あれから(5)
「……まあ、気を落とすなメガネ。頼りにしているからさ」
その出番とやらの一歩目を思いきり挫かれたメガネ君はコーチ君に肩を軽く叩かれて小さく「うん……」と返事をする。
しかしそれでも、一度目を閉じて深呼吸をすると、表情を引き締めて眼鏡の位置を直した。
「僕達は闘技場の南東部の端に居るみたいだ。其々の代表までの距離は凡そ1200メートルから1700メートル……北の方から此方に向けて二人向かって来ているけど、感知タイプの武器を持っていそうな人は居ないね」
そしてメガネ君がそこまで言うと、遠くの方で爆発音の様なものが聞こえた。
「今のは北西1000メートルで他の学校の代表を誘い込む為にわざと鳴らしたみたいだね……腕には自信があるみたいだけど、僕達……いや、君達の敵では無さそうだから優先順位は低く見積もっても問題無さそうだよ」
「ウフッ! 僕達、で良いのよメガネちゃん、お手柄よ。終わった後で抱き締めてあげるわ」
この対抗戦の一回戦に於いて、其々の陣営を俯瞰する事の出来る力を持っている人が居るだけでかなり戦いを楽に進める事が出来る。
その上、此方には全員へ言葉を伝える事の出来る人も居る。その事からも、やはり僕らの勝利は堅いだろう。
影から聞こえてくる指示に従って、僕は先の見えない森を走って、気配を殺して立ち止まる。
少しすると見慣れない制服を来た他校の生徒が二人、北の方角からやって来た。成る程、警戒はしているものの、僕が潜んでいる事に気付きもしていない。緊張のせいで視野が狭まってしまっているのだろう。
申し訳無いけれど、躊躇はしないよ。
「〝クルエル・ウィンダ〟」
言葉と共に吹き荒れた風は此方に振り向いた瞬間、二人の生徒を飲み込み、再び姿を見える事を許さなかった。
「メガネ君、後何人残っているかわかるかい?」
『他校同士で三人、クロック君が三人、カリエール君が二人、ロッテンさんとカタルパさんで一人、ストレングスさんがブロック一つとそれに巻き込む形で二人……だから残り十人とブロックが二つ。ちなみに獲得した得点はクロック君が腕章を奪っているから15点だよ』
「ありがとう、丁寧で助かるよ」
この短時間の内にこれなら直に終わるだろう。油断をしてはいけないれど、既にこれだけの得点があれば少なくとも一回戦は確実に突破出来る。
『カリエール君』
静かに足を進め、止め、戦って。それを何度か繰り返しながら遠くから大きな音の響く木々の隙間を縫って歩いていると、再び影から僕の名前を呼ぶ声が聞こえた。
「どうしたんだい? 援護の要請かい?」
『ううん、今ストレングスさんとクロック君が協力して何人か倒しながら三つ目のブロックを壊した所なんだけど、最後の一人がそっちに向かったから、そのまま北西方向に進んで貰っても良いかな?』
「わかった。けど、最後の一人って、僕が良いところを貰っても良いのかい?」
『クロック位しか気にしないんじゃないかな?』
「ふふっ、それもそうだね。それなら、お言葉に甘える事にするよ」
メガネ君の言っていた場所へ、風の鎧を纏って走る。随分とあっさりとしているけれど、勢いそのままかち合った、剣を手にしていた男子生徒に向かって拳を振り抜いた。
しかし流石他国の代表。拳は確実に相手を捉えたが、焦りを見せながらも目の前で腕を交差させて受けた事によって、仕留めるまではいかなかった。
それでも手を休める事はしない。
「〝ガング・ウィンダ〟」
展開した風の槍の数は五つ。
一つ、正面から。木々を壁にしながら相手に近付いて行き、警戒心を煽りながら撹乱する。
正面から真っ直ぐ襲い掛かった槍は体をずらして避けられる。が、そこへ僕が拳をぶつけに掛かると同時に、逆側から二つ目の風の槍が駆け抜けてくる事で行き場を奪った。
僕の拳は受け止められ、二つ目の風の槍も体を反らされ躱されはしてしまったが、その瞬間に三つ目と四つ目の風の槍が目標へと辿り着いた。
無理矢理捻り出した様な雄叫びを上げながら、相手の生徒は手にしていた剣を力任せに横に振る。
すると風の槍は掻き消されて、僕自身も吹き飛ばされて背中を木に叩き付けられてしまった。
鈍くゆっくりと、幹の繊維が千切れる音が後ろから聞こえた。危なかった。もう少し吹き飛ばされてしまっていたら格好悪いだけだった。
汗粒を顎に伝わせて、僕の目の前で剣を振り上げた男子生徒は快活に笑みを見せる。
「残念だったな」
「ああ、そうだね」
滴る汗を拭う代わりに振り落とすように、男子生徒は剣を降り下ろした。
……けれども、それが僕には届く事は無い。
「あ……っ……?!」
「武器の能力を使われた時はちょっと焦ったよ」
五つ目。最後の一つの風の槍を出した場所はかなり遠い位置。絶対に上手くいくという自信は無かったけれど、成功したようだ。
剣を落として前のめりに倒れた男子生徒と入れ換わるように立ち上がる僕の声が届いたかどうかはわからない。けど、兎に角、僕らの勝ちだ。
結果は確認するまでも無い、紛う事なき一位での通過。圧勝だ。
各校によって代表の選考方法は違うものの、この結果は、僕らと一回戦の環境の相性が良過ぎたというのもあるだろう。
「一回戦突破だぜぇ!」
「「いぇーい!!」」
コーチ君の元気の良い掛け声に合わせて、レディさんとメガネ君の二人が立ち上がり手に持った盃を上に掲げ、一気に飲み干す。
「ぷはーっ! 良いねぇ、この一杯に生きてるって感じがするよ」
「くぅっ……体に染み渡る……それでいて心と眼鏡が洗われるようだよ……!」
尚、盃の中は水である。
対抗戦の代表に用意された、貸し切りとなっている宿の食堂で、一回戦を終えた僕らは集まって明日以降の事を話し合おうとしていた。
本来なら教師達も居るのだが、何やら野暮用があるらしく、現在は僕ら七人だけである。
季節のせいか窓から見える景色は未だに茜色。何だか妙な気分だ。
乾杯の音頭以降は静かにカチャカチャと食器が触れ合う音だけが囁いている。……どうやら、気分に違和感を覚えたのは景色のせいではなく、異様に静かなこの状況のせいらしい。
とはいえ、少し前にエルシーが対抗戦に参加すると言った時のように重苦しい雰囲気ではなく、どちらかと言えば和やかである。
只皆、やはりどこかでは緊張していたらしく、支障を来さないよう朝御飯もあまり口にせず、それ以降も何も食べていなかった事もあり、その反動が今やって来たといった所だろう。
「そういえばさ、他の学校ってどうなんだ?」
皆が食事に集中する事数分、締まりの無い表情のコーチ君がそう口にした。
「誰か知ってる?」
レディさんがそう付け足して僕らを見渡すけど、誰も答えない。まあ、殆ど一緒に行動していたのだから、知らなくても仕方無い。
「先生達が戻ってきたら聞いてみましょうか」
ケトルさんがそう言ったところで、偶々であろうが、丁度都合良く扉が開かれた。