桜白舞(2)
自分が今よりも子供だった時も、人より小柄で、気が弱かった幼馴染みがこんな風に直ぐに愚図りだしてアタシと兄を困らせていた。
その度宥めて、アタシが泣かしたヤツの所へ殴り込んで、それを途中で兄に止められた覚えも何度もある。
……まあ、そんな幼馴染みも今では立派になってしまっているのだから良いとしても、目の前のこの小物みたいなヘタレはこの歳でこれなのだから、余計に質が悪い。
……そう言えば、初めて合った時も泣いていた気がする。時期は今とは真逆で雪も降っていた。……確か、そう。アタシがエレーナへ行って間もない頃だ。
‡ ‡ ‡
「はぁ……はぁ……」
酷い為体。たったこれだけで身体が重たい。息も上がってしまって、きっと今は酷い顔をしているだろう。それでも、何とか目的地に辿り着くことが出来たのは及第点か。
エレーナ共和国の首都ネクト。転移を成功……とは呼びたくは無いが、兎に角、それを使ってアタシがやって来た場所は、リアトラと比べると何処か乱雑で、露店が多く、商業色の強い街並みが特徴的な場所だった。
少し休憩すると、大分気分は落ち着いたものの、乾いた冷たい空気のせいで気管に気持ち悪さが残っている。けれど、今更そんな事を気にしていられないし、歩いている内に気にならなくなるだろう。
ネクトの街もリアトラと同じく人が犇めき合っており、人数は国風もあってかこちらの方が多いものの、遠くに見える光の柱のお陰でその足の殆どは止まっている為、あまり邪魔にはならなかった。
目的地は一つ。この辺りで一番目立つ建物で、商人気質の強いこの一帯で、一際異彩を放っている、塔を伴って聳え立っている城のような建物。
その塔の頂上には《賢者》と呼ばれる存在が居るという。
そしてその《賢者》は魔導の知識、技術も然る事ながら、七英雄が一人、歌人アルテナと同じく〝千里眼〟と呼ばれる力を持っているらしい。
〝千里眼〟。それはあらゆる物事を見透す力。過去、未来、現在、関係無く知る事が出来る魔法の領域を超える力。
それさえあれば、仇の……亡霊の居る場所だって知る事が出来る。
しかし、当の《賢者》は滅多に人前に姿を表さない為、その姿を知る人は殆どいないと聞く。
「動くな、お前は今包囲されている」
やれやれ。
――選択肢は、無いらしい。
アタシは取り囲んでいる人間達の中の、声を発した人物の方へと振り返る。
「動くなと言った筈だ」
続けてそう警告を行った人物の隣には十数人の人間が横並びに立っており、皆、その手には自身の得物であるであろう武器を握っていた。
其々の表情に硬さは見られても焦りは見えない。連携を取り慣れているということは、恐らく何処かのギルドの人間なのだろう。
けれども。
「抜かせ」
これでアタシを追い詰めたつもりか? 笑わせる。
アタシの言葉に尚一層表情を険しくした人間達が動くよりも先にアタシは魔法を発動させる。
「〝ディレクト・ブライズ〟」
そうして、アタシを取り囲む人間一人一人を取り囲むように現れた魔法陣が、相手の陣形を壊滅状態に陥れるまで、そう時間はかからなかった。
残ったのはアタシに警告を行った壮年の男。陣の統率を取っていた事からも、相手方の中で一番の実力者なのだろう。
「我求めしは契約の象〝サピーナ〟」
白銀の剣を掴み取り、相手との距離を即座に詰める。振りかざした刃を受け止める壮年の男の足下には薄い水晶の板が砕けたような物が落ちていた。
確かあれは非常時である事を知らせる魔導具だったか。周りに転がっている人間達は、ネクト魔導学院に侵入したアタシに直ぐに追い付いた。……という事は、近くにあるギルドからやって来た可能性が高い。
とっとと片付けたいものだが、アタシと刃を交える壮年の男はアタシを仕留める事よりも時間稼ぎをするために守る事に徹しているため、直ぐには終わらせられそうにもない。
そこで塔に入ろうと思ったものの、アタシはこの壮年の男を少し侮っていたらしい。壮年の男はいつの間にか守りながらアタシとの立ち位置を入れ換えていた。
魔法、刃を幾度も交える。壮年の男の息が上がってきた。依然アタシが優勢に変わりはなく、少しずつだが消耗させてはいるものの、これでは遅い。
漸く出来た隙に、蹴りを入れると、壮年の男は塔の壁にぶつかり気を失ったが、その表情には満足気な笑みが浮かんでいる。
アタシが振り向くとそこに居たのは、先程の壮年の男と同じ位の年の男二人に、それよりもやや若い男が一人、そしてアタシよりも少し年上位にしか見えない若い女が一人の四人。
たった四人ではあるが、確実に今さっきまで戦っていた人間達よりも確実に強いだろう。
それにアタシから塔までの距離よりも援軍の四人までの距離の方が近い。先に塔に入り込む事は不可能ではないのだろうが、背を向ける事になるのは危険だ。
……まあ、最初からそのつもりであったから、問題は無いのだけれど、アタシとしても色々配慮とか、気遣いとかがある訳で――
「えっ? こんな子供一人にやられたの? まだまだまな板のこんな子に?」
四人の内で一番若く、唯一の女は、自身の契約武器であろう棘の付いた太い鞭を揺らしながら、一番大きな態度で口にする。
「やめなさいメリッサ、相手がどんな相手であろうとも侮ってはいけない。例えそれが子供であっても、だ」
壮年の男の片方、髭を貯えた男は、己の髭を撫でながら、鞭を持った女を嗜めた。
「そうですよ。けど、僕は子供は相手にしたくないんですよねぇ」
四人の内、真ん中の年齢に当たる男は、細い腕を組んで、人畜無害そうに苦笑いを浮かべる。
「そう甘い事を口にするでない、これが我らの仕事じゃ、仕方無かろう。とっとと終わらせて帰ろうぞ」
最後の一人、一番図体の大きい壮年の男は自身の羽織っていたコートを脱ぎ捨て、籠手を嵌めた筋肉の大きく膨れ上がる腕を露出させた。
「勘違いしちゃ駄目だよ脳筋じじい、この人は只のロリコンだから。紳士気取ってるだけで中身は欲情真っ盛りの色情魔だよ。いい加減覚えなよ」
鞭を持った女――メリッサと呼ばれた女は、呆れ顔でそう吐き捨てる。
――いや、もうこの際どうでも良い。建物が壊れようとも、此処が荒野なろうとも知った事か。
「ジューン=クルサード!」
アタシの意思に呼応して、強く握った剣からは、紫色の雷が輝きを増していく。
「ほらっ、皆のせいで怒っちゃった」
「グチグチと……うっさいのよ!」
剣を振り抜く。剣から離れた雷は大きな弧を描いて、四人其々を襲い、残ったものは校舎を削ぎ、屋根を吹き飛ばした。
大きな音を立てて空気が揺れた。しかし、大層な音の割に、あまり効いていないらしい。