蜃気楼(5)
こんな性格の人間に、わざわざ手を差し伸べる殊勝な人が居るとは思わなかった。しかも、あろうことかアタシを怒ったのだ、真剣に。古い知り合いの教師達が責任感が強いのは知っているし、あの人達からすればアタシは子供だ。だから怒るのはわかる、でも立場も違う。
アイツらは、同い年の人間として怒ったのだ。鬱憤を晴らすためでもなければ、組伏せて己の立場を上にするためでもない。中等部の時から孤立していたアタシを。何の得も無いのに。
今思えば、アイツが来る前から何だかんだ気に掛けてくれていたのかもしれない。でも何も見ようとしなかったアタシはずっとそれを無視していたのだろう。大きく何かが変わったのはあの日、アタシが負けた時だった。無理矢理、見させられた。
それには感謝もしているし、あまりにも子供染みた自分を見つめ直す切っ掛けにもなった。でも、この胸に居座り続ける復讐心は消えてくれないのだ。だから駆り立てられ、爪を立ててしまう。そしていつか、その優しさを傷付けてしまう事が怖かった。
「ラナちゃんって珍味みたいだもんね」
「アンタも十分物好きよ」
「クセになるからね」
「何かアンタがそう言うこと言うとゾッとするようになってきたわ……」
「それは駄目な傾向だよ!? いや、私も冗談で変なこと言ってる所もあるんだけどさ」
「じゃあやめなさいよ」
こんな時だけ無駄に堂々としているマーガレットは「やだ!」と、どこぞのギルドマスターみたく幼稚な否定をした。何だかんだ姉妹で似た所もあるらしい。
「取り敢えず、下っ腹育成中のアンタは良いとしてもアタシは鍛練に向かうわ」
「だ、だから育ててるつもりないから! それに、一応私もラナちゃんに付き合ってるから割と鍛練してる方だと思いますぅー! ……でも、たまには休んだらどう? ただでさえラナちゃんは自分の事蔑ろにしがちだもん、身体壊すよ?」
「今は割とマシな方よ。呑み込んでないもの」
「の、呑み込む……?」
魔変石を呑み込むのは《賢者》に看破されて以降はやっていない。《亡霊》についての事や、時には力ずくの争いの結果、無理矢理やめさせられた。自殺志願者かと叱られたというのもある。本当に迷惑を掛けるつもりは無いなら、そんな常に死線を潜る真似は止せ、復讐を果たす前に死ぬぞ、とも。
マーガレットは「何を……?」と顔に疑問と困惑を散りばめているが、アタシはそれには答えない。
「それに、天才が努力してんのよ。天才でもないアタシが追い抜くには、ソイツ以上に努力しない以外に何があるの? 同じだけ努力したってどんどん離れていくのに」
「……わかった。それなら私もする。戦闘の相手も居た方が良いだろうし、ラナちゃんが無茶しないように監視しないといけないし」
「そう、じゃあ怪我しないようにね」
「何するつもりなの?!」
「だって戦闘の相手してくれるんでしょ? 全力で来てもらわないと鍛練にならないじゃない」
マーガレットは目を横に逸らして泣きそうな声で「……そうだね」と口にする。少し自分の発言を後悔しているらしい。そんなにアタシの相手は怖いか。
「そ、それで今日は最初は何する予定なの?」
「走る。勿論魔力付与とかは無しでね」
「えっ」
「何事も準備運動が必要でしょ? 良いじゃない、アンタ体型キープしたいって言っていたんだから」
「ラナちゃんの準備運動って私からすれば限界への挑戦なんだけど。どうせその後に筋トレもするんでしょ……」
「幾ら魔力の扱いが上手くても基礎を鍛えないと意味が無いもの。魔力付加や属性強化に至っては生身の身体能力に左右されるわけだしね。嫌なら見学でもしてなさい」
「……やる。そもそも走ってる所とか筋トレしてる所とか見てても面白くないし。やるのもそれはそれで面白くはないけど……」
「アンタも変な所が強情ね」
「“アンタも”って何よー」
「ここで一番偉いのと同じって事よ」
「偉くはなりたいけど、それは嫌だ!」
誰と名前は出さなかったが、すぐに反応するというのは、マーガレットがそれだけ姉の事を意識しているという事だろう。「あんなのと一緒なんて!」と頭を抱えたり、手を突いて落ち込んだりしているのを見るだけでも劣等感やら対抗意識やらが入り交じっているのがわかる。
とは言え、近くで見ている限り、そんなに仲が悪いという印象はなく、マーガレットが一方的に張り合っている様にも見える。……まあ、確かにアタシも正直苦手だし、良い思い出も無いけど。
「どぅもぉ……あんなのでぇーす」
「ひぃぅえっ?!」
そんな事を話していたら後ろからフラッと本人が登場。随分と皮肉った口調だこと。それを耳元で聞いたマーガレットは変な声を洩らし、顔を青褪めた。
「お、おおおお姉ちゃん……何で……」
「何でって、家主が帰ってきちゃいけないの? んー?」
「だだだって、魔闘祭の期間は殆ど持ち場の見回りだって……」
「そうもいかなくなったんだよ。酒場で下らない乱闘騒ぎがあったらしくて、それの対応を回されたの」
「何で高々乱闘でお姉ちゃんが……」
「乱闘してるのが脳筋じじいと髭じじいだからだよ。今日はお休みだからって羽目を外し過ぎてるみたいでさ」
「ああ……あの人達あれでもギルドランクAだもんね……。その上お酒入ると上機嫌になるもんね……」
メリッサの言う脳筋じじいと髭じじいというのは、アタシがこの国に来て直ぐ、メリッサと戦った時に一緒に居た三人の男の内の二人、肉弾戦に長けた図体の大きい男と、魔法に長けた髭を貯えた男の事だ。皆からは筋肉の人、髭の人と呼ばれている為、アタシも本名は知らない。因みにあの時戦った内の残り一人である人畜無害そうな細身の男の呼び名は、ヤバい人。
「ギルドマスターなんだから責任取れって《賢者》のお爺ちゃんに言われて。何で私がそんな事しなくちゃいけないのさ」
「お姉ちゃんの部下なんだから、当たり前の事だよ……」
そして、これはここでお世話になる事が決まり、初めてやって来た時に知ったのだが、皆《エグランタイン》に所属していた。今となっては無くなったが、何人かを病院送りにした事もあり、気不味かったのを覚えている。
「……あれ? でもそれってお姉ちゃんが帰ってくる理由にならないよね?」
「皆見回りやら何やらに出払って直ぐに動ける人が居ないからね」
「……うん?」
「ねえ、ピギー、まな板ちゃん、見回りの引き継ぎと乱闘の仲裁どっちが良い?」
「えぇっ……両方嫌だ……」
「メリッサ、ちょっと表出なさいよ」
メリッサはアタシの纏めている髪をペシペシと叩きながら、「もう、冗談だよ冗談。半分位は」と抜かす。そもそもマーガレットもアタシと似たようなサイズだ。妹には甘いのか、この女。
「お姉ちゃん、言っておくけど私達代表戦の中休みなんだからゆっくりしたいんだけど……」
「あれぇ? 鍛練するんじゃなかったの?」
「す、するけど、それとこれとは別!」
「今なら賞金も弾むよ? どこかの誰かさんの借金も幾らかマシになるんじゃないかなぁ?」
「…………どっちの方が高いの?」
「ラナちゃん……?」




