フリード編3 交渉/涙
現在、フリードリヒは晩餐会に出席していた。ウィンドルグ王が、歓迎の印として招いたのである。
だが、その出席者が実に面妖だった。
まず、ウィンドルグ王であるヴェルナイト。主催者であるし、居るのは当然だ。長い長方形のテーブルの最奥に座っている。お誕生日席ならぬ、王様席だ。
続いて王から見て右手、側面には王妃が四名座っていた。正室と側室三人の仲は、一見しただけでも宜しくないのが解る。ドロドロとした争いがある様で、互いに視線も合わせない。女同士の戦いの陰湿さが垣間見える、怖い。
続いて、左手。王に最も近い席に座るのは、王太子キースナイト。最も、今はまだ王太子……というべきか。流石に出席しない訳にもいかず、ウィンドルグ王も渋面をしながら呼び付けた。キースナイトも先の失態痴態から間もない為、眉間に皺を寄せて目を閉じている。
そして、その弟である王子三名。どの王子もキースナイトと王太子の座を争っていた為、兄弟仲はよろしくない。更には今回の騒動で予定が狂いに狂った為、機嫌が頗る悪い。
そんな王子達の横に座るのは、この国の王女。他に七人の王女が居るのだが、出席を許された王女は彼女一人である。これはこの国の文化で、こういった晩餐会には未婚の女子は一人だけと決められている為であった。
キースナイトの一つ年上の美少女で、笑顔を浮かべて姿勢よく着席している。非常に雰囲気が悪い中、笑顔を浮かべられる胆力は流石と言うべきか。
一方、王から見て対面に設えられた横に長いテーブル席。そこに座るのは、招かれた者達だ。
まず二人の“竜の巫女”。フランドールとユーリである。フランドールは内心では動揺しているのだが、表面上は平然としている様に見える。今生と前世を合わせて、フランドールは一番頑張っているのだった。
ユーリは、あからさまに不満そうな表情をしていた。理由は横に座っているフランドールだ。退場する事無くこの場に居る事で、自分の立場が脅かされると思っているのだった。
そしてフリードリヒ。フリードリヒは、フランドールの横に着席している。彼はこういう展開に慣れているのか、全く動揺している様子は見えない。
ここまでで既に、ウィンドルグ王国の者達はお腹いっぱいだったのだが……更に、想定外すぎる事が起こった。
更に居るのだ。
フリードリヒの隣に一名の少女。彼女は、ヴェルスフィアからはるばる交渉役として派遣されて来た。赤茶色の髪を持つ、年若い少女である。そして、ユーリの隣にも一名。白い衣装を身に纏った、美女だった。
何故、こんな事になったのか。ウィンドルグ王国側の内心は、正にそんな所であろう。
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遡る事、三時間前の召喚の間。ユートの不穏そうな発言を唯一耳にしたフリードリヒは、彼の真意を探るべく問い掛けた。
――今度は何をする気ですか、ユート様。
それに対するユートの返答は、とんでもない物だった。
――自分の世界を離れられないなら、身代わりを置けばいいじゃない!!
ユートの言う身代わりこそが、彼の遺失魔道具最新作であった。
その名も【生体端末】。
創造神(仮)であるユート・アーカディア・アヴァロンの、創造の根源魔法をフル活用した遺失魔道具だ。
その特徴として、生体端末というだけあってフリードリヒと瓜二つ。ステータスはフリードリヒ本体には多少劣るものの、相当な実力を発揮出来るので代役としては十分どころか十二分。更にはフリードリヒ本体と、世界を隔てても意識共有が可能。
そして最後の特徴が、正に破格の性能だった。フリードリヒ本体が出張る必要がある際には、生体端末に内蔵された専用の世界門の扉が起動。フリードリヒ本体の持つ円卓の絆と接続し、任意での異世界転移が可能となるのだ。
そんなモノを、何故ユートが製作したのか。それは、どれだけフリードリヒが質問しても口を割らなかった。
……
「……というのが、アヴァロン王国国王である我が夫、ユート・アーカディア・アヴァロンからの提案です。いかがでしょう、ウィンドルグ王国にとって損は無いと思いますが?」
