フリード編2 婚約破棄/フリードリヒ
あっという間に、月日が流れた。
訪れた運命の日……キースナイトルートのクライマックス。卒業パーティーの後、二人の少女が真祖竜【ウィンガード】の牙に触れて竜の巫女として覚醒する場面。
その場で悪役令嬢は、騎士竜【リンドヴァルム】に認められない。
それは、彼女の心に巣食った嫉妬心や虚栄心。そして、主人公に対する怒りや憎しみを見抜かれての事。
リンドヴァルムにその内心を言い当てられ、激昂した彼女は口汚くユーリを罵る。
その姿に、キースナイトは愛想を尽かして婚約破棄を宣言。更には公爵家の取り潰し、国外追放を言い渡される。
それが、クライマックスのシナリオである。
既に、先程ユーリが竜の紋章をその右手に宿し、竜召喚を成功させるというイベントが終わっている。
竜の巫女の再臨に召喚の間は騒然となり、守護竜【ヴォルガノス】を見て賑わう者達の声が落ち着いたのも、数分前だ。
後は、悪役令嬢がリンドヴァルムに見限られるイベント……そこから始まる、断罪の婚約破棄が待つだけだった。
「それでは、次。フランドール・アイリーン・クロスロード。前へ」
国王【ヴェルナイト・ジーン・ウィンドルグ】の宣言に、フランドールが前に出る。既に竜の紋章を発現させているのだが、卒業した女子生徒は全員が竜の牙に触れる仕来りだからである。
「では祈りを込めて、偉大なる竜の牙へ」
フランドールは目を閉じて、これからの事を考える。
そんな中、フランドールは祈るよりも今後の事を考えていた。
――そうだわ、婚約破棄を受け入れたら……公爵領に戻りましょう。
婚約破棄がショックだったので、縁談は拒否しますとか言えばいいかとか。
前世の知識を生かして、公爵領にお菓子を流行らせようかとか。
領民が喜ぶように、インフラの整備を進言しようかとか。
彼女は婚約破棄をマイナスではなく、プラスに捉えていた。自分は捨てられるのではなく、解放されるのだと。
ゲームにおいては、誇り高き貴族の血筋……同時に、心に抱いた強い信念を持つ公爵令嬢であるフランドール。騎士竜リンドヴァルムは、そんな巫女の存在を察して降臨する。
しかしそこに居たのはリンドヴァルムを召喚した事で、ユーリを追い落とすことが出来ると歓喜した悪役令嬢。それに落胆し、リンドヴァルムは彼女……フランドールを見限って、彼女の竜の紋章をユーリに与えるのだ。
だが、今の彼女は違う。
――前を向いて生きる意志。
――新たな事を始めようとする挑戦心。
――そして、その心の奥底に閉じ込めていた……本当は、愛し愛されたかったという儚い想い。
それが、”彼”を引き当てた。
そっと手を伸ばし、ウィンガードの牙へ触れてみる。すると、フランドールの竜の紋章に光が点った。
「おぉ……!!」
「この光は……!!」
そして、更に光が拡大する。これは、フランドールにしても想定外だった。
「まさか、もう一匹……竜が降臨するのか!?」
白い光が収まったそこに立つのは、竜ではなかった。コートを身に纏った青年……歳の頃は、フランドールとそう変わらないだろう。
「……これは、まさか召喚か?」
謎めいた青年はそう言って、フランドールにその視線を向けた。
……
召喚の間は、騒然としていた。
これまでの長い歴史の中で、竜ではなく人が召喚された事など無かったからだ。
金色の髪に、一房の蒼い髪が混じっている青年。その身に纏う衣服は煌びやかながらも、嫌みを感じさせない上品な仕立てだ。衣装の上品さに引けを取らない整った顔立ちもあって、上流階級の人間と言われても納得が出来る容姿だった。
しかし彼の眼は鋭く、周囲を警戒しているように見える。微塵の油断も感じさせない佇まいは、歴戦の戦士を彷彿とさせる。
青年の視線は竜の巫女、そして騎士達を巡り……召喚された竜に行き当たった。
「……何が起こっているのか、解らぬな」
嘆息を漏らした青年が、呆然と立つ少女……フランドールに向けられた。
「私を喚んだのは、貴女だろうか?」
青年の言葉に、フランドールの肩がビクッと跳ねた。
「え、えぇ……あ、貴方は……」
貴方は誰? と、フランドールが問い掛けようとした時だった。召喚の間に、怒声が響く。
「これはどういう事だ、フラン!!」
声の主は、キースナイトだった。
「喚び出したのは竜ではなく、ただの男ではないか!!」
その叱責が、召喚の間に広がっていく。
フランドールが召喚したのは、竜ではなく一人の男性だった。それはつまり、彼女が竜を召喚出来る巫女の一人ではなかったという事だ。
この国の王が主導で行う、竜召喚の儀式。その儀式に瑕疵をもたらしたフランドールの立場は、非常に危うい状況になっていた。
そんなフランドールの状況を見て、愉悦の表情を浮かべる者が居た。無論、ユーリである。
――まさか、竜を召喚出来ずに……ただの男を召喚するだなんて!!
