桜白舞(12)
「よろしくお願いしますね」
そう、柔和な、人畜無害な微笑みを浮かべて彼は私に一礼する。その彼のお陰で、闘技場は満員で、黄色い歓声に埋まっている。
綺麗な金色の、さらさらな髪。まるで宝石のような、透き通った緑色の瞳。均一の取れた端整な顔立ちは、正に王子様という喩えがぴったりだ。けれど、喩えと形容してしまうのは彼に失礼かもしれない。何故なら彼は、紛れもない王子様だからだ。
レイ=フラウ=ハルバティリス。隣国の王子。ハルバティリス王国の第一位王位継承者。次期国王。そして優勝予想候補筆頭の彼が、私の相手だった。
……最悪だ。もう、最悪だ。当たりたくない相手の一二を争う相手に当たった事も、ただ、微笑みをかけられただけなのに、嫉妬の混じった視線が客席から飛んでくるのも。もう全部が全部、最悪だ。
……確かに、格好良いけど。せめて何かこう、運命的な出会い方をした先のこの挨拶だったのなら、素直に喜べた筈なのに。
「……よろしく。…………お願いします」
そんな在り来たりな言葉を返した所で、先生の号令がかかって、お互いに武器を出す。ハルバティリス王子が取り出したのは、金色の柄と鍔、銀色の太い両刃の剣身の長剣。正統派と呼べる外見の長剣で唯一特徴として挙げられる所があるとすれば、片側の剣身の真ん中辺りに浅い傷が斜めに入っている所だろうか。
お互いに得物を構えて直ぐ、文句を口にする時間も無いままに、先生の号令が再び掛かってしまう。自然と溜め息が溢れたけど、まだマシなのは自分の運の悪さを嘆いた溜め息じゃなくて、事前の準備が甘い自分に呆れた溜め息であった事だ。きっと、前までの自分だったら前者を選んで誤魔化して、聞こえの良い言い訳を続けていただろう。
でも、どうやら私はここまでらしい。
相手はこれまでの全ての戦いに於いて、苦戦知らず。勝利が決まっていたかのように終えてきた。まるでラナちゃんみたいだ。
「…………けど、だからと言って、それが諦める理由になんかならないってのぉッ!」
暗澹とした気分を変える為に声を張り上げた咽のままで、武器の名前を口にすると、ズキズキとした痛みは残ったけれど、今は丁度良い。
正直、相性は悪い……と思う。私がラナちゃんのように魔法を扱えるのなら、あれだけの魔力の量があったのなら、別だったのだろうけど、生憎私の技量では、距離を詰められた時の術が殆ど無い。
その上、相手は優勝候補の一人だ。唯でさえ近接の武器を扱うのに、その使い手が最強の一角。となれば、相手の得意な距離を許してしまうと一気に勝敗は決してしまうかもしれない。
けれど、術が殆ど無いから近付かれないように露骨に振る舞ってしまうのは、自分の弱点を晒してるようなものだ。
嗚呼、全くもってどうしたものか……!
一先ず、私の呼び掛けに呼応した契約武器は白い杭を打ち出すけど、どうやら焼け石に水。王子様は見事な剣さばきで、杭を自身に一切触れさせる事無く、撃ち落とした。
牽制程度とはいえ、己の身体能力のみで、ああも簡単に往なされてしまうというのは悔しい。
「ふぅ……」
緊張やら焦りやらで、既に呼吸が乱れつつある私に対して、相手は無駄な力を抜くためだろうか、一息吐いて……自信の表れか、少し勝ち気な印象を受ける微笑み。
…………ちょっとだけ、客席で黄色い声援を送っている人達の気持ちがわかってしまったかもしれない。武器は何も物理的な強さだけでは無いらしい。
「いやいやいや! しっかりしろ、私!」
緩みかけた頬を引き締める。幸い、珍しい武器のお陰で、相手は警戒して攻め方を選んでいる段階らしく、剣を構えたまま私と《ソフィア=カサブランカ》と一定の距離を保っている。
こうなってしまうと、こっちからは動きにくい。下手に動くと、珍しいだけで何か特殊な能力を持っていたりするわけではない事がバレてしまう。そうなってしまえば、こちらには為す術も無いままに、終わる。
けれど、どうすれば良いか何て具体的な策も思い浮かばないのも事実だ。出来る事と言えば、私の底を知られない様に立ち回る位。
……ラナちゃんだったら――――いや、ラナちゃんと私は、根本的に違いすぎる。実力は勿論、持ってる技術や武器の特徴、何から何まで懸け離れていて、今の私じゃ同じ目線で考える事でさえ烏滸がましい。
でも時間は待ってくれはしない。少しの間、睨み合いが続くものの、それも過ぎ、遂に相手は足を一歩、踏み出した。
……駄目だ。近寄らせる訳にはいかない。相手は動き出してしまったのだ。こっちも何らかの行動を起こさなくては――。
「〝ビロ――――」
「〝ガング・ブライズ〟」
「えっ?」
左肩に衝撃。ほぼ同時に、そこを中心に痺れが走る。一瞬息が、止まる。景色が回る。焦点が合わない。何だ、今のは。
研ぎ澄まされた一撃だった。恐ろしく的確で、無駄の無い魔法だった。肩を狙ったのは、私がどんな魔法を使うかわからない状態で、どんな魔法を使ったとしても狙いを反らせるようにする為だろう。
ただ、そんな王子様にでも一つ、計算外だった事があるらしい。それは、私が思っていた以上に盛大に吹っ飛んだ事だ。
「…………あれ?」
素っ頓狂な声を上げる王子様。沸き上がる黄色い歓声。王子様は自分の力加減を間違えたとでも思ったのか、戸惑った表情を浮かべているがそんなことは無い……筈だ。証拠に、私が反応出来なかっただけで、衝撃は合ったものの威力はそこまではなく、難無く立ち上がる事が出来た。
けれど、これは不味い。たった一撃ではあるけど、反応出来なかった。たったそれだけの事で、私の底を垣間見られてしまった。
立ち上がった私を見て、王子様は構えを正し、表情を引き締める。今回の構えは先程までのものより少し重心が前に出ている――――つまり、様子見は終わってしまったという事だ。
「ああ、もう!」
どうすれば良いか考えていたのに、もう全部パーだ! 慎重にやりようがないじゃないか!
王子様は剣を構え、こちらへと真っ直ぐに走ってくる。私はさっきの二の舞にはならないように距離を保とうと動きながら〝ウォート〟を数発放つものの、剣を振るうだけで掻き消されてしまう。
結局、いつも通り必死にする方が、私には合っているらしい。
「《ソフィア=カサブランカ》!」
武器を喚ぶ。さっきと同じ様に杭を放つが、様子見ではなく全力で。今回はさっきとは違って、弾かれたとしても次の杭が襲い、弾かれた杭は再び体勢を立て直す。
流石の王子様も、十を越える杭と鎖を捌くのは一苦労らしい。その間、私は足に風の属性強化を施して《ソフィア=カサブランカ》と挟み撃つ形になるように回り込む。次いで私は《ソフィア=カサブランカ》に命令する。剣を振るう隙間を縫って、その自由を奪えと。
杭は全て、剣を持つ右腕に狙いを定めた。けれど、王子様は簡単に侵入を許してはくれない。器用にも、そんな中であるのにも拘わらず、私に魔法を放ちながら、ほぼ全ての杭を捌ききられてしまった。困った事にさっきよりも反応速度が心なしか上がっている。




