蜃気楼(10)
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神様……嗚呼、私は今、どうしてこんな状況になっているんでしょうか。何故、学園のアイドルこと、レイ=フラウ=ハルバティリス皇子に手を引っ張られて、色々な人から逃げているのでしょう。
こうなるまでにあったことを思い返す。
確か私は、お姉ちゃんに言われて、酒場で喧嘩している髭の人と筋肉の人を、ラナちゃんと一緒に迎えに行った筈。そこで……えっと、そこで……。
「駄目だ! 早々に覚えていないんですけど!?」
「えっと、マーガレットさん、何か言いました!?」
「いいえ! こっちの話です、気にしないでください!」
「わかりました!」
角を曲がり、路地を行く。ちらっと後ろを確認すると、追っ手は未だに振り切れない。頭はまだ少し痛く、上手く魔力を扱えず、中途半端な魔力付加しか出来ない。……そうだ! それで気付いたら通りの端っこで寝てたんだった!
原因は何処かで間違えてお酒を飲んだこと……だと思う。そういえばお姉ちゃんも暴れる位にはあんまり強く無かったっけ。私も弱いのは道理というもの。
そんでもって、私が倒れこんでいる所に偶々通り掛かったレイ皇子が介抱してくれたんだけど、幸か不幸か、レイ皇子は今大会でも注目株。優秀で、王子様で、格好良くて、強い。レイ皇子を追い掛ける記者と、ファンの人達に見付かってしまって、成り行きで私も逃げているのだ。
………………あれ? これ私、単にレイ皇子の日常に巻き込まれただけじゃない?! レイ皇子だけなら簡単に逃げ切れるだろうし。
「くっ……中々しぶといですね……」
後方を確認した王子様は呟く。ただそれだけなのに絵になる。
「こうなったら……失礼しますっ」
「えっ?」
今まで走っていたレイ皇子は、角を曲がると直ぐにそう言いながら立ち止まり、足に雷の属性強化を施すと、私を抱き抱えて、跳躍した。
えっ、ええええええええええ?! 何コレ? 何ですかこの状況は!? 何でレイ皇子に私みたいな一般人がお姫様抱っこされてるんですか?! 王子様のお姫様抱っこだから、抱っこされる私はお姫様的なってやかましい! いや、ふざけてる場合じゃないんだって。でもこんな状況ふざけなくちゃ冷静になれない気がするんだもん!
「すみません、こんな強引なやり方、嫌がられるかと思っていたんですけど、どうもあちらの方々も諦めが悪いようだったので……嫌ですよね、落ち着ける場所に着いたら下ろすので、もう暫く我慢していただければ嬉しいです」
「い、いえ……全然……大丈夫です……」
むしろずっとこのままでもいい気さえしてくる。困った笑顔も格好良くて逆に私が困る。……ヤバい、惚れそう。私何か善行を働いただろうか。中身も外身も本物の王子様にこんな事をされているなんて……もしや死ぬ前の人生の一瞬の煌めき? いやいや、そんなバカな。でもこの図は見られると、人によっては終わりそうだよね、見た人と私。絶望する王子様のファンとそのファンに処刑される私。
「すみません、僕のせいで迷惑を掛けてしまって」
「い、いや……お互い様なのでお構い無く……元々、私を介抱しようとしてくれていた訳だし……」
「その結果が、却って手を煩わせる事になってしまったというのは申し訳無い限りです……」
「全っ然! 全然気にしないで! ほ、ほら、同じ代表の誼みでさ!」
使命感が強いのか、意気消沈しているレイ皇子に、私は彼の胸を軽く叩いて呼び掛ける。……意外と筋肉質。こちらからすればこの状況は御馳走様という感じなので、尚更謝られる必要性も感じない。
「それに……レイ皇子は人助けをしていたのに、私を恋人に勘違いされて迷惑だったでしょ? 別に私を置いて逃げても良かったのに」
「そんな薄情なこと出来ませんよ。それに、自分を卑下しないでください。マーガレットさんは皇子としてではなく個人の僕の事を案じて下さるような、素敵な女性なのですから。皇子呼びを止めていただければ更に嬉しいんですけどね」
「ふひょッ――?!?!」
な、なななな何を言っていらっしゃる?! えっ、何この人、こんな事をさらっと言えるんです?! 急に笑顔でそんな事言われたらどうして良いかわかんないんだけど…………こんな状態でそんなこと言われたら勘違いしちゃうよ……。しかも驚いて変な声出ちゃったし……。ああ……ダッサいなぁ……。
建物の上を静かに、地上の喧騒から切り離された世界を渡るレイ皇子の顔を伺う。私の視線に気付いた彼は、にこやかに笑いかけてきた。
「どうかしましたか?」
「ぁ……ぇ…………お、皇子を付けない様にレイって呼べば良いのかな!」
ああああああああアアアアアアアア! 私のヘタレぇぇぇえええ!! もっと! ほら! もっと気の利く言い方があったでしょううう! 何慣れてないからって、逃げてるんだよぉぉおおお!