許されるならば、ユーリは腹を抱えて笑い飛ばしてやりたいと思っていた。彼女の勝利は確定的で、フランドールは国外追放どころか……極刑すら有り得る状況だ。
それだけ、この国における竜召喚の儀式は神聖なものである。
ざわざわと、周囲の貴族や騎士達が戸惑いつつも言葉を吐き出す。
「まさか、我が国の歴史でこのような事が起こるとは……」
「フランドール嬢は公爵家の娘だぞ……」
「何故、竜ではなくあの男を召喚したのだ……」
誰も彼もが、フランドールに疑念を抱くような言葉を投げ掛ける。
その様子を見て、今にも怒りで爆発しそうな男が居た。【ダリウス・マクレガン・クロスロード】……フランドールの父親だ。
彼はこの国の宰相を務めており、厳格な性格をしている。しかし娘を心から愛しており、彼女を貶めるような発言をする者達に怒鳴り散らそうとする寸前である。
そんな彼の導火線に、火を点ける者が居た。
「竜を召喚出来ぬのも無理は無い! 貴様の様な邪念を抱く者を、偉大なる竜が認めるわけが無いのだからな!!」
フランドールに邪念があると、断言する言葉。それはフランドールのこれまでと、これからを否定する言葉だった。
キースナイトの婚約者となった日から、彼女は王家に嫁ぐ者として努力を積み重ねて来た。王家の評判を、公爵家の評判を貶める事の無いように……己を厳しく律して、優秀な成績を収めて来た。
それは、彼女が前世の知識を蘇らせる前も後もだった。その全ての努力を……人生そのものを否定する一言だった。
「突然の事で、私は正直困惑しております。私の心に邪念が巣食っていると? 理由をお聞かせ願えますか」
「理由だと? 自分の胸に聞いてみるのだな! 私がユーリから、何も聞いていないとでも思ったか?」
取り付く島もない。
そもそもフランドールはユーリに対して、積極的に関わってはいなかった。仲良しこよしになるつもりは無かった。だが、話しかけられたならば笑顔で応対して来たし、彼女を平民と見下す貴族が居れば窘めて来た。
敵として、認定される事の無いように振る舞って来たのだ。
「そう仰られても、身に覚えが御座いません」
きつい物言いをされても、フランドールは一歩も退く気はない。何故なら、彼の言葉は言い掛かりであり事実無根だからだ。
だが、それに横槍を入れるものが居た。
「身に覚えがないだと? 白々しい……」
不満そうに吐き捨てながら歩み寄って来たのは、騎士団長の息子であるドランバルト。彼もまた、攻略対象だ。
更に、他の攻略対象もキースナイトに付き従う様に並ぶ。
「フラン、何故ユーリに嫌がらせをしたのだ!!」
「私はユーリさんに、嫌がらせなどした事はございませんが」
その反論に、キースナイトは鼻で笑って見せた。
「自分が手を下していない事を、無実と言えるものか! ユーリに嫌がらせをしていた娘達は、お前に命令されたと白状したぞ!」
無論、フランドールに命令した覚えなど無い。
――誰よ、その人達は。人の名前を勝手に使って、ユーリに嫌がらせ?
