フリード編8 巫女失格/守護竜
ヴォルテール王国の危機を受け、救援に向かっているフリードリヒ達。検問の兵士達から、王都が陥落し兼ねない事態だと知ったフリードリヒ。そこでフリードリヒはヴォルガノスに声を掛け、先行する事を提案。
それを快諾したヴォルガノスと共に、飛空艇ラ・ミエールの外へ出ようとしたのだが……それを制止したのは、ヴォルガノスの巫女であるユーリであった。
「ヴォルガノス、私に無断で何処へ行くつもりなの!」
「……この国の王都は今、危機に陥っている。我等が本気で飛べば、この飛空艇とやらよりも先んじて到着出来るだろう。それの何に不都合があった、巫女よ」
フリードリヒとの会話に比べて、ユーリに対する言葉には温度差があった。無論、低い方にだ。
そんなヴォルガノスの言葉を受けて尚、ユーリは不機嫌そうに鼻を鳴らし……そして、冷徹極まりない一言を放った。
「そんなの別に構わないでしょ、ウィンドルグ王国には関係ないじゃない。アンタは私の言う事だけ聞いていれば良いのよ!」
それは、決して言ってはならない一言だった。
まず自分達が、こうして王都を目指している理由は? ウィンドルグ王の意思を受け、隣国に恩を売る……という建前で、人命を救う為だ。
フリードリヒやヴォルガノスはウィンドルグ王国に力を貸しているに過ぎず、その命に従う義務はない。しかしユーリは竜の巫女である前に、ウィンドルグ王国の民だ。しかも、一平民である。
そんな彼女が王命に逆らえば、反逆罪となる事も有り得るのだ。
そして今の言葉は、竜の巫女としても言ってはならない台詞である。
彼女は勘違いしているが、巫女とはヴォルガノスの主人ではない。むしろ、逆なのだ。それくらいはフリードリヒとフランドールを見ていれば解りそうだが……ユーリはなまじ前世の知識と、ゲームの知識がある。その為、相手の事を見透かしたつもりでいるのだ。
――まったく、ゲームとは違う展開ばかりだわ! 主人公の私を、もっと敬いなさいよ!
彼女にとって、この世界は主人公である自分の為に存在する世界。自分が世界の中心であり、全ては自分の思い通りに進まなければならない。それが真理……そう考えている。
それは、傲慢だ。
「フリードリヒ。貴殿は先に向かわれよ」
「……心得た」
その場を離れようとするフリードリヒは、フランドールの側へと歩み寄った。
「フラン殿、私はこれより先行する。飛空艇は離れていても操作できるから、心配は要らない」
「はい、フリード様……お気を付けて」
フランドールに向けて微笑みと共に頷いたフリードリヒは、今度こそその場を後にした。
「……ふん、勝手にすれば」
苛立ちを隠し切れない……そもそも隠すつもりもないユーリに、ヴォルガノスが視線を向ける。その視線に気づいたユーリは、不愉快そうに睨み返す。
「何よ、ヴォルガノス。何か言いたい事があるならば言いなさいよ!」
召喚竜に対してそんな暴言を吐くユーリに、周囲の兵士達は冷たい視線を向けている。騎士団長のエディさえ、処置無しと言わんばかりだ。
そうなってしまうのも、無理のない事だった。学園に通っている頃から、ユーリはキースナイトの権威を笠に着て陰では高圧的な振る舞いを続けていた……という報告が、主だった貴族の子息令嬢から上がっていたのだ。
