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部屋を出てすぐ、僕は隣にある扉の前に立っていた。確かにそこにはラベンダーの入った小さな花瓶が扉の横にくっつけられていた。だが僕はそれをしばらく眺めるばかりで、どうしようかという気にはならなかった。なんだかそこに立っていると、心の奥がざわざわと落ち着かなくなってしまうのだ。
それからは、主に教えてもらった自分の部屋へと向かった。部屋は一階にあり、玄関から見て左側の廊下の方へと進んで七つ目の扉だった。僕は試しに三回ノックをし、ドアノブを回して扉を引いた。
部屋の中は、ベッドとダイニングテーブル、そして椅子が二つ置いてあるだけのシンプルな部屋だった。収納なども見られたが、とくに変わった事はなかった。広さは先程までいた部屋の半分ほどだった。あの部屋が広いのかここが狭いのかは分からなかったが、程よい広さだと思った。
ベッドの上には持ってきていた僕の荷物が置かれていて、恐らくモモが持ってきておいてくれたのだろうか、あとでお礼を言わなくてはいけない。
部屋には入口のすぐ横に一つ、扉があった。スライド式の扉を音を立てながら開けてみると、中はユニットバスになっていた。奥にある、ぎりぎり二人入れるくらいの浴槽とこちら側を隔てる可愛らしい花柄のカーテンは、シンプルなバスルームの見栄えを良くしていた。
僕はバスルームを出て、ベッドの上に置かれている荷物を取り出した。来る前に、服や日用品は全てここで用意してくれると聞いていたので、中身は下着やノートなどが入っているだけだった。
僕は収納にそれらをしまい込むと、とにかくすることが無かったので、とりあえず部屋を出ることにした。ここについて、知っていることがほとんど無かった僕は、いろいろと分かっておかなくてはいけないこともあるだろうと、屋敷の中を見て回ることにした。
廊下は先ほどと変わることなく、目の前の大きな窓から光が差し込み、真紅の絨毯を燃え上がらせていた。絨毯の上を歩いても、ほとんど足音はしなかった。
見て回る、と言っても、僕はここでは右も左も分からない単なる子供にすぎなかった。どこに何があるかも、誰がいるかも分からないのに、見て回るなんてことが出来るはずが無い。
とりあえず玄関前まで歩いてきたはいいものの、ここで主を呼んで案内してくれと頼むこともできない。僕は文字通り棒のように立ち尽くしながら、天井のシャンデリアを仰いだ。
「何してるんだ」
真夏の中に、涼し気な声がした。
男の子だった。多分、僕と同じくらいの歳で、見た目はとても大人っぽい。だけど、すぐにそうではないと分かった。
「誰だ、お前ーーーー」
どこか冷たい視線に、僕は彼の顔を見ることしか出来なかった。
彼はどんどん僕に近づいてくる。鼻が触れるくらいまでにくると、僕の目の裏まで覗くくらいじっと見つめてきた。
きめ細かい。ツルツルで、見てわかるくらいのまるで赤ちゃんのような触り心地の肌。髪の毛もサラサラで、なにも手を加えていないのが見て取れる。それを少し整え、どこかぼさっとする雰囲気を出しているのもわかった。
目は綺麗な蒼色をしていた。天然ならば素晴らしい、芸術品のように、何度も試行錯誤を重ねて出来上がった、最高の色だ。僕は思わず目を奪われた。
息がかかる。彼は目でも悪いのか、本当に近すぎて僕が危うく気を失ってしまう所だった。
「ちょっと!」
今度は明るい、色で例えるならば綺麗なオレンジ色の声色が聞こえた。彼のすぐ後ろからだった。
彼女は彼の首根っこを掴んで下げさせると、隣で説教をしだす。
「驚いてるじゃん、そんな近くよったら可哀想でしょうが」
女の子だ。短髪でふわふとカールした髪に、少しつり目だけどくりっとした黒目。スッと白くて長い手足が袖口とスカートから覗いている。
「じゃあ誰なんだこいつ。怪しいやつじゃないのか」
「ツゲ、前に写真見たでしょ。新入りの子よ。ね、ユリちゃん」
「あ、はい」
僕は久々に声を出した気分だった。
彼を後ろにやってから、女の子は僕の前にやってきて右手を差し出した。
「私はサクラ。後ろにいるのがツゲよ。よろしくね」
「ユリです。よろしくお願いします」
僕とサクラは固い握手を交わす。時々、後ろの男の子を横目に見ながら。