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足跡(4)

 四ヶ月前、簡単に壊れてしまうそれを、取り戻そうとして、新しく得て、失って、漸く取り戻した。そうして、日常というものが如何に尊いものなのか知ってしまった。知らされてしまった。だから今度こそ無くさないように大切にしたい。


 俺の言葉に、正隆さんは暫くの間、目を閉じ、腕を組んで黙っていた。表情も何処か悲しげで、普段の剽軽な言動のせいか、その動作がわざとらしく見えてしまう。


「司君、さっき來依菜ちゃんが大切ならと、言ったのは覚えているかい?」


「……はい。でもそれは魔闘祭に参加するから、代表に選ばれる可能性があるからではないんですか?」


「違う。君の事を、君の存在を、道玄坂の人間の殆どが認識しているんだ、唯一の本家筋の人間だと。今はまだ当主争いが始まって一ヶ月、現在の君は当主の継承権を放棄している状態で安全だ。でもこの争いが続けば、確実に君に飛び火する。何処かの派閥に担ぎ上げられるかもしれないし、障害になると懸念されて襲われるかもしれない。……場合によっては來依菜ちゃんや君の友人を人質に取られる事だってあるかもしれないんだよ」


「……何ですかそれ、頼みがあると言っておいて、強制しているじゃないですか」


「最低なやり方だろう? 自覚している。……でも、強制はしているつもりはないよ。君が断るのなら、少なくとも僕は何も言えない。当主にやる気がないならこれまでと現状は変わらないからね」


「言い方の問題じゃないですか。断っても構わない? でも結局巻き込まれるんでしょう? そんなの、逃げ場がないって言っているだけじゃないですか!」


 ……何で今なんだよ。帰ってきてから一ヶ月、やっと來依菜も以前の様に、自然に笑顔を浮かべられる様になってきたのに。やっと俺やつむじと、ギクシャクせずにやり取りが出来るようになってきていたのに。


「あんたは最初から選択肢なんて与えるつもりなんて無かった癖に!」


 いや、違う……落ち着け、正隆さんに当たったって意味は無い。この人も損な役回りに割り当てられただけだ。こんなのただの八つ当たりだ。理不尽だと感じたからって、それを同じ様に返していい訳じゃない。……だけど、やっと戻ってきた日常を、土足で滅茶苦茶にされそうになっているのは黙っていられなかった。


 きっと來依菜なら例え襲われても一人で何とか出来る。実力だって俺なんかよりも余っ程ある。つむじも身体能力は高く、腕っ節自体も強いから、魔力を多少なりとも扱える様になった今、正面からなら何とか出来るだろう。でも、不意討ちならどうだ。どんな手段を講じてくるのか、どんな術を持っているのか不明な上に、四六時中警戒なんて出来る筈がない。


 そもそも、あの二人が……いや、あの二人以外でも誰かが俺のせいで狙われる事自体が馬鹿馬鹿しい。別に狙うのが俺だけならまだ良い。それはそれで理不尽だと思わない事も無いけれど、でも俺以外の関係の無い誰かに被害が及ぶなんて、可笑しい。


「……君の言い分は尤もだ。ただ、君も理解しているだろうけど、客観的に考えたとしても、いずれ巻き込まれた時に何も知らずに一人で戦うのと、どのような技術を扱うのか知った上で戦うという二者択一なら、どちらの方が賢いか、今一度考えてみて欲しい。そもそも、やり方によっては誰かを巻き込みそうになる以前に、問題を解決する事だって出来るかもしれないんだ」


「……良いですよ、当主になっても。貴方の言う通り、その選択が一番合理的ですから」


 だったら、全部潰す。さっき正隆さんが言った通り、そもそも根本的な問題自体から終わらせてやる。文句も言わせない様にしてしまえば、俺を当主として認めざるを得なくなるだろう。


「……ありがとう。五家を代表して君に感謝するよ。でも、そんなに悲観的にならなくても良いいんじゃないかな。一応、悪いことばかりでは無いんだよ」


「それは慰めのつもりですか」


「いいや、慰めなんかじゃなく、本音だよ。道玄坂に戻るという事は、退魔の仕事……今風に言えば魔獣退治の仕事も行うことになるから、普通にアルバイトするよりも儲かると思うよ」


 ……慰めみたいなものには変わり無いとは思ったが口には出さなかった。しかし今までは、そこそこの遺産があったとはいえ、自身と妹の将来や、予期せぬ出費に備える為の保険としてアルバイトをしていたので、これはこれで助かる。


「それで、話は終わりですか?」


「いや、申し訳無いんだけど、もう少しだけ付き合ってくれないかな」


「……良いですよ」


 正隆さんは、会わせたい人がいるからと、もう少しばかり座って待って欲しいと、俺に言うと、腕時計を確認した。そして、「もうそろそろだね」と口にした瞬間、丁度見計らった様に、廊下側からこの部屋の扉を三回叩く音が部屋に響いた。


 正隆さんがその音に返事をすると、扉がゆっくりと開いて、二人の人物が部屋へと入ってきた。


「し、失礼します……!」


「……失礼します」


 一人は下ろし立てのセーラー服をきちんと着ており、少し緊張気味に挨拶し、もう一人は同じく下ろし立ての詰襟の学生服の、一番上のボタンを開け、少し面倒臭そうに挨拶をした。


「周ちゃん……?」


「せ、先輩……?!」


 入ってきた二人の内の一人、女子生徒の方は数時間前に挨拶した、來依菜の友人の黄波戸周ちゃんだった。


「姉ちゃん、知り合い?」


 そして、もう一人の男子生徒は周ちゃんにそう問い掛け、周ちゃんは首肯する。……成る程、通りで似ているわけだ。


 周ちゃんの弟は、髪色や癖毛気味の髪質、瞳の色は周ちゃんとそっくりだが、眼鏡は掛けておらず、周ちゃんが垂れ目がちな事もあって、彼女と比べると目元は少しキツい印象を受ける。


 彼は周ちゃんの事を「姉ちゃん」と呼んだが、制服を見るに彼も本日入学式を迎えたばかりのようで、どうやら年の離れた姉弟ではなく双子らしい。其々を見ると、あまり似た双子では無い印象を受けるが、周ちゃんの方が低いものの、同じ位の身長の為か、並んだ二人を見るとやっぱり双子らしく、しっくり来る。


「えー……っと、多分察しているとは思いますが、自分は黄波戸周の双子の弟、黄波戸(ひかる)っス。何か話はよくわかってないスけど、一先ず宜しくっス」


 周ちゃんの弟……照君は、無気力そうな正隆さんへの挨拶の割に、案外、周ちゃんの姉弟らしく初対面の俺に対して直ぐに挨拶を行った。根は真面目なのかもしれない。そして、何も言わずに呼び出されたのは、俺と同じらしい。


「此方こそ。柊司です。周ちゃんには妹がお世話になっています」


 握手を交わす。照君は、俺の名前に一瞬反応したものの、直ぐに怪訝な表情に戻った。黄波戸家の人だからだろうか、一応、柊という名字については知っているらしい。


「それで、何スか理事長、こんな日に呼び出して。まだ悪いことした覚えは無いんスけど。そもそも悪いことするつもりも無いんスけどね」

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