるユーリではない。
「死ね……死ね、死ねシねしねシシシネ死ねしねシネシねシネシね死ね」
更にユーリの身体から飛び出した黒い腕が、ドランバルトの腕を、足を、局部を、耳を、掴んでは毟り取る。
「あが……がぁ……っ!!」
「シネしね死ねしネシね……!! 死ネェッ!!」
次々と身体を引き千切られたドランバルト。それでも満足していないユーリは、自らの腕でドランバルトの胸を貫く。
「ユ……リ……」
自分の名を呼ぶドランバルトの胸から、腕を引き抜くユーリ。その手には、ドランバルトの心臓を握っていた。
「私の名ヲ呼ぶナ……ッ!!」
憎悪と殺意に歪んだ表情で、ユーリは黒い腕でドランバルトの口を強引に空けさせた。そして、彼の心臓をその口にねじ込む。
その凄惨な光景を生み出したユーリは、ユラリと立ち上がって部屋の扉に向かう。
「ツギ……次、つぎツギ次次……」
目をギョロギョロと動かしながら、ユーリは扉を黒い腕で突き破った。
『ほぅ……我の力にここまですんなり順応するとは……面白いぞ、小娘』
バハルートはそう言って、ユーリの体内で蠢く。
『すぐにその身体を突き破り、この地上に顕現するつもりであったが……良い余興になりそうだ、しばらくは好きにさせてやる』
そんなバハルートの言葉が脳裏に届いても、ユーリは何ら反応しない。何故ならば、彼女の意識は全て憎き相手に向けられているのだ。
「ころスコロす殺し殺スコロすこROスころ殺す殺し殺せ殺殺殺殺……」
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飛空艇の中で起きた非常事態に気付けていないフリードリヒとフランドールは、被災者への対応を粗方済ませた所だった。
そこへ王宮へ赴いていたキースナイトと、護衛に同行していた騎士団達が帰還する。
「……召喚竜フリードリヒよ。この地の被災者達への支援の為、我々は急ぎ国に戻らねばならない……飛空艇でウィンドルグ王国へと向か……ってくれ」
最後の一言を、”向え”と言いそうになり……既のところで、何とか修正する事に成功したキースナイト。
その態度は受け入れられないが、話の内容は別だ。
「よかろう、急ぎ出立しよう」
被災者への支援となれば、フリードリヒにも否は無い。フランドールに視線を向けると、彼女も同意見らしく柔らかな表情で頷いてみせた。
「かしこまりました、フリードリヒ様」
すると二人は、踵を返して飛空艇へ向けて歩き出す。
――この……っ!! 私を置いて歩き出すとは……!! し、しかし耐えろ……今は、まずい……!!
自分の立場が危うい事を、ようやく理解出来たキースナイト。フリードリヒとフランドールの行動に苛立ちを覚えつつ、その怒りを堪えて後を追う。
そして飛空艇に乗り込んだ面々は、早速ウィンドルグ王国へ向けて出発しようとし……そこでエディは、息子であるドランバルトが居ない事に気が付く。
「ドランバルトはどうした?」
艦橋にあたる場に、ドランバルトの姿は無い。その状況に、キースナイトはある可能性に思い至る。
――もしかしたら……ユーリの所に行ったのでは?
ドランバルトも、ユーリの事を想っていた……その上で、彼が自分とユーリの為に身を引く覚悟を固めていた事を、キースナイトは知っていた。それが次期王となる自分と見習い騎士である彼の間では、当たり前の事だと思っていたのだ。
召喚竜に見限られたユーリは、ウィンドルグ王国へ戻れば王によって裁かれる。それを考えれば、今の状況は彼女と話せる残り少ない機会である。
――そっとしておくべきだろうか。
ユーリへの焦がれる様な想いは冷め、独占したいという欲求が失せてしまったキースナイト。それが彼の意識を、ドランバルトの心境を慮る方向へと向かわせた。
「恐らくは、見張りにでも立っているのだろう。構わん、好きにさせてやれ……」
キースナイトの言葉に、フランドールは意外な物を見てしまったと内心で独り言ちる。
何せ、騎士団長の息子であるドランバルトを重用し、学内でも側に控えさせていたのだ。彼が居ない時には「王太子である俺の側を離れて、何をしている」なんて発言もあった。それを思うと、随分な変化である。
――まぁユーリの本性暴露で、熱も冷めたのでしょうね。
流石にあの醜態を見れば、百年の恋も冷めるというもの。これで少しは、まともになれば良いのに……と、他人事のように考えてしまう。
事実、もう既にフランドールにとっては他人事だ。何せ、彼との婚約は破棄されたのだから。
そんな中、フリードリヒは飛空艇を起動させる。ゆっくりと浮き上がる飛空艇に、ウィンドルグ王国の兵士達は浮足立つ。早々体験できない、空の旅なのだ。しかも今度は、ヴォルテール王国の危機を脱した後。支援の必要性はあるものの、焦燥感に駆られる事は無いのだ。
「では、ウィンドルグ王国へと……」