フランドールは毅然と立ち、キースナイトに反論する。
「それはいつの事ですか? そして、その嫌がらせをしていた方はどなたです? 嫌がらせの内容は? 私はそのような命令をした事など、一度たりともありません。その方を交えてお話すべきではないでしょうか? その場で、私は無実を証明して見せましょう」
「まだ認めぬというのか?」
当たり前である、言い掛かりで貶められて溜まるものか。フランドールは一歩も引かないつもりだった。
更に、口を挟んでくる者が居た。
「ユーリさんの身分を理由に、冷たい言葉を浴びせたとも聞いていますよ。貴女の行いは貴族として相応しくなく、神は怒っておいででしょう」
方針を変えたのは、大神官の息子だ。攻略対象の中で最も冷静な人物なのだけれど……彼は、地雷キャラなのだ。ヤンデレ気味なのである。
「覚えが御座いませんね。それに、指摘するならもっと具体的に仰って頂けますか?」
第一、フランドールはユーリと二人で対峙した事は無い。必ずキースナイトか、友人の令嬢と一緒だったのだ。
これは断言できる、何故ならばそうなるように徹底したから!!
フランドールは溜息を吐いて、彼等に指摘する事にした。
この場には、国王も宰相たる父親も居るのだ。ここで、自分の正当性を証明して見せるつもりだった。
「それで、嫌がらせの内容は? それを実行した者はどちらに? お教え下さい、今この場で」
「不敬だぞフラン!! 王太子たる私に、そのような態度を取るとは!! 図星を差されて、化けの皮が剥がれたようだな!!」
「早くして頂けますか、キースナイト殿下。それとも、私の言葉の意味を御理解いただけていないのでしょうか?」
「な……っ!!」
フランドールの厳しい返答に、キースナイトの表情が歪む。
フランドールが、何度もキースナイトに言ってきた言葉。
王太子たる者、常に誰かに見られていると心得る事。そして感情に左右されずに、目先の事だけに囚われずに、広い視野を持って判断する事。
――そんな事も忘れたのなら、良いでしょう。私を攻撃するだけして、やり返されないなんて思っているのなら……思う存分、甚振ってあげるわ。
「再度申し上げますね。私がユーリさんにした、嫌がらせの内容と時期。それと、実際にそれを行った者の名前です。私を糾弾するのならば、この場で仰って下さい」
「実際に、被害者であるユーリが訴えて来たのだぞ! これ以上の……」
「一方の言葉だけで物事を判断するのですか? キースナイト殿下、王太子たる貴方様がそのような浅慮をなさるなんて……私は悲しいです」
それは、フランドールからの挑発。
「何だと!? もう良い、話にならぬ!! 貴様など、我が婚約者に相応しくない!! 貴様との婚約を破棄する事を、この場で宣言する!! バルド、その愚かな女を取り押さえろ!」
「はっ!!」
キースナイトも、ドランバルドも……その挑発に容易く激昂した。
フランドールの、目論見通りに。
ここで、ダリウスか国王が止めるだろう。公爵令嬢に対する不当な扱い……それは確実に、王太子としてのキースナイトの立場を危うくする。
その後、正式に国を挙げての調査が始まるはずだ。その調査で、フランドールは潔白を証明される。
なにせフランドールは、ユーリへの嫌がらせを止めさせようとしていた側なのだから。
だが、予想外の人物が割って入った。
ドランバルドの行く手を遮るのは、蒼いコートの男……フランドールが召喚した男だ。
「何の真似だ? どけ、王太子殿下の命令だぞ!!」
召喚された青年が、呆れたような表情で声を発した。
「召喚されたばかりの身、事情は呑み込めておらぬ。だが……ろくな証拠も提示せずに、一人の女性を追い詰めるのは何故だ? それともこの世界では、その様な事が罷り通るのが常識なのだろうか?」
彼を知る者ならば、この様な物言いをする姿は珍しいと評するだろう。
彼は英雄の息子として生まれ、その背中を見て育った。そしてある王に出会い、彼に仕えるようになって……自身も英雄となった。
そんな彼は、忠義と礼節を第一に考える、騎士道精神溢れる青年として名を馳せている。
「何だと!?」
過剰に反応するキースナイトに、顔色一つ変えずに青年は言う。
「王太子だというが、お主が次期王なのか? 国の未来を背負うには、足りていないのではないか?」
青年からすれば正論……だが、キースナイトからすれば屈辱的な物言いだった。自分に対する無礼な発言を許容出来るほど、彼の懐は深くはない。
「無礼な!! ドランバルド、この無礼者を斬れっ!!」
捕らえるではなく、斬れと命じるキースナイト。更に自らも、腰に携えていた剣を抜く。
ドランバルドは、王太子であるキースナイトの言葉に即座に従った。剣や槍を構え、青年の命を奪おうとしたのだ。
しかし、それは大きな間違いであった。
――竜召喚の儀式で召喚された存在が、果たして彼が考える通りの“ただの青年”であろうか?