更には王城で暮らす様になってから、ユーリの傍若無人な振る舞いは加速した。メイドを顎で使うのは序の口で、兵士にすら雑用を任せる様な発言が目立っていたのだ。
竜の巫女でさえなければ、彼女を懲らしめられる……そんな考えに至っても、それを責められはしないだろう。
この場にいる者で、彼女を気に掛けるのはただ一人。
「待つんだ、ユーリ。ヴォルガノス様は偉大なる竜なのだから、そんな言い方をしては……」
キースナイト……彼はユーリの立場や安全を考慮して、彼女を窘めようとした。それは彼女を愛するが故に……そして、彼女を守りたいが故に。
しかしキースナイトの言葉すら癪に障ったユーリは、キースナイトを睨み付けると口汚く罵り始めた。
「うるさいわよ!! 王太子じゃなくなったくせに、偉そうな事を言わないでくれる!?」
「ユ、ユーリ……?」
ついに我慢の限界を迎え、怒りが爆発したユーリ。攻略対象や権力者の前で被っていた、健気な少女の仮面を自ら剥ぎ取った。
ちなみに王太子ではなくなったものの、キースナイトは第一王子という立場のままである。平民のユーリが、罵ってよい相手では無い。
しかしそんな事も忘却の彼方へ置き去りにしたユーリは、本性を曝け出して悪態をつき続ける。
「あー、もうサイアク……何でこんなに、シナリオ通りに行かないの? やっぱり、アンタのせいでしょフランドール!!」
突然、矛先がフランドールに向けられた。
ちなみにフランドールは、ユーリの暴挙を見てずっと目を丸くしていた。あまりにも、我慢が効かな過ぎだろうと思ってである。
これまでの可憐で健気な少女の演技は、それはもう見事な物だったのだが……数年に渡る演技の陰でこうして毒を吐いていたかと思うと、いっそ関心すらしてしまう。
「こら、アンタなにシカトこいてんの!? 人を舐めるのも大概にしなさいよ、この阿婆擦れ女!!」
誰も、ユーリには言われたくないだろう。なにせ彼女はキースナイトに擦り寄っておきながら、王太子位を剥奪された途端に掌を返したのだ。そして、次の攻略対象を定めつつあったのである。
しかしフランドールとしても、阿婆擦れとまで言われては言い返さずにはいられない。自分だけではなく、公爵家の家族にまで不名誉な発言なのだ。
「阿婆擦れとは誰の事かしら? 私には覚えがありませんわ」
「よく言うわよ! キースナイトに婚約破棄されたら、次はフリードリヒに擦り寄ってったじゃない!!」
「人聞きの悪い事を仰らないで下さいます? 私はフリードリヒ様の巫女として、その御心を知る為に馳せ参じたに過ぎません」
無論、これは嘘だ。キースナイトが霞んでしまうくらい、フリードリヒは魅力的な男性だ。そんな彼と添い遂げる事は出来ずとも、別れの日が来るまで側に居たいと思うのは無理も無いだろう。
しかしヒートアップしたユーリの暴言は留まるところを知らず……ついに、フランドールの逆鱗に触れてしまう。
「嘘おっしゃい!! どうせ夜な夜な、アイツの上で腰振ってんでしょうが!!」
そんな不快極まりない発言を受けて、聞き流せるフランドールでは無かった。無言でユーリの下へ近付いていくと、思い切りその頬を叩いたのだ。
「きゃあぁっ!?」
本気のビンタに、ユーリはよろめいて倒れてしまう。そんな彼女を見下して、フランドールはひりつく手の痛みにも頓着する事無く、口を開いた。