そう告げたのは、転移魔法陣を通って派遣されて来た少女。アヴァロン王国第七王妃である、エイル・バハムート・アヴァロン。
更に、その背後が問題だった。四匹の竜……そう、ジークハルト竜王国を拠点としている四王竜が、エイルの護衛として一緒に転移して来たのだった。
ちなみにエイルの登場シーンは、神竜モードでの登場だった。つまり五匹の竜が、突如として召喚されてしまったのだ。これにはウィンドルグ王達が「アイエエエェェェ!? ドラゴン!? ドラゴンナンデ!?」となるのも無理はなかった。
フリードリヒの執り成しの甲斐あって、何とか混乱は沈静化したのだった。フリードリヒ、超頑張った。相変わらずの苦労性である。
そこでようやくアヴァロン王の代理として現れたエイルと、ウィンドルグ王による世界間対談が行われたのである。しかし、ウィンドルグ王達は困惑の表情を浮かべていた。
「ほ、本当にその様な事が可能なのか? にわかには信じがたい」
絵空事か、夢物語か。そうとしか思えない、荒唐無稽な話。ウィンドルグ王が即断即決出来ないのも、無理はあるまい。
しかし、それで引き下がるエイルではなかった。
「信用出来ないというのならば、無理強いはしません。フリードリヒと共にヴェルスフィアへ帰還し、こちらの世界には一切の干渉をしない……それで、こちらとしては事足ります」
フリードリヒは、ユートに仕官している。故に、優先順位はウィンドルグ王国よりもアヴァロン王国なのだ。フランドールの立場が気掛かりなだけで、ウィンドルグ王国には恩も義理もない。
これにはウィンドルグ王だけではなく宰相ダリウスも、現状の不利を察した。
「ちなみ、そちらの王太子によるフリードリヒへの発言。それに、そちらの女性……フランドール嬢への物言いや扱いについても、アヴァロン王は大変に呆れておられます。フリードリヒが進言しないのであれば、歩み寄るつもりなど一切無かったと思いますが」
キースナイトの愚行は、こんな所で不利益を齎した。エイルの言葉に対して、ウィンドルグ王は何の反論も出来なくなってしまったのだ。
ウィンドルグ王としては、フリードリヒをみすみす見逃す手は無い。エイルの提案を呑まざるを得なかった。
「解った、とりあえずはそれで様子を見てみよう。対外的には、人の姿をとった竜本人として公表するがよろしいか?」
「構いませんわ。フリードリヒが協力を申し出た以上、我がアヴァロン王国の不利益とならない範囲でならば、そちらの裁量にお任せしましょう」
「寛大な対応に感謝する、アヴァロン妃殿下」
こうしてフリードリヒの生体端末が、ウィンドルグ王国に常駐する事になるのだった。
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そして、その日の夜。フリードリヒとエイル……そして、ユーリが召喚した守護竜【ヴォルガノス】を歓迎する晩餐会が開かれたのだった。
そう、ユーリの隣に座る女性……彼女が、ヴォルガノスである。彼女が何故、人化しているのか? それは当然、ユートの遺失魔道具の恩恵である。
エイルとフリードリヒは、ヴォルガノスにも人化する事を提案してみたのだ。そして、彼女は遺失魔道具を受け入れた。
召喚されたヴォルガノスが、見知らぬ相手から渡される遺失魔道具を受け入れたのは何故か? その理由は、エイルが受け入れるように促したからだ。
エイルは、永き歳月を生きて来た神格を持つ竜……神竜である。それに対して、召喚されたヴォルガノスは“成竜”……人間で言えば、成人した程度の竜であった。
ヴェルスフィアにおいて、竜の年齢による分類は広く知られている。
生まれて間もない竜は、一般的に“幼生竜”とされる。
徐々に体が発達し、人語を解し戦い方を覚えると“若年竜”と認められる。この時点でも、まだ半人前レベルだ。
更に成長し、百年から二百年。ここらでようやく一人前とされる……それが“成竜”だ。
この頃になると、人間から固有名称で呼ばれる程の力を持つようになる。稀に自分で固有名称を考えて、それを名乗る者もいるらしい。厨二病っぽい感じで。
