桜白舞(13)
けれど、捌きったのは“ほぼ全て”だった。残ったのはたった一本だった。そしてその一本の鎖が、彼の動きを鈍らせた。爽やかで柔和な表情を保っていた王子様は、ここで漸く小さな呻き声を上げた。
「これならっ――――!」
相手は確実に格上だ。きっとラナちゃんとも良い勝負をする。そんな相手に、私が勝てるとしたら、相手が本気を出しきる前に手を打つしかなかった。ただ、問題もあった。生半可な魔法は通らない上に、相手の魔法は精度も速度も私よりも上手。だから私には時間が必要だった。魔法の力量を埋めるための時間が。
一瞬でも良かった。その一瞬さえあれば、相手が手を打つよりも早く、私は強力な魔法を発動出来る。
「〝クルエル・ウォート〟」
私の精一杯。私の使える魔法で一番得意な属性で、一番強力な最上級の魔法。青白色に輝く、宙に浮かんだ五芒星の魔法陣からは、圧倒的な物量の水の奔流が放たれる。幾ら王子様と言えど、鎖は確実に彼の自由を奪った。魔法を発動する暇は無い。
「けど……」
不安が口をついてしまう。王子様を巻き込んだ水流は、闘技場の壁にぶち当たり、派手に音を上げる。念のために、水に巻き込まれる直前に《ソフィア=カサブランカ》は消さず鎖を切り離し、私の元へ引き寄せるだけに留めたけれど、これが吉と出るか凶と出るか。
契約武器は基本的に丈夫だけど、私の武器はその特性から他の武器と比べると耐久性は劣る……。一応、自動で修復される能力は持っているけれど、そんなに直ぐに修復される物ではない。もし、私の魔法で壊れてしまえば、明日にも支障を来す可能性もあるし、私の知る限り、王子様は――。
「良かった……間に合った……!」
観客の黄色く甲高い悲鳴の後の静粛の中で、闇色の属性強化を纏っている王子様は、壁に背中が埋まる形で、安堵の言葉を溢す。
――ああ、やっぱり無事。
「……しかも、無傷なのはショックなんだけど……」
「いや、内側にかなり響いたよ」
やられたよ、とでも言いたげな、困った顔で笑う王子様。こんな状況でも余裕って事なのかな。さっき表情を崩せた時は上手くいったかと思ったんだけど。
体勢を立て直した王子様は構えを正す。相も変わらず、綺麗な構えだ。普段から鍛錬を続けているという事がよくわかる。
でも、気に食わないと思ってしまった。
この人は努力している。それは伝わるし、その結果が今の強さなのは私もわかってる。余裕を持つというのも必要な事で、正しい事だ。でも、やっぱり嫌だと思ってしまう。
何処までも間違っていなくて、何処までも正しい。姉の後ろ姿が脳裏を過る。癪に障る。私の問題なのはわかっている。
「では、次はこっちの番です。あまり、女性に使うのは気が引けるのですが、そうも言っていられませんね。〝雷鎧〟」
ああ、まさかこれを実際に対戦相手として見てしまう事になるとは。出来れば使わせない内に決着をつけたかったな。
紫電を纏う、甲冑の騎士。彼のこの属性強化は、とにかく――速い。
私は、王子様が〝雷鎧〟と口にした瞬間、動き出していた。足に風を纏って、契約武器からは鎖と杭を伸ばす。その殆どは王子様が居た所に。
先程まで私が居た地面には、剣が振り下ろされた。更にその剣の主は地面を蹴り、移動した私の元へ追い付く。私は攻撃の為とは別に伸ばしていた鎖の一本を掴み、王子様の追撃を鎖で受け止めるも、脆く崩れ去る。
「くっ……」
再び剣を持ち上げられるよりも前に無理矢理体を捻り、足に纏っていた風の属性強化を解放して目眩ましにした。同時に新しい鎖をこちらに伸ばす。右の太腿の裏に痛みが走ったが、贅沢は言っていられない。
こちらに伸ばしていた鎖を掴んで、《ソフィア=カサブランカ》に鎖を引き戻させる。この状況で、鎖を伸ばす必要がある武器から離れておくのは、隙が出来て得策では無さ――――。
「――がッ!?」
平衡感覚が無くなる。わかるのは宙を舞っている事だ。ここまで、速いのか。全身に走る痛みと衝撃で、思わず鎖を握っていた手を離してしまった。駄目だ、駄目だ駄目だ駄目だ駄目だ。どうにか、掴んで、体勢を立て直さないと。
一瞬の筈なのに、凄く長く感じた。その時間の果てに、また全身に衝撃が走った。どうやら地面に落ちたらしい。
くらくらする。目の焦点が合わない。それでも手や体から伝わってくる地面の感触を頼りに、立ち上がろうとする。上手く立てなくて、背中が壁に当たった。闘技場の真ん中の辺りに居たのに、こんなに吹き飛ばされていたのか。通りで痛いわけだ。
それでも壁に体重を預けながらも立ち上がる。王子様が〝雷鎧〟を解いて追撃をしてこないのは、やり過ぎると思ったからだろうか。『女性に使うのは気が引ける』とも言っていた。どっちにしろ、嘗められたものだ。
女とか男とか、関係無いのに、この人は何処まで王子様なのだろう。でも、降参しないかと訊ねるほど無粋ではなかった。なるほど、何となくこの人が人気の理由がわかったかもしれない。
はぁ……ラナちゃんといい、この王子様といい凄いや。皆、ブレの無い強さを持っていて、いつも迷っている私からしたら羨ましい。……そりゃ他人事だからそう言えるだけかもしれないけど、少なくとも私なんかよりも卑屈じゃ無いし迷いもない。
きっと同じ目線で見れるのはこういう人達なんだろう。でも、そうなると、ラナちゃんの隣に立つのはこの人になっちゃうのか。
「……嫉妬、しちゃうな」
魔力は、まだ残ってる。次の試合何て物は無い。それなら、やることは決まっている。とにかく、勝つんだ。
「〝水鎧〟」
相手の速さに付いていこうとするから後手に回って、結局追い詰められているんだ。最初から一発も貰わない様に立ち回っていた事が間違いだった。欲張っていちゃ、そりゃ駄目だよね。
攻撃を受けても軽減出来るように水の鎧を纏った私は、遠距離を保ち続けるのは到底無理だと判断し、《ソフィア=カサブランカ》を側に引き寄せて、王子様へと向かっていく。
全身を激しく揺さぶられたせいで、頭痛もするし吐き気もするし、体も痛い。でも、こんな所で立ち止まっていたくはなかった。立ち止まっていては、今までと何も変わらない。
王子様は向かってくる私に対して、再び〝雷鎧〟を纏って、剣を構える。真正面から迎え撃つつもりらしい。
「〝ガング・ウォート〟!」
水の槍を三発放つ。更に《ソフィア=カサブランカ》の杭も重ねて五発、計八発の攻撃を仕掛けてみる。これだけ放てば何れかは食らってくれたら嬉しい所だけど――全て斬り払われてしまう。
しかし、私の狙いは斬り払った後の隙。そこへ向かって拳を振るう。
「ハァッ!」
……が、剣で受け止められた。拳の先の、剣の傷からは折れてくれるほど、甘くはないらしい。……私は確かに隙を狙った筈なのに。