「無礼が過ぎるわ、貴女。私はクロスロード公爵家の娘であり、あなたはただの平民でしょう。私個人ならばいざ知らず、誇り高きクロスロード公爵家を侮辱する事は許さないわ」
凍て付く様な氷の視線に、絶対零度の声で紡がれる言葉。フランドールはついに、今まで募り募った怒りを静かに爆発させていた。
「更に貴女は偉大なる竜たるフリードリヒ様や、ヴォルガノス様にも……第一王子であらせられるキースナイト殿下に対しても、無礼な発言を繰り返したわね」
彼女の怒りは、その言葉通り自分を侮辱されたからではない。
惜しみない愛を注いでくれた両親、そして誰よりも紳士的で気高いフリードリヒ……彼女が深く深く愛している者達をも侮辱する、最低最悪の言葉だったからだ。
キースナイト? 一応、思い出したから付け加えただけである。
「王侯貴族や召喚竜への無礼な振る舞いが、どんな罪に問われるか解る? 極刑は免れないわ。無論、竜の巫女であろうと例外は無いわ」
「はぁ!? ふざけんじゃないわ!! 私は主人公なのよ!! そんな私が処刑されるはずないじゃない!! アンタが処刑されないさいよ!!」
喚き散らすユーリに対して、フランドールはフッと冷笑する。
彼女の心の拠り所……それは、自分が主人公だという事。でも、これはあの乙女ゲームの世界では無い。何故ならば、自分達は実際にこの世界で生きているのだ。
プログラミングされたキャラクターではなく、一つの生を全うしようと生きている。自分も、キースナイト達も。だからこそ、フランドールは運命を変える為に抗って来たのだ。
「嫌よ? 私は国に対しても、クロスロード公爵家に対しても……そして陛下や、婚約者であったキースナイト殿下、偉大なる竜フリードリヒ様に対しても、何一つ恥じ入る事をした覚えが無いもの」
その言葉を口にしたフランドールは堂々としており、誰がどう見ても……キースナイトから見ても、立派な公爵家の令嬢だった。
「嘘よ!! アンタなんか追放されなきゃいけないのよ!! だってそういうシナリオだったもの!!」
「何の事を言っているのか、意味不明過ぎるわ……これ以上は時間の無駄ね」
フランドールは落ち着いた様子で、エディに声を掛けた。
「バルカス騎士団長閣下、彼女はどうやら気分が優れないようですわ。落ち着いて静養できる部屋へ、ご案内して差し上げては如何かと」
それは彼女を拘束し、どこかへ軟禁するべき……という意味合いだ。王侯貴族を侮辱した彼女に対して、実に適した扱いだろう。
「クロスロード公爵令嬢の言う通りだな……おい。フリードリヒ殿から、部屋は自由に使って良いと了承を得ている。彼女を連れて行ってやれ」
その言葉に、二人の騎士がサッと動いた。ユーリの腕を掴むと、無理矢理に立たせる。
「ちょっ……何すんのよ!! 離しなさい、私が誰だか解ってんの!?」
そんな風に喚き散らすユーリだが、騎士達は一切取り合わない。体裁としては、乱心した巫女を静養させる為に部屋へ案内するという物だが……実際は、侮辱罪を犯した平民を拘束した現場でしかない。
拘束されて連れられて行くユーリは、キースナイトに向けて叫ぶ。
「キース様! 助けて!」
それは、自分の傍らに居た時と変わらない表情……ではない。目は血走り、必死の形相だ。
――この期に及んで、彼女はそれで自分が助けると思っているのか……?