そんな黒歴史があろうとなかろうと、竜も老いていく。ここで竜は二つの系統に分かれる。
“老成竜”と呼ばれる存在は、老いて力を衰えさせていく。そのまま静かに余生を過ごし、自分のねぐらで穏やかに生涯を終える者がほとんどである。
逆に更なる力を求めて己を鍛えたり、戦いに明け暮れたりする竜もいる。それらが“古代竜”と呼ばれる存在だ。
つまり成竜であるヴォルガノスは、古代竜の頂点に君臨するエイルからすれば、小童同然なのである。頭が上がらないのも道理だろう、竜は徹底的に実力主義社会なのだから。
ちなみに竜達は、それなりの魔力があれば自力で人化が可能である。それはそうだろう、ヴェルスフィアのジークハルト竜王国は、はるか昔に竜と人と交わり誕生した竜人族という種の国である。
ただし自力での人化はそれなりに時間がかかる。四王竜をもってしても、相当な魔力を消費するのだ。成竜が人化しようとすれば、どれ程の魔力と時間が費やされるかが解るであろう。
そんな中、ユートが製作した遺失魔道具は凄まじい効果を齎すのだ。
まず、比較的短時間で人化が可能。更に遺失魔道具に予め魔力を蓄えておく事で、使用時の魔力消費を軽減している親切設計。
余談ではあるが、この遺失魔道具を所望したのは世界神達である。
そんな訳で、人化の遺失魔道具を受け入れたヴォルガノス。エイルやフリードリヒと揃って人の姿を取り、テーブルに座っているのだ。
……
人化した竜という存在に、緊張や動揺を隠せない王族サイドであった。
「こ、この度は偉大なる竜達を迎えられ、余は竜神ウィンガードへの感謝の念に堪えぬ」
王族として生まれ、四十八年。ウィンドルグ王の生涯で一番、表情筋が仕事をしている瞬間であった。
「それも、こうして……まさか、晩餐を共にする事が出来るとは。ウィンドルグの歴史上、初めての事だろう」
「ふむ……ウィンドルグ王。守護者の件だが、具体的に我々は何を求められるのだろうか?」
そう尋ねたのは、ヴォルガノスだ。
ウィンドルグ王はそれに頷き、この世界の事について語り出す。
「この世界には、瘴気というものが発生する場所がいくつかある。その瘴気に触れた生物は、多くが魔物となり暴れ出すのだ」
「ふむ、その魔物が手強い……と?」
ヴォルガノスの言葉に頷くウィンドルグ王。
フリードリヒは、それに少し引っ掛かりを覚える。
「この国だけが、守護者を召喚するのだろうか?」
「守護者召喚の法は、各国にも伝わっている。しかし周辺の国は内乱ばかりを起こしており、一丸となることが出来ずに居るのだ」
どうやら、ウィンドルグ以外の国は危機感が足りないらしい。
「我らに求められるのは、ウィンドルグ王国と周辺国家の守護……そう思ってよろしいか?」
「我が国としては、周辺の国については請われれば救うというスタンスを保っている。侵略行為だのと騒ぎ立てる国が多いのが理由だ。我が国の民を、謂れ無き理由で傷付けられる事は避けねばならぬ」
その言葉に、フリードリヒはウィンドルグ王の評価を改めた。馬鹿息子を制御出来ない愚王かと思っていたのだが、彼もまた王としての資質を持ち合わせている。
優先するべきは、自国の民を守る事。それを明言したウィンドルグ王の言葉に、嘘偽りは無い。フリードリヒの竜眼は、彼の言葉が真実だと見抜いた。
「よろしかろう。ならば私は、貴国の民を守る為に力を奮う事に異論は無い」
「ふむ……我もフリードリヒと同意見だ。安心せよ、ウィンドルグ王」
フリードリヒとヴォルガノスの言葉に、内心でウィンドルグ王は胸を撫で下ろす。
……
そんな話が進められているものの、内心で面白くないと感じている者が二人居た。
キースナイトとユーリだ。
「……何で私を無視してんのよ……」
小さい、小さい独り言。その声は、ウィンドルグ王達には届かなかった。だがフランドールや、フリードリヒ達の耳には、確かに届いた。
その声の主……ユーリは、すぐにお淑やかな少女の仮面を被った。思わず本音が口から漏れてしまったのだ。
しかし、内心では腸が煮えくり返るような気分だった。
――なんで主人公の私よりも、このぽっと出連中が目立ってんのよ!! フランドールは居残っているし!!
