フリード編4 実力/勘違い
異世界に召喚された翌日。エイルを見送ったフリードリヒは、フランドールと向かい合って座っていた。今はまだ、生身である。少しばかりこの世界を見極めた上で、生体端末を残してヴェルスフィアへ帰還する予定なのだ。
二人が向かい合う場所は王城のサロンで、二人の側には城に勤める侍女が控えている。公爵令嬢も異世界侯爵も、慣れたもので動揺した様子は見受けられない。
「お時間を頂いてしまい、申し訳ありません」
丁寧な対応をしてくるフリードリヒに、フランドールは不思議な感覚を覚える。その感覚に名前を付けるのであれば……安心感、だろう。
それはフリードリヒの想いが、“竜の紋章”を通じてフランドールに伝わっているからである。最も、それをフリードリヒもフランドールも知らない。
見た目は普通の好青年に見えるが、彼は“竜”だ……と、フランドールは思っている。
実際には、彼は竜ではなく“竜人”である。人化した竜が、人間との間に儲けた子の末裔だ。そして、その祖先は王竜の一角である瑠璃竜と琥珀竜。
ユートはフリードリヒに、それを明言しないようにと指示を出した。それはフランドールの立場を守る為である。フリードリヒからの報告を受けて、竜を喚び出せなかった彼女の立場が悪くなる事を懸念していたのだ。
(見ず知らずの女性が相手であろうと、その立場を慮る事が出来るとは……流石です、ユート様)
恒例の“さすゆう”を内心で呟きつつ、フリードリヒはフランドールに問い掛ける。
またフリードリヒは、王太子と彼女の間にあった問題を目の当たりにしていた。王太子から受けた仕打ちは、彼女の心を深く傷つけたであろう。
フリードリヒは彼女がその事を一刻も早く忘れられるようにと気遣っていた。その為には他の事に意識を向けるのが良いだろうと思い、今後の事を相談したいと持ち掛けたのだった。
さて、フリードリヒが気になる事といえば瘴気の件だ。
「“瘴気”というのは、突然発生する現象……なのでしたね」
真剣な面持ちのフリードリヒに、フランドールは頷いた。
「はい。過去の伝承を紐解くと、瘴気は場所を選ばずに突然発生するそうです。瘴気が発生する原因も、明らかにはなっておりません」
フリードリヒに説明するフランドールの様子は、自然体に見える。瘴気の発生と、それによる魔物の発生。その脅威が、王太子の件よりも重要だと思っているからか。それとも、王太子の事は吹っ切れたのか。フリードリヒには彼女の心境は解らなかったが、思い悩んでいる様子は無い。彼は内心、その事にホッとしていた。
「瘴気を浴びて生まれた魔物の力は凄まじく、並の騎士や兵士では太刀打ち出来ないそうです。魔物の群れが、一晩で小国を滅ぼしたという記録もあります」
「成程……」
相槌を打つも、フリードリヒはその力量を測りかねていた。この世界の戦士の技量は如何程か? 魔物の強さは?
