桜白舞(7)
「――一応、警告は先程した筈なんじゃが、わかりにくかったかの?」
さっきの様に一瞬で首元に突きつけられたのは杖……だけでなく幾本もの剣。アタシの首を囲むように並べられたそれらは、冷たい切っ先を通してアタシから体温を奪っていった。
「良いか? 主の選べる道は二択じゃ。儂の提案を受け入れるか……それとも我等が脅威と見做して、ここで排除されるか……お嬢ちゃんなら理解出来ない訳では無いじゃろう?」
語りかけ、うっすらと開いた瞳に、背筋が凍る。そんな表現がぴったりだった。
「……っ……」
……息を呑む。確実に死んでいた。最初からこの老人が本気だったのなら、きっと一瞬でアタシは終わっていた。……つまり、さっきまでの好々爺としていた《賢者》は、アタシを見極めるためにだけにあの様な態度を取っていたのだ。
……気に入らない。腹立たしい。自分にも、相手にも。
「わかったわよ。アンタの提案、受け入れてあげても良いわ」
けれど、力不足だと言われて否定出来なかった。それにこんな所で死ぬよりはマシだ。アタシはまだ死ねない。
「その代わり、後悔しても知らないわよ」
何処かの誰が言いそうな、精一杯の虚勢を張った。そんなアタシに《賢者》は満足げに頷くと、「決まりじゃな」と口にする。
同時に、首の回りに展開されていた剣は淡い光を上げながら消えていった。……もし、アタシが愚か者だったらどうしたのだろう。きっと、《賢者》はいつでもアタシを殺せるかもしれないが、信用するに値するか判断するには少し早い気がする。……しかしまあ、こうなってしまったのだから、それは置いておいて。
「……良いの? そこの捕まっている泣き虫の意見は聞かなくても」
「そうだそうだー! 私の意見も聞くべきだよ! 何でこんな何もしなさそうな洗濯板の貧乳をウチで預からないといけな――へぶっ?!」
一発殴っておいた。
「良いんじゃよ。儂はメリッサの上司みたいなものじゃしな。それにメリッサには儂からの依頼として、お嬢ちゃんの監視役を引き受けてもらわんと困る。あれだけの手練れを蹴散らした人間を止められる者なんて然う然うおらぬ」
成る程、アタシをメリッサの所に置く理由を少し納得出来た。
件のメリッサは、漸く縛っていた鎖から解放され、「それなら……まあ……」と不満げではありながら首を縦に振る。
「けど、勿論タダってわけじゃないんでしょ? アタシを監視とはいえ、お世話になるわけだし」
「そうじゃな。退路を断った立場の者が言うにはちと図々しいが、幾つか条件もある。一先ず、お嬢ちゃんにはメリッサの所のギルドに所属してもらう。それで壊した分の修理費と、先の戦闘で怪我した人の治療費を稼いでもらわんとな」
……それは一切考えてなかった。
「借金生活残念でしたー! ギルドに加入してもFランクからなのでゴミみたいな安い依頼しかありません! 超カワイソー! お? お? どうして握り拳作ってプルプル震えてるの? あっ! そっか! 私は上司! そして引っ掛かる所が無い貴女は階級も胸囲も下っ端だもんね! それにこれ以上怪我させて借金増やす訳にはいかないもんねぇ!」
喋れない位までコテンパンにしておけば良かった。……しかし色々と決まってしまった以上、メリッサは兎も角、《賢者》の迷惑になりそうなことはあまりしたくない。……一応、監視役がメリッサなのはある意味|《賢者》なりの優しさみたいなものなのだろうし。
「それでは、メリッサ。後は頼んだぞ、諸々の手続きとか、説明とか説得とか」
「えっ? 本当に丸投げしちゃうの?!」
ざまあみろ。
「色々と大変でしょうが、よろしくお願いしますね、メリッサ“様”」
「え、ええ……よろしくね。まな板=ナイチチーさん……でしたっけ?」
こうして拳を交えながらも、アタシはメリッサの所属するギルドにお世話になることになった……のだが、ただのクソ上司になると思っていた、このメリッサという女はただの上司どころではなかったのである。
ギルド《エグランタイン》。
このギルドはエレーナ共和国に於いて最も新しいギルドであり、最も勢いのあるギルドらしい。
ギルドを興すには先ずギルドマスターの資格を所持していることが条件ではあるが、このギルドマスターの資格を得るためにはギルドランクがA級以上である事と、その為の筆記、実技試験を受け、見事に受からなければならない。
しかしギルドを興す場合はそれだけでなく更に追加でギルド樹立の申請及び、審査が行われ、求められるギルドランクはS級以上と、要するに狭き門なのである。
そしてその狭き門を弱冠十六歳――史上最年少で突破したのが、《エグランタイン》のギルドマスター、メリッサ=ディクシー=アルダートンなのである。
簡潔に述べるなら新入社員と社長。初対面でアタシと殴り合った相手とは今やそんな関係になってしまったのである。
「と言うわけで、監視の任は貴女に一任するね。失敗したり、何か問題が起こったら、貴女の首が飛ぶからくれぐれも気を付けてね。物理的に。」
「物理的に?! えっ……えぇ?! 何で?! 何でなの?! てか私今帰ってきたばかりなのよ?! 何が何だかわかんないよ!?」
そうして次の日の昼下がり。突然、菫色の真ん丸な瞳に、明るい茶色の長髪で毛先がふわっと巻かれている、アタシと同年代位の少女と対面することになったのだが、何やらこの少女は昨日まで出掛けていて、丁度今さっき帰ってきた様で、いきなりメリッサの仕事放棄に荷担させられた可哀想な人であるらしい。
しかし、それはそれとして置いておいたとしても、この少女がメリッサの自宅兼仕事場であり、アタシの居候先である《エグランタイン》に帰ってきた時点で既に青い顔をして泣いてた事が非常に気掛かりである。
ちなみにメリッサはそんな事も一切意に介さずあの様な事を言ったので、流石のアタシもこの少女には同情する。
「その子、まぐれで私に勝てそうな位には強いから、気を付けてね。昨日、ネクト魔導学院をボロボロにして脳筋ジジイと髭のオッサンとロリコンを病院送りにしたのもその子だから」
「ああああああ! 死んだぁぁああああ! 私! 死んだぁぁああああ! 昨日社会的に死ぬかと思ってた所で今日物理的に死んじゃうんだぁぁあああ!」
何なのよ、この騒がしいのは…………泣くのは良いけど、鼻水とか吹きなさいよ……。
「睨まれたぁぁぁぁあああ! 殺されちゃうよぉぉおお! 人を抹殺しそうな目をしてるぅぅううう!!」
「失礼ね! 睨んだつもりはないわよ!」
「ひぃぃいいいいい!!」
「何でそんなに怖がるのよ!」
アタシが泣いている少女とコミュニケーションを取れずに四苦八苦している所で、パシンと手を叩く音が一つ。メリッサは「そういう事だから」と始めてアタシ達から有無を奪う。
「取り敢えず、私は昨日の光の柱の騒ぎの調査で招集掛かってるから、頼んだよーペギー!」
「びどい゛よ゛ぉ゛ぉ゛お゛ね゛ぇ゛ぢゃん゛ん゛ん゛」
涙やら鼻水やら涎やらを流す少女はどうやらメリッサの妹らしい。そして、メリッサは泣きわめく妹を放って出掛けて行ってしまった。




