あれから(3)
それが果たして本当に慣れていないからなのかどうかはわからない。ひょっとしたら色々あったせいで少々疲れてしまっているのかもしれない。
自室へと繋がる物とは別の扉の前までやって来た僕は扉を数回叩き、呼び掛けて、中に人が居るか確かめる。
言葉は帰って来なかったけれど、ゆっくりと扉が開かれる事で僕の行動は報われた。
覗き込むように扉の内側から、おずおずと僕を見上げる小さな少女に、僕は出来るだけ微笑んで、「良かった、まだ居た」と声を掛けると、少女は大きな黒い瞳の伴う睫毛を伏せて「今出掛けようとしてた……」と呟いた。
「はい、今日の授業の分のノートだよ」
そんな彼女に、わざとらしく愚鈍に振る舞って、鞄から取り出したノートを図々しく差し出すと、彼女は少しの間口を噤んでいたものの、結局は「ありがと……」と言いながら受け取った。
「今日はどうだった?」
一度部屋にノートを置きに戻り、再び外へ出てきて、さっきまで僕が歩いていた道を辿る私服姿の少女に問い掛ける。
「五軒……五軒とも駄目だった…………聞きたくないって……」
「そっか……エルシーは悪くないよ」
亡霊と呼ばれているあの男がこの学院を襲撃した日、僕ら二人の幼馴染み以外にも多くの命が奪われた。
長く艶のある黒髪の一部を二ヶ所、両の耳の上で括っている彼女、エルシー=スチュアートはその持ち前の明るさから、学院内で友人関係で無い人間を探す方が難しい。
彼女の契約武器の能力の一つに、一メートル以内に近付いた事のある者と影を繋ぐというものがある。影を繋いだ相手と会話を行える彼女は、襲撃の際にそれを使って学院の生徒達に避難を促したが、それでも避難しきれず命を落とした人々も少なくは無かった。
だからエルシーは、人々の最期を知っている彼女は、彼女だからこそ、その人々の最期を残された人々に伝え回っている。
……けれども、さっきエルシーが言ったように追い返される事も少なくない。
親しい人を亡くした事を思い出したくない人だって居るのはわかっている。でも、一番身近な人がそれを知りたくないというのは、知ろうとしないのは幾らなんでも亡くなった人が報われない。
「もう一回、行ってみようか」
そういったエルシーの考えが、少なくとも僕は正しいと信じているから、僕はそれを支えたい。
全員にその思いを届け終えるのが何時になるかはわからないけれど、今度こそ僕は最後まで彼女を、僕自身を見失わない。
「帰って! 聞きたくなんか無い!」
五軒目、エルシーからすれば十軒目とも言えるその家から追い出された時、辺りはもうすっかり街灯が薄っすらと照らすのみとなっていた。
「調子良いと思ってたんだけど、最初だけだったね」
「……うん」
「……焦る必要は無いよ。時間はあるんだからさ」
そうは言ってみても、流石に堪えてしまっているらしいエルシーの表情からは曇りが晴れない。
「そう言えば、代表戦はどうするんだい?」
ここの所、エルシーは殆どまともに学院へ行っていない。毎日色々な人の元を訪れているというのもあるが、恐らく彼女自身があまり行きたがっていない。
あの日彼女は“見て見ぬ振りをしたからツケが来た”と言った。それが何を指すのかはまだわからないが、少なからず今の状況に関わっていると考えても良いだろう。
とは言えども、そんな事を抜きにしても僕としてはどんな形でも良いので学院へ出てきて欲しいというのが本音だ。
人というものは残酷で、別にエルシーが弱くなったとか、変わってしまった訳ではないのに、学院にあまり来なかったり、模擬戦に参加しなかっただけで、たったそれだけで悪く言う人が出てきた。
確かに良いことではないけれど、直接エルシーに言葉を掛けるでもなく、勝手に根も葉もない噂を流したり、事実を確認もせずに信じ込んでしまったり、陰口を叩くのは可笑しい。
実際にエルシーと対峙したら媚び諂って胡麻を擂る癖に、相手や周囲によって直ぐに態度を変える癖に。そんなのを見ていると気分が悪い。
もう少しエルシーが学院へ来てくれれば不快な噂の誤解を解いたり、その気色の悪い舌を縛ってやる事が出来るとは思うのだけれど、そうこうしている内に夏休みになってしまった。
言葉汚くなるけど、せめて魔闘祭に参加してくれれば、そういうヤツらの身の程を今一度実感させて黙らせる事が出来るとは思うけど、きっとエルシーは力で捩じ伏せる様なやり方を嫌うだろうし、嫌がっている彼女を無理矢理参加させるのは何か違う。
だけど何時までも板挟みの状況も、僕自身の我が儘も続けられない訳で。
取り繕うにも取り繕え無くなってきているにも拘わらず、気を遣おうとして、ゆっくりと足を進めながらもしきりに目を動かす彼女は、口を開こうとはしているが何度もそれを躊躇する。
魔闘祭は最低五人居れば参加は可能なので、断れない事もないのに、言葉にさえ出来ないエルシーにあんな質問をするのは少々卑怯だったのかもしれない。
「ちょっと寄りたいところがあるんだけど……良いかな?」
しかし今更だ。僕が卑怯なのは今に始まった事じゃあ無い。それなら少なくとも今は“それらしく”振る舞ってやろうじゃないか。
「……う、うん……」
おずおずと首を縦に振るエルシーの手を掴んで、半ば強引に引っ張って行った先にあったのは、このリアトラ中心部の街の風景に馴染んだ外観で、仄暗い夜道を明るく照らしている一つの店だった。
小さな硝子が整然と嵌められた扉を潜ると、控えめなベルの音が響いた。
「あっ、いらっしゃいませー」
同時に、疲れなんてものを微塵も感じさせない声と人懐っこそうな笑顔が僕ら二人へと向けられた。
「……え……あ……」
困惑し、「これは何?」とでも言いたそうな声を洩らすエルシーの肩に軽く手を添えて、僕は彼女を店の更に奥のテーブル席の方へと誘導する。どうすれば良いのかわからなかったのか、エルシーはされるがままに一角へと収まった。
「……どういう……状況……」
少しの間呆然としていたエルシーは漸く得心したようで、未だに少し言葉が上手く出ては来てないものの、ゆっくりと周囲を見渡す。
「最近元気が無かったから、皆でご飯でも食べたらちょっとは楽になるかなって」
美味しそうな料理の盛り付けられた大皿を運んで来たこの店……喫茶オラシオンの看板娘であるレディさんは制服の裾を軽く揺らしながら「安易過ぎるかな?」とエルシーに笑い掛ける。
「こんな形位しか元気付けられそうな方法が思い付かなくって……」
同じくこの店の制服を着たルーナさんも、レディさんを追ってくるように料理を運んでくるとそう口にした。
「ウフッ! 要はワタシ達に頼って欲しいって事なのよ」
「そうそう、一人で悩んでても苦しいだろってこった」
更に次いでやって来たコーチ君とケトルさんもテーブルの上に料理の盛り付けられた皿を置くと、二人同時に示し合わせたかのようにエルシーに向けて片目で目配せをする。