それを測る為の尺度が、今はまだ無い。
であるならば、フリードリヒのする事は一つだ。
「フランドール殿、お願いしたい事があるのです」
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王城のすぐ近くに存在する、練兵場。その中央で、フリードリヒと騎士団員が模擬戦を行っていた。
「うおおおぉっ!!」
猛然と、刃を潰した直剣で切り掛かる騎士。フリードリヒはその動きを確認しつつ、その剣を両手で挟み込む。真剣白刃取りだ……真剣ではないが。
「なっ!?」
素手で剣を止められた騎士が、目を剥く。この世界には、どうやら真剣白刃取りは浸透していないらしい。
フリードリヒは、受け止めた剣を強引に逸らす。
「はっ!!」
そして、その右足で蹴りを放ち……騎士の鼻っ柱の直前で、攻撃を止める。騎士の鼻とフリードリヒの足は、一センチメートル程度しか離れていない。
「……ま、参りました……」
降参した騎士は、ウィンドルグ王国で優秀とされる騎士らしい。そんな彼でも、フリードリヒとの模擬戦は一分しか保たなかった。
そんなフリードリヒと騎士団の模擬戦を見ている者達が居る。二人の竜の巫女、そしてヴォルガノスが観戦しているのだ。またその後ろには、国王や宰相ダリウス、騎士団長【エディ・フォン・バルカス】が座って観戦している。そしてまた、王太子キースナイトや他の王子達も同席していた。
模擬戦を観戦していたウィンドルグ王国の面々は、驚嘆していた。
「りゅ、竜でありながら……武術の心得もあるようですな」
フリードリヒの身のこなしから、騎士団長を任されているエディは冷や汗をかいた。騎士団では最も強い自分であっても、フリードリヒには到底及ばないという事が解ったからだ。
もし誰かが、彼の不興を買ってしまったら? そう思うと、騎士団長的には気が気ではない。
「うむ、実に心強い事ではないか。魔物討伐の最前線で、その力を存分に奮ってくれる事であろう」
エディとは対照的に、宰相であるダリウスは鷹揚に頷いている。
彼は、娘であるフランドールから報告を受けていた。報告とは主に、フリードリヒの人となりについてである。
――フリードリヒ様は、王太子殿下から婚約破棄された私を気遣って下さっております。
フランドールから聞かされたその言葉に、ダリウスは確信を持った。フリードリヒは、フランドールの味方であると。優しき心を持つ、人に近しい竜なのだと。
そして今、彼が見せたその武。華麗にして力強い、フリードリヒの戦う姿。魔物という強大な敵に対し、心強い存在であった。
「陛下、やはり人の姿を取っても竜という事ですな。なんと頼り甲斐のある姿でしょう」
「うむ……フリードリヒ殿が仕官していないならば、是非とも我が国に留まって貰いたい所だ」
ウィンドルグ王の言葉は、心からの言葉だった。彼の視点から見ても、フリードリヒは礼儀作法にも明るい。人の姿のまま仕官してくれるならば、諸手を挙げて歓迎したであろう。
だが、それは現実的ではないと理解している。それは、彼が王であるが故にだ。
「あれ程の男だ。主君に立てた誓いを違える事は無かろう……実に、残念だがな」
同時にウィンドルグ王は思う。フリードリヒが仕える王とは、どの様な竜かと。
そう、彼等はフリードリヒを竜と認識している。故に、彼が仕えるのは人ではなく竜だと思っているのだった。実際には、竜ではなく神(仮免)なのだが。
そして、フランドール。
(凄い……我が国の騎士は、他国との競技会でも上位に入る人達ばかりなのに……)
事実、ウィンドルグ王国の騎士達は世界有数の騎士団だ。だというのに、彼等はまだフリードリヒに一撃すら入れられていない。フリードリヒの強さに、そして堂々とした立ち居振る舞いにフランドールは目を奪われていた。
そんな中、不穏な事を企む者が居た。ユーリである。
(見た目はイケメンで、その上あの強さ……物腰も丁寧だし、アイツを悪役令嬢から奪えば……)
ユーリは、キースナイト攻略を止めていた。公の場で痴態を晒した彼に、愛想を尽かしていたのだ。
そして、新たな攻略対象を誰にするか迷っていたのだが……事もあろうに、彼女はフリードリヒに目を付けたのだ。
理由は彼女の内心から窺い知れるのだが、同時にフランドールに対する感情もあった。
彼女の中では、フランドールは悪役令嬢でなければならないのだ。心身共にズタボロになり、絶望の淵に立たされるのがフランドールの役割なのだと、信じ込んでいた。
ゲームの中で彼女が召喚したリンドヴルムは、フランドールを見限って主人公ユーリと再契約していた。ならば、フリードリヒもそうなるべきなのだ。そう彼女は考えているのだ。
――彼女は理解していない。この世界は現実に存在する異世界であり、彼女がプレイしていた乙女ゲームの世界ではないのだと。
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騎士達との模擬戦を終え、フリードリヒは用意された客室に戻っていた。誰にも見咎められていない為か、彼は眉間に皺を寄せている。
――魔物の力量を測る尺度とは、これで良いのだろうか?
これまで立ち合った彼等は、この世界の騎士としては上位に位置するという。しかし、アヴァロン王国の騎士達と比べると……まだまだである。
一太刀も浴びる事なく、額に汗する事も無かった。だからといって、魔物を相手取って余裕綽々と判断するのは危険過ぎる。
――強力な魔物の所在を教えて貰い、討伐を試みるべきだろうか?