そして、王族の席に視線を向ける。そこには、仏頂面をしたキースナイトが居た。ユーリの視線を感じたのか、キースナイトも視線をユーリに向けて来る。その表情がふっと緩み、穏やかに微笑んで見せた。
――いや……あの、お漏らし王子はちょっと……。
ユーリは、痴態を晒したキースナイトに対しての熱が冷めた。その上、この晩餐会に出席して、平然と自分に笑い掛ける姿にドン引きであった。
――うーん。どうしよう? どの攻略対象に乗り換えよっかな……。
既にキースナイトには見切りをつけて、他の攻略対象と愛を育もうと画策していた。実に、最低の女であった。
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居心地の悪い晩餐会を終えたフリードリヒ達は、王城に部屋を用意された。王城の客間だけあり、十二分に豪華な部屋だ。フランドール達も、同様に部屋を用意されている。
フリードリヒやヴォルガノスは、この世界の常識にも疎いだろう。彼等が問題を起こさぬように、ウィンドルグ王国は手綱を握りたい……そんな考えを抱いていたのだ。
その抑止力が、竜の巫女が持つ紋章である。ならば、竜も巫女も手許に置いておくのが吉。王国側がそう考えるのも、無理も無い事だった。
フランドールは、バルコニーで空を見上げていた。
「……どうなってしまうのかしら」
王太子の婚約者だった彼女だが、婚約破棄は受理された。無論、それは彼女の側に問題があった訳ではなく……王太子キースナイトの瑕疵だ。
今頃は国王とその側近達の間で、王太子としての身分を剥奪するか否かの協議が行われているだろう。父であるダリウスがその場に居る以上、王太子の座を失うのは確実視すべきだろう。
本来であれば、あそこで召喚した竜に見放されるはずだった。そして婚約破棄を言い渡され、国外へ追放……。
しかし、その道筋は大きく変化した。リンドヴルムではなくフリードリヒを召喚した事によって。
それが吉と出るか、凶と出るか……それは、今のフランドールには測りかねる。
同時に、解った事もある。
まず、召喚したフリードリヒ。彼は高潔な精神を持つ竜であり、自分を見放しはしなかった。召喚とは別口で現れたエイルからの信頼も厚く、彼が味方でいる内は安泰だろう。
「彼に見放されないように、しっかりしなくてはいけないわね」
グッと細く華奢な腕でガッツポーズ。
そしてユーリだ。彼女は自分と同様に、転生した存在……フランドールはそう結論付ける。スマートフォンを知る以上、自分と同じ……最低でも、近い世界の出自のはずだ。
「まぁ、だからどうしたって話よね……」
例え彼女がどんな存在だろうと、主人公はユーリだ。この世界は、ユーリの為の物語なのだ。最終的には、彼女が攻略対象と困難を共に乗り越え結ばれる。その後、幸福に満ち溢れた結婚式を挙げてエンドロールなのだ。
キースナイトと自分の婚約破棄が成った今、幸いな事にキースナイトへの慕情も冷めた。冷め切ったのだ。
キースナイト……彼の事を考えると、胸がざわめいていた。
ゲームに登場した悪役令嬢は、今ここにいる自分とは全く別の存在。だが、自分には、ゲームの悪役令嬢の気持ちが痛い程によく解る。
悪役令嬢は、心の底からキースナイトを愛していたのだ。幼少の頃より、彼に嫁ぐ為に……彼を支える為に、必死で自分を磨いて来た。
王族に嫁ぐ栄誉、それもあっただろう。でもそれ以上に……キースナイトはフランドールにとって初恋の相手だった。彼の為に生きる、そんな覚悟を早い時期から決めていたのだ。
それを、突然現れた主人公に奪われそうになって……激しい嫉妬心に駆られたのだ。
――自分がどれだけ、キースナイトの為に努力して来たか!! どれ程の時間を、彼の為に捧げたのか!! どれ程……彼を愛しているか、主人公には解らない!!
そんな彼女の悲痛な心の叫びが、自分には解る。
今にして思えば、酷い話だ。主人公は悪役令嬢から、婚約者を奪って幸せになる。婚約者を奪われたくない悪役令嬢は、必死で彼の心を引き留めようとする。
しかし、その想いは報われず……婚約を破棄され、国外に追放されてしまうのだ。
「あぁ、なんて酷いシナリオなのかしら……誰かの不幸の上に成り立つ幸せだなんて」
ポツリと、涙がバルコニーの床に落ちる。それは、我が身の不幸を嘆いたのではない。報われない役回りを押し付けられた、悲劇の乙女を思っての涙だった。
そのまましゃがみ込んだフランドールは、溢れ出る涙を止める術を知らない。