そこはもっとさらっと、淑女然としたやり方があったでしょ! 何簡単に見惚れて、雰囲気に呑まれた挙げ句、女子と話した事無い男子みたいになってんのよ! そりゃ、私もそんなに同年代の男子と話した事無いからこんな事になっているんだけど、もう少しマシな対応出来なかったの私……。
「はい! お願いします!」
「ひゃ……ひゃい……」
うぅ……穴があったら一生引き篭もりたい……。これじゃあ、レイ皇子……レイのファンと一緒じゃん。私もファンになりそうだけど。
ダメだダメだ、こんなんじゃマトモに会話なんて出来ないし、皇子扱いが好きではないレイにも失礼だ。取り敢えず当たり障りの無い会話をすればその内私も慣れてくるだろう。
「そう言えば、レイお……レイはどうしてそんなに鍛えているの? 既に十分強いのに」
ラナちゃんにも同じ質問をした事があるけど、それについては教えてくれなかった。ただ、「アタシは強くなる必要がある、それだけよ」とだけ言われた。……これって案外当たり障りの無い事は無かったりする?
「お恥ずかしながら、約束をしたんですよ、友達と。まあ、僕からの一方的に近い形ではあったんですけど、立場上その友達には勝たなくちゃいけない気がしていて。それも僕の勝手な意地みたいなものですけどね」
不味い質問を投げてしまったかもしれないと内心焦っていたが、幸いそんな事はなかった。照れ臭そうに笑うレイに、私は問い掛ける。
「ふふっ、どういう関係なの、それ」
「少し複雑なんですけど、一時的とは言えその友達の保護者の方が、僕の好きな人のお父上なんですよ」
す、すすすす好きな人?! いや、何でちょっと私ショック受けて動揺しているの?! 漸く落ち着いてきたと思ったのに。違うから! 別に好きになったりなんてしてないから! ……そりゃちょっとは良いなとは思ったりしたけど。お、落ち着け私、混乱するな。
「え、えっと……好きな人と友達の保護者が一緒で……複雑な関係? あれ? ちなみに友達の性別は?」
「男ですよ……?」
「つ、つつつつまり好きな人は男ってこと?! そっ、そそそりゃ複雑だよね!?」
「い、いや! 違います! 話がごちゃごちゃになってますよ! 複雑なのは一時的に保護者の立場になっていた事の方で、僕の好きな人はちゃんと女性です!」
「そ、そそそうだよね! 私は何を言っているんだろうねハハハハ……はぁ……」
いや、本当に私は何を言っているんだろう。勝手に一喜一憂して、空回りして。相手は自然体なだけなのに、何を勘違いしているんだ。傲れるなよマーガレット=リタ=アルダートン、どう足掻いても普通なのだから普通らしく、今の身の丈に見合った振る舞いをしないと。
「……よし!」
「大丈夫ですか……?」
心配そうな表情で、レイは私の様子を伺う。本当に人が好い。相変わらずドキドキはするけど、大丈夫、さっきよりも落ち着けている。
「うん、大丈夫! 自業自得だけど、ちょっと酔いが残ってたせいで、いつもよりボケちゃってたみたい」
私がそう言うと、レイは「それなら良かった」と笑い、そして建物の屋根から人の居ない路地裏へと下りると「追っ手は振り切れたようですね、面倒事に巻き込んでしまってすみません」と再び謝罪を口にした。しかもいつの間にか《エグランタイン》の近くまで来ていたらしい、流石だ。
「ううん、そんな事は無いよ。何だかんだ楽しかったし、レイの事も知れたしね」
今思うと、珍しい体験も出来たし、レイは皇子様だけど、思っていたよりも気さくな人柄だという事を知ることが出来て、何だかんだありつつも話せて良かった。
「それは光栄です……僕もマーガレットさんとお話出来て楽しかったですよ」
……でも、彼はこう言う事を簡単に口に出来てしまうのだ。罪作りだよ、本当に。
「恥ずかしながら、同年代の友達と呼べる存在が殆ど居なかったので、こうしてちゃんとした友達が出来るのは嬉しいです」
「友達かぁ……うん、私はレイの友達だよ。ここまでエスコートしてくれてありがとう、凄く助かったよ。だから……またね」
レイと挨拶を交わして別れる。来た道を戻る彼に手を振って、私は路地裏から、夕焼けの見える通りへと歩き出す。本当は、別のモノも少しだけ期待していた。だから、さようなら。
私だけの、淡い一瞬の恋心。