討ち取られていない魔物を相手にするのが、良いのではないか。フリードリヒはそう思案する。
それならば、この世界の強者とされる存在の力量を測れるはずだ。
そんな事を考えている時、部屋の扉がノックされた。
侍女が食事を運んできたのだろうかと思ったが、すぐにその考えを否定する。食事には、まだ随分と早い時間なのだ。
用意された部屋の中には更に部屋があり、寝室・ダイニング・リビングと分かれている。
昨夜は晩餐会という事で王族や巫女・竜達が集まったが、普段は各々の自室で食事を取るらしい。昼食もそのようにとったのだが、給仕の侍女が控えていた。正直、フリードリヒ的には居心地が悪かった。アヴァロン王国の大食堂が恋しい。
それはさて置き、来客である。フリードリヒは腰を下ろしていた椅子から立ち上がり、扉へ向かう。
「失礼します、フリードリヒ様。少々、お時間を頂いてもよろしいでしょうか?」
そこに居たのは、思わぬ人物だった。ユーリだ。
これが、フランドールであるならば理解は出来た。フリードリヒの召喚者なのだから。しかし、ユーリが来るとは予想外だった。
「構いませんが……ご用件は?」
「うふふ、少しお話を聞かせて頂ければと思いまして。お時間がよろしいのであれば、お邪魔してもよろしいでしょうか?」
何を考えているのか、解らない。それがフリードリヒの率直な感想だった。
まぁ、話くらいは……そう思ったフリードリヒだが、ここである懸念が思い浮かぶ。
「左様ですか。では、フランドール殿に一声かけて参りましょう」
その言葉に、ユーリが一瞬顔を歪めたのをフリードリヒは見逃さなかった。
すぐに表情を取り繕って、柔らかい微笑みを浮かべるユーリ。口にするのは、自分に都合の良い言葉だ。
「そこまで気になさらなくてもよろしいと思うのですが……別にフリードリヒ様は、フランドール様の所有物という訳ではございませんでしょう?」
「ですが、繋がりはございます。それに貴女は妙齢の女性ですので、あらぬ疑いを掛けられないようにすべきでしょう」
フリードリヒの言葉に、ユーリの顔が真っ赤に染まった……照れたのではない、怒りだ。“妙齢の女性”と言われた事に、彼女は腹を立てたのだ。
「そうですか!! ならば結構ですわ!!」
そう怒鳴りつけ、ユーリは踵を返して去っていった。
「……何故に突然、お怒りになったのだろうか」
……
「失礼しちゃうわ、あの似非イケメン!! ムカつく、ムカつく、あーもうムカつくっ!!」
城の侍従達に見咎められる事も意に介さず、ユーリは大股で城の廊下を歩いていく。余程、腹が立ったらしい。
そして間の悪い事に……その姿が、キースナイトの目に留まったのだ。
「……ユーリ?」
「あっ……キ、キースナイト様……」
ユーリはすぐに立ち止まり、佇まいを直す。
「どうしたのだ、ユーリ。随分と機嫌が悪かったように見えたが……」
――お漏らし王子だけど、それでも王子は王子よね。
内心で毒を吐きつつ、ユーリはキースナイトの権力を利用しようと考えた。それにしても、彼女の中ではキースナイトは“お漏らし王子”という呼称で定着したらしい。甘い言葉を交わし合った相手とは思えない程の、いっそ鮮やかとすら思える掌返しだ。
そしてユーリは、王子であるというキースナイトの権力を笠に着る事を選んだ。
「キースナイト様、聞いて下さい。先程、あのフリードリヒという男に聞きたい事があって尋ねたのに、あの男は私に失礼な事を言って追い返したんですのよ!」
フリードリヒは彼女を追い返してなどいないし、失礼な事を言ってもいない。
ユーリは妙齢の女性と言われて腹を立てた訳だが、それは決して失礼な言葉ではない。
“妙齢の女性”と聞いて“年を重ねた女性”とか、“オバサン”と勘違いする者も多い。だが、正しくは“若い女性”や“うら若き女性”という意味なのである。
つまり、ユーリは勘違いしているのだ。(礼儀の上で)褒められた事を、貶されたと勘違いしているのだ。