「……浅はかな」
瞬間、青年から放たれたのは濃密な殺気だ。その瞳は黄金に輝き、迫るドランバルドを射抜く。
「……ひっ!?」
背骨の代わりに氷柱が差し込まれたような、強烈な悪寒。全身が粟立ち、一歩も動けなくなる。
「ぬ……ぐっ……!?」
それは騎士だけではなく、王太子にも向けられていた。
キースナイトも剣の心得はあったが、ドランバルドのそれには大きく劣る。王族を守る為に、厳しい鍛錬を積み重ねて来たドランバルドが一歩も動けなくなる程の殺気だ。
キースナイトは呼吸もままならぬ状態になり、全身が硬直し……そして、目尻に涙が浮かぶ。
彼は生まれて初めて、殺気を叩き付けられた。その初めての体験が、ドランバルドすら恐怖する殺気とあれば……頭が完全に真っ白になり、思考が停止してしまうのも致し方あるまい。
――ええ、解りました。では、その様に。
青年は、殺気を放ちつつも”誰か”と会話をしていた。彼が念話をしている事を、召喚の間に集まった者達は知らない。
念話を終えた青年は、殺気を緩めた。緊張状態から解放されたドランバルドは、息を荒げる。
そして、キースナイトは……尻餅をついて、全身を震わせていた。極度の緊張状態から解放され、全身が弛緩した挙句に失禁までしてしまう。だが、放心状態の彼は自分が失禁した事にも気付いてはいない。
殺気を緩めた青年は、玉座に座る王に向き直った。
「この場を騒がせた事、まずは謝罪しよう」
そう言って、青年は一礼する。その仕草は、相手を尊重する事を表すような態度だ。
その様子を見て、ウィンドルグ王は現状を鑑みる。
彼は突然召喚され、その直後に自分を召喚した者が罵倒された。その内容はウィンドルグ王ですら眉を顰める様な、罵詈雑言。
更には苦言を呈すれば、騎士を嗾けられる始末だ。成程、殺気を放って威圧行為をするのも仕方はあるまい。
むしろ傷一つ付けずに無力化する、先程の濃密な殺気。竜の巫女であるフランドールに召喚された彼は、只者では無い。
ならば、まずはそこを明らかにしなければなるまい。
「……お主は、何者だ」
その言葉に、青年は一つ頷いて応えた。
「私の名は【フリードリヒ】。こことは異なる世界“ヴェルスフィア”にて、天空の王に仕える者だ」
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王に促され、フリードリヒとフランドールは玉座の前に並ぶ。フリードリヒは立っているが、フランドールは跪いていた。
「色々と言いたい事はあるのだが、まずは問おう。我等は竜を召喚した……しかしフリードリヒ殿、貴殿はどう見ても竜には見えぬな」
それは騒動の発端、そもそもの原因だ。
それに口を挟むのは、キースナイトだ。懲りない男である。
「どこの馬の骨とも知れぬ人間を召喚するとは、神聖な儀式が台無しではないか!!」
その言葉に、フランドールは何も言えない。何故ならば、フランドールにも解らないのだ。リンドヴァルムではなく、どう見ても竜には見えない男性である。何が悪かったのかと、思考を巡らせる。
そんな中、更に怒声を上げるキースナイト。
「よもやフラン! 貴様、乙女では無いのではないか!!」
……それは、あまりにも非情な発言だった。
フランドールは彼の婚約者である。幼少の頃に、彼の婚約者として選ばれたフランドール。それから彼女は他の男性と二人きりになったりする状況を、徹底して避けた。
王族に嫁ぐ者として、当然の配慮である。決して不義をしないように、そのような疑いを持たれないように。全ては、未来の夫となるキースナイトの為に。
そんな彼に不貞を疑われる。それはフランドールにとって、何よりも酷い存在の否定の言葉だった。
前世の記憶があったとして、同時に今生の記憶も併せ持つフランドール。その心無き言葉のナイフで、彼女の心はズタズタに斬り付けられた。