キースナイトとて、先程の暴言を流せるはずが無かった。確かに彼女を愛している……愛していたが、そんな相手から口汚く罵られたのだ。
愛し合っているならば、あの様な言葉は出て来ないだろう。つまり、彼女は自分を愛していたのではなく……利用していたのだろう。
それに気付いたキースナイトは、ユーリから目を逸らした。
「ちょっ!! キース様!! ねぇ、キース様っ!! 待って、ねぇ!!」
そんな風に喚き出したユーリが、扉から連れ出されるその直前。
「待て」
ヴォルガノスが、騎士達を止めた。
「ヴォルガノス!! そう、やっぱりあなたは私を理解してくれているのね!!」
助かった……ユーリは心の底から、そう思った。しかし、彼女はもう正常な判断力を失っていた。助かるはずなど、毛頭無かったのだ。
「あぁ。恐らく我はこの中で、最もお前を理解している……穢れた魂の持ち主よ」
そう告げたヴォルガノスの瞳は、竜のそれに変貌していた。
「これ以上は、無駄に時間を浪費する事となるだろう。貴様はもう、我が巫女ではない」
ヴォルガノスが掌を翳すと、ユーリの手に浮かんでいた竜の紋章が薄れていき……そして、消えた。
「……え? な、何で? 待ってよ、何で紋章が……!」
「言ったはずだ、貴様はもう我が巫女ではないと」
ヴォルガノスは淡々と、ただ淡々と告げる。その言葉に、ユーリは全身から力が抜けてへたり込んでしまう。
竜に見限られるのは、フランドール。決して自分ではない。そんなシナリオを盲信した確信があった。
だが、それは違う……何故ならば、それを決めるのはユーリでもフランドールでもなく……召喚された竜なのだから。
「竜信仰の騎士達よ、世話になった。貴殿らの王にもそう伝えるが良い」
そう言うと、ヴォルガノスの身体が薄れ始める。それは疑いようも無く、別れを告げる言葉だった。
その光景を見て、その言葉を受けたエディ達は慌て出す。
「ま、待たれよヴォルガノス殿!! この娘の所業は確かに巫女として相応しく無かったが、我々は御身を心より……」
必死に引き留めようとするエディだが、ヴォルガノスがそれを手で制する。
「済まぬな、人の子らよ。だが解って欲しい。我はこれ以上、お前達を嫌いになりたくはないのだ」
そう告げたヴォルガノスの表情は、どこか哀しそうな表情である。その表情に、その言葉に、エディ達は何も言えなくなる。
ヴォルガノスはフランドールに視線を向け、笑顔を浮かべる。
「フリードリヒに伝えよ、気高き巫女よ。受けた恩は必ず返す……と」
その言葉を言う時だけは、清々しい雰囲気を纏わせるヴォルガノス。
彼女もまた、フリードリヒという存在に心を動かされていたのかもしれない。だからこそユーリという邪な感情を持った少女が、己の巫女であるという事にも耐えていたのだろう。
しかし、ヴォルガノスが許容出来るボーダーライン……ユーリは、それを無自覚に超えてしまった。その結果が……この決別の時、ただそれだけの事だった。
「畏まりました、ヴォルガノス様……」
「案ずるな、人の子らよ……我は守護の竜也。危機が訪れるならば、また会う事もあるやもしれぬ。そんな時など来ない方が良いのだが、な……」
そして、ヴォルガノスの身体はもうほとんど薄れてしまった。
「さらばだ、人の子ら。人の歴史に幸があらん事を」
その言葉を残して、ヴォルガノスは完全にこの世界から去っていった。
ヴォルガノスが消えた瞬間を見たユーリは、完全に見限られたのだとようやく理解した……己の所業が、いかにまずい事だったのかを。
「待って!! 戻ってきてよ!! お願い、謝るから!! 私が! 私が悪かったからぁ……!!」
半狂乱になって取り乱すユーリだが、既に彼女の味方は居ない。彼女を庇おうとしたキースナイトすら、彼女は遠ざけてしまったのだから。それも、罵声を浴びせるという最悪の行為によって。
「……ちっ、こいつ!! 今更そんな……!!」
「何でこんな事に……こいつ、この場で首を……!!」
にわかに殺気立つ騎士達だが、エディがそれを止める。
「勝手な真似は許さん。この様な事態を引き起こしたとはいえど、この娘はまだ我が国の民。陛下の民に対し、陛下の裁定を待たずして刃を振るうなど言語道断!! お前達は下がれ!!」
これ以上の汚点は認めない。エディもまた、気が立っていた。
しかし、それでも彼は騎士だった。国と民の盾となり、王の剣となる忠義の騎士だった。
これ以上、エディを刺激するのはよろしくない……そう悟った、比較的冷静な騎士達がユーリを引き摺っていく。尚も喚き散らすユーリに対し、フランドール以外の誰もが冷め切った視線を向けていた。




