足跡(5)
照君が正隆さんにそう訊ねると、正隆さんは「もう少しだけ待って欲しい」と答えた。……またか。でも、この調子だと後何人か来ると思った方が良いのかもしれない。
「……はあ、だからゆっくりで良いんじゃねぇのって言ったのに」
「で、でも約束は守るものだもん……」
「姉ちゃん、真面目なのは良いけどさ、守りそうにない相手なんだからそういうとこ、もう少し柔軟に対応しましょうよ」
「……照様、本人の目の前でよく言えるね?」
「スンマセン、でも結局は待たされてるじゃないスか。後、俺は様付けされるのはどうも苦手なんスけど……正隆サン、わざとやってますよね?」
「君にはこっちの方が効果的だと思ってね」
「うっわ、理事長サイテーっスね」
正隆さんと照君は、馴染みの仲らしい。二人とも黄波戸家の人だから当たり前なのかもしれないが、詳しくは知らなかった正隆さんの親類関係を目の当たりにした俺としては、何処か置いてきぼりを食らっている様な感覚と、この身内同士のやり取りに同席しても大丈夫なのかという不安が相俟って、気不味い。
「見苦しい所をお見せしてすみません……」
顔を赤くして俺に謝る周ちゃん。身内でも恥ずかしかったらしい。
気不味さが少しマシになった所で、俺の隣で立って謝っていた周ちゃんに、まだ待たされそうなので、座る事を提案すると、周ちゃんは「し、失礼します……!」と言って腰を下ろす。どうやら緊張しやすい彼女を見ていると、逆に落ち着いてくる。黄波戸姉弟が来る前に俺も色々あって、俺もあまり落ち着いていなかったが、時間と彼女達のお陰で少しはマシになったので感謝したい。
「周ちゃんも理事長に呼び出されたんだよね?」
「はっ、はい! 先輩もでふよね! す、すみません、先輩もですよねと言いたかったんです……」
一応、來依菜と仲良い事もあって何度か顔を会わせているが、慣れてはくれていないらしい。……俺ひょっとして警戒されてる……?
何か誤解されたりするような事をしてしまっただろうかと思いながら、少し噛んだだけで、あたふたしている周ちゃんを大丈夫だから落ち着いてと、宥めていると、幸か不幸か、突然扉が開いた。
「よーっす!」
「ノックもせずに蹴り開けるとは、相変わらず野蛮だね」
今度も男女の二人。しかし今回は周ちゃん達の様な姉弟にも見えず、同い年位の見た目だが、二人とも学生服ではない。
女性の方は、左の前髪の一部だけは赤い色をしているもののそれ以外の部分は黒く、全体的に唸りのある髪を長く伸ばしており、それを後頭部で一つに纏めている。また瞳の色も黒く、大きな目をしているが、目尻が少し上がっている為か、何処か猫の目の様な印象を受ける。それにより人当たりが強く見えてしまうかもしれないが、しかしそんな事は無く、本人の快活な八重歯の見える笑顔には、人の良さが表れている。
しかし、それに比べると男性の方は、同じく笑顔を浮かべているものの、切れ長の細い目をしており、ニヒルな印象を受ける。あまり見えない瞳の色は黒の混じった青色をしており、さらさらで艶のある髪は長く黒色だが、右の鬢の耳の際、もみあげに当たる部分の髪だけ青い。身長はかなり高いが細身で、その事がより一層謎めいた雰囲気を強くしている。
総じて真逆な印象を受ける二人だが、口振りからして、この二人も正隆さんに呼ばれた事が推測出来る。
「げっ……」
「おっ、てるてるじゃん! 珍しい。 やっほーてるてる元気ー?」
二人が見えてすぐ、照君は嫌そうな表情を浮かべ、嫌そうな顔をされた方である、女性は「イエーイ」と言いながら近付いて、犬を撫でるように頭をわっしゃわっしゃと撫でた。当然照君の頭はボサボサになるが、既に諦めた様な表情に変わっており、為されるがままになっている。周ちゃんは「あ……ひ、照君が困ってるから」と、一応止めには入っているが効果は無い。
「まねねも久し振りー! 元気ー?」
それどころか撫で終わり満足したらしいその女性に抱き付かれ頬擦りされて、「あう……あわわ……」としか口に出来ない様になってしまった。物理的に。
「うーりうりうりうりうぃ」
「あうぅ……」
「あー、相変わらず、まねねの頬っぺたは柔らかくてすべすべしてて最高だー」
「や、やめ……」
……ごめんよ周ちゃん、そんなに悪く無い光景だと思ってしまっている友達の兄を許しておくれ。…………柔らかいのか。
「ふぃー……二歳ほど若返った気がする……って誰? この子」
一段落……というか女性が周ちゃんに満足した頃になって、漸く彼女は俺の存在に気付いた。一応ずっと周ちゃんの隣に座っていたんですけど。
「…………」
「は、初めまして……」
神妙な面持ちでまじまじと見てくる女性に、挨拶をしてみるも、返してくれる素振りは無く、値踏みをされているような感じがして居心地が悪い。そうして、膠着が少し続いた所で漸く彼女は口を開いた。
「か……」
「か……?」
「可愛いー!」
「ぅぇっ!?!?!?」
目の前でいきなり大きな声を出され、驚いて動けなくなった所へ、首に腕を回され抱き付かれた。えっ、何? 御褒美か何かなの? えっ、俺これから死んだりしないよね?
首に回された腕からは、服越しだが確かな柔らかさが伝わってきて、シャンプーや化粧品の、女性特有のふんわりとした甘い香りが至近距離で鼻腔を優しく刺激する。だからだろうか、悲しいかな、俺から思考力を奪っていく。
「アレ……? 君、熱あるんじゃない? 大丈夫? 顔も赤いし動悸もするし……うーん、でも熱は無さげ?」
大胆な事に、俺に抱き付いていた女性は思案顔で一度俺から離れると、額同士をくっ付けて、体調を確かめる。心臓の鼓動が伝わってしまうという距離は、つまりそういう事だ。大き過ぎず小さ過ぎずの、確かな柔らかさがそこにはあったのである。
文字通り目の前の女性と一緒に入ってきた男性は呆れ顔で、「またか」とでも言いたげな表情ではあるが、動く気配は一切無い。照君はぐったりとして俯き、周ちゃんは絶句している。正隆さんは穏やかな表情をしており、「若いって良いね」等とほざいている。
他人を当てにしては駄目だ。俺もいつまでも照れている場合ではない……でも、俺も男の端くれ、よくわからないけど、この状況も悪く無いと思ってしまっている自分が居る。
「あの、もう少し離れてくれませんか……」
「えっ……何で?」
後ろ髪を巻き取られそうな位の思いながらも、誘惑を断ち切ってお願いするも、無垢な瞳で見つめ返されてしまう。
「何でって……その、近いのは流石に……」
「んん……?」
駄目だ、小首を傾げるだけで全然伝わっていない。そんな時、俺の隣に座っていた周ちゃんがハッとした顔をして正気を取り戻した。
「ゆ、遊火ちゃん、先輩は男の子です……!」
……えっ、そこ? そういう問題なの? パーソナルスペースが近いのが問題なんじゃないの? そもそもそんなの普通、間違わないでしょうに。