「決してそのような事は御座いません!!」
立ち上がって反論したいが、王前であるから体勢を変える事は出来ない。跪いたまま、頭を垂れて叫ぶように否定するフランドール。
込み上げて来るのは怒りだけではなく、哀しみや苦痛もだった。公爵令嬢としてのフランドールの心は、その言葉に耐えられなかったのだ。
目の奥から溢れ出して来た涙は、すぐに溢れ出した。
「ならば何故、竜を喚べぬ!! その原因がお前に無くて、誰にあると言うのだ!!」
反論を許さないと言わんばかりに、キースナイトは捲し立てる。既にダリウスの目は吊り上がり、今にも剣を抜きそうな状態であった。
そんな王の側近にも気付かず、キースナイトの暴言はヒートアップしていく。
「私は殿下を裏切るような事はしておりません!!」
「どの口が!! 素直に罪を認めるならばと思ったが……もう、ほとほと愛想が尽きたぞフラン!! 貴様は公爵令嬢という身分でありながら、婚約者の目を盗んで他の男に抱かれる売女だッ!!」
それに対し、堪忍袋の緒が切れた男が居た。複数名居るが。
一人はフランドールの父であるダリウス。愛娘を侮辱され、王太子である事を忘れて怒鳴ろうと息を吸い込んだ。
一人は国王であるヴェルナイト。先程から繰り返される息子の愚行に、いい加減にしろと叫ぼうとした。
だが、三人目の男の挙動がそれを推し留めた。
フリードリヒは前に歩み出て、キースナイトに視線を向ける。それだけで、キースナイトは押し黙ってしまった。先程の殺気による恐怖が、彼の心に染みついていたのだ。
「勘違いをしているようだな。我が竜の姿は巨体だ。故に、この建物を壊さぬように配慮した次第だが。何か問題があるか?」
その言葉に、ウィンドルグ王は愕然とした。それはつまり、先程のキースナイトの言葉……フランドールへの非情な物言いは、見当違いにも程があるという事だった。
「それを証明する手立ては?」
ウィンドルグ王の言葉に、フリードリヒが応えた。その右腕を竜のモノに変化させて見せたのだ。
「……っ!!」
「これで証拠になるだろう? この姿を維持する為、これ以上は制御が難しい。ところで、そこの男が何か言っていたが、もう一度言って貰おうか……私だけではなく、彼女に対する言葉も全てだ」
ウィンドルグ王は、フランドールに視線を向けた。
フリードリヒがキースナイトに向けた言葉は、この国の不信へと繋がる。この国の歴史において初めての、二匹の竜が召喚されたのだ。これ以上は、まずい。
取っ掛かりは、フランドールだと判断したのだ。
「フランドール嬢、面を上げてくれ」
まだショックは癒えないものの、王の言葉に背く事は出来ない。黙ってフランドールは頭を上げる。
すると、ウィンドルグ王は玉座から立ち上がった。
「愚息の非礼を詫びよう……済まなかった」
王はそう言うと、頭を下げたのだった。それに驚いたのは、王とフリードリヒ以外の全員だった。
「へ、陛下!? お止め下さい、私ごときに頭を下げるなど……!!」
慌てて声を掛けるフランドール。しかし、ウィンドルグ王は頭を下げ続けていた。
「余は、フランドール嬢の風評を聞いている。己を律し、王家に嫁ぐべく努力を怠らぬ立派な淑女だと。そんな君の努力を、高潔さを貶めたのは我が愚息。ならば親として、王として謝罪するのは当然の事だ」
そう、フランドールは品行方正な女性だ。そしてゲームとは違い、ユーリに嫌がらせをしていない。嫉妬もしていなければ、明確な悪意も向けていない。
フリードリヒの好感度低下を防ぐ意味合いもあるが、フランドールへの謝罪の気持ちも確かにあった。逆に言えば、フランドールに頭を下げる大義名分が出来たという事だ。
「父上! そこまでしなくても……!!」
放心していた馬鹿王太子が、慌ててウィンドルグ王に声を掛ける。だが、王から返されたのは厳しい視線だった。正に、親の心子知らず。
