フリード編5 廃嫡/主人公
フリードリヒが異世界召喚された、その翌日。彼の主であるユート・アーカディア・アヴァロンは、フリードリヒの婚約者達に詰め寄られていた。
異世界の勇者、ノゾミ・モチヅキ。
ドワーフ族の槍戦士、クラリス。
ヒルベルト王国王妹、カレナシア・ハミルトン・ヒルベルト。
竜人族の大賢者、ディアマント・ハラオウン・ワイズマン。
数々の戦いを潜り抜けた歴戦の勇士であり、見目麗しい女性達である。アヴァロン王国・ムラーノ侯爵領ではアイドル並みの人気を博している。
今現在、そんな人気者達はユートを睨んでいた。
「いや、そんな睨まないでよ。召喚したのはあっちの世界の人だからね? 手助けする事を決めたのは、フリードなんだしさ」
どうやら、フリードリヒの不在について詰問されていたらしい。
だがユートの言葉通り、彼に非は無い。なので、彼に出来る事は彼女達を宥める事くらいである。王の威厳とは、何処か。
「ユートさんが言えば、フーさんは帰って来ると思うんですけど!」
ノゾミの言葉に、ユートは素直に頷いた。
「そりゃそうだろうね。フリードの忠誠心は、僕が一番知っているし」
忠犬……むしろ忠竜なフリードリヒである。アヴァロン王国のメンバーの中で、最もユートへの忠誠心が高いのは彼だろう。
しかし、だ。ユートがそれを良しとしなかったのにも、理由があるのだ。
「でもさ、フリードが……あのフリードがだよ? 忠誠心カンスト状態の、あのフリードがだ。それも自分から僕に、時間が欲しいと言ったんだよ? そりゃあ許可するし、交渉の為にエイルや王竜を派遣するくらいするよね」
あっけらかんと言うユートに、四人が肩を落とす。
「まず王竜をその様に扱う陛下の感性が信じられません……」
「無駄よ、カレン。王竜が忠誠を誓う神竜が、彼のお嫁さんだもの……」
カレナシアとディアマントの会話が耳に届くも、ユートは知らんぷりを決め込んだ。
だって、行きたいって言い出したのは王竜だもの。
頭痛がしてきた気がするも、何とかそれに耐えたクラリスが、新たな質問を投げ掛けた。
「それで、陛下? フリードがこちらに帰って来るのに、どれ程の時間が掛かるのでしょうか?」
内容は、フリードリヒが帰って来るまでに掛かる時間。目の前に居るのは、言っても聞かない王様なのだ。これ以上説得しても無意味だと、クラリスはよく解っている。
「十日間。だから、あと九日だね」
即答である。
「……何で、そんなに正確に解るのですか?」
「未来のエイルから、メールが来たから」
そう言って、円卓の絆を差し出すユート。
――フリードの件、解決するのは十日後だよ!
簡潔なメッセージに、四人は深い溜息を吐く。彼女達の脳裏に、“似たもの夫婦”という単語が浮かび上がった。
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フリードリヒが異世界に召喚され、三日目。フリードリヒ達は、謁見の間に集められていた。
玉座に座るウィンドルグ王の脇に控えるのは、宰相ダリウスと騎士団長エディ。
本来であれば、ウィンドルグ王の横にキースナイトが座るはずだった。
しかし、彼はここ最近の失態で玉座の前にある階段の下に立たされていた。これは他の王子達と一緒に、だ。まるで、王太子の席に座る前の様に。それもあって、キースナイトはイライラしていた。
そんなウィンドルグ王国の主要人物達の前に、跪くのはフランドールとユーリ。その背後に立つのは、召喚されたフリードリヒとヴォルガノスだ。
ちなみに、ユーリもまたイライラしていた。理由の一つは、ゲームならば退場しているはずのフランドールが今もこの場に居る事。一つは、フリードリヒの先日の発言。そして最後に、自身が召喚したヴォルガノスだ。
――ただのドラゴンだと思ってたら、こんな美人とかふざけないでよ! 主人公である私が霞んじゃうじゃない!