だが、そこまで詳細に説明していないユーリ。ただただ「失礼な事を言われた」とキースナイトに訴えたのだ。
それを聞いたキースナイトの目が吊り上がる。
「ユーリに無礼な事をだと!? それは許せぬ、未来の王妃になんたる無礼か!!」
恋は盲目とはよく言ったもので、キースナイトはアッサリとユーリの言葉を信じ込んだ。彼の中ではフリードリヒはいけ好かない男という評価であったが、ここへ来て排除すべき存在へと昇華した。
フリードリヒからすれば、本当にいい迷惑としか言いようがあるまい。
しかしユーリの反応は、キースナイトの熱とは反比例し冷え込んでいく。
――えー……もしかして、まだ自分が王太子でいられると思ってんの? それに、アンタと結婚する気はないんだけど……。
召喚の間での痴態で、ユーリはキースナイトを見限っていた。その上でキースナイトを利用しようというのだから、とんだ悪女である。
「大方、己を召喚したフランよりもユーリの方が巫女として実力がある事を妬んだのだろう! 全くフランもあの男も、嘆かわしいにも程がある!」
ヒートアップするキースナイトを、ユーリは内心では冷めた目で見ていた。
――お漏らし王子には言われたくないでしょうよ。
とはいえ、ユーリはフリードリヒを籠絡する事を諦めていない。
キースナイトとの会話で心が冷めていったことで、怒りも徐々に緩和されていく。すると、彼を手に入れるメリットを思い出していったのだ。
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そんな会話がされているとは露知らず、フリードリヒはある人物と会話していた。
『あー、それは多分”妙齢”って単語に怒ったんだろうな。地球で生活していた頃、同級生が勘違いして覚えてたんだよね』
相手はユートである。
「……では、私に瑕疵は無かったと?」
『皆無だな。そのユーリ嬢、そもそも未婚の女性が軽々しく、年頃の男性を訪ねるものではないだろう?』
ユートの指摘はもっともだ。フリードリヒは確かに、と返した。おかしいのはユーリの方であると、普通の感性を持つ者ならば解るだろう。
すると、扉がノックされる。
『おや、来客かな? 例のユーリ嬢……では無いだろうな』
「はい。また改めてご報告を致します、ユート様」
『いやいや。急な要件が無いなら、明日で構わないよ。無理しないようにね、フリード』
そう言い残して、ユートとの通信は途切れた。己を気遣う主君の言葉に、口元が緩む。
フリードリヒはすぐに、来客に対応すべく扉へと向かう。
「お待たせ致しました……おや、フランドール殿」
「この様な時間に突然お訪ねしてしまい、申し訳御座いません。折角ですので、サロンでお茶でもご一緒にいかがかと思ったのですが……フリードリヒ様、誰かと会話をしていらっしゃいましたか?」
彼女にも、既に円卓の絆は見られている。ならば素直に話しても、支障はない。
「はい、我が王に定時連絡を」
「世界を超える通信……凄いですわね。あの、その道具を拝見させて頂く事は出来ますでしょうか? 申し訳御座いません、不躾に……」
興味を抱くのも無理は無いと、フリードリヒは快諾した。
「どうぞ。我が王の創られた遺失魔道具で、円卓の絆という物です」
手渡されたソレは、フランドールの視線を釘付けにした。どこからどう見ても、スマホにしか見えない。
しかし、フリードリヒは先程のユートとの会話を思い返す。
「それにしても妙齢の女性が、一人で男性の部屋を訪ねて来るのは……あらぬ誤解を受けてしまうかもしれませんよ?」
その言葉に、フランドールが円卓の絆から視線を上げる。フリードリヒを見る目が、ぱちくりと瞬いた。
「た、確かに……その通りですわ、申し訳御座いません……!!」
「あぁ、いや。怒っている訳ではございませんよ。そうですね、場所をサロンにでも移しますか? そこでお茶のお供をするくらいは、問題ないでしょうから」
やはり、ユーリとは全く違う対応。公爵令嬢だし、当然かとフリードリヒは穏やかに微笑んだ。
 