「黙れ、キースナイト!! 王太子でありながら己の立場も弁えず、フリードリヒ殿の本質も見抜けず……挙句の果てには、自分の婚約者に対して情の欠片もない言葉を口にしたな!!」
キースナイトは、初めて父親から……ウィンドルグ王から、怒りの視線と言葉を向けられた。
彼は文武両道で、王太子となるまで順風満帆に暮らして来た。最も、彼は王族の堅苦しさに嫌気が差していたのだが。
だからこそ、キースナイトはユーリに惹かれた。天真爛漫な彼女の姿は周りのどの女性とも異なり、キースナイトの目には新鮮に映った。そんな彼女に心を奪われるのは、仕方のない事だとキースナイトは思っていたのだ。
そう思うと、彼はフランドールが疎ましく感じられた。ユーリが現れるまで、彼を陰に日向に支えようと努力している姿を見ていたのに。そんな彼女の姿を見て、立派な王になろうと心に誓ったはずなのに。
甘い砂糖菓子のような少女に心を奪われ、骨抜きにされたキースナイトは気付かない。自分がしでかした事が、どれだけの事なのかを。
クロスロード公爵家は、キースナイトが王太子の席に座る際に多大な尽力をして来た家。つまり、彼にとって最大の後ろ盾なのだ。フランドールを排除する事は、クロスロード公爵家を敵に回すという事である。
そして、ウィンドルグ王の最大の理解者であり忠臣であるダリウス。彼はフランドールの父親、クロスロード公爵なのだ。横に控える彼の怒りは、ウィンドルグ王にも伝わって来ていた。
王太子だからといって、手心を加える事は許されない。王としても、父親としても。
「王家の恥を晒したお前に、罰を与える。沙汰は追って下す、自室で頭を冷やすがいい!!」
そう言って、手を横に振った。それは、この場から立ち去れ……という意味合いだ。
歯を食いしばり、顔を恥辱で赤く染めるキースナイト。だが、王の言葉に歯向かう訳にはいかない。
「……っ!!」
声にならない声、すぐさまフリードリヒを睨み付ける。しかし、フリードリヒは視線を彼に向けるつもりはなかった。
「早々に退室しろ、キースナイト!!」
ウィンドルグ王の厳しい言葉に、キースナイトは更に顔を真っ赤にする。しかし鼻につく悪臭に気付き、逃げるように召喚の間から退室していった。
……
キースナイトが退室すると、フランドールは玉座の前に立たされた。その横には、同じく竜の紋章を発現させたユーリも居た。主人公と悪役令嬢が並び立つ姿に、違和感を覚えているのは当人達だけである。
「フリードリヒ様、竜の巫女として御身に乞います。何卒、我等の守護者となって頂けませんでしょうか……」
フランドールが、フリードリヒの前に傅いた。その姿から、彼はフランドールの誠意を感じ取る。
フリードリヒとしては、その誠意に応えたくはある。しかし、彼は仕官した身だ。
「我が王に伺いを立てねばならない故、しばし時間を頂きたい」
その返答に、ウィンドルグ王は難しい顔をする。
フリードリヒから感じる威圧感は、相当なものだ。まだ騎士団に入団していないとはいえ、ドランバルドを気迫だけで圧倒した事もある。是が非でも、国に留まって欲しい。
同時に、彼が口にした言葉が引っ掛かる。
――天空の王。
彼は、より強大な竜に仕えているのだろうと察した。実際には、竜どころの話ではないのだが。
そして、彼の挙動から察するに……彼は堅い忠誠心の持ち主だろう。望みは薄い様に思われたのだ。
「フリードリヒ殿、如何程の時間が必要だろうか?」
そう尋ねたのは、宰相であるダリウスだ。キースナイトを公の場で叱責し、フランドールに王自らが謝罪したことで、彼も矛を収めていた。逆にフランドールの為に真っ先に声を上げたフリードリヒに、彼は深い感謝の念を抱いていた。
だからこそフリードリヒが、ヴェルスフィアという世界に一度戻るのではないかと思ったのだ。この地に戻って来て貰えるのか? 彼の王が許可を出すだろうか?