そう、ユーリの中では主人公たる自分が最も輝き、注目を集め、愛される世界でなくてはならないのだ。だというのに、ヴォルガノスは絶世の美女に人化した。それが、気にくわなかったのだ。
故に、ユーリはヴォルガノスとろくに会話もしていない。
……
ウィンドルグ王は集まった者達に視線を巡らせると、一つ頷いて言葉を紡ぎ出す。
「今朝、他国に放った内偵から報せが届いた。東側の隣国であるヴォルテール王国が、戦の準備を進めているそうだ」
その言葉に、内心で首を傾げるフリードリヒ。
――要するに、このウィンドルグ王国に攻めて来る可能性が高いという事か?
だとしたら、瘴気の件とはまた話が変わってくる。その原因が自分達に関りが無いのならば、フリードリヒは参戦するつもりは無かった。
無論、ウィンドルグ王もそれを予想していた。
「攻め込む可能性が高いのは、我が国だろう。狙いは当然、召喚されたフリードリヒ殿とヴォルガノス殿だ。時期的に考えて、まず間違いは無いだろう」
――ふむ、私とヴォルガノス殿を倒す……もしくは、奪う腹積もり。その可能性が濃厚と、この王は考えているのか。
ウィンドルグ王の言葉に、ヴォルガノスが首を横に振る。
「人の姿をとっても、我等は竜。そう簡単に倒す事が出来ると思われるのは、甚だ心外だな」
その言葉を発したヴォルガノスに、ウィンドルグ王国の面々の視線が集中する。
ちなみに、ヴォルガノスは自分達を倒して名声を得る……というつもりだと考えていた。
「流石にそこまで愚かでは無いだろう。貴殿等を倒すのではなく、奪うつもりだと余は考えている。大方フランドール嬢とユーリ嬢を攫い、貴殿等を手中に収める腹積もりだろうな」
――そういう事か。ならば、関与するのも吝かではないな。
「成程。そういう事であれば、我は力を奮うに異論は無いな」
「感謝する、偉大なる竜よ」
ユーリはヴォルガノスが参戦する事で、巫女である自分の価値が上がったと錯覚した。だから、ウィンドルグ王に取り入るべく
「ご安心下さい、王様。ヴォルガノスがいれば、隣国が攻め入って来ても問題はありません」
そんなユーリの言葉に、ウィンドルグ王や側近達は顔を顰める。フランドールはまたかと、溜息を吐きそうになるのを我慢した。唯一、キースナイトだけが笑みを浮かべているのだった。
というのもウィンドルグ王国では、上位者を相手にする場合は相手に許可を求めてから発言するのが常識なのである。だというのに、ユーリは許可される前から自分の意見を述べた。これは、不敬な行為であった。本来ならば、摘まみ出されてもおかしくない程度には。
――また、このパターン……でも、やらない訳にはいかないのよね。
竜の巫女という立場を同じくし、ユーリよりも身分が高い彼女が窘めるのは当然の事だった。公爵家の令嬢として、彼女は貴族子息・子女達の模範とならなければならないからである。
内心では嫌々ながらも、フランドールはウィンドルグ王に申し出る。
「陛下、申し訳御座いません。少々よろしいでしょうか?」
ウィンドルグ王は、フランドールがユーリの敬意に欠けた振る舞いを窘めるのだろうと察した。
――流石はクロスロード公爵家の令嬢だ、やっぱウチの馬鹿息子には勿体ない娘だったな。
ウィンドルグ王は内心でフランドールの株を上げ、キースナイトの株を下げていた。哀れキースナイト。
「うむ、よかろう」
「大変申し訳御座いません、陛下。ユーリ様? 陛下に発言の許可を得ずに言葉を述べるのは、不敬ですよ」
そんな言葉に、ユーリは立ち上がって大声を上げる。
「そんな、酷いです! わざわざ王様の目の前で、そんな風に私を非難する事ないじゃないですか!」
自分は被害者だと言わんばかりに、ユーリが自分の身体を抱き締めるようにする。瞳を潤ませ、唇が震える。
一部の人間を除いて、心が一つになった……なに言ってんだ、お前? と。
王の御前で無礼を働いた者を窘めるのは、常識である。むしろ、無礼を働いた者を摘まみ出すのが当然なのだ。それをされないのは、偏に彼女が巫女だから。じゃなかったら、騎士達が歩み寄って放り出される事請け合いなのである。
更に言葉を続けようとするも、フランドールが冷静な声で窘める。若干、頭痛を覚えながら。内心では「平民とはいえ貴族の学院に通っていたのだから、それくらいは学んでいるはずじゃあないの?」と思っていた。
「ユーリ様、王様ではなく陛下とお呼びしなくてはなりません。それに許可を与えられていない内は、臣下の礼を取り続けるのが常識ですよ」
「それは、フランドール様が!」
ムッとした表情で、フランドールに反論しようとするユーリ。
その様子を見て、ある人物が立ち上がった。
「フランドール! わざわざ父上の前でユーリを吊るし上げるなど、お前はそれでも公爵家の令嬢か!」