帰還しよう、とフリードリヒが言い切ろうとした、その瞬間。
「むっ!?」
「きゃっ!?」
飛空艇の中から轟音が轟き、そして大きな揺れ。バランスを崩したフランドールを、フリードリヒが支える。
「も、申し訳ありません……」
「いや……怪我は無いか、フラン殿」
寄り添う様にして立つ二人の姿は、実に絵になる……のだが、今はそれどころではない。
「な、何事だ!? 不具合でもあったのか!?」
フリードリヒとフランドールの様子に、何故か苛立ったキースナイトが声を荒げる。
「いや、不具合では無い……あの御方の作った遺失魔道具だ、不具合があれば私に伝わる様になっているはず。だが……」
ならば、何が起きたのか? その疑問に対する答えは、眼下にあった。
「何だ、あれは!!」
兵士の一人が、眼下に広がるヴォルテール王国の王都に向けられている。
そこに居たのは、一糸纏わぬ全身から黒い瘴気を発する少女。髪の毛は真っ白に染まり、血の様に赤い瞳で飛空艇を睨み付けている。
「あれは……!?」
「ユーリ……!? ユーリなのか……!? 何だ、あの禍々しい瘴気は……!!」
フランドールが口元を両手で覆い、キースナイトが窓に張り付く様にしてユーリを凝視する。二人はどちらも、変わり果てたユーリの姿を見て愕然としていた。
そこへ、一人の兵士が飛び込んで来る。
「大変です……!! 捉えていたあの娘が……!! バルカス騎士団長の、御子息が……!!」
「ドランバルトが……どうしたって……!?」
聞き捨てならない言葉を聞き咎め、エディが部下に鋭い視線を送る。厳しく育てて来たものの、将来は自分の跡を継ぐであろう期待の息子。その身に何かあったのかと、思考が錯綜し声を荒げてしまうのも無理はないだろう。
しかし、顔面を蒼白にさせて震える部下の姿を見て一気に思考が正常に戻る。
「……何があった」
我が子の事であろうとも、必死に己を律して状況を把握すべく努める。それが、エディという男だった。
「……何者かに、殺害されていました……場所は、元・竜の巫女の娘を軟禁していた部屋です……」
状況から考えて、殺したのはユーリ……そう思っても、不思議ではない。しかし軟禁しているユーリが部屋を出て、ドランバルトを殺害したならば不可解な点が多すぎる。
「見張りは何をしていた……!?」
「それが……御子息が、見張りを変わると……」
見張りを担当する兵士がその場を離れたのは、ドランバルトの申し出を受けての事だったらしい。
しばらく飛空艇ラ・ミエールを睨んでいたユーリだが、徐に両手を広げてみせた。同時に広がる、漆黒の瘴気。それは穏やかな水面に広がる波紋の様に、ヴォルテール王国の王都に広がっていく。
「王都が……!!」
「ま、まずいぞ!? あんな瘴気に触れてしまったら……」
悲鳴を上げて逃げようとするも、あっという間に瘴気に呑まれていくヴォルテール王国の民。それは平民も、貴族も、騎士もあっという間に呑み込んでしまう。
瘴気に動物が触れ、その身を蝕まれる事で魔物になる……それは、この世界で暮らす人々にとっては常識だった。では、それに人が触れてしまったらどうなるか……?
「……邪人化するぞ!!」
体内に入り込んだ瘴気によって、その肉体も精神も蝕まれる。そうして、生まれ変わる……魔物化した人間・邪人へと。
邪人となった人間は自我を失い、記憶を失い、正気を失う。そうして、ただ目に映る生物全てを殺戮する為の存在へと成り果てる。
しかし、この場には例外が存在した。瘴気の中心……変質した竜の巫女だった少女。
「穢してやる……!! この国も、ウィンドルグも、世界中全てを……アタシが全てメチャクチャに穢してやる……っ!!」
その言葉は何故か、フリードリヒや、フランドール……キースナイトにも、エディにも、ウィンドルグ王国騎士団の者達にも聞こえた。
「……自我を、保っている……!?」
「どういうことだ……!?」
そうこうしている間にも、瘴気はどんどん広がっていく。
「ま、まずいぞ!! このままでは、ウィンドルグ王国までもが……!!」
「そんな……!!」
キースナイトの言葉に、フランドールは顔を青褪めさせた。自分の生まれ育った国、そこに住む人々、愛する家族……かけがえのないものが、ウィンドルグ王国には存在するのだ。
「フ、フリード様……!!」
縋る様なフランドールの視線に、フリードリヒは眼下に広がるヴォルテール王国の王都を口惜しそうに見……そして、苦渋の決断を下した。
「ウィンドルグ王国へ、一時帰還する。各々方、何かに捕まっておられよ」
そう言うと、フリードリヒは彼の王から託された門弾の力を発動させる。広がる巨大な魔法陣の中に飛空艇が包まれると、上空からその姿が消失した。
後に残されたのは邪人と化したヴォルテール王国の民と、瘴気を放つユーリのみであった。