「五分程頂ければ、問題ないかと」
そう言って、フリードリヒは王特製の遺失魔道具を取り出した。
「……は!?」
「五分……だと!?」
「そ、それは……っ!?」
「……ス、スマホ?」
声を上げたのは、上からウィンドルグ王・ダリウス・フランドール・ユーリだ。
その瞬間、フリードリヒとフランドールはある事実に気付いた。
ウィンドルグ王とダリウスは、純粋に五分という時間の短さに驚いた。
フランドールは、フリードリヒがどこからともなく取り出した遺失魔道具……見た目はスマホにしか見えない物品に驚くも、具体的な名称を出さなかった。
しかし、ユーリは確かに”スマホ”という固有名称を口にしたのだ。
転生者や転移者を良く知り、“それ”を元にした遺失魔道具を良く知るフリードリヒ。
そして、前世の記憶が覚醒したフランドール。
この二人だけが、気付いた。ユーリには、”地球の記憶”があると。
ともあれ、フリードリヒは彼の王に伺いを立てる事にする。その為に遺失魔道具“円卓の絆”を取り出したのだから。
手慣れた様子でアドレスを表示し、通話ボタンを押すフリードリヒ。その様子を訝し気に見つめるウィンドルグ王とダリウスだが、余計な口は挟まないつもりらしい。
三度目のコール音がして、相手が出た。
『あぁ、連絡を待っていたよフリード』
「お待たせして申し訳御座いません、ユート様」
『良いって、良いって。それで、状況は?』
「私は異世界の国によって、召喚されました」
『異世界召喚のテンプレ! キタコレ! フリード、いつの間に勇者になったのさ?』
「私は勇者には程遠い身です」
『普通に返された……で、僕はどうすれば良い? 迎えに行けば良いのかな?』
彼の主君は将来、創造の神として最高神の下に往く事が確定している。その力で、彼は世界を渡る事すら可能なのだ。
「いえ、実は……」
……
経緯と現状を説明すると、ユートの返答はあっさりとしたものだった。
『ふむ、成程。フリードはどうしたいのかな?』
ユートとフリードリヒには、王とその臣下……その垣根を超えた信頼関係で結ばれている。故にユートの言葉には、フリードリヒに対する全幅の信頼が込められていた。
「常に居る訳にはいきません。私もユート様から、重大な役割を賜っております」
そう言うのは当然だ。フリードリヒは、ユートの家臣の中で最も忠誠心が厚い男なのだから。
「ですが、気掛かりな事が一つ。なので、放置するのもどうかと思っておりまして……」
珍しく煮え切らない態度のフリードリヒに、ユートは思案した。
『ふむ……なら、何か代案が出せるなら……あぁ、そうだ。もしかしたら、あれなら……』
「……ユート様?」
ブツブツと呟くユートの声に、フリードは眉を顰めた。こういう時のユートは、何かしらとんでもない事をやらかすのだ。それは、これまでの生活で身に染みていた。
『フリード、僕の遺失魔道具の実験台になってみるかい?』