色ボケ王子である。ウィンドルグ王とフランドール、宰相と騎士団長は内心で一言一句違わぬ言葉を吐いた。「ま た お 前 か」と。
その姿に、フランドールは溜息を吐く。
「公爵家の令嬢だからこそ、ですが?」
――そんな事も解らないのかしら……解らないのでしょうね、ユーリに骨抜きにされた殿下には。
既にキースナイトへの想いなど投げ捨てたフランドールの視線は、冷たい。
「ふん、公爵家の令嬢だと? 宰相であるダリウスが優秀なのであって、お前はその権威を笠に着ているだけだ!! ろくな努力もしていない分際で、よくもまぁその様な事を口に出来たものだな!!」
流石に、これにはフランドールもカチンと来た。どっかの誰かさんが台無しにしてくれたものの、王妃となり王を支える存在になる予定だったのだ。どこに出ても恥ずかしくない様に、それに相応しい努力を必死に積み重ねて来た。
しかし……カチンときたものの、不思議と心はざわめかなかった。婚約破棄を言い渡された時と違い、彼女の心は傷付いていない。
何故ならキースナイトは最早、フランドールの何でもない。ただの他人。むしろ、路傍の小石だ。もう一度あのゲームをやるとしても、キースナイトルートはもう攻略しないだろう。
そんなフランドールの内心も知らず、キースナイトはヒートアップしていく。
「ユーリは平民だが、立派に竜の巫女として召喚を成功させているぞ!! お前などとは大違いだな、少しはユーリを見習ったらどうだ!!」
ピントのずれた批判をして来るキースナイトに、フランドールは心底うんざりしていた。というか、彼の中ではフリードリヒの召喚は相も変わらず召喚失敗扱いらしい。
フリードリヒ。
彼は、なんて不思議な存在だろう。背後に彼が居てくれると思えば、恐れるものは無いとすら思えた。
竜でありながら、礼儀作法に明るい。更にはウィンドルグ王国の騎士が束になっても、退けられるだけの力を持っている。何よりその人格……竜格? は、とても魅力的で素敵な男性そのものだ。
もし、彼が純粋に人であれば……なんて考えてしまう。
――婚約破棄のショックで、ドラゴンの恋人になりたいとでも思い始めたかしら。
それにしてもと、フランドールはキースナイトの様子を覗った。
表情は歪み、端正な顔立ちを台無しにしている。更に言っている事も王太子としては、相応しくない物言いばかりだ。
婚約者としてその隣に居た頃も、ここまで愚鈍だっただろうか……と、疑問に思えてならない。
とはいえ、ツンとすました顔を崩さないフランドール。
「論点がずれておりますが……殿下がそこまで仰るならば、御随意になさいませ。私は口を噤ませて頂きます」
「貴様、王太子を前にその態度は何だ!! ふん、どうせ婚約破棄を撤回して貰おうと、私の気を引いているのだろう!! だが私は、お前など既に眼中に無い!! お前の様な女と……」
……婚約を破棄して、正解だった。キースナイトはそう言おうとしていた。
だが、それが言葉として吐き出される直前。
「ウィンドルグ王よ。私は降り掛かる火の粉は払うが、戦争の道具となる気は無い」
フリードリヒの突然の言葉に、その場に居た全員が面食らう。
「フリードリヒ様……!?」
思わず、顔を上げて振り返ってしまうフランドール。
臣下の礼を取り続けるのが礼儀と言った彼女自身が、それを破ってしまう結果となる……のだが、誰一人それを咎める者は居ない。フランドール以外も、同様だったからである。
「当代の王たる貴殿に対しては、敬意を抱いている。しかし、次代の王は愚かに過ぎる。そのような国の為に戦う意味を、私は見出せぬ。フランドール嬢に危機が迫れば別だが、それ以外の事象に私は関与しない」
そう言うと、フリードリヒは踵を返して謁見の間を去ろうとした。
「ま、待たれよ! フリードリヒ殿!! キースナイトは黙っておれ!! 貴様は何度、余の顔に泥を塗る気だ!!」
王太子という立場にありながら、公の場で叱責するウィンドルグ王。それは、キースナイトを見限りつつある証だ。
最も本人は、王の心に気付いていない。ただ単に、公の場で叱責を受けたとしか思っていなかったからである。
「ですが、父上!!」
反論しようとするキースナイトに、ウィンドルグ王は眉間の皺を更に深くした。
いい加減に、王も我慢の限界に達していたのだ。
ここ最近のキースナイトは、あまりにも愚かな振る舞いが目立ちすぎる。フランドールへの接し方、フリードリヒへの接し方は勿論のことだ。他にも横暴な物言いや振る舞いが散見されると、方々から報告を受けていた。
王は彼を更生させ、跡を継がせるつもりだったが……事ここに至って、決断を下した。
「キースナイト、退席しろ。ここに、お前の席は要らぬ」
――なん……だって? 父上は、今、何を……私に、何と言った……?
すぐに、その意味を理解できないキースナイト。
今現在、謁見の間で行われている話。それは国の行く末を決める、重要な話の場である。その場に、キースナイトの席は要らないと明言したウィンドルグ王。それはつまり……。
「キースナイト、お前は王に相応しくない。お前から、王太子の地位を剥奪する」
その言葉に、キースナイトは激昂した。
「何故です、父上!! 私が一体、何をしたと……!!」
玉座に座る王に、掴み掛りでもしそうな勢いのキースナイト。ウィンドルグ王はその姿を見て、完全に表情を消した。
「誰か、キースナイトを下がらせろ」
「父上!? 何をお考えか!! おい、放せ!! 私を誰だと……っ!!」
王の命令ならば、近衛騎士達は相手が王族でも取り押さえる権利がある。そもそも、ここの所のキースナイトは目に余る。更に言えば、フランドールへの暴言に苛立ちを感じていたのだ。ここぞとばかりに、嬉々として取り押さえるのであった。
……
喚き散らすキースナイトが退室した後、深い溜息を吐いたウィンドルグ王。そして、次に起こす行動はフランドールへのフォローだった。
「愚息が済まない、フランドール嬢。後程、ダリウスも交えて話をさせて貰いたい」
そう言って頭を下げるウィンドルグ王。その姿に、フランドールは慌てて臣下の礼を取り直した。
「お止め下さい、陛下! 私ならば大丈夫です!」
慌てて、ウィンドルグ王に頭を上げるように懇願するフランドール。その言葉にウィンドルグ王は頭を上げ、少し寂しそうに微笑んだ。
「フランドール嬢、君は愚息には勿体ないな。次期王妃となり、余の義娘となって貰えぬのは残念だが……うむ、もっと君に相応しい相手は幾らでもいるであろう」
それは、ウィンドルグ王の本音だった。フランドールは、彼女が幼い頃から是非とも王太子妃にと思っていた娘なのだ。その縁が紡がれなかったのは残念で、仕方がなかった。
しかし、幼少から目を掛けていた娘だからこそ……幸せになって貰いたいとも思っている。
「何か困った事があれば、余に相談すると良い。可能な限り、力を尽くそうではないか」
「勿体ない御言葉です……ありがとうございます、陛下」
そんなやり取りを見せ付けられて、ユーリは憮然としていた。何故、悪役令嬢であり既に退場しているはずのフランドールが優遇されているのか。
――お漏らし王子は王太子じゃなくなるし、フランドールは居るし、ヴォルガノスは人化するし!! 何なのよ、もう!!
その原因は解っている……フリードリヒだ。原作ゲームと違うのは、フリードリヒだけなのだ。フリードリヒが召喚された事で、全てのシナリオが狂ってしまったのだ。
ユーリの胸中に生まれたドス黒い悪意は、泉のように湧き出してゆく。
――それなら……やりようはあるってものよ!!
跪いて他の面々からは表情が見えないのを良い事に、ユーリは歪んだ笑みを浮かべていた。
だがしかし……そんな彼女の背中を、ヴォルガノスは冷めた目で見ている事に気付かなかった。




